ためらいの温度 触れた者を死なせる当主が生ける、ただ一輪の花嫁

「華。欲しいものはないか? 不便があれば、俺に何でも言って欲しい」

 物怪騒動から数日後。仕事帰りの鷹臣様を玄関で迎えると、彼からそう問われた。

(欲しいものと言われても……着物や帯も身に余るほど良い物を用意してくれているわ。それに声が出ない私のために、至る所に硯と筆を置いてくれたし)

 この鎮宮の屋敷には元々各所に生け花が置いてあり、鷹臣様はそれを目印とするかのように、その側に筆と硯を備え付けてくれた。「声が出なくても、皆と意思疎通が図れるように」という気配りだ。
 物怪騒動があってから使用人たちは一層私に良くしてくれているし、詠坂での暮らしよりずっと良い生活をさせてもらっている。食事を抜かれてひもじい思いをすることもないし、下女として長く暮らした私には、あまり物欲というものがない。

(それに私のせいで火事になりかけて、廊下の焦げた床面を張り直す羽目になっちゃったんだもの。ただでさえご迷惑をおかけしてしまったのに、物を強請るなんて!)
 
 だから私は「十分です。今の生活が幸せで満足してますから」の気持ちで、笑みを強めて首を横に振った。

 しかし鷹臣様は不満げな表情で、私の後ろに控えていた使用人たちを冷たく一瞥する。使用人たちはびくりと飛び上がった後に、気まずそうに視線を下げて、そそくさと立ち去っていった。

(どうして突然そんな表情をするの?)

 そんな気持ちが、また顔に出てしまっていたのだろうか。鷹臣様は渋々といった面持ちで呟いた。

「……俺の仕事中に、使用人たちと楽しく筆談していると聞いた」

 それは鷹臣様が気を利かせてくれたおかげだ。何が彼の気に触ったのか分からない。だから彼の袖を指先でちょんと摘んで、彼を見上げた。鷹臣様はスッと私から目を逸らす。

「っ、だから……!」
 
(だから?)
 
「……俺とも話をして欲しい。君の夫は俺なのに、どうして華のことを他人経由でばかり知らないといけないんだ」

 ……つまり。先程使用人に向けた視線は、ただの嫉妬?
 
 そう考えれば、彼が夫として心を尽くし、進んで私のことを知ろうとしてくれる姿に、胸の奥が温かくなるのを感じた。
 だから私は掴んでいた彼の袖を引いて、生け花の横に備え付けてくれている筆の所へ鷹臣様を連れていく。
 そして私は、唯一「あると便利だな」と考えていた……でも高価でとても頼めないと思っていた品物の名前を紙に書いた。

『万年筆が欲しいです。帯に懐紙と一緒に刺しておけば、いつでも鷹臣様とお話しできますから』