祝言。それは家と家を結びつけるための、社会的儀式。
本来なら両家の親族が集まって、今後の両家の益々の発展を願う場となる。
(それなのに二人きりで行うって……どういうこと?)
鷹臣様と私の祝言は、所謂『私儀』だった。しかもそれは鷹臣様が望んだこと。
両家から出席する者は一人もいない。
つまり……私たちが正しく夫婦になったかどうかなんて、誰にも分からない。
それは結局のところ、鷹臣様から私に求婚しておきながら、私を拒絶しているように思えた。
(……本当に、玲の言う通りなのね)
玲は白無垢を纏い化粧を施された私の姿を見て「綺麗な死装束ね」とか、「最後に詠坂を名乗れるなんて良かったじゃない。あぁでも、喋れないんじゃ意味が無いわね!」なんて笑っていたが。本当に、今日一日だけの花嫁だから私儀なのかもしれない。
──怖い。死にたくない。
喉の奥が引き攣るような感覚。声が出ないのに、叫んでしまいたい気持ちだけが胸に溜まっていく。
でも私に選択権はないのだ。体が震えてしまうのも、寒さのせいだと自分に必死に言い聞かせて、正気を保とうとする。
私を乗せた輿が鎮宮の屋敷の正面につく。病弱設定になっている私はゆっくりと輿から降りて、案内されるがままに門を潜った。
冬椿が咲く庭の横を通って、屋敷の奥に向かって歩く。
椿の仲間になるのだと思えば、出もしない嘲笑の声が漏れたような気がした。
(それにしても随分と広いお屋敷。さすが、皇族に次ぐお家柄なだけあるわ)
全力で走って逃げたら……なんて考えが脳裏にちらついて、私は小さく首を横に振った。
声も出ない私では、逃げたところでどうしようもない。詠坂に戻ったって「殺してもらうことにしよう」とまで言われた私の居場所はない。
でも私には一つ、やり残したことがあるのだ。
そっと胸に手を当てる。……こっそりと忍ばせてきたのは、手巾と感謝を綴った文。手巾は、先日助けてくれた男性がくれたものだ。
私にくれるとは言っていたが、よく見れば金糸で家紋の刺繍が入っていた。
(家紋入りの手巾なんて、簡単に貰っていいものではないわ。お手紙と一緒にお返ししたかったのに)
声が出なくても文字で書けば、感謝の気持ちも伝わる。家紋を調べれば彼に辿り着けるかもしれないと考えていた矢先だったのに。
「思い詰めたような顔だな。物怪に襲われていた時の方が果敢な表情をしていたぞ」
聞き覚えのある声に、パッと顔を上げる。
目の前に現れたのは、銀の長髪を一つにまとめた男性。あの日、私を助けてくれた彼だ。
今まさに思い浮かべていた人物が急に目の前に現れて、驚いた私は目を丸くした。
「俺の花嫁になるのが不満な気持ちはわかるが、我慢してくれ。儀式もすぐに終わる」
五つ紋付羽織袴を着た彼が、黒の手袋をした手で人払いする。私を案内してくれていた使用人達は肩を震わせ、そのうちの一人が持っていた盆を落としてしまい、甲高い音を立てた。
「……騒がしい」
たった一言で空気が止まる。盆の立てた音が、気味が悪い程長く響いた。使用人達は息を詰め、衣擦れの音だけ残して去っていく。
ふと彼の羽織の家紋を見てみれば。……手巾の刺繍と同じだ!
声の出ない口を振るわせながら、胸元から手巾を引っ張り出す。手巾に刺繍された紋と彼の着物を交互に指差していれば、彼は眉を顰めて私の手元に視線を落とした後、眉間の皺を緩めた。
「本当に俺が誰か分かっていなかったのか。俺がこの家の当主で、触れた相手を殺す異能を持つ……鎮宮鷹臣だ」
(嘘……だって私、この人に手巾で顔を拭かれたのに、死ななかったわ!)
手巾を顔に当てて、先日の出来事と辻褄が合わないことを手振り身振りで説明する。すると彼は意外にも、笑いを堪えるような表情で、黒の手袋を見せつけるかのように、手をひらひらと振って見せた。
「この皮手袋をしていれば、外に漏れる異能をある程度制御することができる。やっぱりお前、面白い奴だな。声が出なくても顔がよく喋る」
(顔が喋る!?)
そんなことを言われたのは初めてだ。予想外の言葉を受けて、思わず自分の両頬に触れた。
彼は私に背を向けて、何も言わずに歩き出す。それが思ったより速足だったので、私は慌てて駆けるようにして彼の背を追いかけた。白無垢姿では、いつものようには走れない!
それに鷹臣様は、人の命を何とも思わない冷酷な当主という話だったはずだ。しかしこの人は私を物怪から助けてくれた。……もはや訳がわからない。
彼は沓脱石の上に置いてあった草履を履いて、颯爽と庭に降りて行く。そこには、先程廊下を歩いていた時に見えた椿の木があった。
私は動揺で足を留め、廊下から彼の様子を伺う。椿の木の下に台が置かれてあり、そこには三つ重ねの盃と銚子が置かれていた。
「二人きりの祝言なら、美しい花の下がいい。そう思わないか?」
鷹臣様は何の躊躇いもなく、椿に手を伸ばす。触れた花がぽとりと落ちた。
つい先程、私も椿のように命散らすのだという想像をしたばかりだった私は……思わず半歩後ろに下がって、胸元に手を当てた。
恐怖心。でも、助けてくれた時の優しさを信じたい気持ちもある。
迷いながら、胸元にしまった文の存在を確かめた。その時だった。
「──華」
(え?)
「華、聞こえていないのか?」
私の名前だ。誰かに名前を呼ばれるなんて本当に久しぶりで、すぐに反応できなかった。慌ててパッと顔をあげる。
椿の下にいたはずの彼が、いつの間にかすぐそばの沓脱石の所まで戻って来ていた。
水晶のような紫の瞳と視線が交わる。
鷹臣様が緩やかに目尻を下げた。
「気をつけて降りてくれ。少し段が高いが……俺は手を差し出してやることは出来ない。手袋越しでも、万が一のことがあるから」
沓脱石には明らかに女性物の草履が一足。
そして彼の言葉からは……私を害そうとする意思は全く感じられない。
目をぱちぱちさせる私を見た鷹臣様は「どうした? あぁ、草履の位置が悪かったな」なんて言って、私が履きやすい位置へと動かしてくれる。
……こんな人が、殺すために妻を娶るだろうか?
だから私は腰を落として鷹臣様と視線の高さを合わせ、胸元にしまってあった文を差し出した。
彼は意味がわからないといった具合に器用に片眉を上げながらも文を開く。
紫水晶の瞳が文字列を追って。……耐えられなかったと言わんばかりに、吹き出すようにして笑った。
「ふっ……はは! まさか俺に殺される気で嫁ぎに来たのか? この文面では『物怪から助けてくれた彼への遺書』じゃないか。礼儀を尽くす姿勢には感心するが、男にこの文面は感心しないな。恋文だと勘違いしそうだ」
鷹臣様は大笑いしつつ、その文を懐にしまう。そして笑いが落ち着いた頃、やっと私に事情を話し出した。
「俺はこの手で多くの命を奪ってきた。物怪だけではなく、動物……人間すらも。屋敷の使用人ですら恐れるような、まさに噂通りの男だ」
ギュ、と……皮が擦れる音がする。彼が拳を握り締めたのだと分かった。
「そんな俺が妻を娶る気になったのは、声も出ないのに子供を庇って飛び出してしまう、興味深い人に出会ったから。なのに無闇に触れて散らす気なんてあるわけないだろう、華」
冬の風が吹いて、彼の銀糸のような髪を揺らす。
でも私の心に冷たい風は入らない。
ずっと何年も、誰にも呼んでもらえなかった名前を。
鷹臣様が、繰り返し呼んでくれるから。
それが彼を信じる気持ちとなって、心に明かりを灯す。ほんのりと温もりが宿った。
「俺の祝言なんて誰も祝わないし、ならば二人きりでいい。恐ろしい男に気に入られて運が悪かったと諦めて、この先は俺に付き合ってくれ」
あぁ、自分の声で返事を返せたならどれほど良かっただろう。
この人は誰もが恐れる異能を持つのかもしれない。
でも……彼は、私を「形だけの、死んでも良い妻」ではなく「詠坂の娘」でもなく。ただの「華」という私に興味を持って、望んで迎えてくれたのだ。
立ち上がった私は、鷹臣様が揃えて置いてくれた草履を履く。先に椿の下に向かった彼を追いかけて駆けた。
本来なら両家の親族が集まって、今後の両家の益々の発展を願う場となる。
(それなのに二人きりで行うって……どういうこと?)
鷹臣様と私の祝言は、所謂『私儀』だった。しかもそれは鷹臣様が望んだこと。
両家から出席する者は一人もいない。
つまり……私たちが正しく夫婦になったかどうかなんて、誰にも分からない。
それは結局のところ、鷹臣様から私に求婚しておきながら、私を拒絶しているように思えた。
(……本当に、玲の言う通りなのね)
玲は白無垢を纏い化粧を施された私の姿を見て「綺麗な死装束ね」とか、「最後に詠坂を名乗れるなんて良かったじゃない。あぁでも、喋れないんじゃ意味が無いわね!」なんて笑っていたが。本当に、今日一日だけの花嫁だから私儀なのかもしれない。
──怖い。死にたくない。
喉の奥が引き攣るような感覚。声が出ないのに、叫んでしまいたい気持ちだけが胸に溜まっていく。
でも私に選択権はないのだ。体が震えてしまうのも、寒さのせいだと自分に必死に言い聞かせて、正気を保とうとする。
私を乗せた輿が鎮宮の屋敷の正面につく。病弱設定になっている私はゆっくりと輿から降りて、案内されるがままに門を潜った。
冬椿が咲く庭の横を通って、屋敷の奥に向かって歩く。
椿の仲間になるのだと思えば、出もしない嘲笑の声が漏れたような気がした。
(それにしても随分と広いお屋敷。さすが、皇族に次ぐお家柄なだけあるわ)
全力で走って逃げたら……なんて考えが脳裏にちらついて、私は小さく首を横に振った。
声も出ない私では、逃げたところでどうしようもない。詠坂に戻ったって「殺してもらうことにしよう」とまで言われた私の居場所はない。
でも私には一つ、やり残したことがあるのだ。
そっと胸に手を当てる。……こっそりと忍ばせてきたのは、手巾と感謝を綴った文。手巾は、先日助けてくれた男性がくれたものだ。
私にくれるとは言っていたが、よく見れば金糸で家紋の刺繍が入っていた。
(家紋入りの手巾なんて、簡単に貰っていいものではないわ。お手紙と一緒にお返ししたかったのに)
声が出なくても文字で書けば、感謝の気持ちも伝わる。家紋を調べれば彼に辿り着けるかもしれないと考えていた矢先だったのに。
「思い詰めたような顔だな。物怪に襲われていた時の方が果敢な表情をしていたぞ」
聞き覚えのある声に、パッと顔を上げる。
目の前に現れたのは、銀の長髪を一つにまとめた男性。あの日、私を助けてくれた彼だ。
今まさに思い浮かべていた人物が急に目の前に現れて、驚いた私は目を丸くした。
「俺の花嫁になるのが不満な気持ちはわかるが、我慢してくれ。儀式もすぐに終わる」
五つ紋付羽織袴を着た彼が、黒の手袋をした手で人払いする。私を案内してくれていた使用人達は肩を震わせ、そのうちの一人が持っていた盆を落としてしまい、甲高い音を立てた。
「……騒がしい」
たった一言で空気が止まる。盆の立てた音が、気味が悪い程長く響いた。使用人達は息を詰め、衣擦れの音だけ残して去っていく。
ふと彼の羽織の家紋を見てみれば。……手巾の刺繍と同じだ!
声の出ない口を振るわせながら、胸元から手巾を引っ張り出す。手巾に刺繍された紋と彼の着物を交互に指差していれば、彼は眉を顰めて私の手元に視線を落とした後、眉間の皺を緩めた。
「本当に俺が誰か分かっていなかったのか。俺がこの家の当主で、触れた相手を殺す異能を持つ……鎮宮鷹臣だ」
(嘘……だって私、この人に手巾で顔を拭かれたのに、死ななかったわ!)
手巾を顔に当てて、先日の出来事と辻褄が合わないことを手振り身振りで説明する。すると彼は意外にも、笑いを堪えるような表情で、黒の手袋を見せつけるかのように、手をひらひらと振って見せた。
「この皮手袋をしていれば、外に漏れる異能をある程度制御することができる。やっぱりお前、面白い奴だな。声が出なくても顔がよく喋る」
(顔が喋る!?)
そんなことを言われたのは初めてだ。予想外の言葉を受けて、思わず自分の両頬に触れた。
彼は私に背を向けて、何も言わずに歩き出す。それが思ったより速足だったので、私は慌てて駆けるようにして彼の背を追いかけた。白無垢姿では、いつものようには走れない!
それに鷹臣様は、人の命を何とも思わない冷酷な当主という話だったはずだ。しかしこの人は私を物怪から助けてくれた。……もはや訳がわからない。
彼は沓脱石の上に置いてあった草履を履いて、颯爽と庭に降りて行く。そこには、先程廊下を歩いていた時に見えた椿の木があった。
私は動揺で足を留め、廊下から彼の様子を伺う。椿の木の下に台が置かれてあり、そこには三つ重ねの盃と銚子が置かれていた。
「二人きりの祝言なら、美しい花の下がいい。そう思わないか?」
鷹臣様は何の躊躇いもなく、椿に手を伸ばす。触れた花がぽとりと落ちた。
つい先程、私も椿のように命散らすのだという想像をしたばかりだった私は……思わず半歩後ろに下がって、胸元に手を当てた。
恐怖心。でも、助けてくれた時の優しさを信じたい気持ちもある。
迷いながら、胸元にしまった文の存在を確かめた。その時だった。
「──華」
(え?)
「華、聞こえていないのか?」
私の名前だ。誰かに名前を呼ばれるなんて本当に久しぶりで、すぐに反応できなかった。慌ててパッと顔をあげる。
椿の下にいたはずの彼が、いつの間にかすぐそばの沓脱石の所まで戻って来ていた。
水晶のような紫の瞳と視線が交わる。
鷹臣様が緩やかに目尻を下げた。
「気をつけて降りてくれ。少し段が高いが……俺は手を差し出してやることは出来ない。手袋越しでも、万が一のことがあるから」
沓脱石には明らかに女性物の草履が一足。
そして彼の言葉からは……私を害そうとする意思は全く感じられない。
目をぱちぱちさせる私を見た鷹臣様は「どうした? あぁ、草履の位置が悪かったな」なんて言って、私が履きやすい位置へと動かしてくれる。
……こんな人が、殺すために妻を娶るだろうか?
だから私は腰を落として鷹臣様と視線の高さを合わせ、胸元にしまってあった文を差し出した。
彼は意味がわからないといった具合に器用に片眉を上げながらも文を開く。
紫水晶の瞳が文字列を追って。……耐えられなかったと言わんばかりに、吹き出すようにして笑った。
「ふっ……はは! まさか俺に殺される気で嫁ぎに来たのか? この文面では『物怪から助けてくれた彼への遺書』じゃないか。礼儀を尽くす姿勢には感心するが、男にこの文面は感心しないな。恋文だと勘違いしそうだ」
鷹臣様は大笑いしつつ、その文を懐にしまう。そして笑いが落ち着いた頃、やっと私に事情を話し出した。
「俺はこの手で多くの命を奪ってきた。物怪だけではなく、動物……人間すらも。屋敷の使用人ですら恐れるような、まさに噂通りの男だ」
ギュ、と……皮が擦れる音がする。彼が拳を握り締めたのだと分かった。
「そんな俺が妻を娶る気になったのは、声も出ないのに子供を庇って飛び出してしまう、興味深い人に出会ったから。なのに無闇に触れて散らす気なんてあるわけないだろう、華」
冬の風が吹いて、彼の銀糸のような髪を揺らす。
でも私の心に冷たい風は入らない。
ずっと何年も、誰にも呼んでもらえなかった名前を。
鷹臣様が、繰り返し呼んでくれるから。
それが彼を信じる気持ちとなって、心に明かりを灯す。ほんのりと温もりが宿った。
「俺の祝言なんて誰も祝わないし、ならば二人きりでいい。恐ろしい男に気に入られて運が悪かったと諦めて、この先は俺に付き合ってくれ」
あぁ、自分の声で返事を返せたならどれほど良かっただろう。
この人は誰もが恐れる異能を持つのかもしれない。
でも……彼は、私を「形だけの、死んでも良い妻」ではなく「詠坂の娘」でもなく。ただの「華」という私に興味を持って、望んで迎えてくれたのだ。
立ち上がった私は、鷹臣様が揃えて置いてくれた草履を履く。先に椿の下に向かった彼を追いかけて駆けた。

