ためらいの温度 触れた者を死なせる当主が生ける、ただ一輪の花嫁

「鷹臣様、準備できました」

 初夏の風が通り抜ける縁側。剣山と花器の用意をした私は、庭に向かって声をかける。「あぁ」と短い声を返した鷹臣様が、腕に花を抱えて戻ってきた。草履を脱いで、縁側に座る。

「今日は何のお花ですか? あ、桔梗ですね」 
「そうだ。桔梗は縁起の良い花で、家紋や着物の模様にもよく使われる。花言葉も永遠の愛や気品を表すものだ」

 命を削るような真似をしなくなった鷹臣様の体調は徐々に回復していった。薬湯を飲む必要もなくなり、ボソリと「秋頃から宮仕えに復帰するか。帝が煩くて敵わん」なんて呟くようにまでなった。
 そして今は「時間があるから」と、私に不足している教養的な部分を毎日のように教えてくれている。

「まさに希望と幸福を表す花で……華、何を笑っているんだ」
「え? ……ふふ、鷹臣様が楽しそうだなって」 

 最近の鷹臣様は笑顔が増えた。
 私はそれが嬉しい。

「……花が趣味だからな。それにここ数ヶ月の間に好きな事も沢山増えたし」
「好きな事? 新しい趣味ですか?」

 何だろう。この前一緒に行った茶屋で茶器の趣に感心していたから、陶芸に目覚めたのだろうか? それとも、先日私が風邪を引いた時に庭で育てることができる薬草について勉強していたようだから、庭に新しい区画でも作っているのだろうか。
 鷹臣様のことなら何でも知りたい。そんな気持ちで彼を見つめる。

 鷹臣様もくすっと笑って、以前と何一つ変わらない黒手袋をした手が私に伸ばされる。
 しかしその手は、私の頬に触れる直前にぴたりと止まった。その僅かな隙間がもどかしい。

『……触れてください』
 
 強請るようにそう告げると、そっと鷹臣様の左手が私の頬に触れて。存在を確かめるかのように彼の親指が肌を擦った。
 
 鷹臣様は、今でも必ず私が無効化の異能を使うのを確認した上、まずは手袋をしたまま私に触れ始める。そんなもどかしい一手間こそ、彼の最大限の愛情表現でもある。
 
「あえて言うなら華が趣味になった」
「生け花が趣味なのは前からじゃないですか」
「そうだな。……でも笑顔で俺の名を呼んで、その声で許しをくれる花は、たった一輪。誰にも渡さない」

 彼が何を言っているのかやっと理解した私は、顔が赤くなるのを感じつつ、頬に当てられた彼の手に触れた。
 以前と違い、彼がそれを嫌がるそぶりはない。
 だから私はゆっくりと、私たちの間を隔てる黒手袋を取り去った。

「鷹臣様に生けてもらえるなら幸せです」

 離れて行かない彼の体温が、私の言葉に頷いてくれたように思う。
 今や鎮宮家では当たり前の光景となった花露が弾けたような光が、私たちを包み込んだ。