ためらいの温度 触れた者を死なせる当主が生ける、ただ一輪の花嫁

 私を抱えたまま鎮宮の門をくぐった鷹臣様は、屋敷に上がることなく、真っ直ぐに裏庭に向かった。梅の木の近くにある低い岩の上に、そっと私を下ろして座らせる。
 まさか花見をしたいという訳ではあるまい。彼が何を試したいと言っているのか分からず、私は首を傾げた。
 
「……華は、声が出るようになれば嬉しいか?」

 それは勿論嬉しいが、そう問うからには……手段があるということだろう。突然の話に目を丸くしてしまう。

(そういえばさっき助けて貰った時に、一瞬だけ声が出たような……)

 ……もしあれが気のせいではなかったのだとすれば。

「その表情は、『嬉しい』……と、とっても良いのだろうか」

 鷹臣様の言葉に、私は大きく頷いた。

(声が出れば、鷹臣様にお礼が言える! 文字だけじゃなくて、ちゃんと私の声で伝えられるわ!)

 鷹臣様には助けて貰ってばかりだ。とても感謝しているし……私は彼への気持ちも自覚したばかり。
 彼と直接言葉を交わすことが叶うなら、という感情が私を突き動かして、気がつけば私の正面に立つ彼の羽織の袖を掴んでいた。

(どうすれば声が出るようになるのですか!?)

 声の出ない口を動かして、必死に鷹臣様に訴える。いつもなら私の様子を見て穏やかな表情を浮かべたり笑ったりすることの多い鷹臣様だが……何故か表情を曇らせて、私から視線を逸らす。

「その方法は、死と隣り合わせの危険を伴うもので。しかも取り戻せたとしても一瞬だけの可能性すらある。……それでもやるか?」

 死、と聞いて私は一瞬躊躇った。……それでも。

(鷹臣様が提案してくれるのだから、大丈夫。私はやってみたい!)

 暗い表情の鷹臣様の分まで明るい笑顔を作る。初めて彼と会った時と同じように、ヘラっと笑って見せた。
 それで鷹臣様も気が抜けたのだろうか。紫水晶の瞳に、僅かな温度が戻ってくる。

「……華らしい。では俺も、最善を尽くそう」

 鷹臣様がスルッと黒手袋を外す。男性らしい長い指がその黒手袋を懐に仕舞った。

「華の声が出ないのは、恐らく物怪の呪詛だ。心当たりがあるのではないか?」

 ……ある。私は物怪の呪詛を受け大怪我をして、お母様は……帰らぬ人になった。

「今から俺は、手袋無しで華に触れる。……手から放つ異能を最大限弱めて、華の喉の部分に絡まった呪詛だけを狙って殺す」

 そんな器用なことが出来るのか。
 感心した私だったが、どうやら鷹臣様はずっと考えていたことのようで。玲の異能によって吹き飛ばされた私を抱き止めた際に、手袋越しでも僅かに漏れ出てしまった異能によって私の声が一瞬出たため、実行可能であるという結論に至ったということだ。

「……怖いか?」

 少しも怖くないかと言われれば嘘になるし、むしろそんな慎重にならざるを得ない行為をさせてしまって申し訳ないとも思う。
 それでも私は鷹臣様を信じたい。
 玲といざこざを起こしても、全面的に私を信じてくれた鷹臣様のように。
 私も、鷹臣様を信じたい。

(もし声が出るなら。……最初に話すのは、鷹臣様の名前にしよう)

 覚悟は決まった。言葉がなくとも私の表情だけでそれを理解してくれる鷹臣様が、一瞬だけ目を閉じて──私に微笑みかけた。

「……何があろうと。俺の妻は、君だけだ。華」

 鷹臣様の指先が、そっと私の喉元に触れた。彼の体温を感じる暇もなく、ジュッという嫌な音がする。鷹臣様がその整った顔を歪めた。触れられている彼の指先が小刻みに震える。
 何があったのだろう、分からない。でも私には、痛みの一つすらない。彼の苦しげな表情に、心の中を不安が占めていく。

(どうしよう、やっぱり私……声が欲しいなんて思っちゃダメだったの!?)

 鷹臣様が肩で大きな息をしつつ、私から指先を離した。……ひとまず、私は生きている。

「……これで。声が……出る、か?」

 額から脂汗を流す鷹臣様が、手に黒手袋をはめる。
 私はその不安な気持ちを抱えたまま、ゆっくりと口を動かしてみた。

「……た、かおみ……さま」

 あぁ、声が出る。鷹臣様に何があったのかはよく分からないが──私の声は出る!

「鷹臣様……!」

 私は岩から飛び降りるようにして彼に抱きつく。彼が珍しく「わっ」と驚いたような声を上げた。
 どれだけの時間喋ることが出来るのか分からない。だから、ここで一番に今までのお礼を言うべきなのはわかっている。鷹臣様がこれほど苦しそうにしつつ、取り戻してくれた声なのだから。
 でも私の口は、別の言葉を発した。
 
「──すき。好き、です! 私は……鷹臣様のことが好きです!」

 鷹臣様の腕が私の体に回されて、抱きしめられる。その手は握りしめられているようで、私の体には触れない。
 そして身を屈めた彼の、汗で濡れた額が合わさった。

「頼む……もう一度聞きたい」
「鷹臣様が、好きです」
「……あと一回」
「お慕い……しております」

 気恥ずかしくなってきて、今度こそお礼を言おうと身構えた私だったが。……それを言うことは叶わない。長い銀色の睫毛震わせつつ瞼を下ろした彼と、吐息が交わる。
 せっかく声が出るようになった私の唇を塞いでしまった鷹臣様から解放された時には、苦しげだった彼の様子は平常通りに戻っていて。……私の声も元通りの状態になってしまっていた。奇跡のような時間はあまりにも一瞬だった。
 結局お礼が言えずしょんぼりする私を見た鷹臣様が「もう一度触れようか」と言うので、私はブンブンと勢いよく顔を横に振る。

(だって鷹臣様、あんなに苦しそうだったのに!!)
 
 私には、好きな人を苦しめたい願望なんて無い。それなのに鷹臣様は、激しく否定の意を示す私を見て笑いを堪えている。私は不満げに頬を膨らませてみた。

「……すまない。俺が我慢出来なくなっただけだ」

 触れられた喉は痛くなかったはずなのに……高鳴る胸が苦しかった。