「華、何かあればすぐに俺の所へ来るように」
たどり着いたのは多くの女性が集まった一室。鷹臣様は、同じく名門華族である松福家の奥様の元へ私を預け、当主達の集まりの場へと向かった。
「まあ……ふふ。鎮宮の御当主に随分と気に入られたのね。詠坂のお嬢さん」
齢六十を超えていそうな彼女に話しかけられる。
私がどこの家出身か知られていて、一瞬驚いてしまったが。……鎮宮は華族の中で最も格が高い家柄の一つ。その当主の婚姻の詳細を皆が知らぬ訳がない。にこりと笑みを強めた私に、その年配女性も目尻の皺を深くした。
「病弱なお嬢さんだと聞いていたけど、声が出ないだけだったのね。祝言も私儀だったから心配していたのだけど……」
意味深な顔で、彼女は私の頭のてっぺんから足袋の先まで順に眺める。
「梅の銀細工の簪に、銀の唐草模様。心配は無用だったわね」
言われた意味が分からず、戸惑った瞬間だった。
「ちょっと!!」
びくりと肩が跳ねる。
聞き馴染みのある声に、私は恐る恐る振り返った。
そこに立っていたのは──玲。
濃い紅色の、牡丹と鳳凰の柄が入った訪問着。私と同じ薄茶色の髪を高く結い上げて煌びやかな金の簪を刺しており、場の空気を押し分けるような堂々たる姿だ。
「どうしてこんな所にあんたがいるの!?」
どうしてと言われても、私は鷹臣様の妻として共にやって来ただけだ。
(玲こそどうして……あぁ、そっか。お父様は昔から玲をこういう集まりに連れ歩いていたわね)
男児に恵まれなかった詠坂家は、声が出なくなった能無しの私は放置して、玲を次期当主として全ての期待を背負わせてきた。
女でも、強く。そんな教育を受けた玲は、当たりは強いが自信も本当に強い女性になった。
しかし今日はお父様の姿は見えない。その代わりに玲の背後には、色付き袴を着た清次様の姿があった。
「……今日も大層目立つ装いですこと。詠坂の次期当主のお嬢さんは」
「松福の奥様、ご機嫌よう。お褒めいただき嬉しいわ」
どうにも褒められているようには聞こえなかった私は、内心大汗を流す。
(場にそぐわないって注意されたように思うのだけど……)
玲の評判が、詠坂の評判になる。そんな気持ちから私は懐紙にサッと文字を書いて玲に渡した。
しかし……当然ながら玲は眉を顰める。
「は? 『燃えなさい!』」
玲がビリビリと破り捨てるようにした懐紙から火が出て、一瞬にして黒い灰と化す。それがパラパラと塵のようになって、畳の上に降った。
「鎮宮に嫁いだからって、何を偉そうに! 出来損ないが、私に意見出来るとでも思っているの!?」
「玲、落ち着いて。彼女は君の妹なんだろう?」
清次様が玲を宥めようと、彼女の手を掴む。それを握り返した玲は、さも自分が被害者だと言わんばかりの顔で清次様に擦り寄った。
「清次様、聞いてくださいませ。あの女、私に侮辱の言葉を並べた紙を渡してきたの!」
「……それは酷いな」
「自分が能無しで病弱だからって、昔から私を恨んでいるの。だから私、清次様と結婚すればやっとあの女の陰湿な虐めから守ってもらえると思って」
(違うわ! 私はただ、もう少し場に適した装いをした方が良いと思うって書いただけなのに……!)
でも私は、それを訴える声を持たない。周囲人たちがヒソヒソと声を顰めて何かを話しているのが……まるでこの場にいる全員が玲の味方をして私を責めているように感じた。
私は鷹臣様の妻として、彼のために堂々としていなければならない。でも……この状況では流石に動揺が出てしまう。
キュッと唇を噛んで、震えそうになるのを堪えた。
「でも玲。いくら酷い妹でも、同じ家に生まれた者同士協力するべきだ。ここは話し合って……」
「こんな女、妹なんかじゃないわ。『居なくなってしまえばいいのに!』」
玲の異能が、私の体を激しく押し出すようにして吹き飛ばす。
詠坂の異能は、声で扱う。感情が乱れれば、今の玲のように予期せぬ異能を発動させてしまうこともある。
襖や障子も薙ぎ倒して庭の方向に弧を描いて飛んだ私の体は、背中から真っ直ぐ地面に落下していく。
まさかの事態に痛みを覚悟して、目を固く瞑った瞬間だった。
「華ッ!!」
横から何かがぶつかるような衝撃。ザザザと土が掘れる音と、堪えるような低い唸り声。……でも、痛みはない。
何が起こったのか分からず身を固くしたままの私に、聞き慣れた声が必死に問いかけた。
「華、大丈夫か!? 返事をしてくれ、華!!」
「た、か……」
(……おみ、様?)
あぁ、鷹臣様が助けてくださったのだ。それが分かった私は、固く閉じていた瞼をゆっくりと上げ始める。
妻として立派に振る舞えなかっただけでなく、玲といざこざを起こしてしまった。……どう謝罪すればいいだろう。
私がいるのは、彼の腕の中。きっと突き飛ばされるようにして飛んだ私を、自分の身を盾にして受け止めてくださったのだろう。
そろりと視線を上げる。すると予想外にも彼は紫水晶の瞳に驚きの色を滲ませていた。
「……今、声が」
(声? ……あれ?)
私、今……声が出たような?
でも改めて喋ろうとしても、子音の一つすら出てこない。……気のせいだろうか。
鷹臣様はそのまま私を抱いて立ち上がる。その時にはすでに、鎮宮の当主らしい威厳ある表情に戻っていた。
「彼女に居なくなれと言うのなら。夫であり鎮宮の当主である俺も一緒に消えてやろう。……この都で最も物怪を討伐する、汚れ役を一手に引き受けてきた俺が抜けて、どこまで持ち堪えられるか見ものだな」
鷹臣様の視線は、真っ直ぐ玲に注がれている。周囲にいた各家のご婦人方と清次様の顔色がサッと変わった。
「玲! 謝るんだ。鎮宮の当主が居なければ、ただでさえ悪くなっている都の治安が……」
「嫌よ! 清次様、どうしてこの私が、あんな能無しの女に頭を下げないといけないの!?」
「どんな人物であろうが、君の妹は鎮宮の奥方だ。敵に回していい相手じゃない!」
「……誰かと思えば、商家から成り上がった家の次男坊か。穴の空いた船に乗ったままとは、愛情深いことだ。俺も見習って、この愛らしい妻の側で生きるとしよう」
ごくりと清次様が息を呑んだ音が聞こえたような気がした。
完全に啖呵を切った鷹臣様は、私を抱えたままその場を後にする。
……本当に大変なことをしでかしてしまった。玲の前では必死に堪えていた震えが今更出てきて、颯爽と歩く鷹臣様の腕の中でカタカタと震えてしまう。
「怖いか? すまない……出来るだけ触れないようにはしているつもりなんだ」
どうやら鷹臣様は、私が彼に抱えられているから震えていると思ったらしい。ハッとして確認してみれば、鷹臣様は手のひらで私に触れないよう、腕全体で私を支えるようにして抱えてくれていた。
私は鷹臣様が怖い訳じゃない。それだけでも伝えようと、ふるふると顔を横に振る。
その拍子に、土で汚れてしまった彼の羽織が目に止まった。よく見れば破れてしまっているし、鷹臣様にしては珍しく汗の香りもする。……彼が必死に駆けてきて私を受け止めてくれたのだと、すぐさま分かった。謝罪の気持ちを込めて、その破れている部分に触れた。
「それくらい気にしなくていい。羽織はいくらでも作り直せばいいし、よく頑張ったな。華が無事で良かった。……本当に良かった」
先程啖呵を切った時とは打って変わった優しい口調に、思わず目尻に涙が浮かんでしまう。
「俺の着物で顔を拭いてもいいから」
その言葉で、ついに涙がこぼれてしまった。胸の奥が温かくなって……今の私には、この感情が何か分かる。
私はこの人の側に居たい。
……好き。あぁ私は、鷹臣様のことが好きなのだ。
「華が何か問題を起こしたとは思っていないし、後は俺が上手く収めておく。どうせあの女が華を僻んで騒ぎ出したんだろう」
こぼれた涙を指先で拭う。僻んでいたかどうかは分からないが、玲はあの態度が通常だ。
「俺と初めて会った時に使用人のような格好だったのも、あの女が原因か?」
それは玲が原因と言っていいのか。……私が詠坂の家に生まれたのに、能無しだったからと言えばいいのか。
迷いつつ、涙で濡れた指を万年筆に伸ばしかければ、「いや、今はいい」と止められてしまった。
「それよりも……華。試したいことがあるんだ」
たどり着いたのは多くの女性が集まった一室。鷹臣様は、同じく名門華族である松福家の奥様の元へ私を預け、当主達の集まりの場へと向かった。
「まあ……ふふ。鎮宮の御当主に随分と気に入られたのね。詠坂のお嬢さん」
齢六十を超えていそうな彼女に話しかけられる。
私がどこの家出身か知られていて、一瞬驚いてしまったが。……鎮宮は華族の中で最も格が高い家柄の一つ。その当主の婚姻の詳細を皆が知らぬ訳がない。にこりと笑みを強めた私に、その年配女性も目尻の皺を深くした。
「病弱なお嬢さんだと聞いていたけど、声が出ないだけだったのね。祝言も私儀だったから心配していたのだけど……」
意味深な顔で、彼女は私の頭のてっぺんから足袋の先まで順に眺める。
「梅の銀細工の簪に、銀の唐草模様。心配は無用だったわね」
言われた意味が分からず、戸惑った瞬間だった。
「ちょっと!!」
びくりと肩が跳ねる。
聞き馴染みのある声に、私は恐る恐る振り返った。
そこに立っていたのは──玲。
濃い紅色の、牡丹と鳳凰の柄が入った訪問着。私と同じ薄茶色の髪を高く結い上げて煌びやかな金の簪を刺しており、場の空気を押し分けるような堂々たる姿だ。
「どうしてこんな所にあんたがいるの!?」
どうしてと言われても、私は鷹臣様の妻として共にやって来ただけだ。
(玲こそどうして……あぁ、そっか。お父様は昔から玲をこういう集まりに連れ歩いていたわね)
男児に恵まれなかった詠坂家は、声が出なくなった能無しの私は放置して、玲を次期当主として全ての期待を背負わせてきた。
女でも、強く。そんな教育を受けた玲は、当たりは強いが自信も本当に強い女性になった。
しかし今日はお父様の姿は見えない。その代わりに玲の背後には、色付き袴を着た清次様の姿があった。
「……今日も大層目立つ装いですこと。詠坂の次期当主のお嬢さんは」
「松福の奥様、ご機嫌よう。お褒めいただき嬉しいわ」
どうにも褒められているようには聞こえなかった私は、内心大汗を流す。
(場にそぐわないって注意されたように思うのだけど……)
玲の評判が、詠坂の評判になる。そんな気持ちから私は懐紙にサッと文字を書いて玲に渡した。
しかし……当然ながら玲は眉を顰める。
「は? 『燃えなさい!』」
玲がビリビリと破り捨てるようにした懐紙から火が出て、一瞬にして黒い灰と化す。それがパラパラと塵のようになって、畳の上に降った。
「鎮宮に嫁いだからって、何を偉そうに! 出来損ないが、私に意見出来るとでも思っているの!?」
「玲、落ち着いて。彼女は君の妹なんだろう?」
清次様が玲を宥めようと、彼女の手を掴む。それを握り返した玲は、さも自分が被害者だと言わんばかりの顔で清次様に擦り寄った。
「清次様、聞いてくださいませ。あの女、私に侮辱の言葉を並べた紙を渡してきたの!」
「……それは酷いな」
「自分が能無しで病弱だからって、昔から私を恨んでいるの。だから私、清次様と結婚すればやっとあの女の陰湿な虐めから守ってもらえると思って」
(違うわ! 私はただ、もう少し場に適した装いをした方が良いと思うって書いただけなのに……!)
でも私は、それを訴える声を持たない。周囲人たちがヒソヒソと声を顰めて何かを話しているのが……まるでこの場にいる全員が玲の味方をして私を責めているように感じた。
私は鷹臣様の妻として、彼のために堂々としていなければならない。でも……この状況では流石に動揺が出てしまう。
キュッと唇を噛んで、震えそうになるのを堪えた。
「でも玲。いくら酷い妹でも、同じ家に生まれた者同士協力するべきだ。ここは話し合って……」
「こんな女、妹なんかじゃないわ。『居なくなってしまえばいいのに!』」
玲の異能が、私の体を激しく押し出すようにして吹き飛ばす。
詠坂の異能は、声で扱う。感情が乱れれば、今の玲のように予期せぬ異能を発動させてしまうこともある。
襖や障子も薙ぎ倒して庭の方向に弧を描いて飛んだ私の体は、背中から真っ直ぐ地面に落下していく。
まさかの事態に痛みを覚悟して、目を固く瞑った瞬間だった。
「華ッ!!」
横から何かがぶつかるような衝撃。ザザザと土が掘れる音と、堪えるような低い唸り声。……でも、痛みはない。
何が起こったのか分からず身を固くしたままの私に、聞き慣れた声が必死に問いかけた。
「華、大丈夫か!? 返事をしてくれ、華!!」
「た、か……」
(……おみ、様?)
あぁ、鷹臣様が助けてくださったのだ。それが分かった私は、固く閉じていた瞼をゆっくりと上げ始める。
妻として立派に振る舞えなかっただけでなく、玲といざこざを起こしてしまった。……どう謝罪すればいいだろう。
私がいるのは、彼の腕の中。きっと突き飛ばされるようにして飛んだ私を、自分の身を盾にして受け止めてくださったのだろう。
そろりと視線を上げる。すると予想外にも彼は紫水晶の瞳に驚きの色を滲ませていた。
「……今、声が」
(声? ……あれ?)
私、今……声が出たような?
でも改めて喋ろうとしても、子音の一つすら出てこない。……気のせいだろうか。
鷹臣様はそのまま私を抱いて立ち上がる。その時にはすでに、鎮宮の当主らしい威厳ある表情に戻っていた。
「彼女に居なくなれと言うのなら。夫であり鎮宮の当主である俺も一緒に消えてやろう。……この都で最も物怪を討伐する、汚れ役を一手に引き受けてきた俺が抜けて、どこまで持ち堪えられるか見ものだな」
鷹臣様の視線は、真っ直ぐ玲に注がれている。周囲にいた各家のご婦人方と清次様の顔色がサッと変わった。
「玲! 謝るんだ。鎮宮の当主が居なければ、ただでさえ悪くなっている都の治安が……」
「嫌よ! 清次様、どうしてこの私が、あんな能無しの女に頭を下げないといけないの!?」
「どんな人物であろうが、君の妹は鎮宮の奥方だ。敵に回していい相手じゃない!」
「……誰かと思えば、商家から成り上がった家の次男坊か。穴の空いた船に乗ったままとは、愛情深いことだ。俺も見習って、この愛らしい妻の側で生きるとしよう」
ごくりと清次様が息を呑んだ音が聞こえたような気がした。
完全に啖呵を切った鷹臣様は、私を抱えたままその場を後にする。
……本当に大変なことをしでかしてしまった。玲の前では必死に堪えていた震えが今更出てきて、颯爽と歩く鷹臣様の腕の中でカタカタと震えてしまう。
「怖いか? すまない……出来るだけ触れないようにはしているつもりなんだ」
どうやら鷹臣様は、私が彼に抱えられているから震えていると思ったらしい。ハッとして確認してみれば、鷹臣様は手のひらで私に触れないよう、腕全体で私を支えるようにして抱えてくれていた。
私は鷹臣様が怖い訳じゃない。それだけでも伝えようと、ふるふると顔を横に振る。
その拍子に、土で汚れてしまった彼の羽織が目に止まった。よく見れば破れてしまっているし、鷹臣様にしては珍しく汗の香りもする。……彼が必死に駆けてきて私を受け止めてくれたのだと、すぐさま分かった。謝罪の気持ちを込めて、その破れている部分に触れた。
「それくらい気にしなくていい。羽織はいくらでも作り直せばいいし、よく頑張ったな。華が無事で良かった。……本当に良かった」
先程啖呵を切った時とは打って変わった優しい口調に、思わず目尻に涙が浮かんでしまう。
「俺の着物で顔を拭いてもいいから」
その言葉で、ついに涙がこぼれてしまった。胸の奥が温かくなって……今の私には、この感情が何か分かる。
私はこの人の側に居たい。
……好き。あぁ私は、鷹臣様のことが好きなのだ。
「華が何か問題を起こしたとは思っていないし、後は俺が上手く収めておく。どうせあの女が華を僻んで騒ぎ出したんだろう」
こぼれた涙を指先で拭う。僻んでいたかどうかは分からないが、玲はあの態度が通常だ。
「俺と初めて会った時に使用人のような格好だったのも、あの女が原因か?」
それは玲が原因と言っていいのか。……私が詠坂の家に生まれたのに、能無しだったからと言えばいいのか。
迷いつつ、涙で濡れた指を万年筆に伸ばしかければ、「いや、今はいい」と止められてしまった。
「それよりも……華。試したいことがあるんだ」

