引っ越して三日目、部屋はまだ“仮の生活”のままだった。段ボールは減っているのに、収納の中身が定まらない。キッチンの引き出しに入れたスプーンは、使うたびに位置が変わる。落ち着かない。私は落ち着かない状態が苦手だ。整えるために、整えるための道具が要る。

夜、収納用の細いラックを通販で注文した。サイズは幅二十センチ。隙間にぴったり収まるはずだ。注文画面の住所欄に「A棟」「12階」「1203」を入力し、確認ボタンを押した。四桁。今日も四桁は揺れない。そう思いながら、私は決済を終えた。

翌日、仕事をしているとスマホが震えた。配送通知だった。「宅配ボックスにお届けしました」。私は昼休みに取りに行き、暗証番号を入力して扉を開けた。扉が開くときの金属の音は、いかにも“仕組み”の音で、私はその音に妙な安心を覚える。人間の気分では変わらない音。番号を入れれば開く。開けば物がある。世界はそういうふうにできていてほしい。

部屋に戻って箱を開ける。パーツは整然と並び、説明書は絵だけで組み立てられるようになっている。ねじは四種類。私はねじを皿に分けて並べ、一本ずつ締めていった。締めるたびに“整う”音がする。ぐらついていた生活が、ねじと一緒に固定されていく。

組み立てが終わった頃、管理アプリに「宅配ボックス利用履歴」なる項目があるのを思い出した。入居案内に「受取履歴の確認ができます」と書いてあった。便利だと思った。便利は信用できる。私は画面を開き、昨日の受取が記録されているのを確認しようとした。

【宅配ボックス利用履歴】
2/11 19:40 受取完了 宛先:1203A 配送:○○便
2/12 10:02 受取完了 宛先:1203  配送:△△便
備考:暗証番号入力で解錠

指が止まった。
宛先:1203A。
私はその行だけを何度も見た。画面の文字は冷たいのに、胸の奥だけが熱くなる。Aが、ここにも付いている。掲示板通知だけなら誤記だと言い聞かせられた。けれど宅配の履歴は、誤記では済まない気がした。誤記だとしても、誰がどこで誤ったのかが分からない。

私は通販サイトの注文履歴を開いた。住所欄を確認する。「A棟」「12階」「1203」。Aは棟の記号としてしか存在しない。住戸番号の横に付くAはない。入力ミスではない。念のため、配送先情報の編集画面も開いてみた。過去の注文も同じ住所だった。四桁の後には何も付いていない。

じゃあ、配送業者が付け足した?
そんなこと、あるだろうか。
私は箱の側面の送り状を見た。印刷が少し滲んでいて、文字の輪郭が曖昧になっている。それなのに、住戸番号の末尾だけが妙にはっきりして見えた。

「1203A」

私は息を止めて、送り状をスマホで撮った。ピントが合うまで何度か撮り直した。撮り直している間、頭の中で同じ言葉が回っていた。誤記、誤記、誤記。
けれど、撮った写真の中でもAは消えない。写真は嘘をつかない、と私は思っている。少なくとも、私の記憶よりは信用できる。

もう一度、配送通知を探した。受信箱で「お届け先」を含む文を検索する。自動生成のメールが出てきた。

【配送通知メール(自動)】
お届け先:A棟12階 1203A
お届け予定:2/11 18:00〜20:00
※配達状況により前後する場合があります

自動。
この二文字が、喉の奥を冷やした。人が書いたなら、間違える理由がある。修正もできる。謝罪もできる。
自動は違う。自動は、ただ出る。出てしまう。誰かの責任ではなく、仕組みの結果として出てしまう。

私は管理アプリの履歴画面に戻り、もう一度「1203A」の行を見た。次の行には「1203」がある。両方が並んでいる。Aが付いたものと付かないものが、同じ画面の中で共存している。世界が二つに割れているみたいだ。どちらが正しいのかを、画面は教えてくれない。ただ“受取完了”とだけ言う。

私はメモを開いた。考えを整理するとき、私は文字に頼る。文字は、頭の中のざわつきを吸い取ってくれる。

【個人メモ】
2/11 19:40 宅配受取(ラック)
履歴:宛先1203A
注文履歴:宛先1203
送り状:1203A
配送通知(自動):1203A
どこからAが生えた?

書き終えて、私は画面を見つめた。
“生えた”という言い方が、自分でも妙だと思った。Aが勝手に生える。そんなはずはない。住所は勝手に増えない。増えるのは、現実ではなく、記録のはずだ。記録は、現実の写しのはずだ。

私はその場で管理アプリの登録情報を確認した。住戸番号:1203。
よかった、と一瞬思う。まだ四桁だ。まだ揺れていない。
けれど同時に、胸の奥の冷たさは消えなかった。履歴は消えない。送り状は消えない。自動メールは消えない。消せないものが残るほど、世界は“残ったもの”に引きずられる。

私は箱を片付けようとして、ふと考えた。
もし私が受け取らなかったら、履歴はどうなっていた?
もし暗証番号を入力しなかったら、受取完了にはならなかった?
受取完了になったということは、私は“1203A宛の荷物”を受け取ったことになる。
なら、私は一度、1203Aとして行動したことになる。

その発想が怖くて、私は笑いそうになった。大げさだ。大げさすぎる。
ただ、確認したい。
確認したいだけなのに、その気持ちは少しずつ“確認しなければ”に近づいている。

私は送り状の写真と、履歴画面のスクリーンショットと、自動メールの画面を同じフォルダに入れた。タイトルを付ける。「1203A」。
たった一文字のために作ったフォルダが、私のスマホに増えた。

増えたのはフォルダだけだ。
そう言い聞かせながら、私はその夜、鍵をいつもより確かめるように回した。