非道な殺し屋頭領は、甘美な毒で花を欺く




 代々、暗殺を生業とする不知火(しらぬい)家。
 椛が当主である父から呼び出されたのは、七日前のことだった。
「なぜ呼ばれたか、わかっているな」
 抑揚のない父の声に頭を垂れる。
 叱責を受けることはわかっていた。
 先日、不知火家が大河原(おおがわら)家城主より請け負った暗殺の任務。それで、椛がひとつ、しくじった。
 標的の暗殺には成功したが、その側近と彼が雇っていた忍びを逃がしてしまった。一族の者がすぐに後を追ったが、うまく身を隠したようで未だに見つからない。
 このまま潜んでいてくれれば問題はないが、標的の暗殺に大河原家城主が関わっていたことが知られれば、大河原家はもちろんのこと、不知火家の存続も危ぶまれる。
『不知火家の四兄妹、末子の椛は出来損ない』
 親族や臣下たちから噂されているのを、当主である父が知らないわけがない。
 それでも椛に任務が与えられるのは、父が母を愛していて、おそらく、それと同じくらいに憎んでもいるからだ。
「この度の件、申し訳ございませんでした」
 土下座するために手をついたとき、身体中に痺れるような痛みが走った。任務でしくじっただけでなく、不甲斐なくも右腕に怪我を負ったのだ。
「謝罪はいい」
 痛みを堪えてひれ伏す椛の耳に、父の低い声が届く。
「それより、おまえの処遇についてだ」
「はい……」
 父からは、どんな罰を受けるだろうか。
 椛は畳の上でぎゅっと拳を握った。
 椛の失敗は、これが初めてではない。これまでも、任務の度に共に動く仲間の足を引っ張ってきた。
 敵に捕まりそうになったり、調査の途中で標的を見失ったり、怪我をして足手纏いになったり。その度に、一族の――特に兄姉たちが椛の尻拭いをしてきた。
 そういうことがあると、椛は兄姉たちから容赦なく殴られる。今回、椛の失敗を補ったのは二番目の兄の虎影(とらかげ)と姉の椿(つばき)。特に椿は椛の失敗に容赦なく、散々に痛めつけたあとで、食事を与えず一晩納戸に閉じ込めた。
 だから、ひれ伏す身体が痛いのは、任務で斬られた傷のせいだけではない。かろうじて、顔にだけは手を出さずにいてくれるので助かるが……
「明日から、おまえに単独の任務を与える」
 静かに宣告を待っていた椛は、父の言葉に一瞬耳を疑った。
「単独任務……ですか?」
 おもわず顔を上げた椛を、父が冷たいまなざしで見下ろしてきた。
「そうだ。七日以内に標的を始末しろ」
「わたし一人で、ですか?」
 不安顔で訊ね返す椛に、父は腕組みして「そうだ」と頷いた。
「椛。これまでおまえがしくじる度に罰を与え、不知火の任務に戻ることを許してきた。だが、さすがに今回の失敗には皆が呆れている。大半の者が、椛を不知火の家から追放するべきだと言っている」
「追放……」
 椛は真っ青な顔で、その言葉を口の中で反芻した。
 追放なんて……ここを追い出されたら、どうやって生きていけばいいのだろう。
 不知火家の外のことを、椛は何も知らないのだ。
「父上……どうかそれだけはお赦しください……!」
 畳に額を擦りつけて懇願すると、父は気怠げに息を吐いた。
「ならば、単独任務をこなしてこい。ひとりでうまくやり遂げれば、誰もおまえを追放しろなどと言わなくなるだろう。椛、これは私からの最終通告だ」
「標的は――」
「黒羽の赤鴉だ」
 父が放った男の異名に、椛は小さく身震いをした。

 黒羽は、不知火家と並び、この国で一、二を争う暗殺組織。血縁を大切にし、複数で強力して任務を行う不知火家のやり方とは違い、黒羽の殺し屋たちはそれぞれが単独で任務を行う。
 決まった根城があるわけではなく、組織の殺し屋たちに血縁関係があるわけでもない。暗殺の腕さえ確かであれば、黒羽の一味に加わることができる。
 一見バラバラのように思えるが、頭領への個々の忠誠心は厚く、意外にも組織としての基盤は強い。
 頭領は一味の中でとりわけ強い者が選ばれ、命を落としたり、年をとって任務をこなせなくなれば次の者に代替わりする。
 現頭領の『赤鴉』は、黒羽始まって以来の冷酷非道。先代の頭領の右腕だった男で、血のように赤い髪の若い美青年だと聞く。
『黒羽の赤鴉は、狙った標的を異能で殺す』
 これは、界隈では誰もが知る話だ。
 赤鴉の暗殺の腕は、歴代黒羽頭領の中でも随一。狙った者の着物だけを残し、あとは骨も残さず始末する。暗殺が行われた場所には、標的の着物のとともに血のような真っ赤な彼岸花が手折られ、落ちているという。
 赤鴉が暗殺後に独特な痕跡を残していくことは、同業者の間で有名だ。
 不知火家と黒羽は、敵対する任務を請け負うことも多く、これまで椛が携わった任務の中には、赤鴉に邪魔されて失敗したものもある。
 黒羽は、不知火にとって目の上の瘤。けれどこれまで、不知火家が直接黒羽を攻撃したことはなかった。
 そんなことをすれば同業者同士で争いになり、任務どころでなくなるからだ。
 それなのに、なぜ突然――?
 椛の眼前で、ふいに鮮血の散るような赤い残像がチカチカと飛ぶ。
「なぜ、赤鴉を……?」
 慎重に問いかけたつもりだったが、父は椛をぎろりと睨んできた。
「おまえが逃した側近と忍びを手引きしたのが、黒羽の一味だとわかったからだ。黒羽は、赤鴉が頭領になってから、大河原家と敵対する西雲寺(さいうんじ)家に肩入れしている。だから、大河原は不知火を身内に引き入れたいらしい。不知火はこれまで特定の主を持たずにきたが、今後は大河原につく。赤鴉の抹殺は、大河原家からの指示だ」
 西雲寺家が治める隣国は、もともと領地の小さな国だった。それが今の城主に代替わりをしてからは、ものすごい勢いで領土を広げていっている。そこに、黒羽がひとつ噛んでいるらしい。

 大河原家は治める領地も広く強いが、昨今の西雲寺家の動きには警戒をしている。それもあって、近頃の不知火家に舞い込んでくる依頼は、大河原家からのものも多かった。
 不知火家はこれまで、どこにもつかずに暗殺業を行ってきた。父を含めて代々の当主が、人に遣われることを嫌ったからだ。
 暗殺はあくまでも依頼人との取引。依頼人との関係は対等で、不知火は対価に見合う分だけのはたらきをする。
 それが突然、大河原につくとは――なにか大きな金の流れがあるのか、それとも椛の失敗が依頼人の大河原家の逆鱗に触れたのか。
 そうだとするなら、赤鴉の抹殺という重大な任務を与えられるのが出来損ないの椛で良いのだろうか。
 標的が赤鴉なら、優秀な長兄と次兄、それに姉の椿が手を組んでも、任務を遂行できるかはわからない。それくらい、赤鴉は殺し屋としての腕が立つのだ。
 だからこそ、解せない。だが、少し考えて気が付いた。
 父は初めから、椛がこの単独任務をこなせるとは思っていないのだ。
 おそらくこれは、椛を体よく不知火から追放するための策。何度も仲間の任務の邪魔をする椛に、父もほとほと呆れているのだろう。
 父がどれほど母を愛していても、きっとこれ以上は椛を庇えない。けれど、母のことを想えば、今回のしくじりで即追放ともできないのだろう。母がとりわけ椛を気にかけていたことを知っているからだ。
 不知火の当主を務める父は、同業の中でもかなり実力のある殺し屋だ。狙った標的を仕留め損ねたことはない。強面で冷酷な父だが、母のことが絡むと情が出る。そこだけが、父の弱さだ。
 父はこれまで、出来損ないの椛に愛の代わりに罰と恩情を与えた。けれど、これが最後の罰と恩情。
 単独任務をやり遂げなければ、椛は不知火家から切り捨てられる。
「承知致しました。此度の単独任務、必ず遂行してまいります……」
 出来損ないの椛に自信などあるわけない。ドクドクと鼓動する胸に広がるのは、夜の闇のような不安ばかり。
 けれど、椛は最大の敬意を持って不知火家の当主に頭を下げた。一族の、一殺し屋として――