一乗家のかわいい花嫁

 声を裏返らせ、桑田に食ってかかっていた。
 大声で威嚇しているつもりだろうが、声が震えておりキャンキャンと吠える子犬のような印象は拭えない。
 案の定、桑田は眉ひとつ動かさない。
「そんなこと言うなよ、坊ちゃん。知り合いのめでたい席を祝いに来てやったんだよ」
「失礼な! この場にあなたのような方の知り合いはいない!」
 出てけとばかりに腕を横薙ぎする勇一郎。しかし、桑田はヘラヘラと笑っており、勇一郎はさらに頭を沸騰させ声を上げようとした。
「茜はよくこの方を知っているわよね」
 だが、激しさとは正反対の千代の声が阻んだ。
 顔を隠すように未だ父の腕の中にいた茜が息をのんだのが、千代のところまで伝わってきた。
 空気の異変を悟った勇一郎が、千代と茜そして桑田を交互に見やって、茜に震え声で「どういうことだい」と問いかけるも、茜は「し、知りません」と言うのみ。
「知らないなんてひどいねえ。今十六だっけか? だったら、人生の半分は一緒に過ごした仲じゃねえか。それとも自己紹介が必要だってか?」
 桑田を席を立つなり、和装だというのに西洋風のお辞儀を会場に向かってしてみせる。
 実に人をくった態度をする男だ。
 しかし、それすらも彼の妙味に見えるのは、やはり世間から外れた存在だからだろうか。
「関外花街で自警団頭をやっております桑田です。どうぞ、皆様にはお見知りおきを」
 彼が会場を見回すと、所々で顔を伏せたり目を逸らしたりする者がいた。
 花街の利用者なのだろう。
 また桑田がケラケラと笑って、椅子に腰を下ろす。おそらく会場にいる大半の者が、自警団とは言いつつも実際の中身は博徒だと気付いているようだ。
「安心してくださいよ。普段は皆様を守るためにいるんでね。まあ、ただ……花街を脅かす奴にゃ仕置きはしますが」
「花街の自警団だと? あ、茜は士族家の令嬢なんだぞ。あなたのような人間と関係を持つわけがない。……そ、そうだよな? 茜」
「ああ、そっか。お前って今は清須川家のご令嬢なんだよな。まあ、そうだろうなあ……そうじゃなきゃ、華族様のご子息と結婚なんてできねえよな。でも、あれだっけ? 夜な夜な遊び歩いて、男食ってたんだって? やっぱ、お前にゃ令嬢より夜の女が似合うよ」
 後頭部で手を組んで椅子にだらりと凭れた桑田は、今度はハッハッハと威勢良く笑った。
「人違いです! それは私ではなくお姉さまで――」
「夜遊びをしていた清須川を名乗る娘は、噂では目の下にほくろがあったそうですよ」
 やっと父の腕の中から顔を上げた茜は、否定を叫びつつまた千代へと話の矛先を向けようとした。
 しかし、雪人が最後までは言わせなかった。
 彼は席を立つと茜に近寄り、父にしがみついていた茜の手をそっと引っ張った。
 何がはじまるのかと、皆が雪人の行動に注目していた。父も戸惑いながら茜を解放し、茜も茜で雪人に手を取られるままに、ふらふらと近寄っていく。
「お義兄さま、見てください。私の顔にほくろなんて――」
 雨に濡れた子犬のような哀感たっぷりの瞳で、雪人に訴えかける茜だったが、次の瞬間、本当に濡れることとなった。
「――きゃあっ!?」
 バシャッ、と顔に紫色の雨が降った。
 雪人がグラスに入っていた酒を、茜の顔に掛けたのだ。
「手が滑りました、申し訳ありません」
 茜の顎から紫色の雫がポタポタと落ちる。彼女は自分の手や袖、打ち掛けの下に着た白い掛下が紫に染まっているのを、瞠目して眺めていた。
 身体を震わせ、次第に顔が赤黒くなった茜は、キッと雪人を睨んだ。
「何すんのよ――ッんぶ!」
「これは失礼。お拭きいたしましょう」
 しかし、近付いてきた雪人に今度は頬を掴まれ、卓にあったクロスで顔を拭われる。
「やめっ! ちょ――っやめなさいよ! なんなの!? ねえ、勇一郎さま、早くこの人達を追い出してください……っ」
 雪人をなんとか引き剥がした茜は、肩で息をしながら隣に立つ勇一郎に助けを求めた。
 しかし、勇一郎は腕にしがみつく茜の顔を見つめたまま、目を見開いている。
「茜……ほくろなんてあったんだ……」
 ハッとしたように、茜は顔の左側を手で隠す。
 その行動からするに、やはりほくろは、わざと隠していたのだろう。
「待ってくれ……理解が追いつかない……噂では男遊びしていたのは千代で、でも噂の女は目の下にほくろがあって……それで茜にも同じ場所にほくろがあって……」
「そういうこった、坊ちゃん。噂とかは全部その女が作って流したわけよ。……にしても、左目の下、朱蝶とそっくりの泣きぼくろだよなあ」
 桑田の言葉に、茜の眉が吊り上がった。
「ああ、ちなみに朱蝶ってのは娼妓で、そのお嬢ちゃんの母親な」
 まるで、今は春だなと当然のことを言うように、さらりと告げられた桑田の言葉は、やけに会場内に響いた。
 千代達がいる卓の周りがあまりに騒がしくて気付かなかったが、その卓以外の者達は、固唾をのんで成り行きを見守るに徹していて、会場はしんと静まり返っていたのだ。
 誰かが「娼妓」と呟いた。
 あちこちで、風に草が揺れるようなザワザワとした小声が立つ。
「――っき、清須川さん、どういうことですか! そんな話、聞いていませんよ!?」
 胃がきりきりしそうな空気の中、最初に声を上げたのは二井子爵だった。
 和装姿の父の胸ぐらに掴みかかる。
「茜が八歳のある日、母親が男と駆け落ちしてな。それで、茜の処遇はどうするかって話になった時に、茜の母親から頼まれたって、そこの男が店に引き取りに来たんだよ。っても、ちゃんと金は払ってもらったが」
 顔を背けだんまりする父に代わり、桑田が説明する。
「店に金を払ってって……それじゃただの身請けじゃないか」
「み、身請けではない、私の娘なのだから」
 そう言う父の声は、とても小さい。
 あれだけ母や自分には尊大に振る舞い、言うことを聞けとばかりにふんぞり返っていた人が、今はとても頼りない存在に見える。