一乗家のかわいい花嫁

 そういえば、公の場で彼の妻を名乗るのははじめてではないか。彼の会社を訪問した時は何も思わなかったのに、やはり場の雰囲気もあるのか、他人からそのような目で見られるのだと自覚すれば、顔が熱くなった。
 千代の赤くなった顔で、雪人も彼女が何を思って頬を染めているか気付いたのだろう。
「ドレス、よく似合っているよ。ホールにいる誰よりも綺麗だ」
「ひゃぁッ」
 さらに、千代の顔が茹だるようなことを耳元で囁いた。
 彼の計算通り、千代は妙な悲鳴を漏らし、耳の先まで赤くなる。
 雪人は身体を離すと、愉快だとばかりに忍び笑いを漏らしていた。
 なんだか、以前にも増して、雪人のいじわる――というより、いたずらが加速したような気がする。
(それにしても……)
 改めて隣で肩を揺らす雪人を見上げる。
(正装姿の雪人さん、目立ちすぎじゃないかしら……!?)
 背が高く、たるみなど一切ない体躯は、燕尾服がよく似合う。毎朝のスーツ姿も格好いいと思うのだが、やはり服装だけでなく、髪も掻き上げてキッチリと社交用に整えられた姿からは、そこはかとない色気が漂っていた。
 ホールの四方八方に散らばる婦人方から、チラチラとした視線が向けられている。
 老いも若きも彼女達は雪人に夢中だ。
 時折、自分にも視線が刺さるが、きっと『なんであんなのが隣に!?』といったものだろう。
 なんだか申し訳なくて、雪人から一歩距離を取ろうとした時。
「やあ、雪人! 久しぶりじゃないか!」
 跳ねるような明るい声が飛んできた。
 声がした方へと顔を向ければ、声と同じく明るい髪色をした男が手を振りながら駆けてきた。雪人よりもまだ背が高く、駆けるたびに揺れる髪色は金。
「レオン!」
「レオン先生!?」
 雪人と千代の驚嘆した声が重なった。
「レオン先生……って、ああ! 千代君じゃないか!」
 レオンは雪人の隣にいる千代の顔をマジマジと見ると、パッと花が咲くように顔をほころばせた。
「二人お揃いだなんてどうして……」と、首を傾げたレオンだったが、何やら勘が働いたようで「はは~ん」とニヤついて、名探偵ばりに顎を指でなぞっていた。
「雪人、やっぱり君のあの時の様子って――」
「チッ……うるさい、黙ってろ」
「友達なのにヒドイ言い様だ!」
 そういえば、この二人は知り合いだったか。
「先生、あの頃はとてもお世話になりました。実は不思議なご縁で、一乗家に嫁いだんです」
「そう、何か不便はしてない? 雪人はちゃんと優しくしてくれてる?」
「まったくです。毎日が幸せで、雪人さんもとても優しくて」
「それは良かった。卒業した後もずっと気になっててね。君が幸せでいてくれて、僕はうれしいよ」
 レオンは本当に嬉しいとばかりに、青い瞳が綺麗な目を細めていた。
「それにしても、あんだけ女嫌いだった君がねえ……」
 対して、雪人には物言いたげな目を向け、「うるさい」とへの字口の雪人に一喝をもらっていた。
 こんな邪険な雪人はなんだか新鮮だ。普段は紳士的だし、優しいのに。
 雪人の新たな一面を見られて得した気分だった。ふっ、と笑みが漏れる。
「それで、なんでレオンが東京にいるんだ。戻ったのか? それに二井家と清須川家の婚約披露になぜ……」
「そうそう、少し前に女学校の教師は辞めて東京に戻ってね。今は、いくつかの華族家で家庭教師をしてるんだ。やっぱり僕も、学ぶ気がある子に教えたいなって思って」
 千代君のように、とレオンは千代の頭を撫でた。
 頑張っていたと褒められたようで嬉しい。
「じゃあ、なんの接点が?」
「接点ってより、雇い主のひとりが僕を連れてきたがってさあ。どうやら、僕に将来の妻を探してあげたいみたいなんだ。僕にだって好みはあるっていうのにね」
「で、その雇い主は?」
「腹を押さえて花畑に行っているよ」
 レオンはやれやれと苦笑と浮かべ、肩をすくめていた。
 相変わらず茶目っ気のある先生だ。この明るさに、当時も救われていた思い出がある。
「雪人、今でも建築は好きかい?」
「ああ。だが、忙しくて新しい本を読む時間もなくてな。昔のあの本を手元に置いて、時々息抜きに開くくらいさ。あとは、時に散歩がてら建物を見て回ったり……」
「まあ、そうだよね、社長さんだもん。そうそう、僕の教え先にさ、君と気が合いそうな――」
「やあ、楽しんでくれているかな、一乗さん」
 歓談する二人の間に、歓迎できない第三者の声が差し込まれた。
 温かな空気に、千代の身体のこわばりも緊張もやっと溶けたというのに、再び緊張が走る。
 声だけで相手が誰だかわかった。それは雪人も同じだったようだ。
「この度は、婚約披露おめでとうございます。招待いただき誠にありがとうございます」
 雪人は勇一郎の視線から千代を隠すように、一歩進み出て言った。
 にこやかな顔をしているが、雪人の周りには寒々しい空気が漂っている。それでもさすが社交慣れしている雪人は、勇一郎と――端から見る分には――気さくに会話していた。
 勇一郎に未練などひとつもないのだが、やはり、顔を合わせると何を言われるかわかったものではなく、千代はできれば避けたかった。
 どうやら、茜は一緒のようではなく、挨拶も一段落して個別に親しい者達の間を回っているようだった。
 挨拶だけして、早く他の人のところへ行ってくれればと願っていたのだが。
「へえ、これが茜さんのお姉さんなんだ」
 数人の若い男が、雪人の後ろにいた千代を見つけ、興味が滲んだ声を上げた。勇一郎と同じ年頃の男達だ。おそらく、彼の学友か何かなのだろう。
「茜の姉の千代と申します。妹がお世話になっております」
 雪人の恥じになってはいけないと、千代は胸を張り緊張を隠しながら楚々と挨拶をする。
「茜さんも綺麗だったがお姉さんも中々……あちらが薔薇ならこちらは百合といったところかな」
 上から下まで品定めするような視線に晒され萎縮していると、グッと肩を抱かれ引き寄せられた。