イケメン問題児の先輩に弱みを握られたと思ったら、溺愛され始めました。

「へぇ、君、こういうの読むんだ。BLって言うんだっけ?」
 閉館までの残り一時間。
 言葉にできない焦燥感に襲われるのは、もうすぐ夏休みが終わろうとしているからか。はたまた、目の前にいる男のせいか――。
 表紙と背表紙には公立図書館のバーコードのシールが貼られ、返却用のワゴンの上に順不同で並べられている。まだいっぱいになっていないそこに返されるはずだった本が三冊、行き場を失って途方に暮れている。
 そして、そこには絶対に並ばない一冊だけが活き活きとその存在感を主張する。
「こ、これは、違うんです! すみません。間違えましたッ!」
 焦ってその本をカウンターの上から避難させようとした時、血色の薄い長い指に先を越された。
 本はパラパラと捲られ、興味のなさそうな目がその中の絵と文字を追っていく。
 途中でそれを奪い返すのが最善なのは重々承知。しかし、それが出来ないのは、彼の素行の悪さを耳にしているから。
 彼の名は深山(みやま)裕次郎(ゆうじろう)。僕と同じ南高校の二つ上の先輩だ。先輩といっても共通点は一切なく、高校生活三年を通しても絶対に交わることのない相手。
 とはいえ、僕のようにどの部活にも所属していない生徒は、目の前の深山先輩どころか他の先輩らとも関わることはないのだが。
 しかし、それでも僕が深山先輩を知っている理由。それは、入学初日のこと。まるで校則の一つにでも掲げられているかのように自然と耳に入ってきた。

 ――深山裕次郎には気を付けろ。

 それが何故なのかも、リンゴは赤いのと同じくらい我が校では常識と化しており、わざわざ口にする者もいない。
 それでも説明するなら、彼は喧嘩っ早く、気に入らない相手は半殺し。停学処分を何回も繰り返しているような、いわゆるヤンキーのトップオブザトップに君臨する人だということ。弱みを握られたが最後。蛇のようにしつこく付き纏っては、骨の髄まで吸い尽くす。何を吸い尽くすのかなんて野暮なことは聞かないが、とにかく、彼に目を付けられた相手は退学を余儀なくされている。
 ただ、その噂とは裏腹に、見た目だけは超一流。儚げで中世的な顔立ちをした彼は、男女問わず一度は魅了されてしまうほどだ。問題児でなければ、学校中の人気者だろうに……勿体ない。
 そんな深山先輩に、僕こと浅海(あさみ)聖夜(いゔ)は失態を晒してしまった。
 そう、それが深山先輩が今正に手に持っている『BLマンガ』。何故、深山先輩がここで働いているのかなんて知らないけれど、僕はこれを返却用の本として、うっかり一緒に出してしまったのだ。狼狽えずにはいられない。
「いや……えっと、これは、その……」
「俺と同じ学校の制服だね。休みなのに部活か何かだったの?」
「いえ、服を選ぶのが面倒で」
「あー、分かる。俺も同じ。浅海……セイヤ君?」
「これは『セイヤ』ではなく……」
 親の付けたキラキラネーム。これも馬鹿にされる対象だ。こんな平凡な顔をして『イヴ』だなんて。深山先輩の顔でイヴなら納得がいくが、この僕がイブ……絶対に馬鹿にされること間違いなしだ。
 変な汗がダラダラと出る中、僕は嘘を吐いた。
「はい。浅海”セイヤ”です。おみしり置かなくて結構ですので。忘れて下さい」
 丁寧にお辞儀をした後、深山先輩の手からBLマンガもそっと取り返し、カバンにしまう。すんなり回収出来たことに、ひとまず安堵する。
 言い訳がましいが、このBLマンガだって本来僕のではない。少しばかり過激すぎる内容が含まれているからと、二つ下の妹が親に見つからないように僕のカバンに無理やり押し込んできたのだ――。
『聖夜にぃ。ちょっと、お母さんが私の部屋片づけ始めちゃったから、これ隠しといて』
『え、ちょっと。僕の部屋においててもバレるじゃん』
『図書館行くんでしょ? だったら、今日一日で良いから、これだけでも持っててよ。他はバレても問題ないけど、これだけはちょっと表紙からして怒られそうだし』
『いや、そんなの持ち歩きたくないんだけど』
『お願いだよ。聖夜にぃ』
 妹のお願いを断れない僕は、結局それを持って図書館にやってきたのだ――。
 だから、これはあくまでも僕の趣味ではないし、読んだこともない。言い訳くらいさせて欲しい。
 深山先輩に物申すなんて心臓が破裂してしまいそうだが、僕の沽券に関わることだ。出来るだけ平常を装う。
「これは、僕のじゃないんで。妹が僕に押し付けてきたものなので、このことも忘れて下さい」
「衝撃的過ぎて忘れられるかなぁ。このアルファとかって何?」
「アルファとは、ギリシャ文字の最初の文字で、物事の始まり、一番目、主要なものなどの意味があります」
「じゃ、オメガって?」
「こちらもギリシャ文字で、最後の文字、究極、極限などの意味ですかね。それ以外のことは知りません」
 淡々と応える僕に対し、深山先輩は興味深々に他にも質問しようとしてくる。これではキリがないと思った僕は、返却用の本を少し前に出した。
「あの、返却して早く次を借りに行きたいんですけど」
「あ、ごめんね。すぐ処理するから待ってて」
 バーコードを読み取る深山先輩は、ズレ落ちそうになるメガネをクイッと持ち上げた。
 余談も余談だが、深山先輩のメガネ姿は初めて見る。もしかしたら、レアだったりするのだろうか。何せ学年が違うので教室での過ごし方は分からない。これが学校一の問題児ではなく、学校一の人気者なら自慢も出来ただろうに、残念過ぎる。
 貸し出し用のカードを返され、それを生徒手帳の中に収めながら質問してみる。
「あの、深山先輩は前からここでバイトしてるんですか? 初めて見ましたけど」
「ん。昨日から」
「マジですか……」
 その一日でこの失態を犯してしまうとは。なんと運の悪いこと。
「セイヤ君、俺のこと知ってるんだ?」
「あー、えっと……はい」
「もしかして、タイプ?」
「え……?」
 返却し終わった本をワゴンに乗せた深山先輩は、周囲を気にしつつ緑のエプロンのポケットからスマホを取り出した。
「良いよ」
「え?」
「連絡先、交換しよ」
「は!?」
 思わず声が大きくなってしまった僕は、周りの視線を感じて小声で返す。 
「け、結構です」
「遠慮しなくて良いよ。俺、そういうの興味なかったけど、君には興味湧いたし」
「興味なんて湧かないでくださいよ」
「良いから良いから。携帯貸して」
「本当に、結構ですから」
 頑なに拒んでその場を立ち去ろうとした。しかし、読書スペースで本を読んでいる中年男性の咳払いによって、それは阻まれた。
「ほら、早くしないと利用者さんに迷惑かかっちゃうでしょ?」
「すみません……」
 反射的に謝罪し、流れでスマホを鞄から取り出した。
 それから、ハッと我に返った時には遅かった。深山先輩は僕のスマホを操作し、あっという間にその作業は終わってしまった。すぐに返ってきた。
「じゃ、今日からよろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
 頭だけさげ、僕はそそくさと逃げるように本棚の裏に隠れた――。
「マジかぁ……どうしよ」
 西日が入ってくるそこは、窓の外から蝉の鳴き声が聞こえてくる。
 こういう時は何も考えないのが一番だ。本を読もう。本に没頭しよう。その為に図書館に来たのだから。
 そう頭では思いつつも、手に持ったスマホが気がかりでならない。チラリとそれに目をやると、真っ暗だった液晶がロック画面に変わった。そして、ポワンと深山先輩から通知が来たことが表示された。
「うわぁ……」
 開きたくないが、開かないと何をされるか分からない。葛藤の末、僕はそれをタップした。
『十七時に終わるから、待っててよ』
(どうしよ。どうしよ。マジでどうしよ。これは、搾取される方だよね? 話の流れからしてタイマンとかではないだろうし、BLマンガをネタにお金を請求してくるやつだよね?)
 お金を払わなければ、殴られることは間違いない。しかも、BL好きなオタクだとあることないこと拡散され、僕の人生が破滅する。どうにか回避せねば。
 とはいえ、僕はバイトをしている訳でもなく、親からもらった貴重な小遣いしか手持ちはない。今日の晩御飯代くらいなら払えるが、明日から毎日ともなると難しい。
 考えている間にも時計の針は刻一刻と刻まれ、止まってはくれない。開いてしまったものは早く返信しなければ、触れていなかった逆鱗に触れる可能性もなきにしもあらず。
「分かりました」
 そう返信をしてから、僕は今までに読んだこともないような分厚い心理学の本を手に取った。
 とにかく、誤解を解かなければ。誤解さえ解ければ弱みはなくなる!