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「じゃあ、またね。ママ」
奏叶を家まで送り届けた私は、当たり前ように送られた言葉に息を詰まらせる。
私は、同じ言葉を返すことができない。これは最初で最後の邂逅だ。この先、奏叶が中学生になった頃には、私はもうこの世にいないから。
今日の私の行動で、なにか未来が変わるのかといえば、きっと変わらない。
変わったのは、私と奏叶の互いの認識だけだ。この秘密の再会はほかの誰も知ることはなく、ふたりの胸のなかに秘めたまま未来へ運ばれていく。
もう会うことはない。正真正銘の、別れの日なのだ。
そんな私の心の内など知る由もなく、奏叶は照れくさそうに手を振った。すっかり緊張は解れたのか、丸っこい顔には屈託のない笑みが浮かんでいる。
「大丈夫だよ、お父さんたちには内緒にするから。ほら、ぼく、もっと話したいことあるし。また会いにきてよ。ママの話も聞きたい」
「……ええ、そうね。いつか、いつかまた、そんな日が……奏叶とたくさん触れ合える日がきたらいいなってママも思ってる」
私と恵一の歯車は、うまく嚙み合わなくなってしまった。
でも、共にいた時間のすべてが不幸だったわけじゃない。だって恵一との出逢いがあったからこそ、奏叶というなにものにも代えがたい宝物ができたのだから。
「ママの子どもに生まれてきてくれて、ありがとう。本当に、本当にありがとう」
「……うん」
「一緒にいられなくてごめんね。でも、ずっと大好きよ」
大丈夫だ。悔いがすべてなくなったわけではないけれど、心は見違えるくらいにすっきりしている。真っ直ぐに、奏叶を見つめることができる。
「身体に気をつけてね。たくさんご飯を食べて、たくさん日光を浴びて、どうか健康に過ごして。野菜もお肉もお魚も、好き嫌いしないで食べなきゃだめよ?」
「ふふっ……ママってば、お母さんと同じこと言うんだね」
離れがたくてついお節介を口にしてしまう私に、奏叶は吹き出した。
少しだけ複雑な気持ちになりながらも、私は微笑んでうなずいて返す。
――ずっと気がかりだった。私の選択が、奏叶を不幸にしてしまっていたらと。
私は、奏叶の新しいお母さんのことをなにも知らないから。もしも新しいお母さんと上手くいっていなかったらと考えて眠れない日もあった。
けれども、この奏叶の反応を見ていれば、親子としてよい関係を作れているのは明らかだ。それがわかっただけでも、心からひとつ、重石が減る。
生前の私が向き合えなかったことに向き合うことができただけで、私は過去に、この時空に戻ってきた意味があったのだろう。
「ねえ、奏叶?」
「ん?」
「……私をママって呼んでくれて、うれしかったわ」
私の人生が終わってからも、奏叶の人生は長く続いていく。それはとても、とても幸せなことだ。温もりが胸いっぱいに広がって、満ち足りた気持ちにさせてくれる。
「今日、奏叶に会えて、本当によかった」
心の底からそう口にすると、奏叶は、はっと丸い目を見開いた。
「ママ……」
「離れていてもずっとあなたのことを想ってるし、見守ってるから――」
奏叶の頭に、触れるか触れないかの距離で、そっと手を添える。
こちらを見上げる奏叶の目には涙が滲んでいた。しかし、寂しさを堪えているようにも見えるその表情は、やがて私によく似た曖昧な微笑みへと変わっていく。
「こちらこそありがとう、ママ」
「ええ。……じゃあ、そろそろ行くわね。どうか、元気で」
「うん。ママも、元気でね」
顔の横で小さく手を振る奏叶に、こちらも手を上げて振り返す。
後ろ髪を引かれながらも、私は踵を返して歩き出した。
少しだけ歩いて振り返ると、奏叶はまだ手を振っていた。それにまた手を振り返して、また少し歩く。もう一度振り返ると、奏叶はまだこちらを見ていた。
――ああ、もうだめだ。
耐えていた涙がぶわりと溢れ出す。この距離なら、泣いていることには気づかれないだろうか。どうか、気づかないでほしい。せっかく笑顔で別れられたのだから。
さりげなく差し含む涙を拭いながら、何度も何度も振り返って手を振る。
やがて曲がり角に差し掛かり、私はひと際大きく手を振った。
「愛してるわ、奏叶」
きっと聞こえないだろう想いを口にすると、それに応えるように豆粒ほど小さくなった奏叶が両手を上げてぶんぶんと振り返してくれた。
胸がひどく痛い。でもこれは、きっと幸せの痛みなのだろう。後悔ではない。愛しいから、大切だからこそ、奏叶の道行を想う心が張り裂けそうで痛いのだ。
曲がり角へ足を踏み出した私は、奏叶から自分が見えなくなった瞬間、その場で顔を覆ってしゃがみこんだ。



