天国までの記憶列車


 ◇

 前の夫である恵一(けいいち)と離婚したのは、私が三十三歳の時になる。

 彼との出逢いは、私が短大卒業後に就職した職場だった。三歳年上だった恵一と同じチームに配属された私は、仕事の指導を受けるうちに、彼と意気投合したのだ。

 二年の交際期間を経て結婚するまでは、順調だった。しかし思い返せば、私たちの関係がうまく調和していたのは、きっとその頃までだったのだろう。

 寿(ことぶき)退社した私は専業主婦になり、家でひとり過ごす時間が増えた。残業と飲み会で帰宅の遅い恵一を、ただひたすら、孤独を感じながら待つ日々だった。

 周囲から『子どもはまだか』とせっつかれるものの、コウノトリはなかなか私たちのもとにやってきてくれなかった。そのせいで、よけいに恵一との関係は悪化した。

 それでも、信じていたかったのだ。自分たちは大丈夫だと。

 言い聞かせて、聞こえないふり、見えないふりをしていた。心の奥底に溜まっていく(ほこり)のような(もや)に気づいていない様を装って、耐えて、耐えて、耐えて。

 そうして誤魔化しながら十年後――とうとう待ち望んだ子どもが生まれた。

 三十二歳。我慢の限界に近づいていた私が最後に手を伸ばした、繋がりの糸。

 うれしかった。これで恵一との関係も回復すると思った。

 なにせふたりの子だ。この子が私たちを繋いでくれる。

 何本も、何本も、いつしか数えきれないくらいに分かたれてしまった道を一本に戻してくれる。そう願っていた。願わずには、(すが)らずにはいられなかった。

 だけれど、子が生まれて、むしろ顕著(けんちょ)に私たちの溝は広がってしまった。

 離婚を決めたのは、息子が──(かな)()が一歳になったばかりの頃になる。

 まだ奏叶が幼いこともあり、親権は私が持つことになった。

 恵一から振りこまれる養育費はあったものの、それだけでは生活が苦しく、なんとか奏叶を保育園に預けて派遣社員になった。離婚歴があること、そして子育て中という状況下では、正社員としての再就職の希望は持てなかったのだ。

 奏叶の将来を思うと不安が尽きなかった。せめて奏叶にとって不自由のない暮らしを確立しなければと、時間が空けば、身を粉にして働いていた。

 私がしっかりしないと、と自分を奮い立たせることに必死だった。

 この子にはもう私しかいないのだから、と。

 状況も悪かった。父は数年前に病で他界していたし、母は農作業で腰を悪くして思うように動けず、育児などとても手伝える状態ではなかった。

 そもそも、実親どころか、誰かを頼る行為自体を恐れていたこともある。

 母子家庭に対する偏見が強かったあの頃はとくに、他人から向けられる視線に敏感になっていた。無責任だと思われるのが嫌で、怖くて、仕方なかった。

 とりわけ、当時は子どもがいるだけで派遣の契約更新がされないことも多く、首切りの恐ろしさを考えると、無理をしてでも働くしかなかったのだ。

 そんな無茶な生活を続けて三年。ある日、私は職場で倒れた。

 救急車で運ばれた先の病院では、過労と診断された。

 四歳になる息子の原因不明の夜泣きがひどかったこともあり、睡眠時間も満足に取れていなかったのが主因だった。

 精神的にも限界を迎えているとの判断が下り、主治医との相談の結果、息子を恵一に預けて私は数週間の入院を余儀なくされた。

 入院中、奏叶のことが気がかりで仕方なかった。

 しかし、そんな私の心境とは裏腹に、面会に来た恵一から『奏叶は毎日楽しそうに過ごしている』と報告を受けたとき――ぽきっと、心が折れる音が聞こえた。

 仕事ばかりで、寂しい思いをさせていたのかもしれない。

 いい母親になれなかったから、あんなに毎日泣き明かしていたのかもしれない。

 奏叶は最初から、恵一のもとで育っていたほうがよかったのではないか。

 ぐるぐるとネガティブなことばかりが頭を回る。繰り返し、繰り返し。何度も自問自答を重ねているうちに、なにが正解なのかわからなくなった。

 そうして悩みに悩んだ末、私はひとつの決断をし、恵一に相談したのだ。

 ――奏叶の親権を渡したい、と。

 恵一は、私の申し出を受け入れてくれた。すでに婚約していた新しい結婚相手の了承も得て、奏叶をこのまま引き取ると言ってくれた。

 ただし、(こん)(りん)(ざい)奏叶には会わない、という条件付きで。

 それは新しい母親ができる息子のことを(おもんぱか)ったうえでの条件だった。

 このとき、奏叶は四歳。将来を考えたら、たしかにそのほうがいいのかもしれないと思った。恵一の相手の女性のこともある。拒否の意は示せなかった。なにより当時の私は追い詰められていて、言われるがまま同意するしかなかったのだ。

 いまでも正しい選択だったのかはわからない。ただ、それから何年経っても私の胸には後ろめたさと拭いきれない後悔が強く(さび)ついていた。

 ――そう。私は、母親を全うできなかった。

 それが、私の背負う罪。

 この底知れない罪悪感は、決して消えることはない、魂の(ごう)なのだ。