天国までの記憶列車


 ◇

 「しっかし不思議なもんだにゃあ~」

 「なんだ、突然」

 前脚を大きく伸ばしながら声を上げたクロに、車掌は顔も上げずに答えた。その胸ポケットには、先ほど刈り取ったスターチスの枝が一本刺さっている。

 「いやにゃ~、公的に裁かれたわけでもないのに、自分の生き方にああも罪の意識を持ってる人間は珍しいと思ってにゃ」

 車掌の手元には次の死者にまつわる資料があった。真っ黒なバインダーのなかに挟まれたその資料には、車掌と灯猫以外は知り得ない死者の情報が記載されている。その来歴を把握したうえで車掌と灯猫は死者の魂を迎え、過去へ送り届けるのだ。

 「ああ、この前の宮ノ内栞の話か。無事に遺世へと向かったはずだが」

 「まあにゃ~。栞なりに最期は満足してたみたいだし、黙って見送ったけどにゃ」

 クロは間延びした声で答え、車窓へオッドアイを向けた。

 今日も今日とて、列車は果てしない水面を走っている。行き先が決まっていない列車は渡る橋もない。ただひたすら死者の魂が訪れるのを待つだけの走行である。

 新しい死者を迎えて、ようやく次の目的地が決まるのだ。

 「……ずいぶん気に掛けるな。向こうでもずっと彼女のそばにいたんだろう」

 「特別扱いしていたわけでもないけどにゃ~。なんといってもボクは死者が望んでいる場合じゃないと、そばにはいれないにゃあね。ただまあ、まったくボクを必要としない(したた)かな死者もいるなか、栞は久しぶりに迷子になりそうな死者だったにゃ」

 「灯猫としてはそのほうが思い入れがあるか」

 「まあ、印象には残るかもにゃ。とりわけ、面白い死者だったしにゃ」

 「面白い?」

 クロは後ろ脚を上げ、艶やかな腹部の毛並みを丁寧に()めながら答える。

 「人間の世界は自己中心的にゃ。性格の問題は別として、そもそも感情が生まれるのも動くのも、それを自他が混在する世界で制御するのも自分だからにゃ」

 「まあ、そうだな」

 「嫌なことや都合の悪いことが起きれば、その都度言い訳を考えるにゃ。自分は悪くない。悪いのは自分をこんな状況にした相手だ、この環境だって八つ当たりをする。ある種の自己防衛本能、そうして自分を守っているんだろうけどにゃ。でも、栞はそれを他人のせいにしないで、すべて自分のせいだと抱えこんでいたにゃあよ」

 「……べつに、珍しくないだろう。彼女はちがうが、自己犠牲の精神は自死した人間にはとくに多い。思い詰めた結果、目の前しか見えなくなるというのも――」

 「ただ栞の場合、それでも生きたいって思いはひと際強かったにゃ」

 「…………」

 次から次へと死者を迎えるここでは、よくも悪くも業務的だ。

 それは死者によけいな混乱をもたらさないためでもあるし、たびたびやってくる死者にいちいち感情移入をしていたら(らち)が明かないという理由もある。

 淡々と進められるのなら、結局、それがいちばん効率的なのだ。車掌もクロもそのスタンスは変わらないし、これからも変えるつもりはない。

 ただ、合間にこうして死者について語ることはしばしばあった。

 人の心は複雑で、どれだけ触れ合っても完全にはわかり得ないものだから。

 「……宮ノ内栞は過去や己と向き合って線引きができた。それだけの話だろう」

 「そうなんだけどにゃ~。そうじゃないんだにゃ~」

 「なんだ、まどろっこしい」

 「ボクは()()に話をしてるんじゃないにゃあよ。なぁんでわからないかにゃ」

 車掌は黙りこみ、クロを見つめた。数拍置いて深く嘆息する。

 「よけいなお世話だ。いまのおれは、車掌以外のなにものでもない」

 「それならいい加減、死者への態度とボクへの態度を統一しろにゃ!」

 「オンとオフの切り替えは大事だろう」

 「にゃ~っ、ああ言えばこう言う! 生意気なやつだにゃ!」

 クロは不満を表すように二本の尾をばしんばしんと地面に叩きつける。それを横目で冷ややかに一瞥して、車掌はふたたび資料に目を落とした。