「佐久間のこと紹介してほしいっていう子がいるんだけど」
その一言で、俺――佐久間翔(さくま・しょう)大学一年の脳内は、春の陽気をぶち抜いて満開になった。
(……え、なにそれ。なにそれなにそれ。ついに俺にも、モテ期ってやつ?)
(大学デビューってやつ?いや、デビューするほど何もしてないけど)
(でも「紹介してほしい」って、つまり……向こうから来たってことだよな?俺に?)
言い出した本人は、余裕の顔で缶コーヒーを振っている。
柴田理人(しばた・りひと)先輩。俺の高校の二年上で、大学も同じ。
入学直後の俺に「困ったらLINEしろ」と言い残して去っていった、頼りになる存在だ。
「……翔?聞いてる?」
現実に戻され、俺は咳払い一つして、いかにも落ち着いてる男子を演じた。
「聞いてます。紹介、ですか。もちろん」
(やばい、声が裏返りそう。耐えろ、俺の喉)
「大学入ったばっかで友達も少ないんで……ぜひ、お願いします」
言った。言ってしまった。
俺は今、人生の分岐点で「はい」を選んだ気がする。たぶん。
柴田先輩の目が、にやっと細くなる。
「よかった。助かるわ」
「……助かる?」
「うん。ほんと助かる」
(助かるって何?紹介=救済?いや違う。助かるって言い方は、ちょっと、仕事っぽい……)
(まさか、マルチの勧誘とかじゃないよな?ないない。恋愛だ。恋愛であってくれ)
俺の不安を置き去りに、先輩は軽くスマホを掲げた。
「じゃ、今夜はどう?」
「今夜……」
(今夜!?早い!展開が早い!)
「……いいですよ。空いてます」
(空いてるに決まってるだろ。俺の予定表は常に白紙だ)
(白紙だけど、今夜からはきっとカラフルになる。なるよな?)
柴田先輩は満足げに頷き、大学の中庭――ベンチと桜と、新歓のビラ配りが渋滞してる地帯――を指差した。
「じゃ、七時に。駅前の魚となんとかって店。わかる?」
「わかります。チェーンの……」
「そうそう。迷わないで来れる?」
「はい。迷わないタイプの人生なので」
「それ褒めていいの?」
先輩が苦笑する。俺も今ちょっと迷ってる。感情の置き場に。
ただ、ここで終わったらまだ平常心を保てた。
問題は、最後のひと言を聞いてしまったことだ。
「ちなみに……その、どんな子なんですか?」
質問した瞬間、俺の頭の中で花火が上がった。真昼の中庭に打ち上げるな、俺。
茶髪?黒髪?清楚?ギャル?キャンパス内のどこにいるんだその子は。俺は今まで何を見落としてきた。
柴田先輩は、さらっと言った。
「優しくて気配りできるかな。あと――ビジュが最強」
最強。
(最強!?)
(最強って言った!?人間に使う語彙!?神話!?)
(しかも気配りもできる?最強なのに?欠点がない?そんな存在が俺に?)
俺は喜びを顔に出さないように必死だった。必死な顔は、だいたいバレる。
「へ、へぇ……そうなんですね」
(落ち着け。落ち着け俺。無の顔だ。無になれ)
「……楽しみです」
(嘘じゃない。人生で一番楽しみ)
柴田先輩は俺の肩をぽんと叩いて、爽やかに言う。
「じゃ、よろしく」
「はい!」
先輩が去ったあと、俺は中庭で一人、意味もなくスマホの画面を点けたり消したりした。
(やばい。今夜、俺の人生が変わるかもしれない)
(いや変わる。変えてみせる)
(俺は今日という日に、人生を賭ける……!)
……とか言ってるけど、賭けるほどの人生経験はない。
恋愛経験?ほぼゼロ。中学のとき隣の席の子に消しゴム貸したら「ありがとう」って言われて心臓止まりかけた程度。
そんな俺が、大学で紹介だ。
(服どうしよう。髪どうしよう。匂いは?匂いって大事だよな?)
(でも香水は怖い。香水って、つけた瞬間にやる気がバレる気がする)
(やる気は、バレたら負けだ。たぶん)
俺はその日の夕方、人生で一番真剣に鏡を見た。
前髪の角度を一ミリ単位で調整して、シャツのシワを伸ばして、結局いつもとそんなに変わらない格好になった。
(……俺は俺だ。急にイケメンにはなれない)
(でも、最強ビジュの子が来るなら、俺だって清潔感くらいは出したい)
家を出る前に母さんに「どこ行くの?」って聞かれて、「友達とごはん」って答えた自分の声がやたら震えてて、俺は玄関で一回深呼吸した。
(友達じゃないかもしれないだろ)
(いや、まだ友達にもなってない)
(まず紹介だ。紹介。紹介)
七時ちょうど。
駅前のロータリーは、帰宅するサラリーマンと、待ち合わせの学生と、謎に元気な犬でごった返していた。
俺は改札を出て、周囲を見回す。
(どこだ柴田先輩。いや、先輩はともかく……最強ビジュは!?)
(気配り最強ビジュ……どこ……)
(ここ?この辺?いる?最強って、そもそも光って見えるものなのか?)
「翔ー!こっちこっち!」
柴田先輩の声が聞こえた。助かった。
先輩は店の前で手を振っている。
そして――その隣に、見知らぬ男がいた。
爽やか、という言葉がそのまま歩いてきたみたいな男。
髪は暗めで、整いすぎてて、逆に現実味がない。白いシャツ、黒いパンツ。シンプルなのに、広告みたいに決まっている。
(……誰)
(いや、こいつ誰よりも最強ビジュじゃない?)
俺が脳内でパニックを起こしていると、柴田先輩が俺の肩を掴んでにこにこ言った。
「来た来た。ほら、入ろ」
「ちょ、先輩、」
「緊張してる?」
「してないです」
「してる顔」
先輩、そういうところだぞ。
「予約してる、柴田でーす」
「はい、六名さまですね。こちらへ」
――六名。
(ろ、六名?)
(俺と先輩と、その爽やか……で三名。残り三名は……女の子三名!?)
(合コンじゃん。これ、合コンじゃん。そういう紹介!?)
(いや、合コンでもいい。合コンは出会いの場だ。出会いは、人生だ。俺は今夜、人生を――)
個室の引き戸を開けた瞬間、俺の心の中で最強ビジュとの運命の出会いのテーマ曲が一旦停止した。
そこにいたのは、女性が三人。
全員、ちゃんと可愛い。ちゃんとおしゃれ。ちゃんと大学生だ。
そして、俺が入った瞬間――女性三人の視線が、俺じゃなくて、さっきの爽やか男に吸い寄せられた。
「わ、やば……」
「え、イケメン……」
「ちょ、写真より良くない?」
小声なのに、全部聞こえる。
俺の耳は都合の悪い情報ほど拾う性能が高い。
(おい。今夜の主役、俺じゃなかったのか?)
(いや、主役は俺だ。俺が「紹介してほしい」って言われた男だぞ)
(……言われたよな?言われたよね?俺の空耳じゃないよな?)
柴田先輩が、いつもの調子で手を叩いた。
「はいはい、まずは自己紹介ね。こっちは高校の後輩。佐久間翔。一年」
「ど、どうも……佐久間です」
俺が頭を下げると、女性陣が「よろしくー」と返してくれる。優しい。気配り。最強。
……でも、視線は爽やか男のほうが強い。
柴田先輩が、その爽やか男の肩を軽く叩いた。
「で、こっちは橘玲央(たちばな・れお)。一年。うちの学部、同じ」
「……橘です。よろしく」
声までいい。落ち着いてる。余裕。爽やかの暴力。
女性三人の自己紹介も続いた。
名前は、春香(はるか)さん、真央(まお)さん、栞(しおり)さん。
みんな可愛いし、喋り方もやわらかい。
(この中に、「俺を紹介してほしい」って頼んだ子がいるはず……!)
(だって先輩、そう言ったもん)
(でも……誰だ。誰が俺を……)
(名前聞いとけばよかった……)
乾杯。
グラスが触れて、場の空気が一気に合コンに切り替わる。
「かんぱーい!」
飲み物の一口目はいつもより甘く感じた。いや、緊張でそう感じただけかもしれない。
乾杯のあと、柴田先輩がさっそく幹事力を発揮した。
「じゃ、食べ物頼むね。とりあえず唐揚げとポテトと枝豆でいい?」
「居酒屋三種の神器だ」
と俺が言うと、真央さんが笑う。
「わかるー!あとだし巻き!」
「だし巻きも入れとく。あとサラダも一応ね。一応」
「一応って言い方がもう一応じゃない」
橘がさらっと突っ込み、女子がまた笑う。
(くそ……自然に場を支配してくる)
(しかも突っ込みが俺より上手い。俺の存在意義が)
料理が来るまでの間に、席がなんとなく固定されていく。
柴田先輩が端、女子三人が奥側、俺が……あれよあれよという間に、橘の隣に座らされた。
(なんで?)
(俺、合コンの席順って、気になる相手の隣だと思ってた)
(俺の気になる相手は今のところ女子なんだが……)
春香さんが、橘をじっと見て言った。
「橘くんってさ、芸能とかやってないの?」
「やってないよ。やったこともない」
「えー、絶対スカウトされるって」
「されたことない」
「嘘だー」
「ほんと。嘘つく意味ないし」
橘が肩をすくめる。その動作すら爽やか。
(俺も肩すくめるの練習しようかな)
(いや、その前に人としてのベースを整えろ)
俺は「紹介してほしいって言った子」探しを諦めないために、あえて直球を投げてみることにした。
「みなさん、今日って……えっと、柴田先輩に紹介してほしい人がいたから、来たんですか?」
春香さんが恥ずかしそうに首を縦に振る。
「え、話聞いてるの?そうだよ。私たち、柴田さんに前からお願いしていたの」
(前から!?前から俺のことを気になっていたってこと!?)
「そしたら、『俺も出会いが欲しいから合コンが絶対条件』って言われて」
「そうそう」
栞さんがにこっと笑う。
(つまり、これは――この中の誰かが俺のことを紹介してほしいって言ったけど、柴田先輩も出会いが欲しいがために、俺を餌に合コン形式にしたってことか?)
料理が運ばれてきて、箸が伸びる。
俺は唐揚げを取り、女子に配ろうと思った。
……と思った瞬間、橘がすっと皿を持ち上げた。
「それ、俺が配るよ」
「え」
「翔くん、お腹すいているでしょ?食べてていいよ」
(何その理由)
(お腹すいているのは、みんな一緒じゃないのか?)
(しかも俺の名前、もう翔くんで固定なの?距離感が早い)
橘は、唐揚げを女子に配りながら、さらっと言う。
「春香さん、レモン大丈夫?」
「大丈夫!かけて!」
「真央さんは?」
「私、酸っぱいの苦手かも」
「じゃあ、真央さんのは別にしておくね」
「優し……!」
女子がきゅんとしている。わかる。優しい。気配り。最強。
……あれ?この単語、なぜか胸に引っかかる。
(俺の役割、消えた)
(唐揚げ配り係、奪われた)
(奪うなよ。俺の唯一の見せ場を)
柴田先輩が笑いながら酒を注いでくる。
「翔、飲め飲め。場慣れは酒で解決だ」
「解決しないです」
「する。たぶん」
「先輩のこと、あんまり信用できないな……」
先輩が適当に言い、俺はちょっと笑ってしまった。悔しいけど、先輩は面白い。
会話は出身どこ?に移る。
春香さんが言った。
「翔くんってどこ出身?」
「東京です。ずっと」
「都会!」
「いや、東京っていっても広いから」
「どのへん?」
「……練馬」
「練馬!いいじゃん!公園多いイメージ」
「それは、まあ」
橘が「練馬って住みやすそう」と頷いた。
「翔くん、地元のおすすめある?」
「おすすめ……?」
(ここでおすすめを言えたら、今度案内してって流れになる。女子と!)
「……駅前のラーメン屋」
「ラーメンなんだ」
「好きなので」
「男らしくていい」
橘がさらっと肯定する。女子も「わかる」と頷く。
(違う)
(俺が欲しい肯定は、女子からだ)
(橘は黙ってていい)
次は好きなタイプの話になった。
合コンあるあるのネタだ。
「翔くんは、どんな子が好き?」
真央さんがニヤニヤしながら聞いてくる。
俺は一瞬、呼吸を忘れた。
(来た。来たぞ。ここが勝負だ)
(ここで優しくて気配りができてビジュ最強って言えば、昼間の伏線回収になる……!)
……と思ったのに。
「翔くん、たぶんよく笑う人とか言うよ」
橘が先に言った。
「なんで決めつけるんだよ!」
俺の声がちょっと大きくなってしまい、全員が「おっ」って顔をする。
橘は悪びれずに笑う。
「だって、さっきから翔くん、笑わせてもらってるし」
「笑ってない」
「笑ってたよ」
「笑ってない」
「……笑ってた」
言い切るな。俺の表情を勝手に判定するな。
春香さんが笑い転げる。
「二人、仲良いじゃん」
「仲良くないです」
「仲良いよ」
橘が即答した。
(やめろ)
(女子の前で仲良いを確定させるな)
(俺のモテ期のルートが、変な方向に伸びていく)
柴田先輩が、楽しそうに手を叩いた。
「いいねいいね。青春だね」
「先輩、煽らないでください」
その後も、話題はバイト、授業、サークル、新歓のカオス、履修登録の地獄へと流れていった。
俺が話題を振れば、橘が拾う。俺が拾えば、橘が綺麗にまとめる。
女子が笑う。俺が置いていかれる。
(こいつ、会話のまとめ役まで奪うのか)
(俺のモテ期、どこ……)
終盤、女子が「写真撮ろう!」と言い出した。
俺は内心ガッツポーズをした。
(写真=思い出=距離が縮まる)
(距離が縮まれば、俺を紹介してほしいと言った子が、きっとわかる――)
しかし。
「橘くん、真ん中来て!」
「うん」
橘が真ん中に座る。
女子三人が橘の両隣と後ろに陣取る。
そして俺は――柴田先輩に肩を抱かれ、端っこに追いやられた。
「翔、こっち寄れ寄れ。切れる」
「俺が切れてるんですけど」
「写真から?」
「存在が!」
シャッター音が鳴る。
(今夜の記録に、俺は端の後輩として残る)
(最悪だ)
会話が始まる。
俺はまず、目の前の春香さんに話しかけた。王道は大事だ。俺の人生に王道があるかは知らないけど。
「春香さんって、どの学部なんですか?」
「あ、私は経済!翔くんは?」
「俺は文系で……」
「文系って言い方ざっくりすぎない?学部、言お?」
横から、橘が笑いながら口を挟んだ。
(……挟むな)
(いや、挟むのは会話の流れ的に普通か。でも……今、俺が話してたんだが?)
「え、えっと、文学部です」
「文学部!かっこいい!なんか本読んでそう」
「……読んで、ます」
(漫画も読む。ていうか漫画の方が読む。でも今それは言わない)
春香さんが俺を見て笑った。よし。今、笑った。いいぞ俺。
――と思った次の瞬間。
「翔くん、絶対読んでる風じゃなくて、ちゃんと読んでるタイプだよね」
橘が、なぜか俺のことをわかった顔で言う。
いや、初対面だよな?俺たち。
「え、なんでわかるんですか」
「雰囲気。……あと、今日の服。無理してない感じが、逆にいい」
「……は?」
(服、見てた?俺の服、見てた?)
(え、怖。いや、別に怖くないけど。ちょっと……いや、だいぶ恥ずい)
春香さんが「わかるー!」って頷く。違う、同意する場所そこじゃない。
俺は次に、真央さんへ話題を振った。
「真央さんは、サークル入ってるんですか?」
「まだ迷ってるー。翔くんは?」
「俺も……」
「佐久間は、たぶん入らないよ」
柴田先輩が笑って言った。
「え、なんでですか先輩!俺、迷ってるだけで」
(入るかもしれないだろ!たぶん!)
「入るなら、面白いとこがいいじゃん。翔、文化系向きだし」
「文化系向きって……」
「うちのサークル来なよ。ゆるいし。新歓で唐揚げ食えるし」
「唐揚げで釣るな」
先輩がさらっと営業トークを混ぜてくる。
真央さんが笑いながら言った。
「え、文化系っていい!優しそう」
「優しそう……?」
(優しそうって言われると、なんか頼りなさそうと紙一重な気がする)
(でも今は褒め言葉として受け取る。俺は成長した)
「優しいって言うなら、橘くんもだよねー。気配りすごい」
「ね。おしぼり配ってくれたし」
「飲み物、減ってるのすぐ気づくし」
女性陣の褒めが、一斉に橘へ流れる。
(おい、そっちに流れるな。今、俺の番だろ)
(いや、俺の番なんて、人生に存在したことあるのか?ある。今夜だ。今夜こそ)
橘は、悪びれもせずに笑った。
「いや、普通だよ。……でも真央さん、手、冷たい?クーラー強いかな」
「え、わかる?ちょっと寒いかも」
「店員さん呼ぶ?」
「優し……!」
おい。気配りが最強すぎる。
栞さんが、橘に聞いた。
「橘くんって彼女いるの?」
「いないよ」
「え、絶対いると思った」
「いない。……できたことも、ない」
橘がさらっと言った瞬間、女性陣が「えええ!」と盛り上がる。
俺も内心「えええ!」だ。
そんな顔で?そんなスペックで?そんな声で?
(嘘だろ。神は才能の配分を間違えてる)
そして、橘が続けた。
「……でも、好きになったら、一途だと思う」
「うわ、なにそれ!きゅん!」
「きゅんした!」
女性陣が盛り上がる。
そして、そのきゅんが、なぜか俺の胸にも小さく刺さった。
(いや、刺さるな)
(俺が刺される相手は、目の前の女性陣だろ)
(……違う?違わない。違わないはず)
俺は焦って話題を戻そうとする。
「えっと、栞さんは……趣味とか、何ですか?」
「えー、カフェ巡りとか?甘いの好き!」
「カフェ……いいですね」
「翔くんは?」
「俺は……」
「翔くん、甘いの好きそう」
橘が、また挟む。
(また!?)
(こいつ、邪魔しに来てるな?俺のモテ期を?)
(俺の会話の隙間に、爽やかを詰め込んでくるな)
「……好き、ですけど」
「ほら。じゃあ今度、駅前の新しいカフェ行こうよ」
「え?」
「俺、行ってみたいところあるんだ。翔くん、詳しそうだし」
橘は、当たり前みたいに俺と二人での予定を口にした。
女性陣が一瞬、沈黙する。
そのあと、栞さんが笑った。
「え、橘くん、翔くんのこと気に入ったの?」
「うん。面白いし」
面白い。
俺が?面白い?
俺は今まで地味と普通の二択で生きてきた男だぞ。
(え、なにこれ)
(合コンで、男に口説かれてる?)
(いや口説かれてない。たぶん。俺が過剰反応してるだけ)
(でも「今度二人で」は、言う必要あった?)
俺は笑って誤魔化すしかなかった。
「はは……」
(はは、じゃねぇ。何を笑ってるんだ俺)
(ここで笑ったら、肯定になるだろ)
柴田先輩が、楽しそうに肘をついた。
「いいじゃんいいじゃん。翔、友達できたな」
「先輩……」
(友達の作り方、間違ってない?)
その後も、俺が誰かに話しかければ、橘が自然に会話に入ってくる。
しかも、入ってくるだけじゃなく、なぜか俺のことを持ち上げる。
「翔くん、ほんと真面目だよね」
「翔くん、気遣いできるよね」
「翔くん、優しいよね」
……やめろ。
俺の優しいは、今夜は女性陣に向けて発揮したい。
なのに、女性陣は女性陣で、橘のほうを見て笑ってる。
「橘くんも優しいじゃん」
「いや、橘くんは別格」
「ビジュも最強だし」
最強。
俺は一回、トイレに逃げた。
鏡の前で自分の顔を見る。赤い。たぶん。
(あいつ……橘……何なんだよ)
(爽やかで、完璧で、会話に隙がなくて)
(俺のモテ期に、クレーム入れに来たのか)
戻ると、場はますます盛り上がっていた。
女子三人が橘の話を聞いて笑い、柴田先輩は酒を注ぎ、橘は――なぜか当たり前のように彼の隣の席を指した。
「翔くん、早く座りなよ」
橘は俺の椅子を少し引いて、座りやすいようにしてくれた。
「……あ、うん。ありがとう……」
さらっと言うな。さらっとエスコートするな。
(……最悪だ)
(コイツ、邪魔しに来ているな、俺のモテ期を)
(ここで出会わなければ、こんなに印象は悪くならなかっただろうに)
(今日の出会いに人生を賭けてる俺にとって――お前との出会いは最悪だよ!)
――こうして俺の大学生活は、最悪の出会いから、始まった。
その一言で、俺――佐久間翔(さくま・しょう)大学一年の脳内は、春の陽気をぶち抜いて満開になった。
(……え、なにそれ。なにそれなにそれ。ついに俺にも、モテ期ってやつ?)
(大学デビューってやつ?いや、デビューするほど何もしてないけど)
(でも「紹介してほしい」って、つまり……向こうから来たってことだよな?俺に?)
言い出した本人は、余裕の顔で缶コーヒーを振っている。
柴田理人(しばた・りひと)先輩。俺の高校の二年上で、大学も同じ。
入学直後の俺に「困ったらLINEしろ」と言い残して去っていった、頼りになる存在だ。
「……翔?聞いてる?」
現実に戻され、俺は咳払い一つして、いかにも落ち着いてる男子を演じた。
「聞いてます。紹介、ですか。もちろん」
(やばい、声が裏返りそう。耐えろ、俺の喉)
「大学入ったばっかで友達も少ないんで……ぜひ、お願いします」
言った。言ってしまった。
俺は今、人生の分岐点で「はい」を選んだ気がする。たぶん。
柴田先輩の目が、にやっと細くなる。
「よかった。助かるわ」
「……助かる?」
「うん。ほんと助かる」
(助かるって何?紹介=救済?いや違う。助かるって言い方は、ちょっと、仕事っぽい……)
(まさか、マルチの勧誘とかじゃないよな?ないない。恋愛だ。恋愛であってくれ)
俺の不安を置き去りに、先輩は軽くスマホを掲げた。
「じゃ、今夜はどう?」
「今夜……」
(今夜!?早い!展開が早い!)
「……いいですよ。空いてます」
(空いてるに決まってるだろ。俺の予定表は常に白紙だ)
(白紙だけど、今夜からはきっとカラフルになる。なるよな?)
柴田先輩は満足げに頷き、大学の中庭――ベンチと桜と、新歓のビラ配りが渋滞してる地帯――を指差した。
「じゃ、七時に。駅前の魚となんとかって店。わかる?」
「わかります。チェーンの……」
「そうそう。迷わないで来れる?」
「はい。迷わないタイプの人生なので」
「それ褒めていいの?」
先輩が苦笑する。俺も今ちょっと迷ってる。感情の置き場に。
ただ、ここで終わったらまだ平常心を保てた。
問題は、最後のひと言を聞いてしまったことだ。
「ちなみに……その、どんな子なんですか?」
質問した瞬間、俺の頭の中で花火が上がった。真昼の中庭に打ち上げるな、俺。
茶髪?黒髪?清楚?ギャル?キャンパス内のどこにいるんだその子は。俺は今まで何を見落としてきた。
柴田先輩は、さらっと言った。
「優しくて気配りできるかな。あと――ビジュが最強」
最強。
(最強!?)
(最強って言った!?人間に使う語彙!?神話!?)
(しかも気配りもできる?最強なのに?欠点がない?そんな存在が俺に?)
俺は喜びを顔に出さないように必死だった。必死な顔は、だいたいバレる。
「へ、へぇ……そうなんですね」
(落ち着け。落ち着け俺。無の顔だ。無になれ)
「……楽しみです」
(嘘じゃない。人生で一番楽しみ)
柴田先輩は俺の肩をぽんと叩いて、爽やかに言う。
「じゃ、よろしく」
「はい!」
先輩が去ったあと、俺は中庭で一人、意味もなくスマホの画面を点けたり消したりした。
(やばい。今夜、俺の人生が変わるかもしれない)
(いや変わる。変えてみせる)
(俺は今日という日に、人生を賭ける……!)
……とか言ってるけど、賭けるほどの人生経験はない。
恋愛経験?ほぼゼロ。中学のとき隣の席の子に消しゴム貸したら「ありがとう」って言われて心臓止まりかけた程度。
そんな俺が、大学で紹介だ。
(服どうしよう。髪どうしよう。匂いは?匂いって大事だよな?)
(でも香水は怖い。香水って、つけた瞬間にやる気がバレる気がする)
(やる気は、バレたら負けだ。たぶん)
俺はその日の夕方、人生で一番真剣に鏡を見た。
前髪の角度を一ミリ単位で調整して、シャツのシワを伸ばして、結局いつもとそんなに変わらない格好になった。
(……俺は俺だ。急にイケメンにはなれない)
(でも、最強ビジュの子が来るなら、俺だって清潔感くらいは出したい)
家を出る前に母さんに「どこ行くの?」って聞かれて、「友達とごはん」って答えた自分の声がやたら震えてて、俺は玄関で一回深呼吸した。
(友達じゃないかもしれないだろ)
(いや、まだ友達にもなってない)
(まず紹介だ。紹介。紹介)
七時ちょうど。
駅前のロータリーは、帰宅するサラリーマンと、待ち合わせの学生と、謎に元気な犬でごった返していた。
俺は改札を出て、周囲を見回す。
(どこだ柴田先輩。いや、先輩はともかく……最強ビジュは!?)
(気配り最強ビジュ……どこ……)
(ここ?この辺?いる?最強って、そもそも光って見えるものなのか?)
「翔ー!こっちこっち!」
柴田先輩の声が聞こえた。助かった。
先輩は店の前で手を振っている。
そして――その隣に、見知らぬ男がいた。
爽やか、という言葉がそのまま歩いてきたみたいな男。
髪は暗めで、整いすぎてて、逆に現実味がない。白いシャツ、黒いパンツ。シンプルなのに、広告みたいに決まっている。
(……誰)
(いや、こいつ誰よりも最強ビジュじゃない?)
俺が脳内でパニックを起こしていると、柴田先輩が俺の肩を掴んでにこにこ言った。
「来た来た。ほら、入ろ」
「ちょ、先輩、」
「緊張してる?」
「してないです」
「してる顔」
先輩、そういうところだぞ。
「予約してる、柴田でーす」
「はい、六名さまですね。こちらへ」
――六名。
(ろ、六名?)
(俺と先輩と、その爽やか……で三名。残り三名は……女の子三名!?)
(合コンじゃん。これ、合コンじゃん。そういう紹介!?)
(いや、合コンでもいい。合コンは出会いの場だ。出会いは、人生だ。俺は今夜、人生を――)
個室の引き戸を開けた瞬間、俺の心の中で最強ビジュとの運命の出会いのテーマ曲が一旦停止した。
そこにいたのは、女性が三人。
全員、ちゃんと可愛い。ちゃんとおしゃれ。ちゃんと大学生だ。
そして、俺が入った瞬間――女性三人の視線が、俺じゃなくて、さっきの爽やか男に吸い寄せられた。
「わ、やば……」
「え、イケメン……」
「ちょ、写真より良くない?」
小声なのに、全部聞こえる。
俺の耳は都合の悪い情報ほど拾う性能が高い。
(おい。今夜の主役、俺じゃなかったのか?)
(いや、主役は俺だ。俺が「紹介してほしい」って言われた男だぞ)
(……言われたよな?言われたよね?俺の空耳じゃないよな?)
柴田先輩が、いつもの調子で手を叩いた。
「はいはい、まずは自己紹介ね。こっちは高校の後輩。佐久間翔。一年」
「ど、どうも……佐久間です」
俺が頭を下げると、女性陣が「よろしくー」と返してくれる。優しい。気配り。最強。
……でも、視線は爽やか男のほうが強い。
柴田先輩が、その爽やか男の肩を軽く叩いた。
「で、こっちは橘玲央(たちばな・れお)。一年。うちの学部、同じ」
「……橘です。よろしく」
声までいい。落ち着いてる。余裕。爽やかの暴力。
女性三人の自己紹介も続いた。
名前は、春香(はるか)さん、真央(まお)さん、栞(しおり)さん。
みんな可愛いし、喋り方もやわらかい。
(この中に、「俺を紹介してほしい」って頼んだ子がいるはず……!)
(だって先輩、そう言ったもん)
(でも……誰だ。誰が俺を……)
(名前聞いとけばよかった……)
乾杯。
グラスが触れて、場の空気が一気に合コンに切り替わる。
「かんぱーい!」
飲み物の一口目はいつもより甘く感じた。いや、緊張でそう感じただけかもしれない。
乾杯のあと、柴田先輩がさっそく幹事力を発揮した。
「じゃ、食べ物頼むね。とりあえず唐揚げとポテトと枝豆でいい?」
「居酒屋三種の神器だ」
と俺が言うと、真央さんが笑う。
「わかるー!あとだし巻き!」
「だし巻きも入れとく。あとサラダも一応ね。一応」
「一応って言い方がもう一応じゃない」
橘がさらっと突っ込み、女子がまた笑う。
(くそ……自然に場を支配してくる)
(しかも突っ込みが俺より上手い。俺の存在意義が)
料理が来るまでの間に、席がなんとなく固定されていく。
柴田先輩が端、女子三人が奥側、俺が……あれよあれよという間に、橘の隣に座らされた。
(なんで?)
(俺、合コンの席順って、気になる相手の隣だと思ってた)
(俺の気になる相手は今のところ女子なんだが……)
春香さんが、橘をじっと見て言った。
「橘くんってさ、芸能とかやってないの?」
「やってないよ。やったこともない」
「えー、絶対スカウトされるって」
「されたことない」
「嘘だー」
「ほんと。嘘つく意味ないし」
橘が肩をすくめる。その動作すら爽やか。
(俺も肩すくめるの練習しようかな)
(いや、その前に人としてのベースを整えろ)
俺は「紹介してほしいって言った子」探しを諦めないために、あえて直球を投げてみることにした。
「みなさん、今日って……えっと、柴田先輩に紹介してほしい人がいたから、来たんですか?」
春香さんが恥ずかしそうに首を縦に振る。
「え、話聞いてるの?そうだよ。私たち、柴田さんに前からお願いしていたの」
(前から!?前から俺のことを気になっていたってこと!?)
「そしたら、『俺も出会いが欲しいから合コンが絶対条件』って言われて」
「そうそう」
栞さんがにこっと笑う。
(つまり、これは――この中の誰かが俺のことを紹介してほしいって言ったけど、柴田先輩も出会いが欲しいがために、俺を餌に合コン形式にしたってことか?)
料理が運ばれてきて、箸が伸びる。
俺は唐揚げを取り、女子に配ろうと思った。
……と思った瞬間、橘がすっと皿を持ち上げた。
「それ、俺が配るよ」
「え」
「翔くん、お腹すいているでしょ?食べてていいよ」
(何その理由)
(お腹すいているのは、みんな一緒じゃないのか?)
(しかも俺の名前、もう翔くんで固定なの?距離感が早い)
橘は、唐揚げを女子に配りながら、さらっと言う。
「春香さん、レモン大丈夫?」
「大丈夫!かけて!」
「真央さんは?」
「私、酸っぱいの苦手かも」
「じゃあ、真央さんのは別にしておくね」
「優し……!」
女子がきゅんとしている。わかる。優しい。気配り。最強。
……あれ?この単語、なぜか胸に引っかかる。
(俺の役割、消えた)
(唐揚げ配り係、奪われた)
(奪うなよ。俺の唯一の見せ場を)
柴田先輩が笑いながら酒を注いでくる。
「翔、飲め飲め。場慣れは酒で解決だ」
「解決しないです」
「する。たぶん」
「先輩のこと、あんまり信用できないな……」
先輩が適当に言い、俺はちょっと笑ってしまった。悔しいけど、先輩は面白い。
会話は出身どこ?に移る。
春香さんが言った。
「翔くんってどこ出身?」
「東京です。ずっと」
「都会!」
「いや、東京っていっても広いから」
「どのへん?」
「……練馬」
「練馬!いいじゃん!公園多いイメージ」
「それは、まあ」
橘が「練馬って住みやすそう」と頷いた。
「翔くん、地元のおすすめある?」
「おすすめ……?」
(ここでおすすめを言えたら、今度案内してって流れになる。女子と!)
「……駅前のラーメン屋」
「ラーメンなんだ」
「好きなので」
「男らしくていい」
橘がさらっと肯定する。女子も「わかる」と頷く。
(違う)
(俺が欲しい肯定は、女子からだ)
(橘は黙ってていい)
次は好きなタイプの話になった。
合コンあるあるのネタだ。
「翔くんは、どんな子が好き?」
真央さんがニヤニヤしながら聞いてくる。
俺は一瞬、呼吸を忘れた。
(来た。来たぞ。ここが勝負だ)
(ここで優しくて気配りができてビジュ最強って言えば、昼間の伏線回収になる……!)
……と思ったのに。
「翔くん、たぶんよく笑う人とか言うよ」
橘が先に言った。
「なんで決めつけるんだよ!」
俺の声がちょっと大きくなってしまい、全員が「おっ」って顔をする。
橘は悪びれずに笑う。
「だって、さっきから翔くん、笑わせてもらってるし」
「笑ってない」
「笑ってたよ」
「笑ってない」
「……笑ってた」
言い切るな。俺の表情を勝手に判定するな。
春香さんが笑い転げる。
「二人、仲良いじゃん」
「仲良くないです」
「仲良いよ」
橘が即答した。
(やめろ)
(女子の前で仲良いを確定させるな)
(俺のモテ期のルートが、変な方向に伸びていく)
柴田先輩が、楽しそうに手を叩いた。
「いいねいいね。青春だね」
「先輩、煽らないでください」
その後も、話題はバイト、授業、サークル、新歓のカオス、履修登録の地獄へと流れていった。
俺が話題を振れば、橘が拾う。俺が拾えば、橘が綺麗にまとめる。
女子が笑う。俺が置いていかれる。
(こいつ、会話のまとめ役まで奪うのか)
(俺のモテ期、どこ……)
終盤、女子が「写真撮ろう!」と言い出した。
俺は内心ガッツポーズをした。
(写真=思い出=距離が縮まる)
(距離が縮まれば、俺を紹介してほしいと言った子が、きっとわかる――)
しかし。
「橘くん、真ん中来て!」
「うん」
橘が真ん中に座る。
女子三人が橘の両隣と後ろに陣取る。
そして俺は――柴田先輩に肩を抱かれ、端っこに追いやられた。
「翔、こっち寄れ寄れ。切れる」
「俺が切れてるんですけど」
「写真から?」
「存在が!」
シャッター音が鳴る。
(今夜の記録に、俺は端の後輩として残る)
(最悪だ)
会話が始まる。
俺はまず、目の前の春香さんに話しかけた。王道は大事だ。俺の人生に王道があるかは知らないけど。
「春香さんって、どの学部なんですか?」
「あ、私は経済!翔くんは?」
「俺は文系で……」
「文系って言い方ざっくりすぎない?学部、言お?」
横から、橘が笑いながら口を挟んだ。
(……挟むな)
(いや、挟むのは会話の流れ的に普通か。でも……今、俺が話してたんだが?)
「え、えっと、文学部です」
「文学部!かっこいい!なんか本読んでそう」
「……読んで、ます」
(漫画も読む。ていうか漫画の方が読む。でも今それは言わない)
春香さんが俺を見て笑った。よし。今、笑った。いいぞ俺。
――と思った次の瞬間。
「翔くん、絶対読んでる風じゃなくて、ちゃんと読んでるタイプだよね」
橘が、なぜか俺のことをわかった顔で言う。
いや、初対面だよな?俺たち。
「え、なんでわかるんですか」
「雰囲気。……あと、今日の服。無理してない感じが、逆にいい」
「……は?」
(服、見てた?俺の服、見てた?)
(え、怖。いや、別に怖くないけど。ちょっと……いや、だいぶ恥ずい)
春香さんが「わかるー!」って頷く。違う、同意する場所そこじゃない。
俺は次に、真央さんへ話題を振った。
「真央さんは、サークル入ってるんですか?」
「まだ迷ってるー。翔くんは?」
「俺も……」
「佐久間は、たぶん入らないよ」
柴田先輩が笑って言った。
「え、なんでですか先輩!俺、迷ってるだけで」
(入るかもしれないだろ!たぶん!)
「入るなら、面白いとこがいいじゃん。翔、文化系向きだし」
「文化系向きって……」
「うちのサークル来なよ。ゆるいし。新歓で唐揚げ食えるし」
「唐揚げで釣るな」
先輩がさらっと営業トークを混ぜてくる。
真央さんが笑いながら言った。
「え、文化系っていい!優しそう」
「優しそう……?」
(優しそうって言われると、なんか頼りなさそうと紙一重な気がする)
(でも今は褒め言葉として受け取る。俺は成長した)
「優しいって言うなら、橘くんもだよねー。気配りすごい」
「ね。おしぼり配ってくれたし」
「飲み物、減ってるのすぐ気づくし」
女性陣の褒めが、一斉に橘へ流れる。
(おい、そっちに流れるな。今、俺の番だろ)
(いや、俺の番なんて、人生に存在したことあるのか?ある。今夜だ。今夜こそ)
橘は、悪びれもせずに笑った。
「いや、普通だよ。……でも真央さん、手、冷たい?クーラー強いかな」
「え、わかる?ちょっと寒いかも」
「店員さん呼ぶ?」
「優し……!」
おい。気配りが最強すぎる。
栞さんが、橘に聞いた。
「橘くんって彼女いるの?」
「いないよ」
「え、絶対いると思った」
「いない。……できたことも、ない」
橘がさらっと言った瞬間、女性陣が「えええ!」と盛り上がる。
俺も内心「えええ!」だ。
そんな顔で?そんなスペックで?そんな声で?
(嘘だろ。神は才能の配分を間違えてる)
そして、橘が続けた。
「……でも、好きになったら、一途だと思う」
「うわ、なにそれ!きゅん!」
「きゅんした!」
女性陣が盛り上がる。
そして、そのきゅんが、なぜか俺の胸にも小さく刺さった。
(いや、刺さるな)
(俺が刺される相手は、目の前の女性陣だろ)
(……違う?違わない。違わないはず)
俺は焦って話題を戻そうとする。
「えっと、栞さんは……趣味とか、何ですか?」
「えー、カフェ巡りとか?甘いの好き!」
「カフェ……いいですね」
「翔くんは?」
「俺は……」
「翔くん、甘いの好きそう」
橘が、また挟む。
(また!?)
(こいつ、邪魔しに来てるな?俺のモテ期を?)
(俺の会話の隙間に、爽やかを詰め込んでくるな)
「……好き、ですけど」
「ほら。じゃあ今度、駅前の新しいカフェ行こうよ」
「え?」
「俺、行ってみたいところあるんだ。翔くん、詳しそうだし」
橘は、当たり前みたいに俺と二人での予定を口にした。
女性陣が一瞬、沈黙する。
そのあと、栞さんが笑った。
「え、橘くん、翔くんのこと気に入ったの?」
「うん。面白いし」
面白い。
俺が?面白い?
俺は今まで地味と普通の二択で生きてきた男だぞ。
(え、なにこれ)
(合コンで、男に口説かれてる?)
(いや口説かれてない。たぶん。俺が過剰反応してるだけ)
(でも「今度二人で」は、言う必要あった?)
俺は笑って誤魔化すしかなかった。
「はは……」
(はは、じゃねぇ。何を笑ってるんだ俺)
(ここで笑ったら、肯定になるだろ)
柴田先輩が、楽しそうに肘をついた。
「いいじゃんいいじゃん。翔、友達できたな」
「先輩……」
(友達の作り方、間違ってない?)
その後も、俺が誰かに話しかければ、橘が自然に会話に入ってくる。
しかも、入ってくるだけじゃなく、なぜか俺のことを持ち上げる。
「翔くん、ほんと真面目だよね」
「翔くん、気遣いできるよね」
「翔くん、優しいよね」
……やめろ。
俺の優しいは、今夜は女性陣に向けて発揮したい。
なのに、女性陣は女性陣で、橘のほうを見て笑ってる。
「橘くんも優しいじゃん」
「いや、橘くんは別格」
「ビジュも最強だし」
最強。
俺は一回、トイレに逃げた。
鏡の前で自分の顔を見る。赤い。たぶん。
(あいつ……橘……何なんだよ)
(爽やかで、完璧で、会話に隙がなくて)
(俺のモテ期に、クレーム入れに来たのか)
戻ると、場はますます盛り上がっていた。
女子三人が橘の話を聞いて笑い、柴田先輩は酒を注ぎ、橘は――なぜか当たり前のように彼の隣の席を指した。
「翔くん、早く座りなよ」
橘は俺の椅子を少し引いて、座りやすいようにしてくれた。
「……あ、うん。ありがとう……」
さらっと言うな。さらっとエスコートするな。
(……最悪だ)
(コイツ、邪魔しに来ているな、俺のモテ期を)
(ここで出会わなければ、こんなに印象は悪くならなかっただろうに)
(今日の出会いに人生を賭けてる俺にとって――お前との出会いは最悪だよ!)
――こうして俺の大学生活は、最悪の出会いから、始まった。



