役目を終えたはずの巫女でした ― 選ばれなかった時間の続き ―

■国境・引き継ぎ

夜明け前、城の中庭に馬車が用意された。

昨夜は、移動魔法陣を使ってここまで来ている。国境に近いこの城で一泊し、現在、陸路でゼフィーリアへ向かっている。

馬車は国境近くの中継地へと到着する。

ここから先は、ゼフィーリア王国の管轄だった。

中継地には、すでにゼフィーリア側の護衛が待機していた。

先頭に立っているのは、特別師団副師団長、クロト・ヴァルハルト。

その後方に、護衛班の騎士たちが控えている。

その一角に、王宮付きメイドのエーファの姿もあった。

今回の滞在中、エリアナの身の回りを任されている。

立ち位置は一歩引いた場所。必要以上に目立たない。

大国側の護衛と、ゼフィーリア側の護衛が向き合う。

短い確認ののち、責任の引き継ぎが始まった。

「ゼフィーリア王国、特別師団副師団長、クロト・ヴァルハルトです」

声は落ち着いていた。

「本日より、エリアナ様の護衛を引き継ぎます」

合図を受け、馬車の扉が開く。

エリアナが外に出た。

金色の髪に、碧い瞳。

雪のように白い肌は、朝の光の下でも隠れない。

その場の空気が、ほんの一瞬だけ揺れた。

視線が集まる。

すぐに引き締まり、誰も余計な動きはしない。

仕事中だという自覚は、全員にあった。

クロトは表情を変えず、正式な所作で挨拶をする。

一方で、配置と動線を頭の中で組み直す。

――人目を引きすぎる。

警護の観点からの判断だった。

「よろしくお願いいたします」

エリアナは静かに頭を下げた。

動きに迷いはなく、過不足もない。

その所作を見て、クロトは理解する。

説明を重ねる必要のない相手だ。

一方、エリアナもまた、護衛責任者を見ていた。

銀色の髪に、人形のように整った顔立ち。

自分と同じ種類の人間に会った、と思ったのは初めてだった。

もちろん、その事実を口に出すことはない。

クロトは引き継ぎを進める。

本人確認、移動経路、荷物の数。

簡潔で、無駄がない。

「こちらが、ゼフィーリア側で用意した馬車です」

「荷物はすべて、こちらで引き継ぎます」

大国側の護衛が一礼し、その場を離れる。

責任は、完全にゼフィーリア側へ移った。

エリアナが馬車を乗り換える間、エーファが静かに補助に入った。

声は出さず、必要な動きだけを行う。

王宮付きメイドとして、慣れた所作だった。

――――――――――

■王宮にて

馬車は再び動き出す。

国境を越え、ゼフィーリア領内へ入った。

国内の移動魔法陣が設置された拠点を経て、王宮近くへ向かう。

移動魔法陣を抜けると、そこは王宮内の魔法陣だった。

「到着しました」

クロトの声に、エリアナは小さく頷く。

そのまま、応接の間へ案内された。

すでに、王族と重臣たちが揃っている。

形式的な挨拶は、簡潔に行われた。

名を告げ、立場を確認し、滞在についての基本的な言葉が交わされる。

エリアナが前に進み出た瞬間、

その場の空気が、ほんの一瞬だけ揺れた。

金色の髪と碧い瞳。

雪のように白い肌。

誰もが、それを見る。

ただし、見続ける者はいない。

王族も、重臣も、すぐに視線を戻した。

仕事の場であることを、全員が理解していた。

王が、落ち着いた声で口を開く。

「長旅、ご苦労だった。ゼフィーリア王国へようこそ」

王妃が、穏やかに続ける。

「堅苦しい式は設けませんが、

皆に顔を覚えてもらうための、

ささやかな歓迎の席は用意しています。

体調が落ち着いてからで構いませんから、

その時に改めてご紹介しましょう。

正式な晩餐の席は、

その後に設けますからね」

それは確認であり、配慮だった。

招待は前提であり、時期をずらすだけの話だ。

エリアナは一礼する。

「ありがとうございます。お心遣いに感謝いたします」

それで、この場は終わった。
――――――――――

■私室への案内

応接の間を出ると、廊下は静かだった。

王宮内であることを示す人の気配はあるが、足音は抑えられている。

先に立つのは、クロトだった。

一定の距離を保ち、振り返ることなく歩いていく。

その少し後ろを、エリアナとエーファが続く。

エーファは歩調を合わせながら、低い声で説明を始めた。

「こちらが、エリアナ様のお部屋になります」

廊下の奥を指し示す。

王宮内ではあるが、人の行き来が多い位置ではない。

「食事は、当面こちらでお取りいただく予定です。体調に合わせて調整いたします」

「必要なものがあれば、いつでもお申し付けください」

形式的な口調だが、事務的すぎない。

滞在を前提とした説明だった。

クロトは扉の前で足を止める。

「この区画には、異世界から来た巫女が滞在しています」

淡々とした言い方だった。

「隣接する部屋を含め、この一帯はまとめて警備しています。

お二人が部屋にいらっしゃる間は、動線と警備体制も共通です」

理由や背景には踏み込まない。

必要な情報だけを伝える。

「夕方ごろ、巫女が部屋に戻り次第、ご紹介します」

それだけ告げると、クロトは扉を開いた。

私室は、広さがあり、装飾は控えめだった。

人が少ない状態でも落ち着いて過ごせるよう、空間に余裕を持たせている。

「こちらのお部屋は、もともと巫女の方が使う予定でした」

エーファが、補足するように続けた。

「ですが、広すぎて落ち着かないと申されまして。

今は、小さめなお部屋を使っていらっしゃいます」

エリアナは、室内を一度見回した。

違和感はない。

広さそのものよりも、そう判断した人物の在り方が、静かに印象に残る。

「何かあれば、こちらへ」

クロトはそう告げ、一礼する。

それ以上、部屋に留まることはなかった。

扉が閉まり、足音が遠ざかる。

エーファが一歩前に出る。

「まずは、お休みください。長旅のあとですので」

エリアナは小さく頷いた。

ここでは、静かに過ごす。

それが、自分に求められている役割だと理解していた。

――――――――――

■面会前の緊張

夕方、診療所での業務を終えた桜は、白衣を脱ぎ、手を洗い終えて廊下に出た。

外はまだ明るいが、王宮内の空気は、静かに一日の終わりへ向かっている。

護衛の引き継ぎが行われていた。

診療所担当の騎士が一礼し、その先にクロトが立っている。

「サクラ様、お疲れさまでした」

今日の予定は、すでに把握している。

エリアナが到着したことも、

夕方に部屋を訪ねることも。

「ここからは、私が引き継ぎます」

短い確認。

診療所の護衛騎士が下がり、廊下には二人だけが残った。

仕事中は、考えないようにしていた。

それでも、現実はこうして、きちんと追いついてくる。

正式な診療は明日。

それでも、今夜もし発作が出れば、最初に判断するのは自分だと、気を引き締める。

「このまま、エリアナ様の部屋へ向かいます」

クロトの声は、いつもと変わらない。

特別な重みを持たせることもない。

「はい」

返事をしながら、桜は小さく息を吸った。

王族と会うこと自体が初めてではない。

けれど、医療を任される立場以前に、

これほど長い時間、向き合うことになるとは思っていなかった。

歩き出した足取りが、緊張のせいで、少しずつ遅くなる。

「大丈夫ですか」

低く、抑えた声だった。

「……大丈夫に、見えますか」

思わず、言葉がこぼれた。

弱音だと自覚した直後に、ため息も混じる。

クロトは、その反応を見て、わずかに口元を緩めた。

苦笑というほどでもない。

緊張の度合いを測るような、静かな表情だった。

「講義でお伝えした通りです」

「確かに形式はありますが、

過度な緊張を強いる方ではありません」

桜は、少しだけ目を瞬かせる。

「……そう、なんですか?」

「私の印象では」

断定を避ける言い方。

それでも、迷いはなかった。

「普段通り、医療者として向き合うだけで、

十分だと思います」

慰めでも、励ましでもない。

状況を踏まえた、実務的な判断だった。

桜は、小さく息を吐く。

「……それを聞いて、少し楽になりました」

「それなら結構です」

扉の前で、クロトが立ち止まる。

ここから先は、エリアナの私室だ。

「ご案内します」

クロトが扉を開ける。

桜は一度だけ呼吸を整え、前に出た。

それでも、胸の奥の緊張が消えたわけではない。

――――――――――
■初対面

扉が開き、桜は一歩前に出た。

クロトから教わった通り、立ち位置を整え、背筋を伸ばす。

「本日より、体調管理を担当させていただきます。サクラと申します」

声が震えないよう、意識して頭を下げた。

間も、角度も、教えられた通りだ。

そして――

顔を上げた瞬間、言葉を失った。

あ、と、思うより先に、思考が止まる。

――なに、これ。

整いすぎた顔立ち。

人形のようで、現実味がない。

初めてクロトを見たときと、まったく同じ衝撃だった。

……これは、反則では。

完全に固まった桜を前に、

エリアナは特に気にした様子もなく、穏やかに微笑んだ。

「本日はお越しいただき、ありがとうございます。エリアナと申します」

丁寧で、落ち着いた声音。

それが、余計に現実感を遠ざける。

――だめだ、見すぎてる。

「……サクラ様」

低く、控えめな声が、すぐそばからかかった。

はっとして、我に返る。

「あっ、す、すみません!」

慌てて頭を下げ、取り繕おうとして――

結局、出てきたのは本音だった。

「その……あまりにも、お綺麗で……びっくりしてしまって……」

言った瞬間、

(言ってしまった……)

と、心の中で頭を抱える。

クロトは、その言葉に、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。

聞き覚えがある。

初めて会ったときも、まったく同じことを言っていた。

――本当に、同じだな。

エリアナは、その様子を見て、わずかに目を細める。

控えめで、品のある笑み。

「そう言っていただいたのは、初めてです」

「多くの方は、言葉を選びすぎてしまうので」

その一言に、桜の肩から、すっと力が抜けた。

「あ……よ、よかったです……」

安堵の息が、素直に漏れる。

それを見届けてから、クロトは一歩下がった。

「それでは、私はこれで」

一礼し、静かに部屋を後にする。

扉が閉まり、室内には二人だけが残った。

桜は、気持ちを切り替えるように、改めて姿勢を正す。

「失礼しました。改めまして、サクラです」

「異世界から召喚された巫女という立場ではありますが、

看護師として、こちらでお手伝いさせていただいています」

言葉を選びながら、続ける。

「明日はエルンスト医師が診察いたしますが、

本日はお疲れでしょうけど、私から少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」

エリアナは、静かにうなずいた。

「えぇ、よろしくお願いしますわ」

その返答を受け、

桜は自然と、医療者としての距離に戻る。

こうして、

最初の面会は、実務へと移っていった。

――――――――――

■面談

桜は小さく息を整え、手元のメモに視線を落とした。

「それでは、いくつか確認させてください」

声の調子を意識して落ち着かせる。

「普段、息苦しさを感じるのは、どのような時が多いですか」

エリアナは少し考え、すぐに答えた。

「夜が一番多いですわ。

冷える日や、移動が続いた日は、特に」

「日中は、いかがですか」

「問題ありません。

ただ、長く話した後は、少し苦しくなることがあります」

桜はうなずきながら、要点だけを書き留める。

「常用されている薬は、

毎朝と就寝前で、お間違いありませんか」

「えぇ。その通りです」

受け答えは簡潔で、淀みがない。

「発作の前に、前触れのようなものはありますか」

「胸が重くなる感じがします。

呼吸が浅くなって、そのまま続くと苦しくなります」

「分かりました」

桜は一つ一つ、確認するように頷いた。

「昼間は、何かあればメイドの方が診療所へ連絡する体制になっています」

「えぇ」

「夜間に息苦しさを感じた場合は、

ベッド脇の呼び出し紐を引いてください」

エリアナの視線が、静かにそちらへ向く。

「鈴の音が、私の部屋と、待機している護衛騎士の部屋に、

同時に届く仕組みです」

「私が不在の際も、

騎士の方から通信石で、別の者へ連絡が入ります」

説明は、それだけだった。

エリアナは短くうなずく。

それを見てから、桜は続ける。

「夜間に発作が出た場合は、

薬霧器を使用します」

「ゼフィーリアでも、

大きな病院と、こちらにしか置かれていない新しい技術です」

「操作はこちらで行いますので、

必要なときは、こちらからお声がけします」

「分かりましたわ」

その返答を聞いて、桜は少し肩の力を抜いた。

落ち着いていて、偉ぶるところがない。

話していて、やりにくさを感じない。

「今夜は、まず様子見になります」

「息苦しさがあれば、

我慢せず、すぐ呼んでください」

「えぇ」

桜は軽く一礼した。

「それでは、本日はこれで失礼いたします」

「ありがとうございます、サクラ様」

桜は頷き、

うまく対応できたことに、ほっとしながら部屋を後にした。

こうして、最初の面談は終わった。

――――――――――

■エリアナの独白

扉が閉まり、部屋に静けさが戻る。

エリアナは、ゆっくりと息を吐いた。

知らないうちに、少し肩に力が入っていたみたい。

――思っていたより、落ち着く場所ね。

それが、いちばん最初に浮かんだ気持ちだった。

ゼフィーリアの空気は、やわらかい。

張りつめた感じが、あまりしない。

誰かに測られているような、

そういう息苦しさも、ここでは少なそう。

護衛の騎士――クロト。

最初に目に入ったときは、

さすがに驚いた。

整いすぎた容姿。

見ないふりをするのは、難しいくらい。

人から向けられる視線には慣れている。

けれど、自分が同じように誰かを意識したのは、

これが初めてだった気がする。

そして、サクラ。

ゼフィーリアにも、大国にも、少ない人種の面立ちで、

平凡といえば平凡な容姿。

医療の話は、必要なことだけを、分かりやすく伝えてくれた。

容姿と同じくらい、普通な対応。

でも、それが悪いとは思わなかった。

こちらを特別扱いしすぎないし、

かといって、距離を取りすぎることもない。

ただ、きちんとして向き合ってくれる。

そういう距離感は、久しぶりだった気がする。

エリアナは、部屋をゆっくり見回した。

ここで、しばらく過ごすことになるのね。

少なくとも、

ずっと気を張っていなくてはいけない場所ではなさそう。

今は、それだけで、十分だと思うことにした。