■食堂にて
昼の食堂は、最も混み合う時間帯だった。
巡回帰りの騎士。
業務の合間に立ち寄る王宮職員。
時間をずらせない者たちが、一斉に集まっている。
ノインは、すでに席についていた。
壁際の小さな卓。
剣を外し、食事に向き合っている。
――そのとき。
「あ……」
控えめな声。
顔を上げると、盆を手にしたエーファが立っていた。
周囲を見回し、わずかに困った様子だ。
空いている席は、ここだけだった。
「相席、よろしいでしょうか」
一瞬、返事が遅れた。
理由を考える前に、胸の奥が、わずかに跳ねる。
(……落ち着け)
そう自分に言い聞かせてから、口を開く。
「どうぞ」
声は、いつも通りだった。
エーファはほっとしたように会釈し、向かいの席に腰を下ろす。
「ありがとうございます。助かりました」
「この時間は、どうしても混みますから」
自然に言葉が出る。
それを聞いて、エーファは小さく頷いた。
「本当に……」
周囲のざわめきに、言葉が紛れる。
しばらく、食器の音だけが続いた。
ノインは一度、スプーンを置いた。
ほんの一瞬、間を置いてから、視線を上げる。
「……雑貨屋でしたね」
エーファが、少し驚いたように顔を上げる。
「いかがでしたか?」
「はい。とても素敵なお店でした」
即答だった。
「品揃えも良くて、つい長居してしまって」
「それは、良かったです」
短いが、確かなやり取り。
エーファは、わずかに表情を緩めた。
「ノイン様は、この時間が多いのですか?」
「いえ、仕事内容によりますね」
「そうなんですね」
それだけで、会話は途切れた。
だが、気まずさはなかった。
食事を終えたのは、ノインの方が先だった。
いつも通り、早い。
盆を手に取り、席を立つ。
ふと視線を向けると、エーファはまだ食事の途中だった。
目が合う。
一瞬の間。
「お先に失礼します」
そう告げると、エーファは少しだけ目を瞬かせ、
すぐに柔らかく微笑んだ。
「はい。お疲れさまです」
それだけだった。
ノインは軽く頭を下げ、食堂を後にする。
廊下に出てから、ようやく小さく息を吐いた。
――ただの昼食だ。
――席が空いていなかった、それだけだ。
そう理解していながら、
胸の奥のざわつきは、静かに残り続けていた。
────────────────
■出動――城下町近隣の森
出動は、第2班のみだった。
城下町近隣の森で、小型魔物が数体確認されたという報告。
規模は小さく、増援も不要。
本来なら、短時間で終わる案件だった。
森の中は、静かだった。
魔力の気配も薄い。
「散っているな」
班長のヴァルドが、低く告げる。
「各個、周囲を警戒。確実に仕留めろ」
指示は簡潔だった。
班員は即座に散開する。
小型魔物は、想定通りだった。
動きは単調。
連携もない。
一体ずつ、確実に仕留めていく。
――そのはずだった。
空気が、歪む。
魔力の流れが、一瞬、乱れた。
「……来る!」
ノインが叫ぶより早く、森の空間が裂ける。
現れたのは、中型魔物だった。
距離は、近い。
あまりにも、近すぎた。
魔物は、出現と同時に跳ぶ。
狙いは、ノイン。
反応は、遅れていない。
ノインは即座に魔力を展開する。
防御を、爪の軌道上にある肩口へ集中させる。
次の瞬間、
鋭い爪が、空気を切り裂いた。
衝撃。
魔力の膜が弾け、肩に熱が走る。
だが、深くはない。
「ノイン!」
ヴァルドの声。
「班長、いけます」
間を置かない返答だった。
「……よし。そのまま位置を保て。下がるな」
ノインは一歩踏みとどまり、剣を握り直す。
「了解」
短く答える。
血は出ているが、動きに支障はない。
「囲め!」
ヴァルドの号令が飛ぶ。
三人が、同時に動いた。
一人が前に出て、注意を引く。
一人が側面へ回り込む。
ノインは、後方から間合いを詰める。
息は、合っていた。
中型魔物が吠え、
攻撃対象をノインから前衛へ切り替え、飛びかかる。
その瞬間、
側面からの一撃が入る。
体勢が崩れたところへ、
ノインの剣が、確実に届いた。
必要な魔力をのせ、切る位置だけを正確に。
魔物は、低い音を立てて崩れ落ちる。
沈黙。
森に、再び静けさが戻った。
ヴァルドが、短く息を吐く。
「想定外だな、よくやった」
「はい」
ノインは肩を押さえながら答える。
「出現位置が、近すぎました」
言い訳ではない。
事実の確認だった。
「戻るぞ。ノインはすぐに診療所へ」
ヴァルドはそれ以上、何も言わなかった。
ノインの肩から、血が一筋、指先へと落ちた。
────────────────
■王宮診療所にて
王宮診療所の出入口は、昼の忙しさが少し落ち着いた頃だった。
エーファは、小さな包みを胸元に抱え、扉へ向かう。
王妃のための、眠りやすくなる薬。
いつもの受け渡しだ。
扉を開けた、その瞬間だった。
外から、誰かが入ってくる。
視線が合う。
「……ノイン様」
一瞬、言葉が遅れた。
装備は外している。
だが、騎士服の肩口が、濃い色に染まっている。
血。
はっきりと分かる量だった。
「え……?」
声にならない息が、漏れる。
顔から血の気が引いていくのが、自分でも分かった。
「大丈夫です」
ノインは、エーファの顔色を見て、
いつもの、落ち着いた声で話しかける。
「かすっただけですから」
そう言いながら、無意識に肩を押さえる。
その仕草が、余計にエーファの胸を締めつけた。
「でも……」
視線が、どうしても血から離れない。
そのやり取りを、診療所の中から見ていた人物がいた。
「ノインさん」
桜だった。
状況を一目見て、声の調子が変わる。
「肩ですね。動かせますか」
「問題ありません」
「分かりました。中で、きちんと見ますね」
桜はすぐに視線を巡らせる。
「ユリウス先生を呼んでください」
近くにいた介護人へ声をかける。
「処置室、準備をお願いします」
「はい」
介護人がすぐに動く。
「ノインさん、こちらへ来てください」
「了解しました」
ノインは短く答え、歩き出す。
その背中を、エーファは思わず目で追った。
足取りは、確かにしっかりしている。
けれど、肩口の赤が、どうしても視界から離れない。
ユリウスが慌ただしく処置室へ入っていくのが見える。
桜も、その後を追おうとして――ふと、足を止めた。
エーファの顔色に、気づいたのだ。
「……大丈夫ですよ」
桜は、落ち着いた声で言った。
「本当ですか……?」
エーファの声は、少し震えていた。
「でも、血が……あんなに」
言いながら、自分でも分かるほど顔が青い。
「服に染みて見えると、驚きますよね」
桜は否定しない。
「きちんと、必要な治療をしますから」
エーファは、しばらく桜を見つめ、
小さく息を吐いた。
「……そう、ですよね」
包みを、ぎゅっと抱え直す。
「すみません。取り乱してしまって」
「いえ」
桜は、やわらかく首を振った。
「動揺して、当たり前ですから」
処置室の扉が、静かに閉まる。
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■手当
処置室は、外の気配が遮られていた。
扉が閉まり、空気が一段、落ち着く。
ノインは椅子に腰を下ろし、上着を外す。
肩の布が避けられ、傷口が露わになった。
「……深いところもありますけど、思ったよりは浅いですね」
桜が言う。
まず、清潔な水で傷口を丁寧に拭う。
血と汚れを落とし、状態を確かめる。
続けて、消毒効果のある薬を薄く塗る。
ひやりとした感触に、ノインはわずかに肩を強張らせたが、声は上げない。
「しみますか」
「いえ、大丈夫です」
桜は頷き、場所を譲る。
「ユリウス先生、お願いします」
「はい」
ユリウスは手袋を整え、傷口を覗き込む。
「表面は問題ありませんが……」
指先で深さを確かめ、静かに続ける。
「深いところは、縫った方がいいですね」
そう言って、まず麻酔作用のある薬を、傷口に塗布する。
「少し待ちます」
数拍置いてから、縫合に入った。
手つきは落ち着いている。
見習い医師ではあるが、処置に迷いはない。
針が通る感覚は鈍く、
ノインは視線を逸らしたまま、静かに呼吸を整えていた。
その様子を、桜は横で見守っている。
「……そういえば」
処置の合間に、桜がふと思い出したように言った。
「さっき、メイドさんがとても心配していましたよ」
ノインの視線が、わずかに動く。
「入口で、血を見て」
「かなり驚いていました」
「……そうですね」
短く息を吐く。
「悪いことをしました」
責める相手のいない出来事だと分かっていても、
口にすると、そういう言葉になった。
「こればかりは、仕方がないですよ」
桜は、やわらかく続ける。
「ですから、落ち着いたら」
「早めに顔を見せてあげてください」
ノインは、少し考えるように間を置いてから、短く頷いた。
「……分かりました」
ユリウスが、最後の糸を結ぶ。
「終わりました」
傷口はきれいに整えられ、上から保護の布が当てられる。
「無理はしないでください」
「はい」
ノインは立ち上がり、肩を軽く動かして確認する。
痛みはあるが、動作に支障はない。
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結界修正を終え、部屋へ戻る途中だった。
並んで歩きながら、クロトがふと口を開く。
「昨日、第2班のノインが怪我をして」
「診療所で対応していただいたようで」
足取りは変わらない。
思い出したことを、口にしただけの様子だった。
桜は、すぐに頷く。
「ノインさんのけが、軽くてよかったです」
「ええ」
クロトも、それだけ答える。
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■第2班庶務室にて
第2班の庶務室は、昼下がりになると人の出入りが少なくなる。
書類の整理が一段落し、室内には静かな気配が戻っていた。
ノインは、扉の脇に置かれた書類箱を手に取る。
提出先へ向かうため、部屋を出ようとした、そのときだった。
扉が、控えめに叩かれる。
「失礼します」
聞き覚えのある声だった。
ノインが扉を開けると、そこに立っていたのはエーファだった。
薄い色合いの服に身を包み、両手で小さな包みを抱えている。
「……あ」
一瞬、言葉が止まる。
だが、すぐに彼女の表情が、わずかに緩んだ。
ノインの顔を見て、
――無事だった、と確かめるような安堵。
「ノイン様」
呼びかける声は、控えめだった。
「お体、その後はいかがですか」
「問題ありません」
ノインは即答した。
肩は既に処置を終え、動きにも支障はない。
「こちらこそ、ご心配をかけました」
短く添えてから、
エーファが抱えている包みへ視線を落とす。
「どうされましたか」
「ええと……」
エーファは一瞬だけ迷い、
それから、包みを差し出した。
「診療所でお会いしたとき、とても驚いてしまって」
「何もできなかったので……せめて」
包みの中身は、ハーブティーだった。
「疲労回復。
眠りを助けるものです」
「王妃様のお薬と同じ調合ではありませんが、
似た効能があって」
言い訳のように付け足してから、
少し照れたように視線を落とす。
ノインは、包みを受け取った。
「わざわざすみません」
「巡回の後は、眠りが浅くなることもあります」
ノインは言葉になるべく、感謝の気持ちをのせる。
エーファは、ほっとしたように息を吐く。
だが、その表情はどこか落ち着かない。
「……それなら、よかったです」
沈黙が落ちる。
気まずさではない。
ただ、次の言葉を選んでいる間だった。
「お仕事の途中でしたよね」
エーファが、先に口を開く。
「はい。今から提出に」
「そうでしたか」
小さく頷き、
それ以上、引き止めることはしなかった。
「では……お大事に」
「ありがとうございます」
ノインは一礼する。
すれ違いざま、
エーファは一瞬だけ立ち止まり、
何かを言いかけて――やめた。
そして、静かに庶務室を後にする。
ノインは、その背中を見送ってから、
手の中の包みを見下ろした。
疲労回復。
眠りを助けるハーブティー。
ただの気遣いだ。
そう、分かっている。
それでも――

