役目を終えたはずの巫女でした ― 選ばれなかった時間の続き ―

水曜日。
城下町は昼前から人通りが多かった。
ノインは巡回の途中だった。
特別師団所属とはいえ、ローテーションで城下町の巡回を担当する日がある。

「すみません」

声をかけられて、足を止めた。
振り返ると、少し困った様子の女性が立っている。
服装は控えめで、目立つ華やかさはない。
けれど、よく見ると顔立ちは整っていて、落ち着いた雰囲気があった。

「この辺に、最近人気の雑貨屋さんがあると聞いたんですが……」

言いながら、周囲を見回す。

「私、どうも方向が苦手で」
「気づいたら、だいぶ逆の方に歩いていたみたいで」

少し照れたように笑う。

その瞬間だった。
胸の奥が、どくりと鳴った。

(……あ)

理由は分からない。
ただ、見た瞬間に――完全に、好みだった。

ノインは一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに視線を整える。

「その店でしたら、こちらです」

頭の中で経路をなぞる。
巡回の範囲から、やや外れる。

(少し、遠いな)

だが、足は自然とそちらへ向いていた。

「少し距離がありますが」
「本当ですか。助かります」

その一言で、もう断れなかった。

「巡回の途中なので」
「案内します」

言ってから、内心で小さく息を吐く。

――自分は、昔からこうだ。

二人並んで歩き出す。
店までは、思っていたより距離があった。
最初は無言のまま進んでいたが、
そのまま歩き続けるには、少し長い。

それでも、不思議と気まずさはなかった。

ノインは歩調を合わせ、
前に出すぎることも、距離を取りすぎることもない。
視線も、声も、押しつけがましくなかった。

ふと、エーファが小さく息を吐いた。
ノインは、反射的に歩調を落とす。

「……すみません」

独り言のような声だった。

「どうしましたか」
「いえ、大したことじゃないんです」
「ただ……最近、家が少し騒がしくて」

それ以上は続かない。
ノインは急かさなかった。
無理に聞き出そうともしない。

「縁談の話ばかりで」
「少し疲れてしまって」

知らない相手だからこそ、
口をついて出た言葉だった。

「十八の頃から、ずっとそんな話で」
「何もしないまま決まってしまうのが、どうしても嫌で……」

言葉が、少し詰まる。

「それで、二年前から働き始めたんです」
「運よく、王妃様付きのメイドになれて」

言い方は控えめだった。
自慢でも、愚痴でもない。

「……そうだったんですね」

ノインはそれだけ答える。
励ましもしない。
評価もしない。
ただ、聞いていた。

しばらくして、エーファがこちらを見る。

「……そういえば」
「私ばかり話してしまっていましたね」

小さく背筋を伸ばす。

「エーファ・リンデンと申します」

控えめだが、はっきりした名乗りだった。

ノインは一瞬だけ目を瞬かせ、
すぐに姿勢を正す。

「ノイン・バルクスです」

短く、しかし誤魔化しのない声。

「騎士をしています。特別師団所属です」

エーファは、わずかに目を見開いた。

「特別師団……」
「皆さん、お強い方ばかりだと聞きます」

少し迷ってから、言葉を足す。

「ノイン様も、きっと」

「いえ」

ノインは即座に首を振った。

「まだまだです」

謙遜ではなく、実感としての言葉だった。

雑貨屋が見えてきて、二人は足を止めた。

「ここです」
「ありがとうございます。本当に助かりました」

エーファは店先を見て、ほっと息をついた。
それから、はっとしたようにノインを見る。

「……ごめんなさい」

小さく首を振る。

「初めてお会いする方に、
私ったら……いろいろ話してしまって」

恥じるように、視線を落とす。

「気になさらないでください」

ノインは、すぐに答えた。

エーファは少し考えるような間を置いてから、
小さく笑った。

「……不思議ですね」
「なぜか、とても話しやすくて」

そう言って、軽く頭を下げる。

「親切にしていただいて、ありがとうございました」

「こちらこそ」

エーファにとっては、
なぜか話しやすい、少しお人よしな騎士。
けれど、ノインにとっては――
胸の奥が、まだ少し騒がしいままだった。

その感情に、
名前をつける必要があるとも、思っていなかった。