役目を終えたはずの巫女でした ― 選ばれなかった時間の続き ―

■緊急入院・手術

診療所の扉が、慌ただしく開いた。

「こちらです……!」

王宮で働く男性職員が二人、簡易の担架を担いで入ってくる。
急いではいるが、足取りは慎重だった。

担架の上には、顔色を失ったメイドが横たわっている。
太ももにかかる布の下、脚の形が明らかにおかしい。

その横に、同じ制服のメイドが一人、必死に付き添っていた。

「掃除をしていて……梯子から……」
「高いところで、足を滑らせて……」

説明は途切れ途切れで、言葉になりきらない。

桜はすぐに前へ出た。

「大丈夫です。こちらで引き受けます」
「そのまま、ゆっくり進んでください」

声を落ち着かせると、二人の動きが揃う。
担架が止まった。

桜は膝をつき、患者の顔を確認する。

「お名前、言えそうですか。あと、ご年齢も」

苦しそうに息を吐きながら、女性は答えた。

「……エルザ……エルザ・ミュラーです……三十五歳」

意識ははっきりしている。
だが、痛みは相当強そうだった。

「とりあえず、ベッドへ移しましょう」

担架を運んできた男性二人と看護人一人、そして桜で、シーツごと患者をベッドへ移す。

「触れます」

最小限の確認だけを行う。

「……かなり痛みますか?」

エルザは、その問いかけに大きくうなずいた。

桜は顔を上げる。

「エルンスト先生、お願いします」

現れたエルンストは、一目で状況を把握した。

「太ももの骨が折れている」
「大腿骨だ。ずれもある」

淡々と告げる。

「固定だけでは治らない。手術が必要だ」

エルザは歯を食いしばり、かすかにうなずいた。

「ただし、今すぐでなければ命に関わる状態ではない」
「今日中に行うのが最善だが、少し待つことはできる」

エルンストは続けて尋ねる。

「家族は?」

「夫がいます……今、呼びに行ってもらっています」

「わかった。では、それまでは手術を待とう」

桜はエルザの様子に目を戻す。
額には汗が浮かび、呼吸が浅い。

「……痛い……」

「痛みが強そうです」

桜は、手術までの時間が気がかりで、エルンストに告げた。

そこへ、薬師イルゼが近づいてくる。
手には、薬を包んだ小さな包み。

「痛みがかなり強いですね」
「強めの鎮痛用の薬を使えますが」

提案だけを、静かに。

エルンストは一瞬考え、うなずいた。

「使おう」

イルゼはエルザに薬を渡す。

「苦いですが、少し楽になります」

エルザは震える手で受け取り、ゆっくりと飲み干した。

三十分ほどして、エルザの呼吸が落ち着いた。
顔から痛みの強さが抜けている。

それを確認して、桜はようやく安心した。

搬送されてから、およそ二時間後。

診療所の扉が、控えめに開いた。

「……エルザ……!」

城下町から駆けつけた夫だった。

ベッドに駆け寄り、そっと手を握る。

「……大変だったな」

エルザは、わずかに目を開け、力なくうなずく。

「……あの子のこと……しばらく、よろしく……」

「あぁ」

夫は深くうなずいた。

エルンストが二人に簡潔に説明する。

骨折のこと。
手術が必要なこと。
今日中に行う理由。

夫は迷わず答えた。

「お願いします」
「……妻を、助けてください」

「大丈夫だ」

その一言で、十分だった。

「準備に入る」

空気が切り替わる。

エルザは、夫の顔を一度だけ見てから、静かに目を閉じた。

手術が、始まる。

執刀は、エルンスト。
助手に、内科医のクラウス。
治癒魔法による全身管理を兼ねる。

桜は、補助に入った。

器具が整えられ、術野が確保される。

エルンストの動きは迷いがなく、
クラウスは治癒魔法を維持したまま、
助手としての手も止めない。

桜は、必要な器具を過不足なく差し出し、
術野と全身状態、その両方から目を離さない。

会話は最小限。
それで、十分だった。

手術は、滞りなく進んだ。

手術が終わると、エルンストは手袋を外し、待っていた夫のもとへ向かった。

「無事に終わった」
「骨の固定も問題ない」

その言葉を聞いた瞬間、夫は深く息を吐いた。
強張っていた肩が、目に見えて下がる。

「ありがとうございます……」

エルンストは短くうなずいた。

「術後は、治癒魔法で痛みを和らげている」
「二時間ほどは眠り続けるだろう」
「目が覚めて、飲水ができるようになったら、痛み止めの薬を使う予定だ」

それで十分だった。

夫は何度も頭を下げ、静かにその場を離れ、エルザのもとへと向かう。

術後の処置を終えたあと、
クラウスがエルンストと桜のもとへ声をかけた。

「先生、動作訓練の件ですが」

まずエルンストを見る。
それから、桜に視線を向けた。

「前に話してたよね。
骨折でも、早めに入れた方がいいって」

エルンストは少し考え、短く答える。

「明日は安静だ」
「痛みの様子を見る」
「サクラも水曜日で休みだし、ちょうどいいだろう」

一拍おいて、続けた。

「明後日から、無理のない範囲で始めよう」
「いつも通りで頼む」

方針はそれで決まった。

翌日は安静。
必要に応じて痛み止めの薬を使いながら、経過を観察する。