Lumen Flow

そよそよと暖かな風が吹く、そんな新学期。
晴れて高校二年生になった僕・柴田想(しばたそう)は、教室の真ん中で楽しげに音楽の話をするムードメーカー・篠原光流(しのはらひかる)を目に焼き付けていた。
一年の頃から、自分と彼は関わることはないんだろうなと心の片隅で思っていた。
そんな陽の雰囲気を強く感じる彼は、違うクラスなのに校舎で見かけるたび、僕の瞳の中によく映り込んでいた。
彼を見つめる理由は僕の中でずっと明確だった。
前だけを向き、音楽という好きなことを無邪気に語り続ける姿が、羨ましかったから。
自由に声に出して、その声をみんなが物凄くいいものをみるように聞き入る。

羨ましい。

俯いた瞬間、彼の悩みなんて無さそうな楽観的な笑い声が教室内に響き渡った。
胸がふわっと浮いたような居心地の悪さを感じる。

今まで憧れの存在として見ていた彼に、僕は今嫌悪感を抱いているのか、、?

彼に釣られるようにして、大きくなっていくクラスメイトの笑い声。
この中で唯一避けようとしている自分が、浮いている存在に思えて仕方がない。
詰まりかける呼吸に、追い打ちをかけるように耳元で打ち付ける大きな心拍音。
僕は慌てて机の隣にかけているトートバッグから青いノートを取り出した。
角のプリントが蝕まれるように欠け始めているこのノートは、僕が常に持ち歩いてる感情ノートだ。
いつから始めたかは覚えてないが、物心がついた時から手元にあるのが当たり前で、どこに行くにも一緒だった。
ここには、人に見せられないような僕の心の内が書かれている。
ノートを感覚で開き、右手にシャーペンを握りしめる。
幼い頃に厳しく教えてもらった正しいペンの持ち方。
何冊も何十冊もやった綺麗な字の練習本。
母さんの時間を奪ってまで手に入れた綺麗な字を、こんな形で消費してしまうなんて、やっぱり僕はどうしょうもない人間なのかもしれない。
漢字とひらがなの大小バランス、文字同士の感覚。
右手が動き出すままに、ノートに黒い文字を書いていく。

【人を明るくさせる才能がある人が羨ましい】

【夢を語る強さが欲しい】

「......【過去の自分を飛び越える恐怖を、誰かわかって欲しい】、、」

ノートに並ぶ綺麗な字とは裏腹に、口から出た言葉は、重く暗い。
今の自分と向き合うこともせず、ただノートに気持ちを書き出して終わり。
そんな僕に、恐怖をわかってくれなんていう価値はない。
椅子が床を擦る音が鳴り響く。
生徒たちが、自分の席に座り始めた。
そろそろ、予鈴がなる頃だ。
青いノートを閉じ__。

「わかってくれよ、後ろに佇む昔の僕と手を繋ぐ勇気を〜♪ あっはは!いい歌詞!」

「っ、!」

頭上から降り注ぐ歌声に視線を少しだけ上に向ける。
すると、視界に飛び込んでくる溌剌とした笑顔。
明るく暗闇に光が流れるような力強い歌声。
こんな僕にすら、温かさを分けてくれるような、砕けた話し方。
篠原光流とは、なんてできた人間なんだろうか。
そんなことを考えていると、ずいっと顔を乗り出して、ノートを覗き込んでくる篠原光流。
そこまで理解して、さーっと全身が冷えていくのを感じた。
突然の出来事で意識していなかったが、このノートは人に見せていいものじゃない...!
僕は勢いよくノートを閉じて、そのまま流れるように口を開く。

「こ、こんなの見てもいい気持ちにならないでしょ!僕はこんな人間なんだ!ごめん......!」

意味もなく謝って、意味もなく戸惑って。
僕の人生はこうして誰にも肯定してもらうこともなく、淡々と終わっていくんだ。
下を向いていると、バン!っと机に手をついて乗り出した篠原光流に、クラスメイトが視線を集める。
必然的に自分にも集まる視線に、どうしていいのかわからず戸惑っていると、綺麗に口角を上げた篠原光流が懲りずに僕に話しかける。

「何に謝ってるのかはわからないけど、俺の名前は篠原光流って言うんだ!一年間よろしくな!それと、そのノート良かったらもっと見せてほしい!」

「......?」

周りの音が遠くなる。
ノートを見せて欲しいなんて言われたことなかった。
いろんな感情が一気に胸の中を渦巻いている。
一体どの感情がそうさせてるのかは、今の僕にはまだわからないが、とてつもなく心音が早い。
喉元でなっていると錯覚するほどには、大きく脈打つ心臓に恐怖すら覚える。
「光流って呼んで〜」なんて、ケタケタ楽しそうに笑っている彼とは極端に別の場所にいる気がする。

「えっ...と、、ひ、光流?いや、光流くん......僕のノートなんて見て、どうするの?」

「″くん″とか別にいいのに〜!俺、音楽好きでさ!作曲とか趣味でやってるんだけど、作詞の才能がびっくりするほど無くて、だからさっき読み上げてた詩?が気になったから見せて欲しい!!」

勢いのまま伝えられた趣味への熱に溶かされるように、ノートを差し出すと、瞳を嬉しそうに揺らしながらお礼を伝えられる。
咄嗟に下を向いてしまった。
そんな大したことしてないのに。
でも、僕のノートを読む人なんていなかったから、なんだか落ち着かない。
自然と多くなる瞬きに意識を向けながらも、不思議と嫌な気持ちではないことにも、安心していた。
ペラペラと光流くんがページを捲る音が聞こえる。
楽しそうにしながらも、時折真剣な表情をする光流くんを、盗み見するようにこっそりと見続けた。
両手の指を絡め親指を摩っていると、光流くんの好奇心旺盛な声を鼓膜が拾い上げた。

「ねぇ!こんな深い?なんて言ったらいいのか分かんないけど、いい言葉思いつくの??」

「ぇ、えっと、僕が思ったこと全部書いてるだけ。人には話しちゃダメな暗い感情とか、......や、やりたかったこと、とか」

「へぇー!いいな!暗い言葉は、聞きたくない人もいるだろうけど、時には共感って形で人を救うこともあるよ!!」

思わず目を見開いた。

「いやー!いいなー!才能だよ!こんなに辛い人に寄り添える言葉が出てくるなんて!」

鼻先がじんわりと沁みる。
目が熱くなって、今から泣くんだと本能的にわかる。
これは悲しいからじゃない。辛いからじゃない。
嬉しいからだ。
後ろめたいと思っていた感情を、こんなにも明るく肯定的に捉えてくれて嬉しい。
涙が溢れると思った時には、もうすでに横を向いていて、なんとか袖で涙を拭うことに成功した。
多才な光流くんを妬んでいた僕を叱ってやりたい。
光流くんは物事のいい面を見るのが上手いんだ。
まだ喉が締まる感覚が残る中、絞り出すように声を発する。

「......光流くんは名前の通り素敵な考え方をするね。ありがとう。嬉しい」

「えー?そう?俺そんな嬉しくなるようなこと言ったかぁ?」

ケタケタ笑う光流くんに釣られるように、控えめな笑みが溢れる。
光流くんのように上手には笑えないけど、久しぶりに心の底から幸福感に満ち溢れている。
丁寧に手渡されるノートを受け取ると、光流くんが楽しそうにある提案をしてきた。

「作曲、手伝ってくれない?」

いひひ!と名案を思いついた小学生のように無邪気な顔で笑う光流くんに、なんだか腕を引っ張られた気分だった。
暗がりから少しは、飛び出してみてもいいんじゃないかと。
徐々に、周りの音が小さくなって、それから、それから__。

キーンコーンカーンコーン。
HRが始まる本鈴がなってしまった。
光流くんも「じゃあな」と少し慌てるように、僕の前からいなくなろうとしている。
今しかない。
光流くんの肩をグイッと押さえて、小さく名前を呼ぶ。
振り返ってくれた光流くんの顔を見ながら、小さく息を吸い込み。

「ノートを貸したらいい......?」