僕、凪沢透の幼馴染、玖賀梓はとにかく無愛想で無気力だ。
家が隣同士なのもあって、小学生の頃からずっと一緒にいるけど、僕以外に友達もいなければ兄弟もいない。正直めちゃくちゃ心配である。あまりにも心配で、うっかり同じ高校を受験してしまったくらいだ。
「なあ、梓。高校では絶対運動部に入れよ」
「興味ない」
ほら、この通りである。やっぱり高校までついてきて正解だった。
小学生の頃から梓は背が高かったけど、今は180センチ以上はあるはずだ。中学時代も、バスケ部やらバレー部やら、いろんな部活の先輩たちに勧誘されまくってたっけ。全員見事に撃沈だったけど。
(でも、高校ではこいつに絶対なにかやらせないと……)
でなきゃ、あまりにももったいない。宝の持ち腐れってもんだ。
小学生の時、梓は外であまり遊びたがらなかった。それで僕たちは、家でテレビゲームをして過ごすことが多かった。サッカーゲームやシューティングゲームやカーレース、色んなゲームをやったけど、梓が一番得意だったのは格闘ゲームだった。
「ちょっと! なんで今の攻撃避けられたの!?」
僕が翻弄されてわたわたしているのを見るたびに、梓は滅多に見せない笑顔をほんのちょっとだけいつも口の端に浮かべていたものだ。
ゲームばかりしている僕たちに、母さんはあまりいい顔をしなかったけど、ある時テレビ画面を覗きながら感心したような口調でこう言った。
「すごいわねぇ、梓君。きっと動体視力がいいのね」
「えっ? 動体視力?」
僕が驚いて振り返ると、母さんは得意げに梓が使っているキャラクターを指で指し示した。
「ほら、避けるのが上手だし、反応が早いでしょ? 目がいい証拠よ」
僕はポカンと口を開けて、隣に座っている長身の友人の顔を見上げた。
(背が高くって、動体視力もいいって……)
それってつまり、スポーツ選手に求められる素質なんじゃないだろうか?
「……なぁ、梓。なんかスポーツしようよ。お前絶対なんかやるべきだって」
「興味ない」
「なんでだよ? サッカーでも野球でもなんでもいいからさ。絶対上手くなるから……」
「興味ない」
「女子にモテるのも?」
「興味ない」
(なんでだよ!)
顔良し、体良し、おまけに動体視力良し。こんな人間が無気力にテレビゲームばっかりしているだなんて、何かの間違いじゃないのか? てかこれを放っておいたら、僕が神様に怒られる気がする。
「なぁ、そんなこと言わずにさぁ。見学だけでも行ってみようよ。僕もなんかやってみたくなってきたし」
そう言うと、梓は初めて少し興味を持った様子で、ゲームのコントローラーを床に置いた。
「……透が行くなら行ってみてもいい」
「よっしゃ! そうこなくっちゃ!」
僕はさっそく母さんに頼み込んで、地域のスポーツ少年団や民営のスポーツクラブの体験に申し込んでもらった。
だが悲しいかな。そこで初めて、僕は自分が異常なまでの運動音痴であることに気がついたのだ。
確かに体育の授業でも、自分だけいつもなんとなく動きがおかしいような気はしていた。でも、一つのスポーツに専念しているこういうクラブに来ると、自分が壊滅的にスポーツ向きでないことが浮き彫りになった。
僕はそれでも全然良かった。別に運動が好きなわけじゃないし、将来スポーツ選手になりたいわけでもなかったから。
ただ困ったのは、梓のやつが僕がいないとどのクラブにも入りたがらなかったことだ。
「君、センスあるね。ぜひサッカーをやるべきだよ!」
「ミニバス入りなよ! その身長は武器になるって!」
「ぜひうちのリトルリーグへ! 君なら特待生枠も狙えるよ!」
どこのクラブも必死で梓を自分のチームに引き入れようとしたけど、梓は頑として首を縦に振らなかった。
「透が入らないなら、俺も入りません」
監督や経営者の人たちが、血走った目で僕の方をぐるりと振り返る。控えめに言って超怖い!
でも、別にやりたくもないし、向いてすらいないスポーツをするために、親に高いお金を払ってもらうのは気が引けた。会費の安いスポーツ少年団だって、送迎や当番とかで少なからず親に負担をかけることになる。
だから僕は、ギラギラしたおじさんたちの圧に屈することなく、全てのスポーツクラブを後にした。梓だって、体験してみてその程度の気持ちなら、無理に僕の考えを押し付けるのはなんだか違う気がしたし。
でも、もったいないなって気持ちは正直まだ心の片隅に残っていたから、僕は梓と一緒にとりあえず走ることにした。いくら運動音痴の僕でも、走ることはできたから。
「透、走るの好きなの?」
ゼーゼー言いながら必死で走っている僕の横で、梓はいつもの無表情でタッタッと軽やかに走りながら聞いてくる。
「別に、好きじゃないけど、体力作り!」
「ふうん」
なんでこいつ笑ってられる余裕があるんだろう? きっとスポーツの神様か何かに愛されて生まれてきたんだろうな。
中学生になると、学校の部活動でスポーツがより身近になった。でも僕が文化系の部活に入ったら、梓も結局僕についてきてしまった。「透が入らないなら……」と運動部の先輩たちに言わなかった点は、梓も成長したと思う。でなければ僕は、運動部の先輩たちに毎日追われ続ける羽目になっていただろう。毎日走っていたおかげで、この頃の僕はだいぶ体力はついていた。でも瞬発力は相変わらずからっきしだったから、運動部の先輩たちが本気になったら、最初の三歩で間違いなく捕まっていたに違いない。
そして現在、僕たちは高校生になった。中学の三年間でも、梓は小学生の時と全然変わらず無愛想で、友達を作ることもなく、僕と走ったりゲームしたりしているだけだった。変わった点といえば、身長がさらにぐんと伸びて、顔もキリッと男前になって、ますます女子から熱い視線を受けるようになったってことぐらい。それなのに本人に全くやる気がないもんだから、いまだに彼女いない歴年齢という有様である。
(このままじゃだめだ)
中学の三年間では、梓の心の琴線に触れるものとの出会いが無かったのだ。中学で無理だったのなら、次は高校の三年間に賭けるしかない。
高校では、今度こそ梓のスイッチを見つける。
梓が「家から近かったから」とかいうありきたりな理由で選んだこの高校は、実はスポーツの強豪校だ。本人の意図に関係なく、スポーツの神様が彼をここに導いたとしか思えない。
(さてさて。ここでは一体どんな熱烈な勧誘を受けることになるのか……)
しかし意外にも、僕らの周りには今までになく静かな空気が流れていて、小学校、中学校と常にギラギラした視線にさらされていた僕は逆に拍子抜けしてしまった。もちろん、女子たちの羨望のまなざしは相変わらず僕の隣に向けられていたけど、そういうのじゃなくて、もっとこう、暑苦しい視線が一切感じられない。
(変だな……)
180センチ越えの梓は、明らかにどこを歩いても目立っていた。しかも毎日僕と欠かさず走り続けていたおかげで、体もいい具合に締まっている。中学の時より、明らかに理想のスポーツマン体型に近づいていた。
それなのに、よだれを垂らしたスカウトマンが、一人も寄ってこないだなんて……
「……あの、すみません。この学校って、運動部の勧誘とかってないんですかね?」
しびれを切らした僕は、自分から先輩らしき男子生徒に思い切って声をかけてみた。
「あ、君たち。普通科の生徒だよね?」
うちの高校には、普通科とスポーツ科の二つのコースがあって、制服が異なるため一目でどの科に所属する生徒か分かるようになっていた。
「はい。今年の入学組なんですけど」
「そっか。実は今年から学校の方針が変わってね。運動部は基本的にスポーツ科の生徒のための部活になったんだよ」
「えっ! それって、普通科の生徒は運動部には入れないってことですか?」
「必ずしもそうってわけじゃなくて、条件を満たした同好会でなら活動できるんだけど、一般的な部活っていうカテゴリーでは確かにそういうことになるのかな」
そんな! スポーツの神様、詰めが甘いです!
「じゃ、じゃあ、どうすればいいんですか?」
「現在認められている同好会に参加するか、自分たちで同好会を作って学校に申請して活動許可をもらうかのどっちかだね」
そう言いながら、その先輩は親切にメモを書いて僕に渡してくれた。
「俺が知っている範囲では、今はこれだけの同好会が活動しているはずだよ。試しに見学行ってみなよ」
渡されたメモ用紙には、野球やバスケやバレーなど、目ぼしいスポーツの名前がいくつか書かれていた。
僕は先輩にお礼を言うと、梓の腕を引っ張りながら、ひとまず体育館に向かって歩き出した。
「ほんとだ。今年からうちの学校、スポーツにさらに力を入れることにしたんだって」
梓が高校のパンフレットを見ながら、まるで他人事のようにのんきにそう報告してきた。
「そりゃないよ! 普通科の生徒からスポーツの機会を奪うだなんて!」
「そのための同好会でしょ。嫌ならよその高校受験しろって話だし」
まったく、誰のために僕が必死でスポーツの機会を手に入れようとしてると思ってるんだ。余計なお世話かもしれないけどさ。
まず体育館に向かったのは、そこに一番同好会が集まっていそうだったからだ。
しかし入口から中を覗こうとした瞬間、扉の傍に立っていた顧問らしき先生にいきなり通せんぼされてしまった。
「君たち、スポーツ科の生徒じゃないだろ。ここは普通科の生徒の来るところじゃないぞ」
そう言いながらも、その先生の視線は自然と梓の方へと引き寄せられている様子だ。
「……君、普通科の生徒だよな? 制服間違いじゃなくて」
「普通科です。スポーツとかやったことないんで」
先生は驚いた様子で一瞬目を見開いてから、すぐに厳しい表情を作り直した。
「ならさっさと出て行ってくれ。練習の邪魔になる」
「すみません! 僕ら同好会の見学をしたくてここに来たんですけど」
僕が慌てて弁明すると、先生は反対側の建物を指さした。
「ならあっちだ。同好会の活動場所は第一体育館だからな」
振り返ると、こちらのよりひと回り小さくて、だいぶ年季の入った体育館が目に入った。きれいで大きな新しい体育館の、お下がりといったところか。
「ありがとうございます!」
お礼を言って入口を離れた僕の後ろで、先生が梓を引き留めるように声をかけた。
「運動部は原則スポーツ科の生徒しか入れないことになっているが、例外や特例もある。一度相談してみるのも……」
「ありがとうございます」
梓の「ありがとうございます」は、感謝の意を示すものじゃなくて、明らかに「結構です」という意思表示だった。不愛想さはここにきても健在である。
ほぼ新品みたいな建物から古びた建物に移動すると、どうしてもテンションが下がってしまう。僕は気を取り直すようにブンブンと頭を振ると、第一体育館の扉に手をかけた。
錆びた引き戸は建付けが悪いせいか、遠慮がちに引いただけでは上手く開かなかった。僕がもう少し腕に力を込めようとした瞬間、後ろから梓が手を伸ばしていきなりガラッと扉を引き開けた。
「ちょっ! いきなり……」
バシィン!
辺りの空気を震わせるような、鋭い振動と音が床から響き渡って、僕はその場から一歩も動けなくなってしまった。
「一本!」
コートの上、中央に張られたネットの向こう側で、背の高い男子高校生が人差し指を天井に向けながら、太い声を発している。
(これは……)
赤と緑と白の三色のボールが、ふわっとネットの上空に投げ上げられる。先ほど声を発していた男子生徒が、黒いサポーターを付けた右足から助走に入った。
いち、に、さん!
バシィン!
空気を震わせているのは、手のひらがボールを叩いた時の鋭い音か。それともボールが勢いよく地面に叩きつけられた時の振動なのか。
分からない。あまりにもボールのスピードが速すぎて、目で追い切ることができなかった。
「危ない!」
バシッと鋭い音が目の前で響いて、僕は危うくフロアで跳ね返ったボールを顔面で受け止めるところだったことに気が付いた。動体視力と反射神経の鬼みたいな梓がとっさに手を伸ばして守ってくれなければ、僕は鼻血を流しながらその場でひっくり返っていたことだろう。
「透! 大丈夫……」
「かっこいい……」
その言葉は、無意識に、自然と僕の口からこぼれ出ていた。
小学生の時に見て回ったスポーツクラブにも、中学校のバレー部にも、こんなスパイクを打つ人間は一人としていなかった。
他のどのスポーツを見学した時も、こんなふうに心から感動するような、ぞくりと鳥肌が立つような、そんな心地になったことは一度としてなかった。
激しくて力強く、美しく繊細で無駄がない。
ただひたすらに、単純に、かっこいいと思った。
その男子生徒は、不思議そうな表情でこちらをじっと見ている。たぶん僕が魂の抜けたような表情で、ぼーっとしながらその人のことを見つめていたからじゃないかな。
バシン! と鋭い音がすぐ横で響いて、僕はびくっとしながら現実に引き戻された。いつの間に拾い上げたのか、梓が大きな左手で掴んだ三色のバレーボールに、右の手のひらを勢いよく叩きつけたところだった。まるで、僕の視線を自分の方へと引き戻そうとするかのように。
「びっくりした。梓、どうした……」
「……入る」
「えっ?」
「俺、この同好会に入る」
「ええっ?」
驚いて思わずのけぞった僕の横で、梓は鋭い目でじっとスパイクを打った男子生徒の顔を睨みつけている。
(どうしたんだろう? 今まで頑なに、僕が入らない部活には自分も絶対入らないって言い張ってたのに……)
僕と同じように、今のスパイクに感銘を受けた――にしては、表情があまりにも険しすぎる気がするんだけど。
「君たち、入会希望者かい?」
その男子生徒は、近くで見ると長身の梓よりさらに背が高く、独特のオーラをまとっていて、うっかりすると圧倒されてしまいそうだった。
「二年の鷹科だ。この男子バレーボール同好会のキャプテンをやらせてもらっている」
「あ……一年の凪沢です」
僕が少し照れながら一歩前に出ようとした瞬間、梓がずいっと間に割り込むように前に出てきた。
「さっき打ってたアレ、俺にもさっさとやらせて下さい」
「は?」
「ちょっと梓!」
僕は慌てて梓をぐいっと引っ張りながら、鷹科先輩に向かってぺこぺこと頭を下げた。
「すみません! こいつちょっとコミュ障なところがあって」
「いい体してるな。なんかのスポーツ経験者か?」
鷹科先輩は梓の失礼な態度など全く気にする様子もなく、おおらかな笑顔で話しかけてくれた。
「別に何も」
「バレーは未経験か」
「は、走ってます! 部活とかには入ってなかったんですけど、僕ら趣味でランニングしてて、体力には自信あります!」
「そりゃあいい。どのスポーツにも基礎体力は必須だからな」
先輩の笑顔に背中を押されて、僕は少し興奮気味に梓の売り込みを始めた。
「こいつ……玖賀梓って言うんですけど、実は半端ない動体視力を持ってて!」
「反射神経も良さそうだな。さっきの動きを見ればわかるよ」
「それってバレーにも絶対生かせますよね?」
「もちろん! どのスポーツにも生かせるが、バレーでもとても有利な特性だ」
動機はさっぱり分からなかったが、とりあえず彼が天から授かった才能を生かせる場所にようやく興味を持ってくれたことが嬉しくて、僕は梓の背中をバシバシと叩いた。
「やったな! ようやくやりたいものが見つかって!」
「……」
「ところで君は? もちろん一緒に入るんだろ?」
「あ、僕は……」
運動音痴なんで、と言いかけた僕の脳裏に、先ほどの鷹科先輩の美しいスパイクが鮮烈に蘇った。
もう一度見たい。いや、一度と言わず何度でも。きっと毎日見ていたって飽きないんじゃないだろうか。あれほど美しくて力強く、日常を切り裂いてしまう稲妻のような一撃は。
「……マネージャーとか、補欠の募集ってしてるんですかね?」
「補欠の募集?」
鷹科先輩は一瞬きょとんとしてから、すぐにわははっと大きな声で笑った。
「自信が無くても大丈夫! うちはできたばかりの同好会で、人数も少ないから誰だって大歓迎だ。部活じゃないから融通だっていくらでも利かせられる。調子のいい時はプレーして、やりたくない時は見学やマネージャーでも全然オッケーだよ」
僕は思わず、隣に立っている梓を振り返った。
「梓……どう思う?」
目が合った瞬間、梓は珍しく僕から視線をすっと逸らした。
「俺は……入って欲しい」
やっぱそうだよな。
「けど入って欲しくない」
……え、どっち?
「え〜っ!? せっかく来たんだから入ろうよ!」
いつのまに近くに寄って来ていたのか、別の先輩が僕の腕を掴んで、ぐいっと体育館に引っ張り込もうとした。
「わわっ!」
フロアに片足をつきそうになった瞬間、梓の力強い手が僕の腰の辺りを掴んで、再び入り口に引き戻した。
「……俺たち、靴履いたままなんで」
「あっ、本当だ。ごめんごめん」
先輩は軽く笑いながら梓の顔を見上げたが、梓の目があまりにも冷たかったため、ヒクッと口の端を引き攣らせた。
「……ご、ごめんなさい」
「なに一年に注意されてんだ」
呆れたような鷹科先輩の声で、その先輩ははっと我に返ったように再び笑顔を作った。
「君、初心者だからって遠慮しなくてもいいからね。うちの同好会はほとんどが初心者か、弱小チームでしかプレイしたことない連中ばっかりだから」
「あ、そうなんですね」
ちょっとホッとしつつも、僕は不思議に思って鷹科先輩を振り返った。
「鷹科先輩も……?」
「ああ、彼は別格だよ。なんてったって……」
「おい! 余計なことを一年に吹き込むんじゃない」
厳しい声がすぐに飛んできて、その先輩は小さく肩をすくめた。
「まぁ、見て分かる通り、経験者だよ」
鷹科先輩はジロッとこちらを睨んでから、梓の正面に近づいて来た。
「スパイクがやりたいって言ってたな。初心者がいきなり動いているボールに合わせるのは難しいぞ」
「やってみないと分からないじゃないですか」
「生意気だな。そういう根拠の無い自信を持ってるやつは嫌いじゃない」
「俺は先輩のことが嫌いです」
(どうした梓!?)
今日の梓はいつにも増して、他人に対して攻撃的な気がしてならない。
(普段から他人があんまり好きじゃない感じではあったけど、どっちかって言うと我関せずって態度だった。こんなふうに自ら突っかかっていくタイプじゃなかったのに……)
しかし鷹科先輩は相変わらず気にする様子も見せずに、梓の足元へと視線を落とした。
「予備のシューズを貸してやるから、とりあえずやってみるか?」
「いいですよ。コテンパンにしてやりますから」
「いや、バレーってそういう感じのスポーツじゃないから」
(だ、大丈夫かな……)
僕がハラハラしながら見守る中、梓は貸してもらったバレーシューズに足を通すと、コートの中へと足を踏み入れた。
「トスが上がったら、右足から踏み切って……」
酷い言われようにも関わらず、鷹科先輩は梓に丁寧にスパイクの打ち方を指導してやっている。
(すごい面倒見のいい先輩だな……)
コートの真ん中にいた別の先輩が、ボール籠から三色のボールを一つ取って、ポーンと弧を描くように梓の頭上へと投げ上げた。
(あ……)
踏み切り損ねた梓の目の前でボールが床に落ちて、バンッバンッと何度か弾んでから転がっていった。
「だから言ったろ。いきなり合わせるのは無理だって」
「……もう一回お願いします」
再びボールは梓の足元に落ちて転がった。
「……透、ちょっとこっち見ないで」
「え、なんで?」
「無様だから」
「いきなりかっこつけなくたっていいだろ」
「いいからあっち向いてて」
珍しくムキになっている梓に戸惑いながらも、僕はしぶしぶコートに背を向けた。
それから何度かボールが床に落ちる音が聞こえていたが、ある時ふっと辺りから音が消えたような気がして、僕は思わず後ろを振り返ってしまった。
(あっ!)
バシッ!
踏み切りはめちゃくちゃだし、腕もちゃんと振れてないし、素人目に見ても明らかにおかしなフォームだった。
それでも梓の大きな右手はちゃんと動いているボールを捉えて、ネットの向こう側、敵方のコートへと送り込んでいたのだ。
(しかも今の当たり、結構鋭くなかったか?)
「おおっ!」
体育館のあちこちから歓声が上がり、鷹科先輩が嬉しそうな表情で梓の肩を叩いている。
「すごいな。優れた動体視力の賜物か」
「ジャンプ力も結構あるみたいだぞ! こんなやる気なさそうな雰囲気出してるくせに、意外と足も鍛えてるんじゃないのか?」
「お前~! これだけ褒められてるんだから、ちょっとぐらい嬉しそうな顔でもしたらどうなんだ」
しかし褒められれば褒められるほど、梓はますます眉間にしわを寄せて、他人を寄せ付けない空気を作り始めていた。
(あっ、まずい……)
僕は知っている。梓は他人から褒められると、喜ぶより先に警戒してしまうのだ。
「他人の賞賛ほど油断ならないものって無いので」
「おっ前、その若さで擦れすぎじゃね?」
僕は慌てて靴を脱ぎ捨てると、靴下のままで梓のところまで駆け付けた。
「やるじゃん梓……って、うわっ!」
靴下がフロアを滑って転倒しかけたところを、梓がぱっと手を掴んで助けてくれた。
「ごめん! 床思ってたより十倍滑る!」
「いいよ。てか透、今の見てたの?」
「あ、ごめん。つい気になっちゃって」
「いいよ」
梓は一瞬だけ表情を緩めたけど、すぐにむすっとした顔に戻った。
「あいつみたいにはまだできなかった」
「先輩のことあいつって言うな」
その点はビシッと指摘してから、僕はポンポンと梓の肩を叩いた。
「でも結構いい当たりだったじゃん! 練習すればきっと先輩にも近づけるって!」
「別にあいつに近づきたいわけじゃない」
「どういうこと!?」
トスを上げてくれていた先輩が、僕らの顔を見比べながら不思議そうに口を開いた。
「玖賀……凪沢に褒められるのはまんざらでもないんだ?」
「すみません先輩。こいつ昔からこんな感じで、僕くらいしか友達いないんですよ」
笑ってごまかしながらそう言ったけど、僕は心の中では結構真面目なことを考えていた。
(そう、僕だけはいつでも梓の味方だった。でも、これからもずっとこのままでいいってわけじゃない)
せっかく梓が興味を持てるものに出会った、まさに今がチャンスなのではないだろうか?
(梓はもっと、自分の世界を広げていかないと……)
もしかしたら、ここでの活動がそのきっかけになるかもしれない。それにはきっと、僕の手助けがあった方が都合がいいだろう。
「僕も入ります。見ての通りの運動音痴ですけど」
迷いを断ち切るように、僕は大きな声でそう宣言した。少し複雑な表情の梓の横で、鷹科先輩が笑顔で頷き、他の先輩たちも拍手で歓迎してくれる。
こうして僕と梓は、鷹科先輩に導かれるように、男子バレーボール同好会へ入会することになったのであった。
家が隣同士なのもあって、小学生の頃からずっと一緒にいるけど、僕以外に友達もいなければ兄弟もいない。正直めちゃくちゃ心配である。あまりにも心配で、うっかり同じ高校を受験してしまったくらいだ。
「なあ、梓。高校では絶対運動部に入れよ」
「興味ない」
ほら、この通りである。やっぱり高校までついてきて正解だった。
小学生の頃から梓は背が高かったけど、今は180センチ以上はあるはずだ。中学時代も、バスケ部やらバレー部やら、いろんな部活の先輩たちに勧誘されまくってたっけ。全員見事に撃沈だったけど。
(でも、高校ではこいつに絶対なにかやらせないと……)
でなきゃ、あまりにももったいない。宝の持ち腐れってもんだ。
小学生の時、梓は外であまり遊びたがらなかった。それで僕たちは、家でテレビゲームをして過ごすことが多かった。サッカーゲームやシューティングゲームやカーレース、色んなゲームをやったけど、梓が一番得意だったのは格闘ゲームだった。
「ちょっと! なんで今の攻撃避けられたの!?」
僕が翻弄されてわたわたしているのを見るたびに、梓は滅多に見せない笑顔をほんのちょっとだけいつも口の端に浮かべていたものだ。
ゲームばかりしている僕たちに、母さんはあまりいい顔をしなかったけど、ある時テレビ画面を覗きながら感心したような口調でこう言った。
「すごいわねぇ、梓君。きっと動体視力がいいのね」
「えっ? 動体視力?」
僕が驚いて振り返ると、母さんは得意げに梓が使っているキャラクターを指で指し示した。
「ほら、避けるのが上手だし、反応が早いでしょ? 目がいい証拠よ」
僕はポカンと口を開けて、隣に座っている長身の友人の顔を見上げた。
(背が高くって、動体視力もいいって……)
それってつまり、スポーツ選手に求められる素質なんじゃないだろうか?
「……なぁ、梓。なんかスポーツしようよ。お前絶対なんかやるべきだって」
「興味ない」
「なんでだよ? サッカーでも野球でもなんでもいいからさ。絶対上手くなるから……」
「興味ない」
「女子にモテるのも?」
「興味ない」
(なんでだよ!)
顔良し、体良し、おまけに動体視力良し。こんな人間が無気力にテレビゲームばっかりしているだなんて、何かの間違いじゃないのか? てかこれを放っておいたら、僕が神様に怒られる気がする。
「なぁ、そんなこと言わずにさぁ。見学だけでも行ってみようよ。僕もなんかやってみたくなってきたし」
そう言うと、梓は初めて少し興味を持った様子で、ゲームのコントローラーを床に置いた。
「……透が行くなら行ってみてもいい」
「よっしゃ! そうこなくっちゃ!」
僕はさっそく母さんに頼み込んで、地域のスポーツ少年団や民営のスポーツクラブの体験に申し込んでもらった。
だが悲しいかな。そこで初めて、僕は自分が異常なまでの運動音痴であることに気がついたのだ。
確かに体育の授業でも、自分だけいつもなんとなく動きがおかしいような気はしていた。でも、一つのスポーツに専念しているこういうクラブに来ると、自分が壊滅的にスポーツ向きでないことが浮き彫りになった。
僕はそれでも全然良かった。別に運動が好きなわけじゃないし、将来スポーツ選手になりたいわけでもなかったから。
ただ困ったのは、梓のやつが僕がいないとどのクラブにも入りたがらなかったことだ。
「君、センスあるね。ぜひサッカーをやるべきだよ!」
「ミニバス入りなよ! その身長は武器になるって!」
「ぜひうちのリトルリーグへ! 君なら特待生枠も狙えるよ!」
どこのクラブも必死で梓を自分のチームに引き入れようとしたけど、梓は頑として首を縦に振らなかった。
「透が入らないなら、俺も入りません」
監督や経営者の人たちが、血走った目で僕の方をぐるりと振り返る。控えめに言って超怖い!
でも、別にやりたくもないし、向いてすらいないスポーツをするために、親に高いお金を払ってもらうのは気が引けた。会費の安いスポーツ少年団だって、送迎や当番とかで少なからず親に負担をかけることになる。
だから僕は、ギラギラしたおじさんたちの圧に屈することなく、全てのスポーツクラブを後にした。梓だって、体験してみてその程度の気持ちなら、無理に僕の考えを押し付けるのはなんだか違う気がしたし。
でも、もったいないなって気持ちは正直まだ心の片隅に残っていたから、僕は梓と一緒にとりあえず走ることにした。いくら運動音痴の僕でも、走ることはできたから。
「透、走るの好きなの?」
ゼーゼー言いながら必死で走っている僕の横で、梓はいつもの無表情でタッタッと軽やかに走りながら聞いてくる。
「別に、好きじゃないけど、体力作り!」
「ふうん」
なんでこいつ笑ってられる余裕があるんだろう? きっとスポーツの神様か何かに愛されて生まれてきたんだろうな。
中学生になると、学校の部活動でスポーツがより身近になった。でも僕が文化系の部活に入ったら、梓も結局僕についてきてしまった。「透が入らないなら……」と運動部の先輩たちに言わなかった点は、梓も成長したと思う。でなければ僕は、運動部の先輩たちに毎日追われ続ける羽目になっていただろう。毎日走っていたおかげで、この頃の僕はだいぶ体力はついていた。でも瞬発力は相変わらずからっきしだったから、運動部の先輩たちが本気になったら、最初の三歩で間違いなく捕まっていたに違いない。
そして現在、僕たちは高校生になった。中学の三年間でも、梓は小学生の時と全然変わらず無愛想で、友達を作ることもなく、僕と走ったりゲームしたりしているだけだった。変わった点といえば、身長がさらにぐんと伸びて、顔もキリッと男前になって、ますます女子から熱い視線を受けるようになったってことぐらい。それなのに本人に全くやる気がないもんだから、いまだに彼女いない歴年齢という有様である。
(このままじゃだめだ)
中学の三年間では、梓の心の琴線に触れるものとの出会いが無かったのだ。中学で無理だったのなら、次は高校の三年間に賭けるしかない。
高校では、今度こそ梓のスイッチを見つける。
梓が「家から近かったから」とかいうありきたりな理由で選んだこの高校は、実はスポーツの強豪校だ。本人の意図に関係なく、スポーツの神様が彼をここに導いたとしか思えない。
(さてさて。ここでは一体どんな熱烈な勧誘を受けることになるのか……)
しかし意外にも、僕らの周りには今までになく静かな空気が流れていて、小学校、中学校と常にギラギラした視線にさらされていた僕は逆に拍子抜けしてしまった。もちろん、女子たちの羨望のまなざしは相変わらず僕の隣に向けられていたけど、そういうのじゃなくて、もっとこう、暑苦しい視線が一切感じられない。
(変だな……)
180センチ越えの梓は、明らかにどこを歩いても目立っていた。しかも毎日僕と欠かさず走り続けていたおかげで、体もいい具合に締まっている。中学の時より、明らかに理想のスポーツマン体型に近づいていた。
それなのに、よだれを垂らしたスカウトマンが、一人も寄ってこないだなんて……
「……あの、すみません。この学校って、運動部の勧誘とかってないんですかね?」
しびれを切らした僕は、自分から先輩らしき男子生徒に思い切って声をかけてみた。
「あ、君たち。普通科の生徒だよね?」
うちの高校には、普通科とスポーツ科の二つのコースがあって、制服が異なるため一目でどの科に所属する生徒か分かるようになっていた。
「はい。今年の入学組なんですけど」
「そっか。実は今年から学校の方針が変わってね。運動部は基本的にスポーツ科の生徒のための部活になったんだよ」
「えっ! それって、普通科の生徒は運動部には入れないってことですか?」
「必ずしもそうってわけじゃなくて、条件を満たした同好会でなら活動できるんだけど、一般的な部活っていうカテゴリーでは確かにそういうことになるのかな」
そんな! スポーツの神様、詰めが甘いです!
「じゃ、じゃあ、どうすればいいんですか?」
「現在認められている同好会に参加するか、自分たちで同好会を作って学校に申請して活動許可をもらうかのどっちかだね」
そう言いながら、その先輩は親切にメモを書いて僕に渡してくれた。
「俺が知っている範囲では、今はこれだけの同好会が活動しているはずだよ。試しに見学行ってみなよ」
渡されたメモ用紙には、野球やバスケやバレーなど、目ぼしいスポーツの名前がいくつか書かれていた。
僕は先輩にお礼を言うと、梓の腕を引っ張りながら、ひとまず体育館に向かって歩き出した。
「ほんとだ。今年からうちの学校、スポーツにさらに力を入れることにしたんだって」
梓が高校のパンフレットを見ながら、まるで他人事のようにのんきにそう報告してきた。
「そりゃないよ! 普通科の生徒からスポーツの機会を奪うだなんて!」
「そのための同好会でしょ。嫌ならよその高校受験しろって話だし」
まったく、誰のために僕が必死でスポーツの機会を手に入れようとしてると思ってるんだ。余計なお世話かもしれないけどさ。
まず体育館に向かったのは、そこに一番同好会が集まっていそうだったからだ。
しかし入口から中を覗こうとした瞬間、扉の傍に立っていた顧問らしき先生にいきなり通せんぼされてしまった。
「君たち、スポーツ科の生徒じゃないだろ。ここは普通科の生徒の来るところじゃないぞ」
そう言いながらも、その先生の視線は自然と梓の方へと引き寄せられている様子だ。
「……君、普通科の生徒だよな? 制服間違いじゃなくて」
「普通科です。スポーツとかやったことないんで」
先生は驚いた様子で一瞬目を見開いてから、すぐに厳しい表情を作り直した。
「ならさっさと出て行ってくれ。練習の邪魔になる」
「すみません! 僕ら同好会の見学をしたくてここに来たんですけど」
僕が慌てて弁明すると、先生は反対側の建物を指さした。
「ならあっちだ。同好会の活動場所は第一体育館だからな」
振り返ると、こちらのよりひと回り小さくて、だいぶ年季の入った体育館が目に入った。きれいで大きな新しい体育館の、お下がりといったところか。
「ありがとうございます!」
お礼を言って入口を離れた僕の後ろで、先生が梓を引き留めるように声をかけた。
「運動部は原則スポーツ科の生徒しか入れないことになっているが、例外や特例もある。一度相談してみるのも……」
「ありがとうございます」
梓の「ありがとうございます」は、感謝の意を示すものじゃなくて、明らかに「結構です」という意思表示だった。不愛想さはここにきても健在である。
ほぼ新品みたいな建物から古びた建物に移動すると、どうしてもテンションが下がってしまう。僕は気を取り直すようにブンブンと頭を振ると、第一体育館の扉に手をかけた。
錆びた引き戸は建付けが悪いせいか、遠慮がちに引いただけでは上手く開かなかった。僕がもう少し腕に力を込めようとした瞬間、後ろから梓が手を伸ばしていきなりガラッと扉を引き開けた。
「ちょっ! いきなり……」
バシィン!
辺りの空気を震わせるような、鋭い振動と音が床から響き渡って、僕はその場から一歩も動けなくなってしまった。
「一本!」
コートの上、中央に張られたネットの向こう側で、背の高い男子高校生が人差し指を天井に向けながら、太い声を発している。
(これは……)
赤と緑と白の三色のボールが、ふわっとネットの上空に投げ上げられる。先ほど声を発していた男子生徒が、黒いサポーターを付けた右足から助走に入った。
いち、に、さん!
バシィン!
空気を震わせているのは、手のひらがボールを叩いた時の鋭い音か。それともボールが勢いよく地面に叩きつけられた時の振動なのか。
分からない。あまりにもボールのスピードが速すぎて、目で追い切ることができなかった。
「危ない!」
バシッと鋭い音が目の前で響いて、僕は危うくフロアで跳ね返ったボールを顔面で受け止めるところだったことに気が付いた。動体視力と反射神経の鬼みたいな梓がとっさに手を伸ばして守ってくれなければ、僕は鼻血を流しながらその場でひっくり返っていたことだろう。
「透! 大丈夫……」
「かっこいい……」
その言葉は、無意識に、自然と僕の口からこぼれ出ていた。
小学生の時に見て回ったスポーツクラブにも、中学校のバレー部にも、こんなスパイクを打つ人間は一人としていなかった。
他のどのスポーツを見学した時も、こんなふうに心から感動するような、ぞくりと鳥肌が立つような、そんな心地になったことは一度としてなかった。
激しくて力強く、美しく繊細で無駄がない。
ただひたすらに、単純に、かっこいいと思った。
その男子生徒は、不思議そうな表情でこちらをじっと見ている。たぶん僕が魂の抜けたような表情で、ぼーっとしながらその人のことを見つめていたからじゃないかな。
バシン! と鋭い音がすぐ横で響いて、僕はびくっとしながら現実に引き戻された。いつの間に拾い上げたのか、梓が大きな左手で掴んだ三色のバレーボールに、右の手のひらを勢いよく叩きつけたところだった。まるで、僕の視線を自分の方へと引き戻そうとするかのように。
「びっくりした。梓、どうした……」
「……入る」
「えっ?」
「俺、この同好会に入る」
「ええっ?」
驚いて思わずのけぞった僕の横で、梓は鋭い目でじっとスパイクを打った男子生徒の顔を睨みつけている。
(どうしたんだろう? 今まで頑なに、僕が入らない部活には自分も絶対入らないって言い張ってたのに……)
僕と同じように、今のスパイクに感銘を受けた――にしては、表情があまりにも険しすぎる気がするんだけど。
「君たち、入会希望者かい?」
その男子生徒は、近くで見ると長身の梓よりさらに背が高く、独特のオーラをまとっていて、うっかりすると圧倒されてしまいそうだった。
「二年の鷹科だ。この男子バレーボール同好会のキャプテンをやらせてもらっている」
「あ……一年の凪沢です」
僕が少し照れながら一歩前に出ようとした瞬間、梓がずいっと間に割り込むように前に出てきた。
「さっき打ってたアレ、俺にもさっさとやらせて下さい」
「は?」
「ちょっと梓!」
僕は慌てて梓をぐいっと引っ張りながら、鷹科先輩に向かってぺこぺこと頭を下げた。
「すみません! こいつちょっとコミュ障なところがあって」
「いい体してるな。なんかのスポーツ経験者か?」
鷹科先輩は梓の失礼な態度など全く気にする様子もなく、おおらかな笑顔で話しかけてくれた。
「別に何も」
「バレーは未経験か」
「は、走ってます! 部活とかには入ってなかったんですけど、僕ら趣味でランニングしてて、体力には自信あります!」
「そりゃあいい。どのスポーツにも基礎体力は必須だからな」
先輩の笑顔に背中を押されて、僕は少し興奮気味に梓の売り込みを始めた。
「こいつ……玖賀梓って言うんですけど、実は半端ない動体視力を持ってて!」
「反射神経も良さそうだな。さっきの動きを見ればわかるよ」
「それってバレーにも絶対生かせますよね?」
「もちろん! どのスポーツにも生かせるが、バレーでもとても有利な特性だ」
動機はさっぱり分からなかったが、とりあえず彼が天から授かった才能を生かせる場所にようやく興味を持ってくれたことが嬉しくて、僕は梓の背中をバシバシと叩いた。
「やったな! ようやくやりたいものが見つかって!」
「……」
「ところで君は? もちろん一緒に入るんだろ?」
「あ、僕は……」
運動音痴なんで、と言いかけた僕の脳裏に、先ほどの鷹科先輩の美しいスパイクが鮮烈に蘇った。
もう一度見たい。いや、一度と言わず何度でも。きっと毎日見ていたって飽きないんじゃないだろうか。あれほど美しくて力強く、日常を切り裂いてしまう稲妻のような一撃は。
「……マネージャーとか、補欠の募集ってしてるんですかね?」
「補欠の募集?」
鷹科先輩は一瞬きょとんとしてから、すぐにわははっと大きな声で笑った。
「自信が無くても大丈夫! うちはできたばかりの同好会で、人数も少ないから誰だって大歓迎だ。部活じゃないから融通だっていくらでも利かせられる。調子のいい時はプレーして、やりたくない時は見学やマネージャーでも全然オッケーだよ」
僕は思わず、隣に立っている梓を振り返った。
「梓……どう思う?」
目が合った瞬間、梓は珍しく僕から視線をすっと逸らした。
「俺は……入って欲しい」
やっぱそうだよな。
「けど入って欲しくない」
……え、どっち?
「え〜っ!? せっかく来たんだから入ろうよ!」
いつのまに近くに寄って来ていたのか、別の先輩が僕の腕を掴んで、ぐいっと体育館に引っ張り込もうとした。
「わわっ!」
フロアに片足をつきそうになった瞬間、梓の力強い手が僕の腰の辺りを掴んで、再び入り口に引き戻した。
「……俺たち、靴履いたままなんで」
「あっ、本当だ。ごめんごめん」
先輩は軽く笑いながら梓の顔を見上げたが、梓の目があまりにも冷たかったため、ヒクッと口の端を引き攣らせた。
「……ご、ごめんなさい」
「なに一年に注意されてんだ」
呆れたような鷹科先輩の声で、その先輩ははっと我に返ったように再び笑顔を作った。
「君、初心者だからって遠慮しなくてもいいからね。うちの同好会はほとんどが初心者か、弱小チームでしかプレイしたことない連中ばっかりだから」
「あ、そうなんですね」
ちょっとホッとしつつも、僕は不思議に思って鷹科先輩を振り返った。
「鷹科先輩も……?」
「ああ、彼は別格だよ。なんてったって……」
「おい! 余計なことを一年に吹き込むんじゃない」
厳しい声がすぐに飛んできて、その先輩は小さく肩をすくめた。
「まぁ、見て分かる通り、経験者だよ」
鷹科先輩はジロッとこちらを睨んでから、梓の正面に近づいて来た。
「スパイクがやりたいって言ってたな。初心者がいきなり動いているボールに合わせるのは難しいぞ」
「やってみないと分からないじゃないですか」
「生意気だな。そういう根拠の無い自信を持ってるやつは嫌いじゃない」
「俺は先輩のことが嫌いです」
(どうした梓!?)
今日の梓はいつにも増して、他人に対して攻撃的な気がしてならない。
(普段から他人があんまり好きじゃない感じではあったけど、どっちかって言うと我関せずって態度だった。こんなふうに自ら突っかかっていくタイプじゃなかったのに……)
しかし鷹科先輩は相変わらず気にする様子も見せずに、梓の足元へと視線を落とした。
「予備のシューズを貸してやるから、とりあえずやってみるか?」
「いいですよ。コテンパンにしてやりますから」
「いや、バレーってそういう感じのスポーツじゃないから」
(だ、大丈夫かな……)
僕がハラハラしながら見守る中、梓は貸してもらったバレーシューズに足を通すと、コートの中へと足を踏み入れた。
「トスが上がったら、右足から踏み切って……」
酷い言われようにも関わらず、鷹科先輩は梓に丁寧にスパイクの打ち方を指導してやっている。
(すごい面倒見のいい先輩だな……)
コートの真ん中にいた別の先輩が、ボール籠から三色のボールを一つ取って、ポーンと弧を描くように梓の頭上へと投げ上げた。
(あ……)
踏み切り損ねた梓の目の前でボールが床に落ちて、バンッバンッと何度か弾んでから転がっていった。
「だから言ったろ。いきなり合わせるのは無理だって」
「……もう一回お願いします」
再びボールは梓の足元に落ちて転がった。
「……透、ちょっとこっち見ないで」
「え、なんで?」
「無様だから」
「いきなりかっこつけなくたっていいだろ」
「いいからあっち向いてて」
珍しくムキになっている梓に戸惑いながらも、僕はしぶしぶコートに背を向けた。
それから何度かボールが床に落ちる音が聞こえていたが、ある時ふっと辺りから音が消えたような気がして、僕は思わず後ろを振り返ってしまった。
(あっ!)
バシッ!
踏み切りはめちゃくちゃだし、腕もちゃんと振れてないし、素人目に見ても明らかにおかしなフォームだった。
それでも梓の大きな右手はちゃんと動いているボールを捉えて、ネットの向こう側、敵方のコートへと送り込んでいたのだ。
(しかも今の当たり、結構鋭くなかったか?)
「おおっ!」
体育館のあちこちから歓声が上がり、鷹科先輩が嬉しそうな表情で梓の肩を叩いている。
「すごいな。優れた動体視力の賜物か」
「ジャンプ力も結構あるみたいだぞ! こんなやる気なさそうな雰囲気出してるくせに、意外と足も鍛えてるんじゃないのか?」
「お前~! これだけ褒められてるんだから、ちょっとぐらい嬉しそうな顔でもしたらどうなんだ」
しかし褒められれば褒められるほど、梓はますます眉間にしわを寄せて、他人を寄せ付けない空気を作り始めていた。
(あっ、まずい……)
僕は知っている。梓は他人から褒められると、喜ぶより先に警戒してしまうのだ。
「他人の賞賛ほど油断ならないものって無いので」
「おっ前、その若さで擦れすぎじゃね?」
僕は慌てて靴を脱ぎ捨てると、靴下のままで梓のところまで駆け付けた。
「やるじゃん梓……って、うわっ!」
靴下がフロアを滑って転倒しかけたところを、梓がぱっと手を掴んで助けてくれた。
「ごめん! 床思ってたより十倍滑る!」
「いいよ。てか透、今の見てたの?」
「あ、ごめん。つい気になっちゃって」
「いいよ」
梓は一瞬だけ表情を緩めたけど、すぐにむすっとした顔に戻った。
「あいつみたいにはまだできなかった」
「先輩のことあいつって言うな」
その点はビシッと指摘してから、僕はポンポンと梓の肩を叩いた。
「でも結構いい当たりだったじゃん! 練習すればきっと先輩にも近づけるって!」
「別にあいつに近づきたいわけじゃない」
「どういうこと!?」
トスを上げてくれていた先輩が、僕らの顔を見比べながら不思議そうに口を開いた。
「玖賀……凪沢に褒められるのはまんざらでもないんだ?」
「すみません先輩。こいつ昔からこんな感じで、僕くらいしか友達いないんですよ」
笑ってごまかしながらそう言ったけど、僕は心の中では結構真面目なことを考えていた。
(そう、僕だけはいつでも梓の味方だった。でも、これからもずっとこのままでいいってわけじゃない)
せっかく梓が興味を持てるものに出会った、まさに今がチャンスなのではないだろうか?
(梓はもっと、自分の世界を広げていかないと……)
もしかしたら、ここでの活動がそのきっかけになるかもしれない。それにはきっと、僕の手助けがあった方が都合がいいだろう。
「僕も入ります。見ての通りの運動音痴ですけど」
迷いを断ち切るように、僕は大きな声でそう宣言した。少し複雑な表情の梓の横で、鷹科先輩が笑顔で頷き、他の先輩たちも拍手で歓迎してくれる。
こうして僕と梓は、鷹科先輩に導かれるように、男子バレーボール同好会へ入会することになったのであった。



