「名前」とは、親が我が子に贈る最初のプレゼントだと本に載っていた。
「プレゼント」なんて聞こえはいいが、こちらの気持ちなんて微塵も考えない親のエゴそのものだと、当時は思ったものだ。
「──た、聞いているのですか? 芥!」
母に呼ばれ、顔を上げる。
ゴミやチリを意味する「芥」、それが私の名前だ。久しぶりに母と話せたのに、上の空になるなんて。
「すみません。聞いておりませんでした」
頭を下げて謝る私に、母は大きなため息をついてから告げる。
「もう一度言います。今日はお客様が来ますから、この自室を出てはなりません……いいですね?」
「……わかりました」
用件が終わると、母はすぐにドアを閉めて去ってしまった。きっと長居したくないのだろう。
壁や天井のあちこちに呪いが書かれた霊符が貼られ、私を封じ込めているような部屋。寝起きしている自分ですら、息が詰まる。
できるだけ霊符を見ないように私はベッドに横になって目を閉じた。
「お母様! どっちの服が私に似合う?」
代わりに鋭敏になった聴覚が、階下の若い女性の声を拾った。5つ上の姉・愛璃のものだろう。
「……いいな、愛璃お姉様は」
名前に「愛」が入ってて、名前に負けぬよう大事に育てられた愛璃は自身に溢れ、いつも笑顔を絶やさない美しい女性だ。
廊下から聞こえた使用人たちの話によると、陰陽師としての才覚にも溢れているらしい。
──あぁ、何もかもが自分と違う。
平安の世から陰陽師は呪術や式神を使役して、異形の「妖」と戦ってきた。
現代日本の令和になってもそれは変わらず、いくつかある陰陽師の名家の一つが私が生まれた「鷹宮家」だ。
次女との私は物心がついた時から両親と姉から「芥」と呼ばれ、この霊符まみれの部屋で育った。
使用人たちはさすがにそう呼ばないけれど、代わりに目を合わせたり話したりはしない。「いない者」、「忌み者」のように扱った。家庭教師も名前を呼ばず、必要最低限のことしか話さない。
私はこれが普通なのだと思っていた。
「それは違います。お嬢様」
けれど10歳の時に使用人の「雪音」が、そう教えてくれた。
「雪お姉ちゃん」と呼んで慕っていた彼女は雇い主である両親の言いつけに逆らい、色々なことを話してくれる。
私はこの洋館を含めた鷹宮家の敷地外に出たことがない。しかし普通の子供は「学校」というところに通って、同年代の子と遊ぶらしい。
「ねぇ、今日も『外の世界』を教えて!」
2人だけの秘密の時間だったが、両親にバレてしまった。
「嫌だ! 行かないで雪お姉ちゃん!!」
私は他の使用人に連れていかれる雪音を、ただ見ていることしかできなくて。泣きながら手を伸ばす自分に、彼女は一つ約束をした。
「いつか、お嬢様が外に出られた時に……また会いましょう! ずっと待っていますから!」
それが最後に交わした言葉。
あれから監視の目はさらに厳しくなり、最上階の3階にある一番奥の部屋に変わった。窓からも出れないし、入口にたどり着く前に誰かしらに見つかる位置だ。
どうして私はこんな扱いを受けるのだろう?
雪も理由を知らなかった。
心当たりとしては陰陽師の名家に生まれたのにも関わらず、霊能力が使えないこと。
あとは胸に生まれつきある「痣」だ。2つある三日月の欠けた方を向かい合わせにしたような形をしている。
これらが何か関係しているのか、陰陽師の知識がない私にはわからなかった。
「お父様、私にも陰陽師について教えてください。必ず役に立ってみせます!」
と、一度だけ父に懇願したことがある。
しかし次の瞬間、「ふざけるな!!」と大声で怒鳴られた。
「お前には不要なことだ! 二度とそんな世迷いことを言うんじゃない!!」
それでも役に立ちたくて、部屋でもできる趣味の手芸で色々なものを作って贈った。
父にはマフラー、母にはストール、愛璃には刺繍で作ったブローチなど。雪音に手袋を贈った時のように、喜んで欲しかった。
けれど「ありがとう」の言葉もなく、使っているところも見たことがない。
捨てられているのだろうけど、上手にできればきっと……そんなことをしているうちに、気づけば14歳になっていた。
コンコンコン。
窓ガラスを叩く音で私は現実に引き戻される。
目を開けると、一羽の隼が紙コップを咥えながら嘴で窓ガラスを突いていた。
私は慌てて駆け寄り、窓の下を覗き込む。
「──五十嵐様!」
五十嵐の姿が視界に入った途端、私の心は高鳴った。
彼の名は「五十嵐智隼」。陰陽師の名家「五十嵐家」の次男で21歳と若いのに、前線で妖と戦う一流の陰陽師だ。
五十嵐は人差し指を立て「静かに」とジェスチャーした後、もう片手に持っていた紙コップを指でトントンと叩く。
私はすぐさま五十嵐の式神である隼が持ってきてくれた紙コップを手に取り、中に向けて話しかける。
「聞こえていますか?」
『うん。大丈夫だよ……髪長姫ちゃん』
よかった、今日も「糸電話」は上手くいったようだ。
建物の外にいる五十嵐と3階にいる私が持つ紙コップは、彼が自身の霊力で作った「霊糸」で繋がっている。そのおかげで風や雨の音がうるさかったり、糸が弛んでも互いの声がハッキリと聞こえた。
五十嵐と出会ったのは、半年前。
自室の窓から外を眺めていた私に目がけて、彼が地上から霊符を飛ばしたのだ。
「ごめん! 君、人間だったんだね」
私の存在が知られていないせいだろうが、妖だと勘違いして祓われそうになったという衝撃的なエピソードである。
その時、ちょうど五十嵐が持っていた紙コップで私たちは話をした。
『君の名前は?』
その質問に私は何も答えられなかった。すると彼は『ラプンツェルみたいだね』と呟く。
「ラプンツェル?」
『知らない? 高い塔に閉じ込められた髪の長いお姫様』
私が腰下まである髪を三つ編みにして横に流していたから、そう連想したのかもしれない。
『じゃあ、君の名前がわかるまで髪長姫って呼ぶよ』
芥な自分に「姫」という大事にされる女の子の字をつけて呼んでくれるなんて。
私はこの瞬間、初めて恋に落ちた。
後日、五十嵐が隼を使って「ラプンツェル」の絵本を届けてくれたが……私がラプンツェルなら、彼は王子様に違いない。
また浮かれて上の空になりかけた私は、頭を振って心を静める。
過去ではなく、今の五十嵐に集中しないと!
「母が言っていたお客様とは、五十嵐様だったのですね」
『実は今日こそ髪長姫ちゃんのことを鷹宮家当主、君のお父さんに問いただそうと思って』
「……え」
『こうやって君が部屋から身を乗り出してくれないと、霊糸が切れるのも。式神の目を通して部屋の中が見えないのも……おそらく貼られている霊符が、術の無効化と認識阻害の呪いがかかっているからだと思う』
五十嵐なら部屋の霊符を理解できるかもしれないと思ったが、まさかそんな効果があるものだなんて。
『霊符を使う呪術で鷹宮家の右に出る家はないからね。ここまで高度だと術者にしか解けない……だから』
「いいんです。こうして五十嵐様とお話できるだけで、満足してますから」
もし私のことを聞いて、彼にまで「芥」と呼ばれたら……想像するだけで、奈落に落ちるような感覚に襲われる。
『三日後だよね』
「……?」
『髪長姫ちゃんの15歳の誕生日。そんな大事な日を一人寂しく迎えて欲しくない』
日も暮れて見えづらいが、彼は安心させるように微笑んでいた。
『外の景色をプレゼントしたいんだ。ごめん、完全に俺の我儘だけど』
──五十嵐様と一緒に、外の世界に行ける? 本当に?
「……期待してもいいんですか? 約束してくれる?」
『うん。必ず君が部屋に出れるように取り計らう』
「お願い。ここから出して」
私の涙ながらに助けを求める声を聞いて、五十嵐は力強く「わかった」と答えると父に会うべく中へ入る。私にできることは、ただひたすら祈ることだけ。
どれだけ時間が経っただろう?
夜も更けた頃、「コンコンコン」とノックされる。今度は部屋のドアから聞こえた。
返事をすると使用人がドアを開け、用件を伝える。
「旦那様がお呼びですので、部屋までご案内いたします」
いつも伝言だったのに、自室の外で話だなんて初めてだ。
──五十嵐様の説得が上手くいったんだ!
私は嬉しさから軽い足取りで、父がいる部屋に向かった。
通された部屋は応接間で3人掛けのソファーの向かいに、1人掛けのソファーが2つ並んでいる。父や五十嵐だけではなく、姉の愛璃の姿もあった。
でも一番、気になるのは……。
「どうしてお姉様が、五十嵐様の隣に?」
3人掛けのソファーに父、愛璃、五十嵐の順で座り、対面に座るのは私だけ。でも彼はお客様だから、姉の隣に座るのはおかしい。
私の疑問に、愛璃が口を開いた。
「それは智隼さんが、私の婚約者に決まったからよ」
私は信じられず、彼の方に目を向ける。
「本当なのですか? 五十嵐様」
五十嵐はうつむいたまま、何も言わない。彼の口から聞きたいのに、父が事情を話していく。
「もともと智隼殿が我が家に来ていたのは、愛璃との見合いのためだ。なのに、お前とも会っていたなんて」
失望から頭を抱える父に、愛璃が肩へ触れる慰めるように言う。
「まぁ、お父様。彼が白状してくれただけいいじゃありませんか……芥だって可哀そうなのよ」
「だが、これでは何のために! ……はぁ、もっと監視を強めるべきかもしれないな」
これは現実なのだろうか。
さっきから2人が何を言っているのか、頭が理解を拒んで何も入ってこない。
「何か言って、五十嵐様……お願いですから」
混乱する私が振り絞った懇願に、五十嵐は一言。
「──ごめん」
その三文字だけは、ハッキリ認識できた。
後のことはよく覚えていない。気づけば自室に戻されていたけど、ドアにも窓にも鍵がかけられている。
事態は悪化して軟禁から、ついに監禁になってしまった。
「あ、はは……もうどうでもいいや」
そんな部屋で私は泣きながら笑っている。
何の感情も湧かなくなった頃、ふと部屋に置かれたデジタル時計の「2/23 22:32」という表示が目に入った。
あと1時間半もしないうちに、誕生日の2月24日だ。
「……一緒に外へ行きたかったな」
すると私の思いに応えるように、鍵がかかっていたはずのドアが「ギイィ」と音を立てて開いた。
そして一羽の蝶が入ってきて、私の前でひらひらと舞う。真っ白に光るそれは「霊糸」のように、霊力で形作られていることがわかった。
「もしかして、五十嵐様?」
そう呟くと、蝶は再び隙間から部屋の外に出て行く。
五十嵐は父や愛璃の手前、あのように言うしかなかっただけで、私を外に出そうとしてくれているのかもしれない。
「待って!」
私は必死で追いかけた。
無我夢中だったせいで家に人気がなく、誰にも見つからずに外に出れたことに何の疑問を持たないまま。
家の敷地から出て近くの森にある湖の前まで来たところで、蝶は役目を終えたと言わんばかりにフッと消える。
私はキョロキョロと辺りを見回しすが、誰もいない。ただ木々が風で騒めくだけだ。
「また、私……騙されたの?」
何故、信じてしまったのだろう?
五十嵐は見合い中の愛璃という婚約者候補がいながら、隠れて私と会って「髪長姫」なんて呼んでいた人なのに。
「皆して、私をからかって遊んでるのかな?」
じゃなきゃ、どうして「芥」なんて酷い名前で呼ぶの? どうして部屋に閉じ込めるの? どうして!?
「……疲れた」
私は家ではなく、冷たい湖の中に向けて足を進めた。泳げない自分が、深い湖に入ることが何を意味するのかは重々承知だ。
肺の中に水が入ってくる。
──もし生まれ変われるなら、今度は幸せになりたいな。
2月23日の23時21分。「芥」は15歳の誕生日を迎える直前に、その人生に幕を下ろした。
「──何と愚かな」
気づけば私は椅子に座っていた。
発言した思われる人物がカフェカウンターを挟んで立ち、私を見下ろしている。
相手は白いシャツに腰に巻く黒いエプロンを着ており、銀髪に人間離れした中性的な容姿と声で性別を判断することはできなかった。
「ここはどこ?」
私は座ったまま視線を動かす。目の前にはコーヒー豆や料理器具があるのでカフェのように見える。
だが後方には巻かれた生地や糸、ミシンなどがあり、雪音から聞いた手芸店のようだ。
すると目の前の人物が口を開く。
「ここは私が店主を務める手芸カフェ『あやぎぬ』です」
「手芸カフェ……あれ? でも私、死んだんじゃ」
『あぁ、死んでるよ。ここはあの世とこの世の境ある店だからな』
置物かと思っていたが、隅にあるT字の止まり木いた1羽の梟から声がした。
あまりのことに私は驚愕する。
「梟が喋ってる!? 式神?」
『俺をそんな低級なものと一緒にするな』
そう不満げに呟いた後、店主の肩に飛び移る。そして誇らしげに胸をそらし、声高らかに名乗る。
『俺はこの方の神使、その名も《銀鉤》だ!』
「神の使いってことは……」
私は店主と名乗った人物に問う。
「あなたは『神様』?」
「人間の言葉で表すなら、そうですね」
「……神様も店を開くんだ」
「趣味と実益を兼ねてますので」
ほのぼのとした会話は、次に神様が発した言葉で終わりを告げる。
「この度はあなたに審判を下すため、この店に招きました」
「そんな! 私、悪いことなんて」
『はぁ? 自分で命を絶っておいて何言ってるんだ?』
呆れた様子の銀鉤に、私は必死にその背景を訴えた。
「だって皆して私を『芥』って、ゴミ扱いして……悪いのはあの人たちです!」
「……そう言えば、あなたは『雪音』という人間を慕っていましたね」
それを聞いて神様は突然、関係のない話を始めた。
「もし彼女に死ぬのに値する理由があって、殺されたとして……許せますか?」
冗談でも想像したくなくて、即座に私は答える。
「許せるわけないじゃないですか! 事情があっても殺していいわけなんて」
「では雪音を殺したのが、彼女自身だったら許せますか?」
「──あ」
私はそこでようやく神様が何を言いたいのか、わかった。
「追い詰められていたという事情を配慮しても、あなたの行為は残念ながら……人殺しと同じなのです」
自らの行いを悔いていると、銀鉤が好き勝手喋り出す。
『人間は等しく身勝手だが、この箱入り娘は特に酷い。世間知らずで、精神年齢低すぎ』
「やめなさい、銀鉤」
『だってぇ』
神様が咎めるが、銀鉤はブーブー言っている。
「……箱入り娘じゃないです。大事にされてなんてないし」
『はぁ~~??』
我慢の限界を迎えた銀鉤はテーブルに飛び下り、私の頭を突きだす。
『気づいてないだろうが、お前の生活基準はかなり高いんだよ。栄養満点の飯に綺麗な服、具合が悪ければすぐ医者に診てもらえて、教育も受けさせてもらえる』
「それが普通じゃないの?」
『馬鹿! 親から虐げられている子の中には、明日生きられるかもわからない子だっているんだぞ!!』
それを聞いて私は愕然とした。
外の情報を制限されていたとはいえ、これでは世間知らずの馬鹿と罵られても仕方がない。
『わかったか!? 芥なのは、名前だけ!』
「でも、じゃあ何で」
扱いと名前が、ちぐはぐじゃないか。すると神様が口を開く。
「あなたの罪は自ら命を絶ったこともですが、正しく真実を知ろうとしなかったことです」
「でも教えてくれなくて」
『──本当に?』
「え?」
『機会はあったはずだ。あの五十嵐って男に、ちゃんと話したのか?』
あぁ、彼らは何もかもお見通しなのだ。私が「芥」の名前と一緒に胸の痣も隠していたことを。
『伝えなかったのは、あの男を信じきれなかったからだろう? そのくせによく裏切られたなんて言えるな』
「……ということは、『芥』の名前と痣は関係しているのね?」
そう聞き返すと銀鉤は口を噤む。淡々と要件だけを伝える主と違って、よく話す神使だ。
代わって神様が毅然とした態度で私の答えを「如何にも」と肯定し、尋ねた。
「その理由を知りたくありませんか?」
「──はい、知りたいです! このままじゃ本当に悔いしか残らないから」
私の答えに神様は満足げに微笑む。
「いいでしょう。あなたには記憶を持ったまま、別人に転生してもらいます……そして真実を知り、あなたの死によって運命が捻じ曲がった人々を救うのです」
そんな人がいるのだろうか?
でも雪音と再会するという約束を破ってしまったことは謝りたい。
私の心を見透かしたように、神様がくぎを刺す。
「ただしあなたはもう死んだ人間です。前世のことを決して周囲の人間に悟られてはいけません。わかりましたか?」
「……はい」
「時期を見計らって、銀鉤を遣わします」
『嫌だぁ』
神様は銀鉤の嘆きを無視し、指を鳴らした。
すると私の足元に真っ暗な穴が現れ、体が沈んでいく。
「では贖罪の健闘を祈ります。『カミコ』の少女よ」
──「カミコ」って?
その言葉にしたつもりだったが、私の口から出たのは「おぎゃあ!」という不明瞭な音。
気づけば私は歯も生えていない赤ん坊として、生まれ変わっていた。
捨て子として保護された私は、おくるみにあった名札から「羽月深尋」という名で生きることになった。
今世も性別は女で、胸には前世と同じ痣がある。けれどそれを理由に虐げられることはなかった。
順調に育ち、乳児院から児童養護施設に移った。
そこには私のように生まれてすぐ捨てられた子もいれば、親の虐待や経済的な理由から入った子がいて。
──彼らに比べたら前世の私は、本当に恵まれていたんだ。
前世の時間を合わせれば、私が一番年上だ。
これも何かの償いになればと、手一杯の職員に代わって子供たちの世話を率先して行った。
さらに念願の学校にも通うことができて、すごく嬉しかった。もう前世で習った内容なのでテストではもちろん満点!
周囲から妬まれ「親なし」と陰口を言われても、人らしい名前で呼ばれて一緒に過ごす家族がいる。
それだけで十分だ。
そして小学6年生になり、ランドセルを背負って1人で下校している時のこと。
『よぉ、つかの間の平穏はどうだった?』
償うために生まれ変わったことを思い出させるように、私の前に銀鉤が現れた。
「幸せだよ。怖いくらい」
『あれから何かわかったか?』
「……何も」
実はまだ勇気が出なくて、前世の家族のことを調べることができずにいる。
図書館のパソコンで神様が言った「カミコ」については調べたものの、何もヒットせずわからなかった。
『だと思ったよ──俺についてこい』
飛ぶ銀鉤の後を追って10分ほど歩くと、2階建ての店の前に着いた。看板には「手芸カフェ『あやぎぬ』」と書かれている。
こんな徒歩圏内に神様の店があったなんて。
「どうして今まで気づかなかったんだろう?」
『普通の人は見えないし、来れない……お前は今、許可されたから認識できるようになっただけ』
私が店に入ると、「カランカラン」とドアベルが鳴る。中にはあの時と同じくカウンターの中に神様がいた。
「いらっしゃい」
「お久しぶりです。今回は何のために呼んだのですか?」
「落ち着いて、ひとまず座りなさい」
前回よりも身長が低いので、私は苦戦しながらカウンター席に座る。
すると神様が「どうぞ」と、目の前にサクランボ付きのクリームソーダを置いた。私はスプーンでアイスクリームをすくって食べつつ、神様の話を聞く。
「今回、呼んだのは真実を話す時が来たからです。向こうも動き出したようなので」
「ついに教えてくれるんですか?」
「一部ですが……私は生まれ変わる子の服を仕立てないといけないので、後は銀鉤に任せます」
そして神様は「では」と言い、2階へ上がってしまった。
『面倒くさいけど、あの方に言われたし……やるかぁ』
そうぼやいて銀鉤は店にある1台のテレビの前へ飛び、器用に嘴でDVDをプレイヤーに入れて再生の準備をする。
『見せたいものがある。これは2年前に放送された……【とある事件】の特集番組だ』
録画が再生され、テレビの中のアナウンサーが告げる。
〈鷹宮世宙さんが殺害され、10年が経ちました……この事件は陰陽師の暗部を象徴し、犯人が捕まったものの未だ謎が多い事件です。改めて事件の概要を説明いたします〉
曰く、陰陽師の名家「鷹宮家」の次女で、14歳の鷹宮世宙が湖に沈められて殺害された事件らしいが。
「……『鷹宮世宙』って誰?」
まず浮かんだ私の疑問に、銀鉤が答える。
『お前の前世での名前だよ』
「そんな、私の名前は『芥』で」
『この12年で何を学んだんだ。現代日本で、そんな名前の出生届が受理されるわけないだろ』
テレビの中のアナウンサーは続ける。
〈警察の調べで、彼女は家族に軟禁されて育ったことが判明しました〉
続いて事件直後の父と母の姿が映る。
テレビ越しに見る両親はやつれた様子で、記者から質問を投げかけられていた。
「『芥』と蔑んでいたとは本当ですか?」
それに対して母は涙を流し、父も辛そうな顔で質問に答える。
「皆様には理解できないでしょうが、これも陰陽師なりのやり方で決して蔑んでなどいません! ですが」
そこで父の目から涙が流れた。
「こんなことになるなら……素直にあの子を愛せばよかった。今すぐ死んで世宙に謝罪しに行きたい。すまない、世宙……すまない」
記者は「陰陽師のやり方って何ですか?」、「ちゃんと説明してください!」と追及の手を緩めない。
映像は変わって、警察署の前へ。
〈逮捕されたのは陰陽師の五十嵐智隼、21歳〉
映ったのは警察官に連行される五十嵐の姿だった。
〈物的証拠などから無期懲役の判決が下り、服役中ですが……本人は一貫して『無罪』を主張しています〉
スタジオに戻り、コメンテーターたちが思い思いのコメントをする。
〈わかりませんねぇ。あの父親は娘さんを愛していたのでしょう?〉
〈失敗しましたが、仇を討つために護送中の五十嵐を襲撃しましたから〉
〈なのに『芥』と呼んで軟禁? 我々一般市民に、陰陽師の世界は理解できませんな〉
〈被害者の置かれていた環境もですが、五十嵐の動機も謎ですし〉
そこで銀鉤は録画を停止する。
『これがお前が死んだ後に起きたことだ。結論を言うと五十嵐は冤罪で、お前の死は仕組まれていた』
「……え?」
『鍵を開けて周りに目撃されないように術を使って、外へ誘導されたんだ……で、殺そうとしたら勝手に死んで、犯人はラッキーって感じ?』
「その言い方やめてよ」
『後は五十嵐に罪を着せて終わり!』
「殺さなくて済んだのなら、罪を被せる必要なくない?」
そこで銀鉤は、『言い忘れてた!』と情報を補足した。
『死体損壊の罪も着せるために、殺したことにしたんだよ』
「損壊?」
『五十嵐は溺死させた後、首を切断したことになっている……そして頭部はまだ見つかっていない』
死んだ後のこととはいえ、私はゾッとして思わず自分の首に触れる。
『行方不明の頭と真犯人を見つけ出して、五十嵐智隼の無実を証明する──これがお前の罪に科せられた刑罰だ』
最初は私を虐げる周囲が悪いと思った。
けれど真実を知ろうとしないで、自ら命を絶った私も悪かったことがわかった。
なのに、まだ悪い人が隠れているの?
──最も罪深いのは一体、誰?
『名は体を表すと言うが、今度は芥で終わらないように深く尋ねて行こうか? 羽月深尋。いや』
そして銀鉤は目を細めて告げた。
『──【神蚕】の少女?』
「プレゼント」なんて聞こえはいいが、こちらの気持ちなんて微塵も考えない親のエゴそのものだと、当時は思ったものだ。
「──た、聞いているのですか? 芥!」
母に呼ばれ、顔を上げる。
ゴミやチリを意味する「芥」、それが私の名前だ。久しぶりに母と話せたのに、上の空になるなんて。
「すみません。聞いておりませんでした」
頭を下げて謝る私に、母は大きなため息をついてから告げる。
「もう一度言います。今日はお客様が来ますから、この自室を出てはなりません……いいですね?」
「……わかりました」
用件が終わると、母はすぐにドアを閉めて去ってしまった。きっと長居したくないのだろう。
壁や天井のあちこちに呪いが書かれた霊符が貼られ、私を封じ込めているような部屋。寝起きしている自分ですら、息が詰まる。
できるだけ霊符を見ないように私はベッドに横になって目を閉じた。
「お母様! どっちの服が私に似合う?」
代わりに鋭敏になった聴覚が、階下の若い女性の声を拾った。5つ上の姉・愛璃のものだろう。
「……いいな、愛璃お姉様は」
名前に「愛」が入ってて、名前に負けぬよう大事に育てられた愛璃は自身に溢れ、いつも笑顔を絶やさない美しい女性だ。
廊下から聞こえた使用人たちの話によると、陰陽師としての才覚にも溢れているらしい。
──あぁ、何もかもが自分と違う。
平安の世から陰陽師は呪術や式神を使役して、異形の「妖」と戦ってきた。
現代日本の令和になってもそれは変わらず、いくつかある陰陽師の名家の一つが私が生まれた「鷹宮家」だ。
次女との私は物心がついた時から両親と姉から「芥」と呼ばれ、この霊符まみれの部屋で育った。
使用人たちはさすがにそう呼ばないけれど、代わりに目を合わせたり話したりはしない。「いない者」、「忌み者」のように扱った。家庭教師も名前を呼ばず、必要最低限のことしか話さない。
私はこれが普通なのだと思っていた。
「それは違います。お嬢様」
けれど10歳の時に使用人の「雪音」が、そう教えてくれた。
「雪お姉ちゃん」と呼んで慕っていた彼女は雇い主である両親の言いつけに逆らい、色々なことを話してくれる。
私はこの洋館を含めた鷹宮家の敷地外に出たことがない。しかし普通の子供は「学校」というところに通って、同年代の子と遊ぶらしい。
「ねぇ、今日も『外の世界』を教えて!」
2人だけの秘密の時間だったが、両親にバレてしまった。
「嫌だ! 行かないで雪お姉ちゃん!!」
私は他の使用人に連れていかれる雪音を、ただ見ていることしかできなくて。泣きながら手を伸ばす自分に、彼女は一つ約束をした。
「いつか、お嬢様が外に出られた時に……また会いましょう! ずっと待っていますから!」
それが最後に交わした言葉。
あれから監視の目はさらに厳しくなり、最上階の3階にある一番奥の部屋に変わった。窓からも出れないし、入口にたどり着く前に誰かしらに見つかる位置だ。
どうして私はこんな扱いを受けるのだろう?
雪も理由を知らなかった。
心当たりとしては陰陽師の名家に生まれたのにも関わらず、霊能力が使えないこと。
あとは胸に生まれつきある「痣」だ。2つある三日月の欠けた方を向かい合わせにしたような形をしている。
これらが何か関係しているのか、陰陽師の知識がない私にはわからなかった。
「お父様、私にも陰陽師について教えてください。必ず役に立ってみせます!」
と、一度だけ父に懇願したことがある。
しかし次の瞬間、「ふざけるな!!」と大声で怒鳴られた。
「お前には不要なことだ! 二度とそんな世迷いことを言うんじゃない!!」
それでも役に立ちたくて、部屋でもできる趣味の手芸で色々なものを作って贈った。
父にはマフラー、母にはストール、愛璃には刺繍で作ったブローチなど。雪音に手袋を贈った時のように、喜んで欲しかった。
けれど「ありがとう」の言葉もなく、使っているところも見たことがない。
捨てられているのだろうけど、上手にできればきっと……そんなことをしているうちに、気づけば14歳になっていた。
コンコンコン。
窓ガラスを叩く音で私は現実に引き戻される。
目を開けると、一羽の隼が紙コップを咥えながら嘴で窓ガラスを突いていた。
私は慌てて駆け寄り、窓の下を覗き込む。
「──五十嵐様!」
五十嵐の姿が視界に入った途端、私の心は高鳴った。
彼の名は「五十嵐智隼」。陰陽師の名家「五十嵐家」の次男で21歳と若いのに、前線で妖と戦う一流の陰陽師だ。
五十嵐は人差し指を立て「静かに」とジェスチャーした後、もう片手に持っていた紙コップを指でトントンと叩く。
私はすぐさま五十嵐の式神である隼が持ってきてくれた紙コップを手に取り、中に向けて話しかける。
「聞こえていますか?」
『うん。大丈夫だよ……髪長姫ちゃん』
よかった、今日も「糸電話」は上手くいったようだ。
建物の外にいる五十嵐と3階にいる私が持つ紙コップは、彼が自身の霊力で作った「霊糸」で繋がっている。そのおかげで風や雨の音がうるさかったり、糸が弛んでも互いの声がハッキリと聞こえた。
五十嵐と出会ったのは、半年前。
自室の窓から外を眺めていた私に目がけて、彼が地上から霊符を飛ばしたのだ。
「ごめん! 君、人間だったんだね」
私の存在が知られていないせいだろうが、妖だと勘違いして祓われそうになったという衝撃的なエピソードである。
その時、ちょうど五十嵐が持っていた紙コップで私たちは話をした。
『君の名前は?』
その質問に私は何も答えられなかった。すると彼は『ラプンツェルみたいだね』と呟く。
「ラプンツェル?」
『知らない? 高い塔に閉じ込められた髪の長いお姫様』
私が腰下まである髪を三つ編みにして横に流していたから、そう連想したのかもしれない。
『じゃあ、君の名前がわかるまで髪長姫って呼ぶよ』
芥な自分に「姫」という大事にされる女の子の字をつけて呼んでくれるなんて。
私はこの瞬間、初めて恋に落ちた。
後日、五十嵐が隼を使って「ラプンツェル」の絵本を届けてくれたが……私がラプンツェルなら、彼は王子様に違いない。
また浮かれて上の空になりかけた私は、頭を振って心を静める。
過去ではなく、今の五十嵐に集中しないと!
「母が言っていたお客様とは、五十嵐様だったのですね」
『実は今日こそ髪長姫ちゃんのことを鷹宮家当主、君のお父さんに問いただそうと思って』
「……え」
『こうやって君が部屋から身を乗り出してくれないと、霊糸が切れるのも。式神の目を通して部屋の中が見えないのも……おそらく貼られている霊符が、術の無効化と認識阻害の呪いがかかっているからだと思う』
五十嵐なら部屋の霊符を理解できるかもしれないと思ったが、まさかそんな効果があるものだなんて。
『霊符を使う呪術で鷹宮家の右に出る家はないからね。ここまで高度だと術者にしか解けない……だから』
「いいんです。こうして五十嵐様とお話できるだけで、満足してますから」
もし私のことを聞いて、彼にまで「芥」と呼ばれたら……想像するだけで、奈落に落ちるような感覚に襲われる。
『三日後だよね』
「……?」
『髪長姫ちゃんの15歳の誕生日。そんな大事な日を一人寂しく迎えて欲しくない』
日も暮れて見えづらいが、彼は安心させるように微笑んでいた。
『外の景色をプレゼントしたいんだ。ごめん、完全に俺の我儘だけど』
──五十嵐様と一緒に、外の世界に行ける? 本当に?
「……期待してもいいんですか? 約束してくれる?」
『うん。必ず君が部屋に出れるように取り計らう』
「お願い。ここから出して」
私の涙ながらに助けを求める声を聞いて、五十嵐は力強く「わかった」と答えると父に会うべく中へ入る。私にできることは、ただひたすら祈ることだけ。
どれだけ時間が経っただろう?
夜も更けた頃、「コンコンコン」とノックされる。今度は部屋のドアから聞こえた。
返事をすると使用人がドアを開け、用件を伝える。
「旦那様がお呼びですので、部屋までご案内いたします」
いつも伝言だったのに、自室の外で話だなんて初めてだ。
──五十嵐様の説得が上手くいったんだ!
私は嬉しさから軽い足取りで、父がいる部屋に向かった。
通された部屋は応接間で3人掛けのソファーの向かいに、1人掛けのソファーが2つ並んでいる。父や五十嵐だけではなく、姉の愛璃の姿もあった。
でも一番、気になるのは……。
「どうしてお姉様が、五十嵐様の隣に?」
3人掛けのソファーに父、愛璃、五十嵐の順で座り、対面に座るのは私だけ。でも彼はお客様だから、姉の隣に座るのはおかしい。
私の疑問に、愛璃が口を開いた。
「それは智隼さんが、私の婚約者に決まったからよ」
私は信じられず、彼の方に目を向ける。
「本当なのですか? 五十嵐様」
五十嵐はうつむいたまま、何も言わない。彼の口から聞きたいのに、父が事情を話していく。
「もともと智隼殿が我が家に来ていたのは、愛璃との見合いのためだ。なのに、お前とも会っていたなんて」
失望から頭を抱える父に、愛璃が肩へ触れる慰めるように言う。
「まぁ、お父様。彼が白状してくれただけいいじゃありませんか……芥だって可哀そうなのよ」
「だが、これでは何のために! ……はぁ、もっと監視を強めるべきかもしれないな」
これは現実なのだろうか。
さっきから2人が何を言っているのか、頭が理解を拒んで何も入ってこない。
「何か言って、五十嵐様……お願いですから」
混乱する私が振り絞った懇願に、五十嵐は一言。
「──ごめん」
その三文字だけは、ハッキリ認識できた。
後のことはよく覚えていない。気づけば自室に戻されていたけど、ドアにも窓にも鍵がかけられている。
事態は悪化して軟禁から、ついに監禁になってしまった。
「あ、はは……もうどうでもいいや」
そんな部屋で私は泣きながら笑っている。
何の感情も湧かなくなった頃、ふと部屋に置かれたデジタル時計の「2/23 22:32」という表示が目に入った。
あと1時間半もしないうちに、誕生日の2月24日だ。
「……一緒に外へ行きたかったな」
すると私の思いに応えるように、鍵がかかっていたはずのドアが「ギイィ」と音を立てて開いた。
そして一羽の蝶が入ってきて、私の前でひらひらと舞う。真っ白に光るそれは「霊糸」のように、霊力で形作られていることがわかった。
「もしかして、五十嵐様?」
そう呟くと、蝶は再び隙間から部屋の外に出て行く。
五十嵐は父や愛璃の手前、あのように言うしかなかっただけで、私を外に出そうとしてくれているのかもしれない。
「待って!」
私は必死で追いかけた。
無我夢中だったせいで家に人気がなく、誰にも見つからずに外に出れたことに何の疑問を持たないまま。
家の敷地から出て近くの森にある湖の前まで来たところで、蝶は役目を終えたと言わんばかりにフッと消える。
私はキョロキョロと辺りを見回しすが、誰もいない。ただ木々が風で騒めくだけだ。
「また、私……騙されたの?」
何故、信じてしまったのだろう?
五十嵐は見合い中の愛璃という婚約者候補がいながら、隠れて私と会って「髪長姫」なんて呼んでいた人なのに。
「皆して、私をからかって遊んでるのかな?」
じゃなきゃ、どうして「芥」なんて酷い名前で呼ぶの? どうして部屋に閉じ込めるの? どうして!?
「……疲れた」
私は家ではなく、冷たい湖の中に向けて足を進めた。泳げない自分が、深い湖に入ることが何を意味するのかは重々承知だ。
肺の中に水が入ってくる。
──もし生まれ変われるなら、今度は幸せになりたいな。
2月23日の23時21分。「芥」は15歳の誕生日を迎える直前に、その人生に幕を下ろした。
「──何と愚かな」
気づけば私は椅子に座っていた。
発言した思われる人物がカフェカウンターを挟んで立ち、私を見下ろしている。
相手は白いシャツに腰に巻く黒いエプロンを着ており、銀髪に人間離れした中性的な容姿と声で性別を判断することはできなかった。
「ここはどこ?」
私は座ったまま視線を動かす。目の前にはコーヒー豆や料理器具があるのでカフェのように見える。
だが後方には巻かれた生地や糸、ミシンなどがあり、雪音から聞いた手芸店のようだ。
すると目の前の人物が口を開く。
「ここは私が店主を務める手芸カフェ『あやぎぬ』です」
「手芸カフェ……あれ? でも私、死んだんじゃ」
『あぁ、死んでるよ。ここはあの世とこの世の境ある店だからな』
置物かと思っていたが、隅にあるT字の止まり木いた1羽の梟から声がした。
あまりのことに私は驚愕する。
「梟が喋ってる!? 式神?」
『俺をそんな低級なものと一緒にするな』
そう不満げに呟いた後、店主の肩に飛び移る。そして誇らしげに胸をそらし、声高らかに名乗る。
『俺はこの方の神使、その名も《銀鉤》だ!』
「神の使いってことは……」
私は店主と名乗った人物に問う。
「あなたは『神様』?」
「人間の言葉で表すなら、そうですね」
「……神様も店を開くんだ」
「趣味と実益を兼ねてますので」
ほのぼのとした会話は、次に神様が発した言葉で終わりを告げる。
「この度はあなたに審判を下すため、この店に招きました」
「そんな! 私、悪いことなんて」
『はぁ? 自分で命を絶っておいて何言ってるんだ?』
呆れた様子の銀鉤に、私は必死にその背景を訴えた。
「だって皆して私を『芥』って、ゴミ扱いして……悪いのはあの人たちです!」
「……そう言えば、あなたは『雪音』という人間を慕っていましたね」
それを聞いて神様は突然、関係のない話を始めた。
「もし彼女に死ぬのに値する理由があって、殺されたとして……許せますか?」
冗談でも想像したくなくて、即座に私は答える。
「許せるわけないじゃないですか! 事情があっても殺していいわけなんて」
「では雪音を殺したのが、彼女自身だったら許せますか?」
「──あ」
私はそこでようやく神様が何を言いたいのか、わかった。
「追い詰められていたという事情を配慮しても、あなたの行為は残念ながら……人殺しと同じなのです」
自らの行いを悔いていると、銀鉤が好き勝手喋り出す。
『人間は等しく身勝手だが、この箱入り娘は特に酷い。世間知らずで、精神年齢低すぎ』
「やめなさい、銀鉤」
『だってぇ』
神様が咎めるが、銀鉤はブーブー言っている。
「……箱入り娘じゃないです。大事にされてなんてないし」
『はぁ~~??』
我慢の限界を迎えた銀鉤はテーブルに飛び下り、私の頭を突きだす。
『気づいてないだろうが、お前の生活基準はかなり高いんだよ。栄養満点の飯に綺麗な服、具合が悪ければすぐ医者に診てもらえて、教育も受けさせてもらえる』
「それが普通じゃないの?」
『馬鹿! 親から虐げられている子の中には、明日生きられるかもわからない子だっているんだぞ!!』
それを聞いて私は愕然とした。
外の情報を制限されていたとはいえ、これでは世間知らずの馬鹿と罵られても仕方がない。
『わかったか!? 芥なのは、名前だけ!』
「でも、じゃあ何で」
扱いと名前が、ちぐはぐじゃないか。すると神様が口を開く。
「あなたの罪は自ら命を絶ったこともですが、正しく真実を知ろうとしなかったことです」
「でも教えてくれなくて」
『──本当に?』
「え?」
『機会はあったはずだ。あの五十嵐って男に、ちゃんと話したのか?』
あぁ、彼らは何もかもお見通しなのだ。私が「芥」の名前と一緒に胸の痣も隠していたことを。
『伝えなかったのは、あの男を信じきれなかったからだろう? そのくせによく裏切られたなんて言えるな』
「……ということは、『芥』の名前と痣は関係しているのね?」
そう聞き返すと銀鉤は口を噤む。淡々と要件だけを伝える主と違って、よく話す神使だ。
代わって神様が毅然とした態度で私の答えを「如何にも」と肯定し、尋ねた。
「その理由を知りたくありませんか?」
「──はい、知りたいです! このままじゃ本当に悔いしか残らないから」
私の答えに神様は満足げに微笑む。
「いいでしょう。あなたには記憶を持ったまま、別人に転生してもらいます……そして真実を知り、あなたの死によって運命が捻じ曲がった人々を救うのです」
そんな人がいるのだろうか?
でも雪音と再会するという約束を破ってしまったことは謝りたい。
私の心を見透かしたように、神様がくぎを刺す。
「ただしあなたはもう死んだ人間です。前世のことを決して周囲の人間に悟られてはいけません。わかりましたか?」
「……はい」
「時期を見計らって、銀鉤を遣わします」
『嫌だぁ』
神様は銀鉤の嘆きを無視し、指を鳴らした。
すると私の足元に真っ暗な穴が現れ、体が沈んでいく。
「では贖罪の健闘を祈ります。『カミコ』の少女よ」
──「カミコ」って?
その言葉にしたつもりだったが、私の口から出たのは「おぎゃあ!」という不明瞭な音。
気づけば私は歯も生えていない赤ん坊として、生まれ変わっていた。
捨て子として保護された私は、おくるみにあった名札から「羽月深尋」という名で生きることになった。
今世も性別は女で、胸には前世と同じ痣がある。けれどそれを理由に虐げられることはなかった。
順調に育ち、乳児院から児童養護施設に移った。
そこには私のように生まれてすぐ捨てられた子もいれば、親の虐待や経済的な理由から入った子がいて。
──彼らに比べたら前世の私は、本当に恵まれていたんだ。
前世の時間を合わせれば、私が一番年上だ。
これも何かの償いになればと、手一杯の職員に代わって子供たちの世話を率先して行った。
さらに念願の学校にも通うことができて、すごく嬉しかった。もう前世で習った内容なのでテストではもちろん満点!
周囲から妬まれ「親なし」と陰口を言われても、人らしい名前で呼ばれて一緒に過ごす家族がいる。
それだけで十分だ。
そして小学6年生になり、ランドセルを背負って1人で下校している時のこと。
『よぉ、つかの間の平穏はどうだった?』
償うために生まれ変わったことを思い出させるように、私の前に銀鉤が現れた。
「幸せだよ。怖いくらい」
『あれから何かわかったか?』
「……何も」
実はまだ勇気が出なくて、前世の家族のことを調べることができずにいる。
図書館のパソコンで神様が言った「カミコ」については調べたものの、何もヒットせずわからなかった。
『だと思ったよ──俺についてこい』
飛ぶ銀鉤の後を追って10分ほど歩くと、2階建ての店の前に着いた。看板には「手芸カフェ『あやぎぬ』」と書かれている。
こんな徒歩圏内に神様の店があったなんて。
「どうして今まで気づかなかったんだろう?」
『普通の人は見えないし、来れない……お前は今、許可されたから認識できるようになっただけ』
私が店に入ると、「カランカラン」とドアベルが鳴る。中にはあの時と同じくカウンターの中に神様がいた。
「いらっしゃい」
「お久しぶりです。今回は何のために呼んだのですか?」
「落ち着いて、ひとまず座りなさい」
前回よりも身長が低いので、私は苦戦しながらカウンター席に座る。
すると神様が「どうぞ」と、目の前にサクランボ付きのクリームソーダを置いた。私はスプーンでアイスクリームをすくって食べつつ、神様の話を聞く。
「今回、呼んだのは真実を話す時が来たからです。向こうも動き出したようなので」
「ついに教えてくれるんですか?」
「一部ですが……私は生まれ変わる子の服を仕立てないといけないので、後は銀鉤に任せます」
そして神様は「では」と言い、2階へ上がってしまった。
『面倒くさいけど、あの方に言われたし……やるかぁ』
そうぼやいて銀鉤は店にある1台のテレビの前へ飛び、器用に嘴でDVDをプレイヤーに入れて再生の準備をする。
『見せたいものがある。これは2年前に放送された……【とある事件】の特集番組だ』
録画が再生され、テレビの中のアナウンサーが告げる。
〈鷹宮世宙さんが殺害され、10年が経ちました……この事件は陰陽師の暗部を象徴し、犯人が捕まったものの未だ謎が多い事件です。改めて事件の概要を説明いたします〉
曰く、陰陽師の名家「鷹宮家」の次女で、14歳の鷹宮世宙が湖に沈められて殺害された事件らしいが。
「……『鷹宮世宙』って誰?」
まず浮かんだ私の疑問に、銀鉤が答える。
『お前の前世での名前だよ』
「そんな、私の名前は『芥』で」
『この12年で何を学んだんだ。現代日本で、そんな名前の出生届が受理されるわけないだろ』
テレビの中のアナウンサーは続ける。
〈警察の調べで、彼女は家族に軟禁されて育ったことが判明しました〉
続いて事件直後の父と母の姿が映る。
テレビ越しに見る両親はやつれた様子で、記者から質問を投げかけられていた。
「『芥』と蔑んでいたとは本当ですか?」
それに対して母は涙を流し、父も辛そうな顔で質問に答える。
「皆様には理解できないでしょうが、これも陰陽師なりのやり方で決して蔑んでなどいません! ですが」
そこで父の目から涙が流れた。
「こんなことになるなら……素直にあの子を愛せばよかった。今すぐ死んで世宙に謝罪しに行きたい。すまない、世宙……すまない」
記者は「陰陽師のやり方って何ですか?」、「ちゃんと説明してください!」と追及の手を緩めない。
映像は変わって、警察署の前へ。
〈逮捕されたのは陰陽師の五十嵐智隼、21歳〉
映ったのは警察官に連行される五十嵐の姿だった。
〈物的証拠などから無期懲役の判決が下り、服役中ですが……本人は一貫して『無罪』を主張しています〉
スタジオに戻り、コメンテーターたちが思い思いのコメントをする。
〈わかりませんねぇ。あの父親は娘さんを愛していたのでしょう?〉
〈失敗しましたが、仇を討つために護送中の五十嵐を襲撃しましたから〉
〈なのに『芥』と呼んで軟禁? 我々一般市民に、陰陽師の世界は理解できませんな〉
〈被害者の置かれていた環境もですが、五十嵐の動機も謎ですし〉
そこで銀鉤は録画を停止する。
『これがお前が死んだ後に起きたことだ。結論を言うと五十嵐は冤罪で、お前の死は仕組まれていた』
「……え?」
『鍵を開けて周りに目撃されないように術を使って、外へ誘導されたんだ……で、殺そうとしたら勝手に死んで、犯人はラッキーって感じ?』
「その言い方やめてよ」
『後は五十嵐に罪を着せて終わり!』
「殺さなくて済んだのなら、罪を被せる必要なくない?」
そこで銀鉤は、『言い忘れてた!』と情報を補足した。
『死体損壊の罪も着せるために、殺したことにしたんだよ』
「損壊?」
『五十嵐は溺死させた後、首を切断したことになっている……そして頭部はまだ見つかっていない』
死んだ後のこととはいえ、私はゾッとして思わず自分の首に触れる。
『行方不明の頭と真犯人を見つけ出して、五十嵐智隼の無実を証明する──これがお前の罪に科せられた刑罰だ』
最初は私を虐げる周囲が悪いと思った。
けれど真実を知ろうとしないで、自ら命を絶った私も悪かったことがわかった。
なのに、まだ悪い人が隠れているの?
──最も罪深いのは一体、誰?
『名は体を表すと言うが、今度は芥で終わらないように深く尋ねて行こうか? 羽月深尋。いや』
そして銀鉤は目を細めて告げた。
『──【神蚕】の少女?』


