成長した年下幼なじみの、俺への愛が止まりません


※※※

乗車してから、むすっと黙りこくった俺とは対照的に、隼と蒼真の彼氏は何やら建築とプログラミング関係の小難しい会話を繰り返している。

(こいつらの話、一ミリも分からん)

  そうしているうちにどんどん眠たくなってきた。ふにゃふにゃと上半身を揺らしていたら、隼のリードに従って身体を彼の膝の上に頭を載せて貰った。

 大きな手で眠りに誘うように、優しく俺の剥き出しの腕を撫ぜ摩るのが心地良すぎる。

(きもちいぃ)

 愛情を感じる手つきはどこか不思議と懐かしさを感じた。
  小さい頃、寝つけない夜には、今は離れて暮らす母さんもこんな感じに俺の頭を撫ぜたり、とんとんと布団の上から叩いてくれたっけ。
 俺も真似して隼が熱で寝込んでる時、自分もベッドに勝手に寝転んで、とんとんとやってきた気がする。今はまた巡り巡って自分がして貰っているのだから面白い。

「蒼真が大学を卒業したらすぐ、一緒に暮らす予定ですか?」

 急に隼がそんなことを聞く。『そんなん、まだだめだめだめだめ!』なんて声を上げたかったが、なにぶん眠たくて口を開くのも億劫だ。
 うぐぐっと眉を顰めたら、眉間をゆるゆると長い指でほぐされた。それもまた気持ちよい。半分ラジオから流れてくるように、俺はぼんやりと低く穏やかなトーンの声の二人の会話を聞いている。

「そうだね。時期はいつでもいいんだ。将来的にそうなったらいいと思っている」
「今日も家で待ってるんですか?」
「あの子の事だからきっと、寝ないで待っているだろうね」

 ミラー越しに彼は頷いた。仕事で疲れているだろうに、目が生き生きと嬉しさを隠せない様子だ。

「すぐにでも一緒に暮らしたいと思ってはいる。でも蒼真が家族を大切にしていることも知っているからね」
「まあ、弟たちもいつかは成人するし、今だってもう、兄ちゃん大好きって年でもないでしょう」
「お母さまを亡くされてから、蒼真が担っている役割は大きいと私は思っているよ。精神的な意味でもね。それは君たちも同じじゃないかい?」

 そういわれてどきっとした。街灯の光が等間隔で差し込むほかは暗い車内。海辺のカフェの輝きの中では話せないような深い話が続いていく。

「……そうかもしれませんね。蒼真はなんていうか。いつもそこにいるのが当たり前で、なんだろ。俺と小鳩がふざけてる時も、一歩後ろからにこにこ見守っていてくれるような。みんなの兄貴みたいな感じかな。……もしかしたらオカンかもだけど」
「オカンかあ」

 くすりと北沢は笑って頷いた。

「確かに。あの歳であの包容力はオカン顔負けだ」
「蒼真のそういうところを好きになったんですか?」
「まさか。私にとっては素直で元気な若い子という印象だったよ。明るくて一生懸命に取り組んでいて、擦れていない透明感のある存在だ。こんなおじさんなんて相手にされないと思っていたよ」
「まさか。蒼真はいつもあなたの事を、完璧な男性だって惚気てましたよ」
「あはは。大分買い被ってくれたね。そんなことはない。仕事にかかりきりになったら家のことは相当疎かだ。蒼真が助けてくれてようやく人並みの生活が送れてるよ。こんな男に絆されたあの子が優しいんだ」

 いつも自信に満ち溢れ、成熟した男性美が漂う青年実業家。俺の子どもっぽい挑発も意に返さず、いつも寛容にいなしくている。まさかそんな彼に弱気な発言に俺は内心驚きを隠せなかった。少しだけ彼を見る目が変わったかもしれないと思った。

「蒼真の事、本当に好きなんですね」
「愛してる。だからね、蒼真が家族の様に大切に思っている君たちには、これからも仲良くしてあげて欲しいんだ。私と付き合ったせいで、蒼真が何かを失うのは悲しいからね。勝手なお願いかもしれないが」
(かってだよ、ほんとかって。おれたちから、あいをとったくせに)

 むずがるように「うっ」と呻いて、俺は手の甲で目元を覆った。何故だか意味が分かんないけど、涙がこみあげてきて止まらなくなったからだ。
 呻き声と身体の震えで隼にはすぐに泣いているとバレたみたいだ。俺の手に手を添え、やんわり握ってきた。

(この感情って、なに? 名前が付けがたい。ほっとしたような、寂しいような、もしかしたら我が子を嫁に出すときの親の感覚に近い、のかな) 

  一緒に育った大事な幼馴染。愛情深かったあの優しいお母さんを亡くしてからは一生懸命周りに自分の愛を注ぎ続けてきた。そして今、惜しみない慈しみの気持ちを一心に向けてくれる相手と出会って、その愛情の中でますます笑顔を煌めかせている。

(……蒼真がいま、すごく幸せなの、わかってる。わかってる。さびしいのはおれだけ)
 
 置いていかないで。まだ大人になるのは早すぎる。
 なんでこんなに胸が苦しい? 切なさに耐え、隼の手を握り返したら、俺の気持ちを代弁するように、隼がぽつりぽつりと呟き出した。

「蒼真は俺たちにとって、代わりのいない大事な幼馴染です。俺たちも今まで沢山、蒼真から優しい気持ちを貰ってました。いつまでも一番すぐ直ぐ傍で見守りあえる関係でいたかったけど、蒼真の手を取ってずっと未来まで引いてあげるのは、貴方だ。絶対に泣かせないで、大事にしてあげてください」
「もちろんだ。蒼真を育んでくれたこの町で彼とこれからも共に生きたいと思っているよ。彼が笑顔でいるための努力は惜しまないさ」

 うとうととして、短い夢を見た。オレンジ色の夢。
 子どもの頃の記憶と混じっている気がする。

「ねえ、これ。海で拾ったんだ。この色はレアなんだよ」

  太陽の光を煮詰めたようなオレンジ色のガラスのシーグラス。俺と小さい隼の額がこつんとくっつくほど顔を近づける。隼の目にもよく見える様に小さな指でつまみ、窓越しに陽を透かして見せた。

「みて」 

  波間に揺られ摺られて、ぼんやりとした色合いだけど、日に透かせば輝きが増す。

「キレイだね。お日様みたいだ」

 熱で気だるげにしていた隼がが、そういってほうって息をついた。俺は弱弱しく開かれたふっくら小さい掌に、ころんって飴玉みたいなそれをのせてあげた。

『オレの宝物。お前にあげる。早く元気になって。また一緒に遊ぼうな」

 ガラスをつまんだままの俺の指ごと、小さな柔らかい手がぎゅっと掴む。枕にのったままの小さな頭がこっくりと頷き、熱で赤く色づいた頬が少し緩む。

「ボクもおかえしにね、いつか……をあげるね」
「うん」
「やくそく」

  遠い日の約束、隼が俺に何をくれると言ったのかは忘れてしまった。ただ目が覚めてからも胸の奥にじんわりと掌の温みだけが残った。

 目が覚めた、相変わらず髪を撫ぜる手が温かい。

「小鳩、そろそろつくよ」
「ん……」
「寝てた?」
「……少しだけ」

(あれは夢……? でも昔あんなことがあったような……)

 身体を起こしたら、窓の向こうの景色が町内に入っていくのが見えた。駅を挟んで海側の高級住宅地は青々とした芝生を有する、長い白い壁がいくつも続く。映画に出てくるようなロケーションだ。実際ドラマの撮影で使われていたりもする。
 北村さんの計らいで隼の家まで送ってもらったものの、門の前まで来て俺はくるりと後ろを向いた。

「俺、家かえる……」
(さすがにいろいろ気まずい……) 

 未だ完全に酔いは覚めていないが、明るいところで泣いた後の顔を隼に見られるのが恥ずかしいと思うほどには意識がはっきりしてきた。

「そんなふらふらでアパートまで歩いたら側溝にでも落ちる。今日、親、いないから。遠慮するな」
(そんなん余計まずいじゃん)

 だけどフラフラの俺の逃げ道を、隼はばっとふさぐように前に立ちふさがる。その上逃すまいと片手で腰を抱き胸に抱えつつ電子キーで扉を開けた。

「……それにさっきの事、俺まだ怒ってるから」

  囁き声に纏わるひんやりとしたものにぞくっとしたまま、幼い頃から何度も上がったことのある隼の家に招かれた。

「小鳩、タバコと酒臭いから風呂入れ」

 いきなり脱衣所に連れていかれ、のろのろと脱いでいた服をはぎとられてしまう。退路を断たれて浴室に押しやられた。
 風呂に入らされ、余計に酔いが回る。酒を飲んだ人間がべろべろのまま風呂に入るのが危険という頭はないみたいだ。当たり前だ。飲酒経験皆無の隼はその辺の知識は乏しいのだろう。

「明日この服着て帰れるように、洗って乾燥かけとくから」

 そうきっぱりと、ランドリーコーナーから声をかけられた。俺の家はここからなら歩いて帰れる距離だが、服を洗濯されたらもうお手上げだ。

(こいつ、絶対に俺を返さない気満々だ)

 もうこうなれば自棄だ。確かに酒臭いし、汗でべたつくからだが気持ち悪い。風呂入ってやる。

「はわ……、ごくらく……」
(広い風呂さいこうだ……)

 隼の家の風呂は大人が二人で入っても余裕ではと思うほど湯船も洗い場も広々している。普段節約もかねてシャワーで済ませてしまうことが多い俺にとって、久々にたっぷりの湯につかって入れる風呂ってだけでも夢見心地だ。
 奥さんこだわりのバスソルトからラグジュアリーの一言に尽きる馥郁とした香りが立ち上り、思わずうつら、うつら、としてしまった。

「小鳩、着替え俺のやつ置いとくから」
「……」
「小鳩?」

 眠くて眠くて。揺蕩うように仰向けに湯の中に沈んでみる。

「小鳩! ああ、もう。お前!」

 少しの悪戯心も手伝って、返事をしないで目を瞑り、湯船に髪を揺らめかせていたら、服を着たままの長い腕が伸び、背中に手を入れ身体を持ち上げてきた。

「世話が焼ける……」

  そのまま両腕をバスタブの外に垂らされ沈まないようにされたが、もうなんでも酔ったせいと開き直ってバシャバシャとひざ下でお湯を蹴った。

「ははっ!」
「やったな」

  そのせいでシャツをびしょびしょに濡らされた隼は眉を吊り上げる。おもむろに腕を交差させてシャツを脱ぎ去ると、頭から温めのシャワーを浴び始めた。

「酔っ払いめ、大人しくしてろ」

 また少しうとうとしている間に、髪をもこもこと泡を立て洗われ、じゃーじゃーとシャワーの湯をかけられた。

「きもちいい、ごくらく……」

 まるで子供に戻った気分だ。吸水性抜群のふわふわタオルで髪はおろか全身を拭かれ、万歳の姿勢を取らされた。そのまま上から隼のサイズのダークブラウンのパジャマの上を着させられ、上半身裸の隼はそのパジャマの下だけ身に着ける。
 また抱き上げようとしてくるから首を振っていやいやをした。すると隼が優しく「駄目。これもお仕置き。俺の言うこと聞くんだ」と微笑む。ずるいぐらいの男前だ。 
 俺はもう、全てを酔いのせいにしてこっくりと頷いた。
 いつの間にかものすごい腕力を身につけていた隼は、俺を難なく抱えたまま歩いていく。今日はやたらと男から姫抱っこをされる日のようだ。
 隼の部屋は二階の奥だ。帰宅する前に外から冷房のスイッチを入れられるそうで、すでに部屋の中は涼しく、火照った身体に空調の風が心地よい。
 昔から何度も泊まったことがある隼の部屋。広い室内は蒼真と小鳩用の布団を床に敷いてもまだ余るほどだった。
 今日もそうかと思ったら、セミダブルの隼の寝台の上にゆっくりと下ろされ、とくんっと心音が跳ね上がる。

(隼のベッド……)

 ここにきて大分頭が冴えてきた。子供の頃の名残がだいぶ払拭された、高校生にしてはインテリアが大人っぽい部屋。変わらないのは子供の頃に描いた絵が透明な額に入れられて貼られたままなところか。

(あの絵は昔からあそこにある。俺たちの秘密基地の絵)

  昔ここに泊まった頃は三人ともまだ幼かった。カラフルなブロック柄のラグに寝そべってゲームをして遊んだものだ。
 しかしあれからどこがどう違ってしまったのか。

  やたらムーディーな間接照明の中、お互い上と下が半裸で、仰向けで寝転がる俺に、隼は覆いかぶさるように向かい合う。
 二人っきり、他には誰もいない家はしんと静まり返っている。静かな中、うるさく聞こえ始めたのは自分の心臓の音だった。

(なんか、妖しい雰囲気。やばいかも) 

 俺は小顔ですらりとしている王子様体型と、よく女子から褒められる。だけど脱いでみると身体に厚みがなく薄いのが男としてはちょっと物足りなく思っている。 
  逆に隼は小さな頃はひょろりとしていたけど、部活で鍛えた身体にしっかりと筋肉がつき厚みも申し分ない。手足も長くてさらにズルい。
 もしも同じ学年に隼がいたら女子はこぞって告りに来るだろうと思う。もちろんこの体格にこのまま押し切られたら逃げようがないだろう。
 俺はごくりっと生唾を飲み、沈黙をわざと破る。

「こんな至れり尽くせり、お仕置きじゃないじゃん」

  もう酔いがさめたかのように、はっきりとした口調になるよう頑張って喋る。

「そんなにお仕置きしてほしい?」
「……」
「俺以外の男に簡単に持ち帰られそうになって、俺があそこにいなかったらどうなってたと思う?」

 ぎらりと光る眼、そこに透かし見える嫉妬にぞくぞくっと感じてしまう。人から狂おしく想われることがこんなにも刺激的だとは思いもしなかったのだ。

「別に俺、持ち帰られてない。浩輔さん、送ってくれるって言ってた……、と思う」

 大分酔いが回っていた時の事なので色々朧気だ。何故だか浩輔が地元民しか知らないようなポッポストアの名を口に出していたのが不思議だったが、自分が酔って何か口走ってしまっていたのかもしれない。
 隼は、はあっと大仰にため息をついた。

「俺といるのに、他の男の名前呼びやがって」
「……」
「駄目だよ。小鳩は明日返事をくれるまで、俺が予約中なんだから」
「はあ?」
「つまり、お前は今、俺のものってことだよ」

  王様みたいな口調で、そんなことをのたまう。俺はぽかんっと口を開いてしまった。

(それって屁理屈じゃ……)

  我儘は俺の専売特許だったはずなのに。抗議しかけてつんっと突き出した唇を、指先できゅっと摘まれる。

「小鳩のくちばし、捕まえた」
「むーっつ」

  唇を摘まむ手に手を添えて引きはがしたら、長い指がするりと俺の指に絡まされた。

(いつのまに、こんなデカい手になったんだ)

 押し倒されたような姿勢でわざとのように緩慢な仕草で顔を近づけられる。 まるで俺が嫌がって顔を背けないか試しているようだ。
 風呂につかり、余計に身体中に回った酒の火照りが、俺の理性を緩める。薄く唇を舌で舐めると、僅かに開いて目を閉じる。 途端に早急に歯列をこじ開ける熱い舌が入ってきた。

(ああっ……)

 口内まで許す口づけは初めてで、縮こまる舌を舐められてふるるっと自動的に身体が震えてしまう。ぞくぞくが背中を駆け抜ける。

(やばい、気持ちいい)

 また息ができずに苦しくて滑らかでしっとりとした若い隼の胸に縋るような手をつき助けを求めた。一度唇をわずかに離され、囁かれる。

「……小鳩、キス慣れてないんだな。鼻で息すればいいんだぞ」

 隼のその口ぶりはどこか嬉しそうにも聞こえてきた。

(くそっ。年下に言われなくても、んなこと分かってるってば。ふがふがしちゃいそうで恥ずかしくてむずいんだよ)

 どう応じるのが作法かわからないが、自分も舌を絡めてみる。ちょっと能動的な動きをしてみたら、びくっと隼の方が肩を反応させた。悪戯心が沸き起こり、膝を立てて隼の脚の間をまさぐろうとした時、ばっと身体を離された。

「酔っ払い! 止まれなくなるだろ。こっちは触りたいの我慢すんのに、必死なのに」
「触ればいいんじゃん?」

 俺ははふはふと吐息をついた。

「くっそ、色っぽい顔すんなよ」

 今度は隼がみるみるうちに顔を真っ赤にしベッドサイドに立ち上がる。

「なんか飲み物持ってきてやる」
「ここに、……いてよ」

 急に傍にいた温みが離れると、心もとない気持ちになった。じわっとまた涙が盛り上がるのはタクシーでのセンチメンタルな気分を引きずっていたからだ。

「ああっ……。くそっ」

 だけど隼はまだ濡髪の頭を片手でがしがしとかきむしって苦し気な顔を見せ、すぐに俺に広い背を向けた。

「隼……?」
「あのままあのおっさんが小鳩の事を家に連れ帰ってたら……。お前がその顔、あの男にも見せてたのかと思うと、嫉妬で気が狂いそうになる」
「……っ!」

  幼馴染に対して出すような声ではなかった。絞りだされた激白に、俺も反響して高ぶる気持ちをどうしていいか分からず、ただ自分の身体を両腕で抱きしめた。

「こんな気持ちのまま触れてたら、お前のことめちゃくちゃにしちまいそうだ。そんなん一生傷になる。ちょっと頭冷やしてくる」
「隼、ここにいてってば」

 俺の願いもむなしく、それから隼は長く戻ってこなかった。
 色々な気持ちがまたこみあげてきて、俺は情けなくもまた泣いてしまった。そのうち眠気に負けてうつらうつらとし、多分小一時間眠ってた。ま、しょせん酔っ払いなんだ。 
  気が付くと再び身体の傍に温みを感じる。髪や頬を優しく撫ぜられその刺激で目を開ける。

「隼」

  寝起きなせいで全ての鎧や恥じらいや意地が抜け落ちていた。顔中何もかもはれぼったくて頭がつきつき痛む。

「目ぇ腫れてる。暖かいタオル持ってこようか?」

 隼も落ち着いたのかいつもの穏やかな彼だった。ほっとしてゆっくりと首を振る。

「いい。いらない。……傍にいてってば」

  互いの間に沈黙が流れたが、身体だけは傷をなめあう様に摺り寄せ引き寄せられていく。

「……さっきはごめん。俺が勝手に苛ついたのをお前にぶつけるのはおかしかった」
「いいんだ。隼はもっと俺に感情をぶつければいいんだよ。……お前の方が年下だし、それでお前の事嫌いになったりしない」
「……」

 その一言で隼の瞳も一瞬潤んだ気がしたが、あまりじっとみてはきまりがわるかろうと目線をずらす。
 すると隼が素肌の上にそのまま身に着けていたシルバーの鎖と、そこに通されたガラスのペンダントがぷらぷらと揺れているのが気になった。はしっと掌で掴んで眺めようとしたら、ぎしっと寝台を軋ませて隼も俺の隣に寝転んできた。

「これなんか……、見おぼえがある。シーグラス?」

  ぼんやりと灯りに浮かび上がる橙色の摺りガラス。穴があけられそこには何かの文様のような綺麗な彫金を施された環が通されている。一見してかなり上等なものに見える。よくよく見ればいびつな形で川で丸まって海まで届いた小石のような形だ。隼は鎖を引かれて俺に顔をより近づけてきた。

「覚えてないのか?」
「覚えて……。あ」

  今の今まで忘れていた。幼い頃の小鳩はよく、父と二人で海岸に出かけて貝殻やシーグラスを拾って歩いた。俺と父は似ていてこういったものにロマンを感じる気質だったが、母にはガラクタ扱いされた。
 今でも数個は手元に残っている。幼い頃に大好きだった小さな玩具、飽きたゲームのソフト、シールなんかと一緒に、古いスマホに残るほかは一枚だけ印刷してあった家族写真と共にお菓子の空き箱に入れてある。
 シーグラスは元になった飲み物の瓶から想像がつくように水色、緑、茶色なんかの数が多いようで良く見つかる。逆に他の色はそこそこレアだ。
 めったに見つからないオレンジ色のそれを見つけた時、嬉しくて波を蹴って微シャビ社になりながら喜んだっけ。大事に握って家に持ち帰って、長く一番の宝物だった。

「小さい頃、俺が寝込んでた時。小鳩が俺にお日様の雫みたいな色だろってこれを日にきらきら透かして見せてくれた。その時の小鳩の笑顔、太陽に負けないぐらい、すごく輝いて見えた。俺の為に小鳩が大事な宝物に願いを込めてくれたから、俺は身体が丈夫になれたって思ってた」

 隼はそう良い風に言ってくれるけど、俺にとってシーグラスは少しだけもの寂しい思い出が付きまとっている。

「……俺の代わりに大事にしてくれてありがとう。これ、昔、父さんと拾ったんだ」
「お父さんと」
「うん」

 隼も知ってる話だ。 小四ぐらいになると、父と母が上手くいっていないことは幼いながらもうすうす気が付いていた。今でも離婚の決定打は俺は知らないし知りたくもない。
 ただ、父はある日東京に家を借りて出ていくことになり、母は家にいても口数も少なく浮かない顔ばかりしていた。
 ちょうど蒼真の母も体調を崩す直前だったなあ。家の手伝いを頑張る蒼真の邪魔をするわけにもいかず、かといって仕事で帰りの遅い母を待つばかりの家に一人でいるのは寂しい。
  あの頃俺が心の底から欲していた、暖かな家。
 そんなときはまだ頻繁に熱を出していた隼のお見舞いをさせてもらい、彼の部屋で放課後から日が暮れるまで過ごさせてもらっていた。

 隼の両親は忙しくしていたし、年の離れたお姉さんがいるが学業に忙しい時期だった。二人っきり、それでも隼の家は居心地が良くて、俺にとってあの頃はここの方がよほど「家庭」を感じられた。
 なにより隼が俺が傍にいるのを心から喜んでくれたから、遠慮もなしにこの部屋に入り浸ることができた。
 成長した今となってはなんて図々しことしてたんだって思うけど、あの頃の俺を支えてくれたのはまさにこの場所だったように思う。

「多分、お前の家にいさせてくれてありがとうって、気持ちもあってあげたんだと思う。お前の面倒を見て元気づけてるように見せてたけど、俺あの頃寂しくてさ。だからもしも……」
「もしも?」
「お前が俺の事、面倒見がいい兄貴って感じで、尊敬してたのが、何となく愛情に変わったんなら、それちょっと違うと思う」
「……」
「俺、そんないい奴じゃないし。自分ばっかり大事で……」

 蒼真の恋人がこの町で今まで通りのびのびと暮らせるようにって蒼真に気遣っていたのに、俺ときたら関心や愛情を自分に向けさせようと子供の様に騒ぎ立てるだけだった。
 隼は片手で頭から鎖を抜き去ると、ペンダントを握ったまま離さない俺の手に指を絡ませた。

「違うよ。小鳩」

 人差し指、中指と順に口づけてから、その手を頭の上に張り付けにする。
 顔を近づけてきた。情けなくもまた目を瞑ってしまった。俺のまだ少し湿り気のある前髪ごと額にキスを落とす。涙を擦ったせいでひりひりする目尻、頬、よくへの字に曲げちゃう唇。順番に口づけてからゆっくりと再び身を起こした。

「そうじゃない。そうじゃないんだ……」

  何がそうじゃないのか聞きたくて口を開こうとしたのに、もう眠くて瞼が降りてきてしまう。その瞼の上にも優しい口づけが落とされて、良い香りのする寝具と、冷えた部屋、隼の腕の中の頼もしいぬくもり全てが俺を眠りに誘う。

「明日いい返事が聞きたいから今日はもう眠って」

 愛されているということはこんなにも心地が良いものなのかと全身で感じながら、俺は安らいだ気持ちで眠りについた。