※※※
「おはよう」
突然の告白の翌日、わりと早朝。
俺が眠い目をこすりながらアパートの扉を開けたら、そこには隼が手に何やら紙袋を持った状態で立っていた。
思わず閉めかけた扉に、長い足が強引に挟み込まれる。何この手慣れた仕草。本当に高校生か?
「うわ」
(やばい、昨日の着歴無視して寝たから家まで来たのか?)
昼間突然キスされ「迫り倒す」宣言をしてきた年下幼馴染と何を話せばいいのやら分かんなくなった。それで俺は昨夜通話アプリの通知をオフにして寝てしまったのだ。
昨日から始まった真っすぐすぎる隼の攻撃は、悔しいが俺にクリティカルヒットをかまし続けている。今その実感がめちゃくちゃ湧いた。
なにしろ真っ裸で風呂に入ったり一緒に昼寝したりしていた間柄の男を、今更こんな風に意識する羽目に陥っているのだから。
隼は音楽を聴きながらここまで歩いてきていたのだろう。イヤホンを外し、ケースにしまっている。広い肩幅に筋肉が適度についた腕、でも学生らしさが漂うすらりとした体型だから、黒のパンツと有名ブランドのワンポイント入りのTシャツというシンプルな装いも格好よくはまっている。
「おい、小鳩!」
「でっかい声……。おはよ……」
「目が覚めた? 意識はしてほしいけど、無視はするな。流石に傷つくだろ」
「そうっすね」
朝から仕上がってる幼馴染に比べて、俺と来たらカラーで明るくした髪もぼさぼさだ。
「中どうぞ」
力なくつぶやき返して扉を大きく開けた。大事な幼馴染をこんなことで受験に失敗させるわけにはいかない。
「ごめん……。勉強が手につかなかったとか? あはは……」
「いや。それはない。きっと小鳩が返信くれると思って、待つ間夜中まで勉強、捗った。そういう気分も悪くなかった」
「ポ、ポジティブだな、お前」
「そうだよ。ネガティブな小鳩とはちょうどいい相性だろ?」
俺の事を幼馴染以外で『ネガティブ』なんて言う人はいない。
外では『ポジティブ』に完全武装してるから。
(俺の事なんでも分かってますって顔だな)
すれ違いざま、端正な顔が傾いてきて、目尻にちゅっと唇を落とされた。ふにゃっとした柔らかさと甘さに、俺はまたもや腰が砕けそうになって一歩よろりと後ろに下がる。
憎らしくも、にこりと微笑む隼の顔は自信と輝きに満ちていた。朝から爽やかすぎるその笑顔に目を奪われて、寝ぼけていた頭が一気に覚めた。
「声だけじゃやっぱり駄目だね。会いたかったよ」
(ま、眩しすぎる。こいつたまに中高一貫超有名私立高校通学中ですって顔しやがる)
一歩も引かずにむしろぐっと告白した相手に踏み込んでくる。小さい頃、俺と蒼真の後ろをくっついて回っていた、幼い彼の姿からは想像もつかない。
(いや待て。一緒にいるのが普通で忘れがちだけど、こいつまじめにハイスぺ高校生だった)
隼は中高とバスケに打ち込み、去年は全国大会に進出。中学生の時には全国の空き家問題についての自由研究を発表して、県知事賞を受賞していた。実は文武両道の秀才だ。
(平日学校でこいつがどんな風に過ごしてるかとか、どんな友達がいて、どんなふうに周りから見られているのかとか。そんなん、全然分かんないもんな。案外この自信にあふれてる今どきのイケメン男子高生っていうのが、今の本当の隼の姿なのかも。今まで俺の前ではあえて、小さい頃から変わらない物静かな「隼」のままでいてくれてたのかもな)
それはそれで、なんか寂しい。
複雑な気持ちでぼんやりしてたら、隼の腕がするりと俺の背中に回って、顔を胸にぎゅっと押し付けられた。
「おはよう。一晩中、小鳩の事ばかり考えてた。本当は勉強なんて手につかなかったよ」
囁く声は甘くて低くてひた向きで、ひねくれ者の俺の胸に真っすぐに突き刺さる。
今日の香水は海風を感じるような爽やかで清涼感のあるものだ。クーラーをかけっぱなしで薄着で寝てしまい、冷え切った身体に人肌が少しだけ熱く、心地よく感じた。
「大げさ」
「……ごめん」
冗談めかして背中を軽く叩いたら少しほろ苦い吐息を漏らしてから、隼が身体を離した。
「朝飯まだだろ? 一緒に食べない?」
「あ……。うん。お前夏期講習?」
「そうだよ。小鳩はバイトだろ?」
「そう」
「店まで送るよ」
「え、あ……。うん」
(か、彼氏か……)
そう突っ込みたかったが、藪蛇になりそうなのでやめておいた。
こいつ夏期講習で駅に向かう前に、わざわざ遠回りをして家に寄ってくれたみたいだ。
「中、入っていい?」
「え、あ。いいけど」
「ありがと」
(いつもなら即「お邪魔します」って入ってくんのになんでだ?)
兄弟代わりの幼馴染の「隼」はもっと気安い関係なのだが、「恋人候補」の隼はなんだかちょっと紳士的だ。
ムズムズする感覚を覚えつつ、隼をソファーに通して俺はこの寝ぼけ面をどうにかしたいと、洗顔と着替えに洗面所を経由しにいった。
正直、俺は料理は上手ではない。普通だ、普通。とんでもなくお洒落な料理を出してくる両親を持つ隼の家と比べたらもうほんと、全然駄目。
だけど洗濯、片づけと掃除は得意な方だ。部屋の中はいつでも誰が来てもいいように綺麗に整頓されていて、白を基調に挿し色は好きなネイビーで全体を引き締めている。
部屋の奥が窓。割と広いベランダつきで、母の再婚相手がDIYが得意な人で、ホームセンターで色々揃えて棚を作って置いてくれた。ちょっと破天荒なうちの母親を支えてくれる、すごく穏やかで優しい人なんだ。俺はそこでハーブをちまちま育てている。
父母が離婚した後は海側の団地に住んでいた。そこには花を大事に育てているおじいちゃんおばあちゃんが沢山いたので、なんとなく俺も植物の世話をするのが好きだ。心が落ち着くし、なんか癒されるから。手をかけた分、愛情をかけた分、伸びて茂って愛着がわいてくる。
狭いけど俺の城。窓の前にベッドがある。その手前はリビング代わりの空間で、テレビの前にソファーと小さなウォールナッツのテーブルが置いてある。とりあえずアイスコーヒーを自分と隼専用の青い波模様のカップに入れてきた。隣に並んで腰かける。
「これ」
「えー、これどうした?」
「俺が作ったチキンバジルサンド」
「美味そうすぎる!」
紙袋からがさごそと取り出されたのは、バイト先のカフェでも人気のメニューに似た感じのパンがラップに包まれていた。よく見ると緑色のソースがかかったチキンやレタスが豪快にはみ出して入れてあり、ミルキィなゴーダチーズ入りのアレンジがされてある。チーズは俺の大好物なのだ。
「夏休み中は朝ならゆっくりできるから、こうして一緒に過ごしたい。できるだけ小鳩の傍にいたいんだ。毎日、小鳩の顔みたいし」
「っ!」
コーヒーを一口含んでたから、俺は危うくむせかけた。
(こんな少女漫画みたいな台詞をいうやつ、本当にいるんだな。それもすげー身近に……)
エアコンのきいた部屋に差し混む朝日の中、身支度をしっかり整え少し大人びた私服姿の隼は目に眩い。高校生なりの「迫り倒す」の爽やかさに、俺は口元を手で抑え身悶えた。
(なんだこいつ、好きな人にはこんな感じなのか?)
表情や仕草の端々から、好意がダダ漏れている感じなのだ。自分がその好きな人との実感はあまりなかったのだが、こんな風に甘えるような態度に変えられると意識せざるを得なかった。
それはどこか高揚感を誘い、そわそわと落ち着かない気持ちにさせるがけっして嫌な感じではない。
「なあ。休み中、毎朝うち来るの?」
こっちまで何となく、口調が甘えた担ってしまって自分で照れる。
そもそも仲の良い幼馴染だ。毎日会えたらそれは楽しいに決まってる。だが受験生でもある隼に負担をかけるのはどうかとも思った。
「塾があるあkら夏休み中、ほとんど遊びには行けないけど、でも俺が一番、小鳩を喜ばせたいんだ。それで笑った顔が沢山見たい。駄目?」
俺の手にそっと触れて、ちょっと甘えた声を出された。
(隼そんなに、俺のことが好きなんだ)
きゅうっと胸の奥が両側から押されたみたいに強く軋む。
「……だ、駄目じゃない。次は朝ご飯、俺が作るから、くればいいじゃん」
つっけんどんにそういったのに、隼は白い歯が零れて覗く、見惚れるほど綺麗な笑顔を浮かべた。朝日が差し込んで部屋の中の埃がキラキラ見えてるけど、それすら隼の周りでは煌めいて見えてる。
「嬉しい」
するっと頬に手を当て撫ぜられ、俺は情けなくも反射的にぎゅむっと瞼を瞑ってしまった。しかし昨日みたいな強引なキスは降ってこない。目を開けたら隼がいたずらっぽく笑っていた。
「お前! からかうなよ」
「からかってない。小鳩のキス待ち顔、可愛いなあって思って」
「そ、れ、を! からかってるっていうんだよ」
「違うって。本心で思ってる。小鳩、夏になって顔が一回り小さくなった。痩せただろ? 顔色も青白いし。しっかり食べて体力つけないと」
(なんだか隼というより蒼真が言いそうな事いいだしたな)
「俺は日焼け止めしっかり塗って保湿も怠らないんだよ。真っ赤になるから。お前こそ受験生のくせにすげぇ日に焼けてる。ほんとに塾行ってるのか? 海にでてない?」
オーナーの趣味はサーフィンなので、隼も成長して熱を出しにくくなってからは、よく波乗りに連れ出されていた。しかし本人は最初、あまり乗る気ではなかったようだ。
俺はむしろいっぱい遊んでくれる父さんって存在が凄く羨ましかった。オーナーは俺にとって理想的な父親像って言えると思う。
子供の頃、俺や蒼真、その兄弟たちも交えてキャンプに連れて行ってくれた。俺にとってはバイト先のボスでもあり、家を出て行った実の父より尊敬している。
「この日差しじゃ、少し外出ても焼けるだろ」
そのまま何故かサンドを手に持ち俺の口元にそっと差し出してきた。
「はい。食べて。美味しいよ?」
「はあ?」
有無を言わせぬ隼の圧に屈して、隼の手の上からさらに自分でサンドの端を持って大口を開ける。
口いっぱいに広がるバジルの爽やかな香りにジューシーな鳥の旨味。人気店の本家に負けぬ味わいは、レシピをオーナーに確認できる息子の強みだろう。
「旨っ! 朝からこれが食べるなんて、すんげぇ幸せ」
「ほら、やっぱり毎日俺が来た方がきっと嬉しいよ?」
「食べ物で釣るっていうのか」
そんな風に言いながらも、やっぱり朝から旨いもの食べたら嬉しいに決まってる。そしたら隼がゆったりした動作で指先を俺の口元の這わせようとしてくる。
「小鳩、口元ソースついてる」
そのまま拭ってこられそうになって慌ててその手をぱしっと取った。
「だ、大丈夫。自分で拭ける。ティッシュとって」
「小鳩が握るから、俺の手、ふさがってる」
「ふあっ!」
お互い両手を取り合ったような感じになって見つめあってしまった。
(うわあああ、なんだこれ。無茶苦茶照れるじゃん)
「小鳩、顔真っ赤。なんか、照れるな」
ぱっと手を離した。隼まで照れたみたいに少しはにかんでる。
(て、照れるなよ。こっちも照れる。すげぇ、心臓ばくばくする)
そのあとはなんだかいつもより口数が減ってしまった。必死で食べてせっかくのバジルチキンサンドの味が飛んでしまう。勿体ない、集中しよう。
(ああ、だめだ。意識すんな、意識すんな)
「今日は夕立ちがあるかもしれないっていうから、歩きできた」
「そうなんだ……。じゃあ俺もたまには歩きで行こうかな」
たまに言葉を交わし、また少しだけ静かになる。じわっと伝わる、こいつの思い。ちらっとみたら、すぐ目が合う。終始愛おし気に見つめながら、ちょっとそわそわして、美味しい朝食を平らげた。
そのあと夏期講習の時刻まではまだ間があるっていう隼に、店の前まで送ってもらった。二人して徒歩でのんびり歩いて他愛のない会話を繰り返す。
気を抜くと隼が手を握ってこようとするから、それを避けて行進するような不自然な歩き方になる。
「手ぐらい前から繋いでただろ。ケチだな」
「そんなん小学生までだろ!」
それをまた隼に大爆笑されて、俺は怒って、ふざけて笑いあう、その繰り返し。
夏の空は突き抜けるように青くて、雲は白くふわふわでソフトクリームを食べたくなる。 吹く風は暑いけど、葉っぱが茂る寺の道沿いは少し日陰になってて歩きやすい。
久々に感じる心地いい二人の空気感のお陰で気分が良い。蒼真と気まずくなってからは隼にもつんつん接していた自覚が俺にもある。だから今こうして並んで歩くのは久しぶりで心が澄んで凪いで来る気がした。
(やっぱ、幼馴染っていいな)
やりたくてやっているイベントの運営もそれなりに気が張る。だからこうして気心が知れた関係の相手と過ごす時間はなんかすごく呼吸がしやすい。少しだけ離れていたからこそ、そこに気づけた。
※※※
あの告白の日からこの方、隼は夜は夜で俺に寂しいと感じる隙を与えない程、通話をしてくる。「いい加減勉強しなよ」って言ったら「作業しながら通話をしている」というから器用な奴だと思う。
「学校始まったら、朝小鳩に会いに行けなくなるの、すげぇ寂しい」
何に近すぎた過ぎた晩の通話で、そんな風に隼がぼやいた
(急なデレ……)
なんか気恥ずかしいくて、俺も眉が下がってしまう。
「大袈裟だな」
「せっかく前みたいに沢山笑ってくれるようになったのに。小鳩の笑顔見てたら、俺も夢に向かって頑張れるって思える」
初耳の単語に思わず「夢? 大学合格?」って聞き返した。
「まあ、それもあるけど。まだナイショ」
意味深な台詞だったけど、通話では隼の顔から感情が推し量れないので、軽口だと思って俺はあんまり特に気に留めなかった。
(まあ、たしかに俺も隼が会いに来てくれるから、毎朝笑ってスタートしてるお陰か、ここんとこバイト中にイライラすることも減ったな)
(朝も夜も「大好きだよ」なんて暇さえあれば囁かれるから、すっかり浄化された感じ)
お互いモチベーションが高くなるならば、毎朝のこの習慣が無くなるのは惜しくなる。
「……お前がカフェに顔を出せばいいだろ。親の店なんだし」
俺もさ、ちょっと隼に会いたい気持ちを匂わせて見た。そしたらあっさり言われた。
「俺もそれなりに忙しいんだ」
まあその一言に集約されてる。受験生の時も、そうでなかった時も、自分が高校生だった頃を考えたらやはり毎日「それなり」に忙しかったと思い出す。
「だよな」
なんかそうやってひかれたらひかれたで、気持ちがしぼむ。胸がしくっと痛んだ。
「じゃあさ」
「なに?」
「たまに小鳩んちに泊ってもいい?」
こういうのを甘い声とでもいうのだろうか。隼は声変わりをしてからは渋いいい声をしているオーナーに似た、しびれるような艶のある声を出すようになった。
「あー、う……」
流されるまま頷きそうになったけど、いかんいかんと首を振る。
「受験生は外泊とか駄目だろ。オーナーと奥さんに悪い」
ふっと吐息だけで隼が笑うのがスマホ越しに伝わってきた。
「いいね。小鳩。ちゃんと俺の事、意識して、ガードしてる」
「はあ? そんなんじゃないだろ! 来たけりゃ、泊まりに来いよ!」
「いいの? 俺、お前の事狙ってる男だけど」
「うぐっ」
言い返したら、即反撃にあって詰まる。
(こいつは俺の事なんでも知ってる、弱点つくのうますぎだろ……)
受話器の向こうからクスッと笑う声までしてきて、これではどちらが年上だかわかったもんじゃない。
(くっそ、いいように遊ばれてる。負けるか!)
「でも! まだ恋人じゃないだろ。俺ら、幼馴染なんだ。だからさ。当然だろ」
「……そうだな」
互いに押し黙り、静かになったら通話の向こうからちょうどのタイミングで『このままじゃいられない』と女性の歌手が歌う声が聞こえてきた。
透明感のあるボーカルで、何度も一緒に聞いたことがある曲だ。だけどそれが今は妙に胸につき刺さる。
「……朝飯のお礼にさ、学校が始まってからの平日でいいから、映画見に行かないか? それで、前から気になってた、あのかき氷屋に行こう。バイト代出るし、おごるから」
なんて何の気なしに口をついて出てしまった。隼は即答で「行く」と呟いた。
「その時は……、恋人として並んで歩けているといいな」
低い声で囁かれて、俺はスマホの通話画面を隼の顔を想像して代わりに眺めてしまう。「そうだな」なんて肯定することもできず、だからと言って「そんなんじゃない」というのも違う気がした。
「楽しみだな」
そんな風に答えた。いつの間にか、口元が緩んでいた。
俺も少しだけ、(そうだったらいいな)とか、一瞬思ってしまったからだ。
※※※
「えー。小鳩、隼が小鳩の事好きだって気が付いてなかったの?」
「うん」
「まったく?」
「うん」
久々に通話した蒼真はスマホ越しに驚いた声を上げたが、その声色は弾んでどこか嬉しそうだった。
平日の午後六時少し前。沿線で一番栄えている駅から、俺はゆっくりと目的地に向かって歩きながら蒼真と通話している。
食事会の会場の雑居ビルの目と鼻の先は、隼の通ってる塾の入る建物も見える。
「それで困ってるんだね、小鳩。俺に電話をかけてくるぐらいだから」
「……」
結局こんな時、電話をする相手は蒼真以外はないんだ。
こっちが一方的に距離を置いていたのに、彼特有の柔らかな声で喜ばれると悪い気はしない。
蒼真の背後の静けさと時折聞こえる犬の鳴き声で、今蒼真は恋人の家にいるんだろうなと察しがついた。もう日が長い夏でも暮れかかるような時刻だ。
そんな時間に彼の家に蒼真がいる事実は今もまだ少しだけ、胸につきんと小さな棘を刺す。
「俺も小鳩と今年の夏祭りの事、話したかったから嬉しいよ」
「そっか」
引くに引けない意地を張ってたって自覚があったから、蒼真と普通に話せてやっと胸のつかえが取れた気がした。
恋人の帰りを待つ蒼真の声は、他人の家にいるのにどこか寛いだ雰囲気だ。
(蒼真と一番親しいのは俺たちだったのに、今はあのおっさんが一番蒼真に近いんだ)
また胸の中に海に秋風が吹いた時みたいな寂しさが一瞬だけ通り過ぎていく。
辺りの暗さに目慣れていない夕暮れ時、街の中にたった一人で身を置くと、余計に感傷的な気分が盛り上がる。
「夏祭りのこと、覚えてたんだ?」
当然蒼真は恋人と夏祭りに行くこと一択だと思っていたから、その一言だけで単純な俺の機嫌はすこぶる良くなった。
「当たり前だよ。毎年みんなで花火見てたんだから」
「でも今年はあの人と見るんだろ?」
駅前の雑踏の中、注意深く蒼真の返事を拾う為に立ち止まった。
俺は今年、幼馴染三人で花火を見るのをすっかり諦めていた。でも心のどこかでは期待をしていて、それで不機嫌になってた。
(自分が子どもっぽすぎて、本当に嫌になる)
後ろで犬の鳴き声が上がった。蒼真は「待っててね」と優しい声を出す。
「この子は花火の音が苦手だから。一緒に留守番するから、蒼真は友達と遊んでおいでって言ってくれてるんだ」
(それは、ただの方便だろ)
それは多分犬を口実にして、自分と蒼真を仲直りさせようとしているおっさんなりの配慮なのだろう。すっかり意固地気味だった俺にもそれは分かった。
そう言いつつ蒼真自身も夏祭りの晩、彼らの傍を離れたくないだろうということも流石に分かった。
「無理しなくていいよ。蒼真はさ、おっ……彼氏と一緒にいたいんだろ?」
ややあって、蒼真が素直に「うん」と頷いた。
「それに俺ももしかしたら学部のやつらと花火を見るかもしれないし」
「え? 隼と見るんじゃないの?」
「あ、まあ。隼とも、見るかも、だけど。その……」
「その?」
「夏祭りの夜に告白の返事して欲しいって言われたから、なんかちょっと、な?」
「それは逃げちゃダメな奴じゃん」
きっぱり蒼真にそういわれて俺はスマホを片手にうなだれた。
「まあ、そうなんだけど……。心の整理がつかないというか……。幼馴染で年下の男だぞ。急に恋人って言われてもなあ。あ、そろそろ店に入らないと。俺、今日幹事だから」
今晩はこれから夏祭りのイベントを前にした交流の食事会だ。明日の祭りの後は何かと慌ただしく、また皆の予定が立たなかった。だから前日である今日、皆で盛り上がって本番を迎える予定なのだ。協賛してくれているお店の方々も合流してくれるので少しだけ気が張る。
「そっか。行っておいで。それにしても隼に感謝しないと。久しぶりに小鳩とゆっくり喋れて嬉しい」
その声を聞いたら、ぽっと心があったかくなる。俺は宝物みたいに、ぎゅっとスマホを握りしめた。
(俺だって嬉しい)
久々に蒼真と今までの様に気安く話ができて心のどこかで安堵の気持ちがじわっと広がった。
「あ、もしかして。隼のやつ、俺が蒼真に相談するって、そこまで考えて一芝居打って告白してきた? 全部実はドッキリでしたってやつ?」
「そんな風に思ったの? それは流石に可哀想すぎるよ」
「だってさ、俺のこと好きだったらもっとずっと前に告白してきてもおかしくなくない? 高校生になったタイミングとか、もっといろいろあるだろ?」
あのキスだって、予備動作がなくいきなり動物に飛びつかれたような感じですごく驚いた。
「だって小鳩は高校の時、女子と仲が良かったじゃないか。バドミントン部の子でも、彼女になりかけた子が何人もいただろ? よく告白されてたし。隼は年下だったし、きっとそんな小鳩を間近で見ながら、ずっとやきもきしてたと思うよ」
「女子の友達は沢山いたけど、彼女は作らなかっただろ。お前と隼とつるんでる方が楽しかったし、それは蒼真だって同じだろ」
「そうだけど」
「あいつ、なんで俺の事好きなんだろ? 蒼真じゃなくて」
「僕? ないよ、ない」
「そうか?」
断言されたけど、ひっかかる。
だって俺と蒼真だったら、絶対蒼真と付き合った方がいいに決まってる。
「何で、俺なんだろうなあ」
俺たちと隼との出会いは海側にある高級住宅地にオーナーの一家が引っ越した小学生の頃にさかのぼる。
蒼真の家のある山側(当時は俺もこちら側のアパートに住んでいた)の神社裏に大きな公園がある。そこに、引越ししたての隼が自転車で探検に来たんだった。
その日はちょうど俺たちもその公園で遊んでた。それで隼と意気投合して、一緒に夢中になって遊んだんだっけ。
その頃の隼は身体だけは大きかったから同学年と思ったら、まだ一年生だった。そのうち日が暮れかかって、早春の冷たい風が吹いてきたら、隼は苦しそうにゼコゼコと咳をし始めて、そのうちベソをかき始めた。
今のあのふてぶてしくも逞しい姿からは考えられないけど、あの時の隼は身を丸めて辛そうに咳こんで、本当に弱弱しくて可哀そうだった。
ほっぺを真っ赤にして涙目の隼は同時にとても可愛らしく、俺が何としても守ってあげたいなあって思った。
真っ赤な夕焼けの下、『家の方向が分からない』なんて途方に暮れて隼はさらにボロボロと泣いた。それで俺たちは二人して隼の家を探して歩いて送っていった。
そうしたら道の向こうから血相を変えて隼の行方を捜していたオーナーたちが来たんだっけ。だから今でも俺たちは隼の家族に恩人の様に大切に扱ってもらっている。
「隼は引っ越してきてすぐの頃、よく熱出して学校を休みがちだったから、俺ら以外仲いい友達いなかっただろ? その度にお見舞いに行って体調良さそうな時は遊んでって、面倒見てあげてたから? なら蒼真の事好きでもおかしくなくない?」
その時だって、面倒見がいいのはどちらかといえば蒼真で、俺はいつも隼の体調もお構いなしで連れまわしたり、休んでいる部屋で一緒になって漫画を読んだり絵を描いたりしてごろごろしたり。全然面倒を見ていたという感じじゃない。
「……俺は、何となくわかるけどね」
蒼真は隼が俺のどのあたりが好きだったのかも心当たりがあるらしい。
「何それ! 教えてくれ」
「それを聞く相手は、俺じゃないよ」
食いついてみたものの、蒼真はいつも通り穏やかで、しっかり者らしいきちんとした受け答えをしてきた。
「えー。だけど、分かんないんだよ。なんで今更聞くのとか思われん?」
「今がその時っていうタイミングがあるんだよ。何かが動くときって」
「タイミング?」
「そう。恋はタイミング」
「経験者は語るってやつ?」
「俺も、彼と出会ったのはずっと前だし、初めて会った時から俺にないものを沢山持っている人だってすごく気になる存在ではあったけど……。でも今みたいな関係になったのは色々な出来事のタイミングが歯車みたいにかっちり重なって、動き出したからだと思うんだ」
「恋の歯車? しかもさりげなく、おっさんのこと惚気てるし」
すねた口調であてこすったつもりが、またも蒼真は受話器の向こうでたおやかに微笑むばかりだ。
「まあね。きっとね、隼にとっては今がその時って思ったんだ。それに一緒に巻き込まれて回っていくかどうかは小鳩次第かな」
「ふーん。俺には今がそのタイミングかどうかはいまいちピンとこない」
「どうして隼の気持ちが意外なの? 三人でいても隼はずっと小鳩の事ばかりをよく見てたよ」
幼馴染は不思議だ。この間は隼から『小鳩はずっと蒼真のことばかり見ていた』といわれたばかりだ。
(じゃあ、きっと。蒼真は俺と隼のことをずっと見てきてくれたんだろうな。隼が俺と蒼真の事をよく理解しているみたいに)
そうなってくると俺だけが隼のことをきちんと見つめ返してあげられなかったように思えて、なんか落ち込みそうだ。
「本当に心当たりない? 隼が小鳩に思いをぶつけてくれたのは、これが最初かもう一度考えてみて」
まるで謎かけのような台詞だ。やはり蒼真には心当たりがあるような口ぶりなのだ。
「……それはさあ」
「あー。小鳩君いた!」
子供の頃のことに意識を向かわせたが、俺を見かけた大学の友人たちに声をかけられて蒼真との通話もそれまでとなった。



