「櫻川くーん。こっちだー!」
「はーい! 今行きます」
土の中をえっさほいさと進む。ここは農家の渡辺の畑だ。ふくらはぎまで隠れる長靴は、やっぱり重くて思ったように身動きが取れない。
「いやぁ。朝っぱらから悪かったね」
「いいえ。大丈夫です。それで、奴はどうなりました?」
「もう暴れるのなんのって。さっき、猟友会の人達に引き渡したよ。まだウリボーだから別の山に返しに行くってさ」
莉良はそれを聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。畑にある人参を掘り起こした主は、無事に山に送還されたらしい。
渡辺はやれやれというように、被っていた競馬デザインの帽子を被り直した。
「櫻川くんには、手続きだけ済ませてもらおうと思ってさ。書類、うちに上がって書いてきなよ。茶菓子もあるしさ」
「ほんとうですか? じゃあ、お言葉に甘えて上がらせていただきます」
それから、渡辺宅で熱いお茶と最中やゼリーをもらって、談笑する。
莉良は害獣駆除の報告書を書きながら、熱いお茶をすすった。
お茶の葉は、この村──梶山村の特産物だった。
1口目は渋みが来るが、ついで甘みが強く口の中で広がる。莉良はこの村に来てから、ここのお茶が大好きになった。仕事中に携帯している水筒にも、これと同じ種類のお茶が入っている。
のんびりと田舎の空気を味わっていると、渡辺がそういえば、と話を変えた。
「村おこしのほうはどうなってるんだっけ? リーダー、たしか櫻川くんだったよね?」
莉良は、ぎくと飲んでいた湯呑みをぎこちなくテーブルに置く。
「それが、だいぶ難航していまして……プロジェクトメンバーと案を出し合っているんですが、どうも意見が合わなくて」
「そうなのかぁ。大変だなあ。でも、プロジェクト始まってからもう1年経つだろう? 大丈夫なのか?」
莉良はまた、心の中にぐさぐさと針を刺されているような気分になった。
そうなのだ。渡辺が心配するように、このプロジェクトは来月で1周年に突入する。
莉良と副リーダーの加瀬、会計の田中の3人では『村おこし』の意見という意見も少なくて、ほとほと困っていたところだ。
莉良はこの村──梶山村の村役場職員として働いている。
来月でちょうど、2年目になる。
莉良の生まれは東京都の青山。父親は外交官、母親は大学教授という職についていたためか、子どもの頃から何不自由ない生活を送ってきた。
莉良が社会人になるまでは順風満帆だった。
新卒で入社した会社は、パワハラのオンパレードだった。ライバル意識というより、妬み嫉みに深く落ちている同僚たちと仕事をするのはとてもストレスがたまり億劫だった。
そこで1年間働いたあと、半年間の休養を心療内科の医師に言い渡された。このときの莉良の状態は悪く、睡眠も浅くしかとれないので睡眠導入剤を飲んでいたくらいだ。
半年間、実家で休養をとると身体はたちまち回復した。やはり、仕事環境は自分の身体に大きな影響を及ぼすのだと感じた。
体調が安定した頃、なんとなくネットで求人を探していると、こんな宣伝があった。
『空気が美味しい自然豊かな村で、いちから人生を始めてみませんか』
いちから始める。
その言葉が莉良にとっては、ひどく響きの良いものに聞こえた。莉良はその日の夜には応募書類を作成し、切手を貼って郵便ポストに投函していた。
2週間後、梶山村からの返答が来た。
20代の若手職員を探していたからという理由で、書類選考は合格したという。そして電話で面接日を決めた。
ぜひ、梶山村まで足を運んで欲しいという熱心な申し出により莉良は村に行くことに決めた。莉良の実家から、新幹線で2時間、バスで30分のところにある村だった。
「ほんとに、緑しかない……」
莉良は目の前に広がる田畑や、山に目を奪われた。
緑、みどり、ミドリ。
5月という時期もあるからか、桜は葉桜に、野花はのびのびと咲いていて、生命の力強さを感じた。そうして、土のいい匂い。莉良はすっかりこの村が好きになった。
「はい。じゃあ来週からよろしく」
「へ?」
面接で軽く自己紹介をした後の返答だった。村長だという年配の男性が、がははと豪快に笑う。
「半年間募集してくる子を待ってて1度も来なかったんだ。そんな大ピンチのときに君がきた。真面目そうだし、なにより笑顔がいいから採用することに決めたよ」
それからは風のごとく。
両親には猛反対されたが、初めての一人暮らし、田舎暮らしをすることになった。はじめは慣れない日々が続いてホームシックになりかけたが、村長の橋口をはじめ村役場の職員たちは優しく見守ってくれた。
そのおかげか、梶山村に住み着いて1年になる。この村の四季を見れたことで、莉良は去年よりこの村のことが好きになっていた。
「はーい! 今行きます」
土の中をえっさほいさと進む。ここは農家の渡辺の畑だ。ふくらはぎまで隠れる長靴は、やっぱり重くて思ったように身動きが取れない。
「いやぁ。朝っぱらから悪かったね」
「いいえ。大丈夫です。それで、奴はどうなりました?」
「もう暴れるのなんのって。さっき、猟友会の人達に引き渡したよ。まだウリボーだから別の山に返しに行くってさ」
莉良はそれを聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。畑にある人参を掘り起こした主は、無事に山に送還されたらしい。
渡辺はやれやれというように、被っていた競馬デザインの帽子を被り直した。
「櫻川くんには、手続きだけ済ませてもらおうと思ってさ。書類、うちに上がって書いてきなよ。茶菓子もあるしさ」
「ほんとうですか? じゃあ、お言葉に甘えて上がらせていただきます」
それから、渡辺宅で熱いお茶と最中やゼリーをもらって、談笑する。
莉良は害獣駆除の報告書を書きながら、熱いお茶をすすった。
お茶の葉は、この村──梶山村の特産物だった。
1口目は渋みが来るが、ついで甘みが強く口の中で広がる。莉良はこの村に来てから、ここのお茶が大好きになった。仕事中に携帯している水筒にも、これと同じ種類のお茶が入っている。
のんびりと田舎の空気を味わっていると、渡辺がそういえば、と話を変えた。
「村おこしのほうはどうなってるんだっけ? リーダー、たしか櫻川くんだったよね?」
莉良は、ぎくと飲んでいた湯呑みをぎこちなくテーブルに置く。
「それが、だいぶ難航していまして……プロジェクトメンバーと案を出し合っているんですが、どうも意見が合わなくて」
「そうなのかぁ。大変だなあ。でも、プロジェクト始まってからもう1年経つだろう? 大丈夫なのか?」
莉良はまた、心の中にぐさぐさと針を刺されているような気分になった。
そうなのだ。渡辺が心配するように、このプロジェクトは来月で1周年に突入する。
莉良と副リーダーの加瀬、会計の田中の3人では『村おこし』の意見という意見も少なくて、ほとほと困っていたところだ。
莉良はこの村──梶山村の村役場職員として働いている。
来月でちょうど、2年目になる。
莉良の生まれは東京都の青山。父親は外交官、母親は大学教授という職についていたためか、子どもの頃から何不自由ない生活を送ってきた。
莉良が社会人になるまでは順風満帆だった。
新卒で入社した会社は、パワハラのオンパレードだった。ライバル意識というより、妬み嫉みに深く落ちている同僚たちと仕事をするのはとてもストレスがたまり億劫だった。
そこで1年間働いたあと、半年間の休養を心療内科の医師に言い渡された。このときの莉良の状態は悪く、睡眠も浅くしかとれないので睡眠導入剤を飲んでいたくらいだ。
半年間、実家で休養をとると身体はたちまち回復した。やはり、仕事環境は自分の身体に大きな影響を及ぼすのだと感じた。
体調が安定した頃、なんとなくネットで求人を探していると、こんな宣伝があった。
『空気が美味しい自然豊かな村で、いちから人生を始めてみませんか』
いちから始める。
その言葉が莉良にとっては、ひどく響きの良いものに聞こえた。莉良はその日の夜には応募書類を作成し、切手を貼って郵便ポストに投函していた。
2週間後、梶山村からの返答が来た。
20代の若手職員を探していたからという理由で、書類選考は合格したという。そして電話で面接日を決めた。
ぜひ、梶山村まで足を運んで欲しいという熱心な申し出により莉良は村に行くことに決めた。莉良の実家から、新幹線で2時間、バスで30分のところにある村だった。
「ほんとに、緑しかない……」
莉良は目の前に広がる田畑や、山に目を奪われた。
緑、みどり、ミドリ。
5月という時期もあるからか、桜は葉桜に、野花はのびのびと咲いていて、生命の力強さを感じた。そうして、土のいい匂い。莉良はすっかりこの村が好きになった。
「はい。じゃあ来週からよろしく」
「へ?」
面接で軽く自己紹介をした後の返答だった。村長だという年配の男性が、がははと豪快に笑う。
「半年間募集してくる子を待ってて1度も来なかったんだ。そんな大ピンチのときに君がきた。真面目そうだし、なにより笑顔がいいから採用することに決めたよ」
それからは風のごとく。
両親には猛反対されたが、初めての一人暮らし、田舎暮らしをすることになった。はじめは慣れない日々が続いてホームシックになりかけたが、村長の橋口をはじめ村役場の職員たちは優しく見守ってくれた。
そのおかげか、梶山村に住み着いて1年になる。この村の四季を見れたことで、莉良は去年よりこの村のことが好きになっていた。



