大型犬彼氏の「おかえり」がうるさい夏

 肉じゃがにめかぶを入れてしまったなんて失態を、俺が許さないとでも思っているのだろうか。


 軽くパーマのかかった猫っ毛をいじりながら、目の前の大型犬がすいませんと目を伏せる。

 いや、別に怒ってないけど……。

 本人からしたらそうとうの失敗だったらしく、顔も青白い。かたかたと小刻みに震える肩にふっと鼻から息が漏れる。

 軽く腰に手を当てて小さくため息をつけば、忠犬よろしくお座りをしているそれ(・・)はびくっと逞しい肩を揺らした。

「ほんとに、すいません……」

 項垂れる姿も見ものだなと思いながら、俺は見下ろし続けた。

 仕事を終えて帰ってきてすぐの光景がこれだった。玄関で匂いを嗅ぎとり今日は肉じゃがかと思って靴を脱いでいたら、ドタンバタンと大きな体を揺らして走ってくる大型犬に廊下を通せんぼされた。

 疲れてるから早くシャワーが浴びたいんだがな……。

 キッチンから漂ってくる肉じゃがの匂いに腹が鳴りそうになる。でも、そう素直に反応すると目の前の巨人が大喜びしそうなので我慢しておく。この駆け引きが結構楽しめるから俺は帰ってからも退屈しない。

「……怒ってます?」

 恐る恐る、といったふうにそれ(・・)が首を傾げた。

「……」

 あえて無言で押し通す。

 しゅんと項垂れる頭を撫でてやりたいのを堪えて、俺は仁王立ちになって見下ろしていた。


 そんな時間が数分経った頃、もう潮時かなと思って組んだ両腕を離そうとしたとき──。

「うう……っ」

 男泣きを始めたのを見て、少しやりすぎたかと反省する。だんだんとしくしく声だったのが、嗚咽混じりになって息が苦しそうだった。


 ……ここまで追い詰めるのはよくないな。


裕次郎(ゆうじろう)

「っはい……うっう……」

 ようやく上を向いた裕次郎の顔は涙でぐちゃぐちゃで、それを見ると胸が苦しくなった。いや、嘘だ。ほんとうは加虐心が疼きまくっていた。

「……俺が帰ってきたらまずはやることがあるだろ」

 ぱっと裕次郎の表情が一時停止する。次の瞬間、目を泳がせてゆっくりと立ち上がった。俺よりゆうに背の高い裕次郎だが、猫背のせいか腰が低く見える。

「おかえりなさい、(りょう)さん」

「ただいま」

  裕次郎が俺の耳元で囁く。そのままその広い腕の中に沈んでいく俺の体。

 ──帰りの一息はこれに限るな。

 ぴったりと張り付いて離れない子供体温の裕次郎の背を軽く撫でてやると、くぅんと子犬が鳴くような声を鼻から出した。

 そのままリビングまで抱き合いながら(端から見たら滑稽だが)、明るい場所までやってくるとやっと裕次郎が腕を離してくれた。

 大型犬が手加減なしにのしかかってきたせいで、俺の背筋が幾ばくかの間鍛えられた。

「もう怒ってません?」

 眉を落として聞いてくる裕次郎の鼻先をきゅっと指で摘む。

「なんれすか」

 こてっと首を傾げる裕次郎に「馬鹿だなこいつ」と思いながらほっぺをむにむにと遊んでやった。

 俺の行動を分析したのか、だんだんと張り詰めた表情が引っ込んでいく。

 裕次郎は俺にされるがままを嫌がることなく、甘えるように擦り寄ってきた。

「了さん。俺で遊んでますね……」

「ああ。ダメか?」

「いや、いいです。了さんだけ。特別ですよ」

 くしゅっと笑う顔がひまわりみたいに眩しくて俺は目を細めた。

「飯にしよう。めかぶ入りの肉じゃがなんて栄養満点だろ」

「ですよね! 味付けには自信あるんです」

 先程とは打って変わって満面のへらへら顔になった裕次郎を見てまだまだガキだなと笑っていると、そんな子供を遊ぶ俺もガキじゃないかと心の声が返ってきた。