校内に響き渡るチャイムの音に、僕はふうっと大きく伸びをして椅子の背もたれに腰掛けた。
苦手な物理の授業は、一生懸命黒板と先生の話にかじりつくけど言葉がすべて呪文みたいに聞こえてしまって、右耳から左耳へと通り抜けてしまう。
なんで理系に進んじゃったんだろ。
後悔先に立たず、とはよく言うもので。
本当は自分の数少ない長所を見るなら、文系のほうがいいかもなあ、なんて思ってたのにとある理由で理系を志願してしまった。
実際のところ、国立大学を目指しているから無駄な道ではないし、遠回りでもないんだけどね。
水筒からひんやりとした麦茶をこくんと口に含み、飲み干す。7月の夏休み直前。
教室にはクーラーがあるけど、僕のいる席にはあまり冷たい風があたらないから少し不満はある。
だけど、この席になってからは僕にとっては良いこと尽くめでしかなくて──。
「吹雪ー。チョコちょーだい」
あっ。今日は少し機嫌がいいみたい。
僕は名前を呼んだ前の席の子に一口チョコレートの包みを手渡す。彼は後ろを振り向くかわりに、ぐてっと椅子の背もたれに背中を押し付け、首を僕のほうへ倒してきた。
だらしのない姿勢なのに、なんか様になるのがずるい。
彼は僕を下から見上げるかたちで舌をべっ、と突き出した。紅く、肉厚な舌が真っ白い歯に映えて綺麗だ。思わず見とれてしまう。それと、シルバーの舌ピがきらっと教室の照明に反射して光った。
たぶん、舌ピってうちの学校だと校則違反だと思うんだけど……。
「あーん、は?」
「っ……わかった。あーん」
彼がむすっとしてイラつきだしたので慌ててチョコレートの包みを広げて、チョコレートを彼の舌の上に乗せた。すると彼は器用にチョコレートを口に含むと、もぐもぐと頬っぺを動かし始める。
「どろどろに溶けててなんか変な味する」
あーもう。変なこと言わないでよ。ここ、教室だよ。周りに聞こえたら恥ずかしいよ。
「仕方ないでしょ。夏だもん。そりゃチョコレートも溶けるよ」
「ふうん」
彼はつまらなそうに姿勢を正すと、僕の机に頬杖をついて向かいあわせで座り直す。その距離、約30センチ。不意の至近距離に思わず、ごくんと唾を飲み込んだ。
彼はにやにやと意地悪に笑うと机の下で、僕の閉じた足の膝をすりすりと彼の膝で押し付けてくる。まるで、「足を開け」と命令されているみたいに、目にはドSの炎がめらめらと燃えているのが見えた。
「っ」
僕は絶対に死守しなきゃと思い、がっちり膝と膝を合わせているのだが彼の膝の力が強すぎて、ちょっとだけ隙間が生まれてしまった。そこに目ざとく反応して、僕の膝の間に彼の膝が押し入ってきた。ぐぐぐ、と彼の膝と膝に僕の右太ももが挟まれる。
こういう密着を彼は恥ずかしげもなく皆が見ているところでやるから、いつ他のクラスメイトにバレるかとヒヤヒヤする。そんな僕の焦った顔を面白がるのが彼のマイブームらしい。
「ねえ、吹雪。そんなに拗ねんなよ。こっち見ろって」
僕が静かになったのを見て、彼は拗ねたと思ったらしい。急に猫撫で声になって僕を油断させようとしてくる。
だけど、その手には乗らないから。いつも彼の好き勝手にされていたら、心臓がいくつあってももたない。それくらい毎日ドキドキさせてくるし、不意打ちもたくさんあるし、彼といると気が抜けないのだ。
「別に、拗ねてない。ほら、あと休憩5分しかないって。次の授業の準備しないと」
「はあ。次、生物かー。めんどくせえな」
僕が急かすと彼は渋々自分の机の上に置いていたバイク雑誌を自分の机の中にしまった。
あーもう。物理の時、またサボってたんだ。
僕はお母さんみたいな気持ちで彼を見つめてしまう。
だって、彼と僕は小学生の頃からの幼馴染。家もお隣さん。一軒家同士、庭を挟んで共に成長してきた。
彼は昔からリーダーシップに恵まれていて、自然と人が集まってくるタイプ。まさにENFJって感じ。
僕とは正反対だ。INFJの僕は引っ込み思案で些細なことで悩みがち。友達は少なく、気を遣いがちで疲れやすい。
そんな僕が彼と仲良くなったのは少し不思議だ。お互い、自分に持ってないものを持っているから惹かれ合うのかな?
休憩時間残り2分。生物の先生が教室に入ってきた。のそのそ、熊さんみたいに大柄な男の先生。白髪と白ひげの似合う紳士なおじさま先生。
僕は生物の教科書とノートを机に置いて準備万端。また、大きく伸びをして気持ちを切替える。この授業が終わったらお昼休みだ。
今日の学食どれにしようかな。鯖の味噌煮定食、トンテキ定食もいいな。あ、でも野菜も食べなきゃだからコールスローサラダも付けてもらおうか。デザートは生みたてたまごのプリンにしよう。
お昼ご飯のメニューばかり考えていたら、ぐーっとお腹が鳴ってしまった。慌ててお腹を手で隠す。すると、前の席にいた彼が笑いを堪えきれなかったみたいで「ぶっ」と吹き出すのが聞こえて恥ずかしくなる。
彼が僕を振り返る。不意に、生物の教科書を横向きにして僕と自身の顔を隠した。僕らは一番窓際の席だから左には窓、右にはその他のクラスメイトがいる。
彼は他のクラスメイトに見えないように僕の顔を教科書で隠してから
「さっきのお返し。これでも食って昼休みまで我慢しとけ」
そう言って、唇を押し付けてきた。
「っん」
そのまま数秒くっついたあと、急に上唇を彼の舌でめくられて舌が入ってくる。それと同時に感じるメロンソーダの味。舌の上でぱちぱちと弾ける。
「先生にバレないように食えよ」
生物の教科書を机に戻してから、彼はそう不敵に笑った。
あーもう。なんなの、これ。もしかして、お腹空かせた僕のこと心配して、餌付けしてくれてる?
口移しでもらったメロンソーダ味の飴玉。たぶん、さっき僕が渡したチョコレートのお返しだと思うんだけど。渡し方がずるいよ。
こんなのもう、皆に見られたら付き合ってるって一瞬でバレちゃうじゃんか。
僕は口元を隠すように手を当ててひとり悶えていた。
そう。僕の初彼氏は彼で、付き合って1年経つ。理系のクラスに進んだのは彼と同じクラスになりたかったから。晴れて同じクラスになれたのが嬉しすぎて、家に帰ったら部屋でガッツポーズとっちゃったくらい。
それくらい、好きなんだよ。
こうやって内緒の恋人として学校で過ごすのも悪くないかも。
そう思った夏のはじまり。
苦手な物理の授業は、一生懸命黒板と先生の話にかじりつくけど言葉がすべて呪文みたいに聞こえてしまって、右耳から左耳へと通り抜けてしまう。
なんで理系に進んじゃったんだろ。
後悔先に立たず、とはよく言うもので。
本当は自分の数少ない長所を見るなら、文系のほうがいいかもなあ、なんて思ってたのにとある理由で理系を志願してしまった。
実際のところ、国立大学を目指しているから無駄な道ではないし、遠回りでもないんだけどね。
水筒からひんやりとした麦茶をこくんと口に含み、飲み干す。7月の夏休み直前。
教室にはクーラーがあるけど、僕のいる席にはあまり冷たい風があたらないから少し不満はある。
だけど、この席になってからは僕にとっては良いこと尽くめでしかなくて──。
「吹雪ー。チョコちょーだい」
あっ。今日は少し機嫌がいいみたい。
僕は名前を呼んだ前の席の子に一口チョコレートの包みを手渡す。彼は後ろを振り向くかわりに、ぐてっと椅子の背もたれに背中を押し付け、首を僕のほうへ倒してきた。
だらしのない姿勢なのに、なんか様になるのがずるい。
彼は僕を下から見上げるかたちで舌をべっ、と突き出した。紅く、肉厚な舌が真っ白い歯に映えて綺麗だ。思わず見とれてしまう。それと、シルバーの舌ピがきらっと教室の照明に反射して光った。
たぶん、舌ピってうちの学校だと校則違反だと思うんだけど……。
「あーん、は?」
「っ……わかった。あーん」
彼がむすっとしてイラつきだしたので慌ててチョコレートの包みを広げて、チョコレートを彼の舌の上に乗せた。すると彼は器用にチョコレートを口に含むと、もぐもぐと頬っぺを動かし始める。
「どろどろに溶けててなんか変な味する」
あーもう。変なこと言わないでよ。ここ、教室だよ。周りに聞こえたら恥ずかしいよ。
「仕方ないでしょ。夏だもん。そりゃチョコレートも溶けるよ」
「ふうん」
彼はつまらなそうに姿勢を正すと、僕の机に頬杖をついて向かいあわせで座り直す。その距離、約30センチ。不意の至近距離に思わず、ごくんと唾を飲み込んだ。
彼はにやにやと意地悪に笑うと机の下で、僕の閉じた足の膝をすりすりと彼の膝で押し付けてくる。まるで、「足を開け」と命令されているみたいに、目にはドSの炎がめらめらと燃えているのが見えた。
「っ」
僕は絶対に死守しなきゃと思い、がっちり膝と膝を合わせているのだが彼の膝の力が強すぎて、ちょっとだけ隙間が生まれてしまった。そこに目ざとく反応して、僕の膝の間に彼の膝が押し入ってきた。ぐぐぐ、と彼の膝と膝に僕の右太ももが挟まれる。
こういう密着を彼は恥ずかしげもなく皆が見ているところでやるから、いつ他のクラスメイトにバレるかとヒヤヒヤする。そんな僕の焦った顔を面白がるのが彼のマイブームらしい。
「ねえ、吹雪。そんなに拗ねんなよ。こっち見ろって」
僕が静かになったのを見て、彼は拗ねたと思ったらしい。急に猫撫で声になって僕を油断させようとしてくる。
だけど、その手には乗らないから。いつも彼の好き勝手にされていたら、心臓がいくつあってももたない。それくらい毎日ドキドキさせてくるし、不意打ちもたくさんあるし、彼といると気が抜けないのだ。
「別に、拗ねてない。ほら、あと休憩5分しかないって。次の授業の準備しないと」
「はあ。次、生物かー。めんどくせえな」
僕が急かすと彼は渋々自分の机の上に置いていたバイク雑誌を自分の机の中にしまった。
あーもう。物理の時、またサボってたんだ。
僕はお母さんみたいな気持ちで彼を見つめてしまう。
だって、彼と僕は小学生の頃からの幼馴染。家もお隣さん。一軒家同士、庭を挟んで共に成長してきた。
彼は昔からリーダーシップに恵まれていて、自然と人が集まってくるタイプ。まさにENFJって感じ。
僕とは正反対だ。INFJの僕は引っ込み思案で些細なことで悩みがち。友達は少なく、気を遣いがちで疲れやすい。
そんな僕が彼と仲良くなったのは少し不思議だ。お互い、自分に持ってないものを持っているから惹かれ合うのかな?
休憩時間残り2分。生物の先生が教室に入ってきた。のそのそ、熊さんみたいに大柄な男の先生。白髪と白ひげの似合う紳士なおじさま先生。
僕は生物の教科書とノートを机に置いて準備万端。また、大きく伸びをして気持ちを切替える。この授業が終わったらお昼休みだ。
今日の学食どれにしようかな。鯖の味噌煮定食、トンテキ定食もいいな。あ、でも野菜も食べなきゃだからコールスローサラダも付けてもらおうか。デザートは生みたてたまごのプリンにしよう。
お昼ご飯のメニューばかり考えていたら、ぐーっとお腹が鳴ってしまった。慌ててお腹を手で隠す。すると、前の席にいた彼が笑いを堪えきれなかったみたいで「ぶっ」と吹き出すのが聞こえて恥ずかしくなる。
彼が僕を振り返る。不意に、生物の教科書を横向きにして僕と自身の顔を隠した。僕らは一番窓際の席だから左には窓、右にはその他のクラスメイトがいる。
彼は他のクラスメイトに見えないように僕の顔を教科書で隠してから
「さっきのお返し。これでも食って昼休みまで我慢しとけ」
そう言って、唇を押し付けてきた。
「っん」
そのまま数秒くっついたあと、急に上唇を彼の舌でめくられて舌が入ってくる。それと同時に感じるメロンソーダの味。舌の上でぱちぱちと弾ける。
「先生にバレないように食えよ」
生物の教科書を机に戻してから、彼はそう不敵に笑った。
あーもう。なんなの、これ。もしかして、お腹空かせた僕のこと心配して、餌付けしてくれてる?
口移しでもらったメロンソーダ味の飴玉。たぶん、さっき僕が渡したチョコレートのお返しだと思うんだけど。渡し方がずるいよ。
こんなのもう、皆に見られたら付き合ってるって一瞬でバレちゃうじゃんか。
僕は口元を隠すように手を当ててひとり悶えていた。
そう。僕の初彼氏は彼で、付き合って1年経つ。理系のクラスに進んだのは彼と同じクラスになりたかったから。晴れて同じクラスになれたのが嬉しすぎて、家に帰ったら部屋でガッツポーズとっちゃったくらい。
それくらい、好きなんだよ。
こうやって内緒の恋人として学校で過ごすのも悪くないかも。
そう思った夏のはじまり。

