城からカースティ侯爵家の屋敷まで、一時間以上はかかる道のりだ。
アンバーから夫人の情報を受け取っているはずだから、彼にもある程度の知識は入っているはず。
これから茶会に臨むに当たっての注意事項を確認しようとしたところで、まだ緊張の抜けないエドの黒い目が私を見つめた。
「なにか心配ごとでも?」
「は、はい。少し確認しておきたいことが」
「いいわ。大事なことよ。なんでも言って」
よほど言いにくいことなのか、彼はわずかに頬を赤らめ視線を落とした。
「えっと、これから私と殿下は、恋人同士ということになりますよね」
「そうね」
「ど、どこまで、手を出しても大丈夫なのでしょうか」
「……。は? 手を出すって、どういうこと?」
エドは真っ赤にした顔で、慌てて弁明を始めた。
「ち、違うんです! もちろん殿下に失礼なことは絶対にいたしません! ただ、人前で恋人同士と見せつけるための俺なんですよね。だとしたら、その、手を繋ぐとか肌にどこまで触れていいのかとか、キスは……」
「キス!」
「ち、違うんです!」
「なにが違うのよ!」
エドの顔は真っ赤だけど、私だって負けないくらい赤くなってる!
「口元には絶対いたしません、人前ですし! けど、場合によっては頬や額までは状況によって必要に迫られる場合があるかと!」
信じられない。
私と契約してからのこの数日間、ずっとそんなことばっかり考えてたの?
「その辺りは、私だって状況により考慮します。絶対にダメというわけでも、全て許可を出すということもありません!」
「だ、だから事前に確認しておいた方が、今後のトラブル回避に繋がるかと思いまして。エスコート程度の接触と、頬と手にキスまでは事前許可をいただいておかないと、私としても動きにくいというか!」
「そうですよね! 分かりました! 節度ある範囲でお願いします。口元以外なら、許可します!」
「ありがとうございます! こちらから手を繋ぐのも大丈夫でしょうか!」
「えぇ、そうね。そういう必要があったと判断した場合には、私からもそうします!」
「えぇ! セオネードさまからもですか?」
エドの赤かった顔が、今度は一気に青くなった。
「そ、それはちょっと……」
「な、なぜですか。あなたからそうする必要があるというのなら、私からの場合もあるかもしれないでしょう。あくまで仮定の話ですが」
「そ、そうですよね。あくまで仮定の話ですよね」
エドは大きなため息をつくと、顔を横に向けた。
「あぁ……。めっちゃ緊張してきた……」
私も手にした扇を広げ、熱くなった顔を煽ぐ。
「あ、あの。セオネードさま」
「なんです?」
エドは青い横顔を向けたまま言った。
「お答えしにくいようなら、返事はいただかなくて結構です。もし、セオネードさまに本当のお相手がおられて、俺がその身代わりという可能性はございますか?」
「どういうこと?」
「あまり大胆なことをして、その方に怨まれるようなことがあってはならないと思いまして。誤解されるような行動は、たとえフリでも慎みたいと……」
「その心配はしなくて大丈夫よ。そういうことに関しては、全部こちらで処理しておくから」
「あ、はい」
「あなたは何も考えずに、ただ私の恋人役でいてください」
「かしこまりました」
エドの顔が引き締まる。
彼は私に、別の本当の恋人がいるとでも思っているのかしら。
そんな心配しなくてもいいのに。
まぁでも、いないとハッキリ言ってしまうのも、何だか癪に障るような……。
「あぁ、もしかしてジェードのこと?」
「それもありますが……」
「大丈夫よ。エドが気にすることじゃないから」
窓の外に視線を移す。
いつもは長い道のりなのに、馬車はカースティ公爵家の敷地に入るところだった。
「到着したようね」
「はい。いよいよこれからが本番です」
エドは目を閉じると、大きく息を吸ってから吐き出した。
「ではここからしばらく、私は殿下の婚約者となります。多少の無礼はお許しください。後でお叱りは受けます」
「そうね。お願いします」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
馬車が車寄せに停まった。
他にも大勢の招待客がいるのか、複数の馬車が停まり従者たちがうろついている。
馬車が停まった瞬間、カースティ侯爵家の従者がドアを開けた。
「セオネード王女殿下と、そのご婚約者エドオーウェンさまご到着です」
エドは扉が開くのとほぼ同時に立ち上がると、先に馬車を降りた。
今までの弱気な態度が嘘みたいに極上の笑みで見上げると、私に向かって手を差し出す。
「ありがとう」
その手に助けられ、地面に降りた。
つい数秒前まで恥ずかしがってばかりいた顔がウソみたいなキラキラに眩しい笑顔で、私を優しく見下ろす。
なにこの変わりよう。
爽やかな笑顔と視線が近すぎて、何だかそのギャップにドキリとする。
従者の案内に従い、カースティ侯爵家の庭に出た。
馬車寄せから続く細い石畳の向こうに、緑の芝生で埋め尽くされた庭園が広がり、手入れの行き届いた草花が可憐に咲き乱れている。
焼き上がったばかりのパイや爽やかな紅茶の香りが風に乗って運ばれ、豪華な衣装に身を包んだ貴族たちが優雅に歓談を交わしながら、私たちを待ち構えていた。
姿を見せると同時に、一気に視線が集まる。
「まぁ、本当にセオネードさまがいらっしゃいましたわ」
「あの方が噂のご婚約者さま?」
「あまりお見かけしたことのない方ね」
そんなあからさまな嫌味やささやきにも、エドは真っ直ぐに顔を上げたまま、微笑みを崩さない。
力強く前に進んでいく姿に、私は彼の腕を掴む手に力を込めた。
そうよ。
彼を戦場に巻き込んだのは私。
パートナーに選んだ相手を信じなくてどうするの?
喪服のような黒いドレスで武装したカースティ侯爵夫人が、華やかな招待客の間に浮かび上がる。
彼女は私たちに気がつくと、ゆっくりと振り返った。
「まぁ。尻尾を巻いて逃げ出すかと思ったのに、ちゃんと連れてきたのね」
「本日はお招きありがとうございます」
エドは私を脇に従えたまま、胸に手を当て完璧な角度まで頭を下げた。
年の割に幼く見えるその顔が、屈託なく微笑む。
アンバーから夫人の情報を受け取っているはずだから、彼にもある程度の知識は入っているはず。
これから茶会に臨むに当たっての注意事項を確認しようとしたところで、まだ緊張の抜けないエドの黒い目が私を見つめた。
「なにか心配ごとでも?」
「は、はい。少し確認しておきたいことが」
「いいわ。大事なことよ。なんでも言って」
よほど言いにくいことなのか、彼はわずかに頬を赤らめ視線を落とした。
「えっと、これから私と殿下は、恋人同士ということになりますよね」
「そうね」
「ど、どこまで、手を出しても大丈夫なのでしょうか」
「……。は? 手を出すって、どういうこと?」
エドは真っ赤にした顔で、慌てて弁明を始めた。
「ち、違うんです! もちろん殿下に失礼なことは絶対にいたしません! ただ、人前で恋人同士と見せつけるための俺なんですよね。だとしたら、その、手を繋ぐとか肌にどこまで触れていいのかとか、キスは……」
「キス!」
「ち、違うんです!」
「なにが違うのよ!」
エドの顔は真っ赤だけど、私だって負けないくらい赤くなってる!
「口元には絶対いたしません、人前ですし! けど、場合によっては頬や額までは状況によって必要に迫られる場合があるかと!」
信じられない。
私と契約してからのこの数日間、ずっとそんなことばっかり考えてたの?
「その辺りは、私だって状況により考慮します。絶対にダメというわけでも、全て許可を出すということもありません!」
「だ、だから事前に確認しておいた方が、今後のトラブル回避に繋がるかと思いまして。エスコート程度の接触と、頬と手にキスまでは事前許可をいただいておかないと、私としても動きにくいというか!」
「そうですよね! 分かりました! 節度ある範囲でお願いします。口元以外なら、許可します!」
「ありがとうございます! こちらから手を繋ぐのも大丈夫でしょうか!」
「えぇ、そうね。そういう必要があったと判断した場合には、私からもそうします!」
「えぇ! セオネードさまからもですか?」
エドの赤かった顔が、今度は一気に青くなった。
「そ、それはちょっと……」
「な、なぜですか。あなたからそうする必要があるというのなら、私からの場合もあるかもしれないでしょう。あくまで仮定の話ですが」
「そ、そうですよね。あくまで仮定の話ですよね」
エドは大きなため息をつくと、顔を横に向けた。
「あぁ……。めっちゃ緊張してきた……」
私も手にした扇を広げ、熱くなった顔を煽ぐ。
「あ、あの。セオネードさま」
「なんです?」
エドは青い横顔を向けたまま言った。
「お答えしにくいようなら、返事はいただかなくて結構です。もし、セオネードさまに本当のお相手がおられて、俺がその身代わりという可能性はございますか?」
「どういうこと?」
「あまり大胆なことをして、その方に怨まれるようなことがあってはならないと思いまして。誤解されるような行動は、たとえフリでも慎みたいと……」
「その心配はしなくて大丈夫よ。そういうことに関しては、全部こちらで処理しておくから」
「あ、はい」
「あなたは何も考えずに、ただ私の恋人役でいてください」
「かしこまりました」
エドの顔が引き締まる。
彼は私に、別の本当の恋人がいるとでも思っているのかしら。
そんな心配しなくてもいいのに。
まぁでも、いないとハッキリ言ってしまうのも、何だか癪に障るような……。
「あぁ、もしかしてジェードのこと?」
「それもありますが……」
「大丈夫よ。エドが気にすることじゃないから」
窓の外に視線を移す。
いつもは長い道のりなのに、馬車はカースティ公爵家の敷地に入るところだった。
「到着したようね」
「はい。いよいよこれからが本番です」
エドは目を閉じると、大きく息を吸ってから吐き出した。
「ではここからしばらく、私は殿下の婚約者となります。多少の無礼はお許しください。後でお叱りは受けます」
「そうね。お願いします」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
馬車が車寄せに停まった。
他にも大勢の招待客がいるのか、複数の馬車が停まり従者たちがうろついている。
馬車が停まった瞬間、カースティ侯爵家の従者がドアを開けた。
「セオネード王女殿下と、そのご婚約者エドオーウェンさまご到着です」
エドは扉が開くのとほぼ同時に立ち上がると、先に馬車を降りた。
今までの弱気な態度が嘘みたいに極上の笑みで見上げると、私に向かって手を差し出す。
「ありがとう」
その手に助けられ、地面に降りた。
つい数秒前まで恥ずかしがってばかりいた顔がウソみたいなキラキラに眩しい笑顔で、私を優しく見下ろす。
なにこの変わりよう。
爽やかな笑顔と視線が近すぎて、何だかそのギャップにドキリとする。
従者の案内に従い、カースティ侯爵家の庭に出た。
馬車寄せから続く細い石畳の向こうに、緑の芝生で埋め尽くされた庭園が広がり、手入れの行き届いた草花が可憐に咲き乱れている。
焼き上がったばかりのパイや爽やかな紅茶の香りが風に乗って運ばれ、豪華な衣装に身を包んだ貴族たちが優雅に歓談を交わしながら、私たちを待ち構えていた。
姿を見せると同時に、一気に視線が集まる。
「まぁ、本当にセオネードさまがいらっしゃいましたわ」
「あの方が噂のご婚約者さま?」
「あまりお見かけしたことのない方ね」
そんなあからさまな嫌味やささやきにも、エドは真っ直ぐに顔を上げたまま、微笑みを崩さない。
力強く前に進んでいく姿に、私は彼の腕を掴む手に力を込めた。
そうよ。
彼を戦場に巻き込んだのは私。
パートナーに選んだ相手を信じなくてどうするの?
喪服のような黒いドレスで武装したカースティ侯爵夫人が、華やかな招待客の間に浮かび上がる。
彼女は私たちに気がつくと、ゆっくりと振り返った。
「まぁ。尻尾を巻いて逃げ出すかと思ったのに、ちゃんと連れてきたのね」
「本日はお招きありがとうございます」
エドは私を脇に従えたまま、胸に手を当て完璧な角度まで頭を下げた。
年の割に幼く見えるその顔が、屈託なく微笑む。



