王女殿下は下級官吏を婚約者に選ぶ

 エドを婚約者役として迎え無事契約も果たしたところで、しばらくの平和が得られたと思っていたのに、事態はそう甘くは進まない。

「大変です、セオネードさま!」

 執務室に飛び込んで来たアンバーが、珍しく顔を真っ青にしていた。
私は動かしていたペンを止め顔を上げる。

「騒がしいわね。何事よ」

 仕事中に邪魔されることを何より嫌う私のところへ飛び込んで来たのだから、よほどの事でない限り許されない。

「カ、カースティ公爵夫人が、執務室までお越しです!」
「え?」

 カースティ公爵夫人は私の祖父、つまり先代国王の姉にあたる大伯母さまだ。
齢八十を越えるご高齢で、今は王城近くの庭園で静かに余生を過ごされている。

「なぜ大伯母さまが城に?」

 私はこの夫人が大の苦手だ。
幼い頃、従兄弟のジェードと共によくこの大伯母のところに預けられ、宮廷で生きる貴族としてのマナーを叩き込まれた。
いわゆる『躾け』というやつだ。
食事のマナーからお辞儀の仕方、話し方から立ち居振る舞いまで、厳しい指導を受けた。
一言でも自分の意見を言ったり反論しようものなら容赦なく侍女を鞭打つやり方には、今も納得いってない。
かといって無視することも拒否することも出来ない、トップクラスに扱いの面倒な相手だ。

「お久しゅうございます。セオネード王女殿下」

 大伯母は落ち着いた黒のドレスに身を包み、時計仕掛けの人形のように正確かつお手本より完璧なやり方で、取り囲む高齢の侍女たちと共に頭を下げた。

「おばさま。このようなところまで、どうなさったのですか?」

 彼女を迎えるために、座っていた執務室の椅子から立ち上がる。
それを見た夫人は、盛大にため息をついた。

「全く。あなたの噂では何一ついいことを聞きませんが、本当に王さまのまねごとのようなことをなさっているのですね」

 女性が国政に口を挟むなど、あり得ないという価値観で生きる人たちだ。
ハナから話し合えるとも思っていない。

「私はまだ、おばさまに認められるような人間になれたとは思っておりません。ですが、努力は惜しみなく続けているつもりです」
「情けないお話しだわ。どうして陛下は男の子を産ませなかったのかしら」

 そんなセリフ、この大伯母さまに限らず、飽きるほど聞き飽きた。
産まれて来ることを望まれなかった王女から、望まれる女王となるために、私はこうして戦っている。

「私が皆さまに認められるには、どうすればよいのでしょう。どうか教えてくださいませんか」
「本日ここまで私がわざわざ出向いたのには、わけがあります」

 相変わらずこの人は、私の話を聞くつもりはない。
彼女は後ろに控えていた侍女から、封筒を受け取った。

「私の主催するお茶会への招待状です。あなた、誰にも相談なく婚約者を決めたそうね。そんな勝手なこと、到底認めるわけにはまいりません。名前は何というお方だったかしら? ぜひその方とご一緒に出席なさい」
「エドと?」
「あら。あなたの選んだ方は、私の招待に応じることすら出来ないような人なの?」
「そ、そんなことはございません」
「なら問題ないわね。楽しみにしているわ。セオネード」

 カースティ夫人は私の執務室をぐるりと見渡すと、フンと鼻息を鳴らした。

「相変わらず殺風景で、面白味のない部屋だこと」

 最後まで嫌味を並べて、ようやく大伯母が背を向けた。
控える侍女たちが深々と頭をさげ、ようやく扉が閉まる。

「アンバー。すぐに中を確認して」

 厄介なことになった。
私は夫人から預かった封筒を彼女に渡すと、ソファに腰を落とす。
痛む頭を抱えてアンバーからの返事を待った。

「日時は一週間後、場所はカースティ侯爵家ですね」
「一週間……」

 私の婚約発表が、大きな話題になることは分かっていた。
だけどまさか、こんなところから攻められるとは思わなかった。

「面倒なところに目を付けられたわね」

 カースティさまは、父王の弟の子であるジェードとも、同じ親戚筋にあたる。
なかなか結婚しない私のことを、日頃から陰で大げさに嘆いていることも知っている。
そもそも女性が政務に関わることすらよく思っていない人だ。
エドを連れて行ったらどんなことになるかくらい、簡単に想像がつく。

「先日のパーティーでのエドさまのダンス。悪いものではなかったですが、とてもお上手だとは表現し難く……」
「あぁ……。そうね……」

 私が楽をするための偽装婚約だったのに、どうしてこうも次から次へと問題が起こるんだろう。
私のことなんて、放っておいてくれればいいのに。

「一週間じゃ、エドを仕込む猶予もないわね」
「最低限の礼儀ぐらいはわきまえておいででしょう。王城に出入りする官吏なら、当然身につけているべき内容です」
「だけどそれでは、あの大伯母さまは満足なさらないわ」

 侯爵夫人の目には、とてもじゃないけど入れられない。
いっそのこと、招待を断ろうかしら。
私にはこの国を守るという大切な仕事が待っている。
かつての王室に女王がいた前例はあるけど、さほど数は多くない。
だからこそ次期国王となる私が、絶対に女王として悪評を残すわけにはいかない。
このお茶会に集まるのは、誰もが侯爵夫人と交流のある上級貴族ばかり。
そこで恥をかくわけには……。

「いいわ。行きましょう」
「正気ですか!」
「当然」

 ソファから立ち上がる。
私は次期国王になる。
いつまでも彼らのような、一部の上流貴族たちの言いなりになっていることは出来ない。
いずれにせよ、将来の結婚相手にはできる限り何の政治権力と関わりのない相手を選ぼうと思っていた。
これは本番に備え、周囲の反応を見るためのいい予行演習になる。

「すぐにエドに連絡を。予定を空けるように伝えておいて。しっかり準備を調え、仕上げておいてちょうだい」
「か、かしこまりました」

 正直、彼に期待していることは何もない。
巻き込んでしまったことは申し訳ないと思っているけど、これは契約に基づいた仕事の依頼であり、彼もそれに合意した。
私は彼を使って、やれることをやろうと思う。

 お茶会の日まで一週間、色々準備しておきたいことはあるけど、アンバーに任せるしかない。
私には目の前に積み上がった、他にやるべき大切な仕事がある。
エドを信じるしかない。

 その日はすぐにやって来た。
婚約者と別々の馬車で屋敷まで向かうのは、さすがに体裁が悪いというのが建前で、エドに用意出来る馬車がないという理由で、同乗して行くことになってしまった。
時間通り馬車寄せに現れたエドは、金糸で刺繍の入ったモスグリーンの上着とベスト、オレンジに近いカーキ色のブリーチズと呼ばれるハーフパンツスタイルに調えている。

「私のドレスと衣装を合わせたのね」
「はい。素敵なお洋服を用意くださり、感謝しております」

 アンバーの計らいで城内の一室に彼のための私室を用意し、昨晩はそこに泊まらせて支度をしたという。
初めて会った時はボサボサと伸ばしっぱなしだったような黒髪も、今朝は侍女たちに手入れをされたのか、短く切りそろえられ、ふんわりとまとめられていた。
いつもならアンバーかジェードが座る座席の対面に彼が乗り込むと、馬車は動き出す。