王女殿下は下級官吏を婚約者に選ぶ

「は、はい。ジェードさま。私はこれから婚約者として、セオネードさまとお付き合いすることになりました」

 彼の言葉に感情が伝染したのか、ジェードまでガチンと固まった。
かと思いきや、思いきりため息をつくと、崩れ落ちるようにソファへ身を沈める。

「セオネード。君はこれまでの賢女としての評判を落とすつもりか?」
「どういうこと?」
「恋愛に興味を持つなとは言わない。君だって恋の一つや二つ経験したいというのは分かる。だがこれが、本当の恋人だと言えるのか?」

 そんなこと、百も承知でやっている。
さっきもエドに言われたばかりだ。
それでも、誰かに用意された相手ではなく、自分自身で結婚する相手は選びたい。
私はそのためにも時間が欲しい。

「それを決めるのは、ジェードじゃない。私よ」

 隣に立つ緊張を隠せないエドの腕に、私は自分の腕を絡めた。

「とにかく、私は彼を婚約者にすると決めたの。そうなったからには、私の決定に従ってもらうわ。そうでしょ?」

 エドに身を寄せると、ジェードから見えないよう、その脇腹をつつく。
彼は私の合図に気づくと、即座に反応した。

「ジェードさま。私はこれから、殿下に相応しいお相手となるよう、精一杯努めさせていただきます」

 ガチガチの棒読みではあったけれど、今回ばかりは合格点を出してあげる。
エドの手が私の肩に触れ、その肩を遠慮がちにでも自分の側に引き寄せた。

「どうか殿下のお気持ちをお汲みとりください。決して殿下の汚点にはならないよう、誠心誠意努力いたします。ジェードさまには、どうかこれからも末永く……」
「黙れ!」

 ジェードの振り上げた拳が、エドの腹を突き上げる。
アンバーの口から悲鳴が上がった。

「やめなさい、ジェード! これ以上の無礼は、たとえあなたでも許しません! 衛兵! 彼に退出を!」
「殿下!」
「下がりなさい!」

 複数の兵士たちがジェードを取り囲む。
彼はようやく観念したのか、渋々ながらも大人しく部屋を出て行った。
アンバーに人払いをさせ、ようやく三人だけとなった部屋で、片膝をつきうずくまるエドの背に触れる。

「大丈夫ですか?」

 殴られた腹を痛そうに押さえていた彼を、ソファに座らせる。
エドは遠慮がちな、はにかんだ笑みを浮かべた。

「はは。早速それらしいお役目を果たせて、満足しております」

 アンバーが医務官を呼ぼうと説得しても、彼は大げさだと断った。

「これくらいで弱音を吐くようでは、これから殿下の恋人役は勤まりませんよ。覚悟を決めるいいきっかけになりました。そうでなくては、長年殿下に想いを寄せられていたジェードさまにも、申し訳ない」

 彼はよろよろと席を立つと、腹に手を添え歩きにくそうにしながらも、丁寧に頭を下げた。

「では、本日はこれで失礼させていただきます。これから、よろしくお願いします」

 ジェードに続いて、エドも部屋を出て行った。
苦痛を隠した笑みを浮かべたまま、型どおりに頭を下げ退出していく。

「エド、待っ……」

 本当に、このまま帰してしまっていいのだろうか。
今になって、申し訳ない気持ちが浮かんでくる。
怪我の状態は気になったものの、引き留めるのも悪い気がした。
こんな時、本当の恋人同士だったら、どんな風に接したりするんだろう。
私には、それが分からない。

 扉が閉まる。
彼の姿が見えなくなった瞬間、私はこれまでの緊張から一気に解放された。
気の緩んだとたん、心理的な疲れがどっと押し寄せてくる。
ソファに倒れ込んだ私の隣に、アンバーも雪崩れ込んだ。

「あぁ……。今日はホント疲れた」
「全くですよ」

 アンバーはもたれかかったソファの肘からゴソリと体を動かすと、灰色の目を半開きにしてじっと私を見つめる。

「本当に、これでよかったのですか、セオネードさま」
「……。まぁ、なるようになるしかないでしょ」

 始めてしまったものは仕方がない。
私にだって、それなりの覚悟は持ってきたつもり。
去り際に役目を果たせて満足したと言った、彼の控えめな笑顔を思い出す。
それがとても、悲しくも寂しくも見えた。

「まぁせいぜい、頑張ってもらいましょう」

 必要な対価は十分用意してある。
これは仕事であり契約なのだから、しっかり働いてもらわなくちゃ。
だから私は彼に、罪の意識を持つ必要なんて、ない。

「どうなっても、私は知りませんからね」
「大丈夫よ。ダメだと分かったら、別れればいいんだもん。契約書もあるし」
「あー……。そんなものが、どれだけ効力を発揮するんでしょうね」
「いいわよ。これでしばらくの間だけでも、仕事に集中出来る時間を作れるなら、安いものよ」

 はい。
この問題はこれでお終い。
せいぜいエドには、恋人としての役目を果たしてもらいましょ。
だから私も、前を向き満足しなくちゃ。

「じゃ、残りの仕事を片付けてくるわね」

 私は応接室を出ると、執務室へと向かった。