王女殿下は下級官吏を婚約者に選ぶ

 そう言った私に、彼はようやく顔を上げた。

「いえ。そういうワケではございませんが……」
「想う方がおられるとか」
「い、いえ。そこで迷っているのではございません……」

 少し頬を赤らめた彼は、ようやく緊張から解放されたようだった。
ならば問題ない。
私は扇で口元を半分隠すと、わずかにうつむきエドから顔を背ける。
ここで彼に逃げられたら、今回の計画が台無しだ。
仕事に集中したいと思っている私の平和な毎日が、今回の騒ぎでますます遠ざかる!

「私にも、結婚したいと思うような恋人は現在おりません。今までも、そしてこれからもずっとそうでしょう。好きな人なんていないのに、それでも早く結婚しろ、相手を選べと急かされます。王女ですので、政略結婚は仕方のないものと理解しております。ですが、少しでよいのです。私に、例え偽物であっても恋人がいたんだという、儚い夢をみさせてはもらえませんか」
「……。それが、私を選んだ理由ですか」

 アンバーのグレーの目が、冷めた目で私をチラ見する。
さすがに彼女にはバレてるか。
もちろんそんなことを本気で思ったことなんて、未だかつて一瞬たりともない。

「ふと城の一角であなたを見かけて、お願いするなら、あなたのような人がいいなと……」

 エドはまだまだ深く頭を抱え悩み考え込んでいる。
しかし私の口から彼が婚約者だと大勢の前で公言したことで、外堀は埋めてある。
あともう一押しだ。
彼は契約書を両手に握り締めたまま、アンバーの書いた条件をじっと見つめ動かない。

「そこに書かれた要件以外に、何か必要なものがありますか? それを言っていただければ、可能な限り検討いたします」

 ここで失敗すれば「ウキウキお仕事集中計画」は、一からやり直しだ。
またしばらく結婚結婚とうるさい外野にわずらわされることになる。
出来ればそれだけは避けたい。
たとえこの作戦が一時しのぎでありその場限りのものであったとしても、確実に成功させたい! 
ずっと石のように動かなかった彼が、ふと何かを閃いたように顔を上げた。

「殿下。これが私と同意の上での契約ではなく、殿下からのご命令とあれば、お受けいたしましょう。臣下の一人として、君主の信に応えるのは、騎士としての役目。私にその任を任せると殿下からご用命くだされば、私は喜んでその役目をお引き受けいたします」
「私の命によって、婚約者を演じると?」
「はい。私は全て、殿下のご命令に従うまでです」
「いいでしょう」

 やった! 
これ以上ないくらい上手くいった! 
契約書を交わすより、命令であった方がこちらから婚約破棄もしやすい。
対等な立場を自ら破棄したのは、エドである彼自身だ。
私は彼の腰に差してあった剣を抜き取ると、ひざまずいた彼の肩を触れる程度に軽く叩いた。

「エドオーウェン・マコルガン。そなたを今から、我が婚約者係として任命する」
「謹んでお受けいたします。殿下の望む限り、私は殿下の望む婚約者であり続けましょう」

 うふふ。
なかなか悪くない提案ね。
むしろよく考えたとも思う。
私の命令で婚約者になったというのであれば、この役を引き受けたのは、自らの意志ではないということになる。
逆らえない相手からの命令であるのなら、彼としては従うしかない。
つまり「本当はやりたくなかったけど、やらされた」が成立する。
アンバーも彼の意図するところに気づいただろうに、ワザとらしいほど大げさかつ無邪気にはしゃいでみせた。

「おめでとうございます! これで晴れて、お二人の婚約者契約が成立いたしました! でも一応、こちらにもサインお願いできますかね」
「あ、はい」

 彼はアンバーからペンを受け取ると、自らの手でサインを入れた。
やった。
これでしばらくはうるさい連中に煩わされることなく、心置きなく仕事に集中ができ……。

「セオネードさま! どうかここをお開けください!」

 閉めきった扉の向こうが騒がしい。
衛兵にこの部屋へ誰も通すなと命じてあったのに、そこを正面突破してこようという大胆な奴がいるようだ。
一体誰なのか。
わざわざ聞かなくても、大体想像はつく。
アンバーは広げていた契約書を、素早く片付けた。

「セオネードさま!」

 ついに扉が破られる。
飛び込んで来たのは、やはりジェードだった。
ソファに座るエドを視界には入れているだろうに、一切振り返ることなくこちらに向かってくる。

「セオネード」

 彼は大げさな身振りで両腕を広げると、思い切り私を抱きしめた。

「大丈夫だったか。怪我は?」
「なんの話?」

 気安く私に触れるなど、本来はあってはならないこと。
私はすぐさまジェードの胸を押しのけ、その腕から逃れる。

「大勢に取り囲まれていたじゃないか。突然会場を抜け出したりして。一体何があった」
「何がって、知ってるじゃない」

 王族の血を引くマクニース公爵家嫡男であり、社交界での絶大な権力を誇るジェードの登場に、エドはすっかり縮み上がっていた。
真っ直ぐ背を伸ばしカチコチに固まった状態のまま、ソファからバネ仕掛けの人形のように飛び上がって立ち上がる。

「紹介するわ。私の婚約者となった、エドよ」

 ジェードは彼に対し無表情を装いながらも、目だけは隠しきれない敵意をむき出しにしている。

「あ……。は、初めまして。私はこの度、セオネードさまの婚約者となった、エドオーウェン・マコルガ……」
「セオ! こんな話は聞いてない! どういうことだ。婚約者だって? どうしていきなり……」
「一目惚れしたの」

 ジェードの登場に、私はブルブルと震える彼の隣に場所を移す。
ラクダ色の下級官吏の制服を着たエドの隣に肩を並べ、ジェードを見上げた。

「あなたにだけは、本当のことを伝えておくわ。これから彼には、私の恋人になってもらうことにしたの」

 ジェードの最大限にまで開ききった大きな目が、瞬きもせず私を見下ろす。

「恋人になってもらうことにした?」
「そうよ。言ったでしょ、私が一目惚れしたって」
「セオ。それは君お得意の、勘違いとか気の迷いとかいうやつでは?」
「あら、彼も承諾してくれたのよ。これからお付き合いを始めるって。ね、そうでしょう? エド」
「あ、はい」
「君はそれを承諾したのか?」

 ジェードの、彼を脅すような大声に、エドは私とほとんど変わらない身長の背をビクリと振るわせた。
彼がジェードに怯えるのは無理もない。
身分が違いすぎる。
エドがおどおどと助けを求め私に視線を合わせるのに応え、小さくうなずいた。
大丈夫よ。
私がついてる。