王女殿下は下級官吏を婚約者に選ぶ

 ドサリと投げ捨てられ、固い床の上で意識を取り戻す。
打ち付けられた頭に、強い痛みが走る。
目を開けると、薄暗い鉄格子の向こうに、松明を持って立つ二人の兵士が見えた。
俺は冷たい床に手を着き、上体を起こす。

「スカートの下はちゃんと男の格好してるなんて、情緒ってもんがねぇよなぁ」

 見れば侍女の服は脱がされ、家を出てきた時に着ていた平服になっていた。

「庶民あがりでも、一応は婚約者さまだった男だ。大事に扱えってよ。よかったな」

 腕には包帯が巻かれ、出来た細かい傷にも手当てされた様子はある。
どこの牢だか分からないが、簡単なベッドと本棚、一人なら使える椅子と机もあった。

「ここはどこだ。セオネード殿下は?」
「あはははは!」

 おそらく俺の見張り役であろう男二人は、声を揃えて笑った。

「お前が心配する必要はないだろ。別れた女のことなんか、さっさと忘れた方がいいぜ」
「それをノコノコ追いかけてくるから、こんなことになっちまうんだ」

 牢の壁は地面を丸くくり抜いたものに、漆喰を塗った簡単なものだった。
作られたのは最近ではない、十数年は経っているだろう。
城の地下牢にこんな構造物があった覚えはない。
ということは、ここは城内ではないのか? 
だが俺の見張りについている兵の鎧は、城内を警備する下級武官のものだ。

「喉が渇いた。水をもらえないか」

 男二人は目を合わせると、顎で牢内の棚を指す。
水差しと木の椀が置いてあるのを見て、俺はそれを手に取った。
古びた椀に水を移し喉を潤す。
松明の明かりとは別に、右の後方から僅かな光が漏れていることに気づいた。
振り返ると、天井の一部が浮き上がり、そこから太陽の光が入り込んでいるのが微かに見える。
とすると、ここはやはり地下牢か。
もう一度牢の壁に手を当てた。
ひんやりとはしているものの、地下何百メートルというような地下で感じる温度ではない。
地上はすぐそこだ。
天井の入り口が開き、誰かが入って来る。
交代の兵もまた、城の下級武官の鎧を着ていた。

「見張りご苦労」
「ったく、これはいつまでやるんだろうね」
「さぁ。早いとこ始末つけてもらえると、ありがてぇんだけどな」

 俺を見て軽く鼻で笑うと、新しく入ってきた二人は俺に背を向けた。
足音を忍ばせ、ゆっくりと牢の奥を観察する。
他に部屋はなく左手の奥は行き止まりの土壁で、牢というより穴倉を一つ作って、そこに鉄格子をはめ無理矢理牢にしたような作りだった。

「なぁ、スイニー通りのパン屋を知ってるか?」

 俺は兵士に向かって、そう声をかける。

「あそこでニシンを挟んだパンを買っておいたんだが、どうなった?」
「あ? 知らねぇよ、そんなこと」
「あそこのパン、どれも美味いよな。俺はラズベリージャムのパンも好きなんだ」
「……。俺はクリームチーズ」
「あ! 分かる! 卵を挟んだのも美味いよな」

 男はニッと一瞬微笑んだものの、すぐに前を向き黙り込んでしまった。
だけどこれで分かった。
スイニー通りのパン屋を知っているのは、城勤めの下級仕官だけだ。
俺は今、城内のどこかに閉じ込められている。
だが、ここはどこだ?

 食事が運ばれてくる時間で、おおよその時刻は予想出来る。
ここに閉じ込められて数日間、じっと観察し続けた結果、城内の食堂から各部署にパンが配られる時間とほぼ同時だ。
城勤めの時にたまに食べていたものと、同じものが出されている。
そこから季節を考え、浮いた地面の隙間から差す日の時間と長さで、現在の位置を推定しようと試みたが、出入り口に日よけのための屋根でもかぶせられているのか、正確な場所を推定することが出来ない。
だが見張りに立つ兵士の交代時間を考えても、ここは城内で間違いないだろう。
一つ腑に落ちないのは、城内の構造物を全て熟知しているはずの俺が、この地下牢の存在を知らなかったことだ。
こんなものが王室への許可なく作れる人物は、限られている。

「なぁ。俺ってさ、殿下の戴冠式まで閉じ込められてんの? 終わったら解放されんのかな」

 首謀者であるはずの番兵の雇い主は、一向に姿を見せようとしない。
俺をここに捕らえてから、もう十日以上過ぎたというのに、放置されたままだ。

「さすがに飽きてきたんだけど。退屈すぎない? 何とかならないの? 歌でも歌ってやろうかな。他にすることないんだけど。リクエストある?」

 兵士からの返事はない。
俺は大きく息を吸い込むと、大きな声で歌い出した。

「うるさい! 黙れ!」

 兵の持つ槍が、鉄格子を叩く。
それでも俺はめげずに声を上げて歌った。

「黙れと言ってるだろう!」
「ならせめて、戴冠式の日くらいは教えてくれよ。それまでだったら、俺も我慢出来そうだからさ」
「……。黙って大人しくしてろ」
「えぇ! それって酷くない? ねぇねぇ、てゆーか、戴冠式の日もここで俺を見張ってんの? せっかくのお祝い行事に参加もできなければ見ることも出来ないって、寂しくない?」

 どれだけ俺があれこれ話題を変え挑発しても、さすがは訓練された兵士、慣れっこなのか全く相手にもしてくれない。

「ねぇ、マジで退屈なんだけど。何とかならない? 歳いくつ? 家族とかいんの?」

 人の出入りする時にしか開けられない天井が、交代の時間でもないのに開いた。
地面を削っただけの段差を下り、黒い軍服を着た騎士が雑兵と共に下りてくる。
鉄格子にもたれクダを巻いていた俺を、冷たく見下ろした。

「元気にしているという報告は受けていたが、本当に元気そうだな」
「おかげさまで」

 この男のことは覚えている。
俺を捕らえこの牢に運んできた男だ。

「随分退屈しているようだが、その後はどうかな?」
「変わらず退屈してますよ」

 黒地に銀糸の刺繍が施された軍服。
肩には赤いモールが短く揺れる。
これはカラム率いる王室第一騎士団の制服だ。

「もう女装はやめたのか? あれはあれで、可愛らしかったのに」

 男がそう言うと、取り巻きの兵たちがクスクスと笑う。
俺は得意気に鼻を鳴らした。

「でしょ? 自分でもそう思いますよ。お望みなら、もう一度スカートはきましょうか?」
「残念だが、俺にそんな趣味はないんでね」

 四十過ぎの淡い茶髪の男が、曲がった鼻を近づける。
俺が殿下の婚約者として彼女の側にいた時に、護衛としてついていたような記憶はあるものの、名前までは覚えていない。
もしかしたら、エリン港でのお忍びに同行していたから、すぐに俺に気づいたのかもしれない。

「お前の処遇について、どうしようか考えている最中だ。もうしばらく、ここで待っていてくれ」

 それはきっと、戴冠式までということなんだろう。
王女が誰と結婚するかなんて、もう俺に興味はないのに。

「お祝いをお伝えください。ジェードさまに」

 男の目から、光が抜けた。
意地悪く輝いていた顔から、表情がなくなる。

「お前はもう分かっているだろうが、俺はカラム騎士団の団員だ。それなのになぜ、ジェードさまの名前が出てくる」
「カラムさまは、セオネードさまとの結婚に前向きではなかったから。それに、俺が見た最後の光景は、城のバルコニーでジェードさまとセオネードさまが並んで立つお姿ですよ? そりゃどちらと結婚なさるかなんて、すぐに想像つくでしょう」
「なるほど」

 男の目が、隅々まで俺を観察している。
俺はじっと動かず、見られるがまま見られていた。
何をされようにも、ここに捕らえられていては何も出来ない。
乱暴を加えられないだけ、まだマシだ。

「君の祝辞は、機会があれば伝えておこう」

 彼は足元まである漆黒のマントを翻すと、牢から出て行く。
それ以降も、なんの進展もないまま数日を過ごす。
俺の様子を見にきたということは、戴冠式が近いということだ。
こんなところに捕らえられたまま、その日を迎えるなんて……。

 彼女が誰と結婚したっていい。
それで彼女自身が本当に幸せを感じているならば。
そんな瞬間をこの目で見たかったようにも、見なくてすんだことにも、救いのようなものを感じている。
俺は実際、どうしたかったんだろう。
助けが来ないということは、本当に俺のことは探していないのかもしれない。
だとしたら、本気で用済みだ。
きっと戴冠式が終われば、俺は何事もなかったように外に出されるのだろう。
解放の条件に、国外追放でも付け加えてもらおうかな。
そうすれば、ここへ戻ってくる理由もなくなる。
俺は本当にこれから……。