王のお茶会以降、エドとは一度も顔を合わせていないし、連絡も取り合っていない。
私は私の望んだ通り、日々執務室で忙しく仕事に励んでいる。
「殿下。少し休憩されてはいかがですか。最近特に、根を詰めすぎです」
アンバーにそう声をかけられ、動かしていたペンを止める。
「休憩って、何をすればいいの?」
だって、こうでもしていないと、余計なことを考えてしまうから。
「何もしないことを休憩というのですが」
「休憩の仕方が分からないの」
一呼吸いれたとたん、ほら、もうエドのことを考えている。
私だけが恋をしていた。
彼の方から声をかけてもいいかと聞かれた時、すぐにそれを許可して、こちらからも積極的に声をかけていたら、今と違った未来があったのかな。
あの時にあぁしていればとか、もっとこうしておけばよかったとか、後から後からいくらでも後悔が湧いてくる。
今も、ただ待っていることが正解なのか不正解なのかも分からない。
だけど、私にはやっぱり待つことしか出来ない。
私からの声かけは、彼にとっては全て指示であり命令になってしまうから。
ドアをノックする音が聞こえ、アンバーが扉を開いた。
そこにいたのは、お父さま付きの兵だった。
「セオネード殿下。国王陛下がお呼びです。王のおられる白鷺の間までお越し下さい」
なんだろう。
父からの呼び出しとは珍しい。
体調が急変した様子でもないけど、呼び出しならば行くしかない。
「アンバーも一緒に来て」
私は兵に案内され、アンバーと共に王の元へ向かった。
父の枕元には宰相が立っており、司祭の姿も見える。
思ってもいなかった重苦しい雰囲気に、私は身を引き締めた。
白い大きなベッドの周囲にはうっすらとしたレースのカーテンがかけられ、近づくと側にいた医師たちが身を引く。
「来たかセオネード」
「父上。どうかされたのですか」
「今日は、お前に伝えたいことがあって呼んだんだ」
ゆっくりと起き上がろうとするのを、医師たちが支える。
父の手が私の手に重なった。
「儂が死ぬ前に、お前に王位を譲ろうと思う」
「お父さま! お待ち下さい。それはまだ先のお話にございます!」
「お前は十分よくやっている。もう任せても問題ないと、ここにいる宰相と司祭もそれを承認した」
「私にはまだ、王位を継ぐ資格が備わっておりません!」
「儂がそうと判断したんだ。お前はその儂の判断を否定するのか?」
「それは……」
すっかり痩せ細った父は、にっこりと微笑んだ。
だけど本当に、私にはまだ準備が整っていない。
「お前には、将来を約束した夫となる人も出来た。これからは彼が、お前を助け支えてくれるだろう」
「お待ちください。そのことなのですが……」
エドは私を、愛してはいなかった。
彼が側にいたのは、この父の目を誤魔化すため。
そのために私は、彼を利用した。
「私はまだ、結婚する気はございません。婚約者こそ選びはしましたが、まだ彼とそうなるとは、決まっていないのです。ですから……」
こんなことになるなら、婚約者なんて選ばなければよかった!
「セオネード」
父の手が優しく私の頬に触れる。
その手は見た目以上に、細くか弱いものだった。
「そなたが不安になる気持ちは分かる。だがアレは儂の目にも悪い男には見えなかった。お前はお前の信じた道をいきなさい。きっと彼は、お前を助けてくれる」
「あぁ、父上。そうではないのです」
塞ぎ込んでしまった私に、父の目は次の言葉を待ってくれている。
それは分かっても、どうしても続ける言葉が見つからない。
「私はとても……、許されないことをしました。自分の愚かさに、呆れ果てているのです。彼はそれを分かっていながら、私に付き合ってくれていました。その報いを、いま受けているのです」
「彼はなんと?」
「エドは……、エド自身は、まだ何も言っておりません。ただ彼は、彼に与えられた役目を果たすとだけ」
「ならそれで、十分ではないか」
病床の父は安心したように一つ息を吐き出すと、静かに目を閉じた。
「それが彼の望みなら、そうさせてやりなさい。アレにはお前を裏切るようなことは出来まい」
私の目から、涙がこぼれ落ちた。
父の言う通り、エドは本当に私の期待を裏切ることなく、その通り演じてくれている。
「彼を信じて、よろしいのでしょうか」
「もちろん。お前の見立てに、間違いがあったことはなかろうに」
父がゆっくりと声を出して笑うのを、久しぶりに聞いた気がした。
側に控える宰相と司祭も、同じように声を落とし微笑む。
「継承の儀を行いなさい。日取りは準備が出来次第。来月あたりでよかろう。そこの二人、よろしく頼んだぞ」
「そんな! 陛下、お考え直しを!」
「もう決めたことだ。準備を始めなさい。下がってよいぞ」
医師の手によって、天蓋のカーテンが引かれる。
私は父の前から退出を余儀なくされてしまった。
無言のまま執務室に戻ると、アンバーを振り返る。
「どうしよう! 私はまだ、王となる条件を満たしていないのに!」
「エドさまのことですか?」
王位を継ぐために事前に行われる継承の儀には、夫婦で参加することが慣例になっている。
たとえ未婚であっても、婚約者は必要だった。
独身の者が単独でそれを行うことは今までに例がなく、父や大臣たちが私に結婚を急がせていた最大の理由は、そこにあったのに!
「分かっていたことです、殿下。それがおいやなら、今すぐエドさまとの契約を破棄し、ご婚約を解消なさればよいのです」
「契約を解消? 婚約を破棄するってこと?」
「そうです。破棄なさるなら、このタイミングでしょう。最も、私はもっと早い段階でエドさまとの関係を清算なさるものと思っておりましたが……」
「アンバーは、私とエドがすぐに別れると思っていたの?」
「こうなる事態を防ぐためには、婚約者選びと破棄を繰り返すしかございません」
「……。そうね、確かにそう……」
私も初めは、そうするつもりだった。
適当に周囲にお披露目し、数ヶ月で別れ、また次を探す。
そういう計画だったのに、どうしてそうしなかったんだろう。
「エドさまをお呼びいたしますか? 殿下の事情は、私の方から説明させていただきます」
「いいえ! その必要はないわ」
この期に及んでも、私はまだエドと別れたくないと思っている。
「……。エドと、王位継承の儀に望みます。そのように伝えておいて」
「本気ですか、セオネードさま! そうなれば、もう後戻りは出来ませんよ!」
「いいの。彼が私との契約を続けるというのなら、それが本来の仕事だわ。そのために彼を雇ったんだもの。最後まで仕事を全うしてもらいましょう」
「本当に、継承の儀に参加させるのですか?」
「何度も同じことを言わせないで。彼が出席出来ないというのなら、そこで婚約を解消しましょう。そうすればこの契約も、終わりになるから」
「……。かしこまりました」
アンバーは、エドに伝えるために部屋を出て行った。
これでいい。
私の目的は、王位を継ぐこと。
それが終わってから、彼を解放すればいい。
それまでは付き合ってもらわなきゃ、契約した意味がない。
その後のことは、エド自身が決めればいい。
そもそも本来なら、出会うことすらなかった相手だ。
それぞれが元の場所に戻るのだから、何も悲しむ必要はない。
エドにはエドの、幸せがあるのだから。
それからの数日は、突然発表された儀式の準備に、宮廷中が追われていた。
エドからは何の連絡もないまま、その日はすぐにやってきた。
私は私の望んだ通り、日々執務室で忙しく仕事に励んでいる。
「殿下。少し休憩されてはいかがですか。最近特に、根を詰めすぎです」
アンバーにそう声をかけられ、動かしていたペンを止める。
「休憩って、何をすればいいの?」
だって、こうでもしていないと、余計なことを考えてしまうから。
「何もしないことを休憩というのですが」
「休憩の仕方が分からないの」
一呼吸いれたとたん、ほら、もうエドのことを考えている。
私だけが恋をしていた。
彼の方から声をかけてもいいかと聞かれた時、すぐにそれを許可して、こちらからも積極的に声をかけていたら、今と違った未来があったのかな。
あの時にあぁしていればとか、もっとこうしておけばよかったとか、後から後からいくらでも後悔が湧いてくる。
今も、ただ待っていることが正解なのか不正解なのかも分からない。
だけど、私にはやっぱり待つことしか出来ない。
私からの声かけは、彼にとっては全て指示であり命令になってしまうから。
ドアをノックする音が聞こえ、アンバーが扉を開いた。
そこにいたのは、お父さま付きの兵だった。
「セオネード殿下。国王陛下がお呼びです。王のおられる白鷺の間までお越し下さい」
なんだろう。
父からの呼び出しとは珍しい。
体調が急変した様子でもないけど、呼び出しならば行くしかない。
「アンバーも一緒に来て」
私は兵に案内され、アンバーと共に王の元へ向かった。
父の枕元には宰相が立っており、司祭の姿も見える。
思ってもいなかった重苦しい雰囲気に、私は身を引き締めた。
白い大きなベッドの周囲にはうっすらとしたレースのカーテンがかけられ、近づくと側にいた医師たちが身を引く。
「来たかセオネード」
「父上。どうかされたのですか」
「今日は、お前に伝えたいことがあって呼んだんだ」
ゆっくりと起き上がろうとするのを、医師たちが支える。
父の手が私の手に重なった。
「儂が死ぬ前に、お前に王位を譲ろうと思う」
「お父さま! お待ち下さい。それはまだ先のお話にございます!」
「お前は十分よくやっている。もう任せても問題ないと、ここにいる宰相と司祭もそれを承認した」
「私にはまだ、王位を継ぐ資格が備わっておりません!」
「儂がそうと判断したんだ。お前はその儂の判断を否定するのか?」
「それは……」
すっかり痩せ細った父は、にっこりと微笑んだ。
だけど本当に、私にはまだ準備が整っていない。
「お前には、将来を約束した夫となる人も出来た。これからは彼が、お前を助け支えてくれるだろう」
「お待ちください。そのことなのですが……」
エドは私を、愛してはいなかった。
彼が側にいたのは、この父の目を誤魔化すため。
そのために私は、彼を利用した。
「私はまだ、結婚する気はございません。婚約者こそ選びはしましたが、まだ彼とそうなるとは、決まっていないのです。ですから……」
こんなことになるなら、婚約者なんて選ばなければよかった!
「セオネード」
父の手が優しく私の頬に触れる。
その手は見た目以上に、細くか弱いものだった。
「そなたが不安になる気持ちは分かる。だがアレは儂の目にも悪い男には見えなかった。お前はお前の信じた道をいきなさい。きっと彼は、お前を助けてくれる」
「あぁ、父上。そうではないのです」
塞ぎ込んでしまった私に、父の目は次の言葉を待ってくれている。
それは分かっても、どうしても続ける言葉が見つからない。
「私はとても……、許されないことをしました。自分の愚かさに、呆れ果てているのです。彼はそれを分かっていながら、私に付き合ってくれていました。その報いを、いま受けているのです」
「彼はなんと?」
「エドは……、エド自身は、まだ何も言っておりません。ただ彼は、彼に与えられた役目を果たすとだけ」
「ならそれで、十分ではないか」
病床の父は安心したように一つ息を吐き出すと、静かに目を閉じた。
「それが彼の望みなら、そうさせてやりなさい。アレにはお前を裏切るようなことは出来まい」
私の目から、涙がこぼれ落ちた。
父の言う通り、エドは本当に私の期待を裏切ることなく、その通り演じてくれている。
「彼を信じて、よろしいのでしょうか」
「もちろん。お前の見立てに、間違いがあったことはなかろうに」
父がゆっくりと声を出して笑うのを、久しぶりに聞いた気がした。
側に控える宰相と司祭も、同じように声を落とし微笑む。
「継承の儀を行いなさい。日取りは準備が出来次第。来月あたりでよかろう。そこの二人、よろしく頼んだぞ」
「そんな! 陛下、お考え直しを!」
「もう決めたことだ。準備を始めなさい。下がってよいぞ」
医師の手によって、天蓋のカーテンが引かれる。
私は父の前から退出を余儀なくされてしまった。
無言のまま執務室に戻ると、アンバーを振り返る。
「どうしよう! 私はまだ、王となる条件を満たしていないのに!」
「エドさまのことですか?」
王位を継ぐために事前に行われる継承の儀には、夫婦で参加することが慣例になっている。
たとえ未婚であっても、婚約者は必要だった。
独身の者が単独でそれを行うことは今までに例がなく、父や大臣たちが私に結婚を急がせていた最大の理由は、そこにあったのに!
「分かっていたことです、殿下。それがおいやなら、今すぐエドさまとの契約を破棄し、ご婚約を解消なさればよいのです」
「契約を解消? 婚約を破棄するってこと?」
「そうです。破棄なさるなら、このタイミングでしょう。最も、私はもっと早い段階でエドさまとの関係を清算なさるものと思っておりましたが……」
「アンバーは、私とエドがすぐに別れると思っていたの?」
「こうなる事態を防ぐためには、婚約者選びと破棄を繰り返すしかございません」
「……。そうね、確かにそう……」
私も初めは、そうするつもりだった。
適当に周囲にお披露目し、数ヶ月で別れ、また次を探す。
そういう計画だったのに、どうしてそうしなかったんだろう。
「エドさまをお呼びいたしますか? 殿下の事情は、私の方から説明させていただきます」
「いいえ! その必要はないわ」
この期に及んでも、私はまだエドと別れたくないと思っている。
「……。エドと、王位継承の儀に望みます。そのように伝えておいて」
「本気ですか、セオネードさま! そうなれば、もう後戻りは出来ませんよ!」
「いいの。彼が私との契約を続けるというのなら、それが本来の仕事だわ。そのために彼を雇ったんだもの。最後まで仕事を全うしてもらいましょう」
「本当に、継承の儀に参加させるのですか?」
「何度も同じことを言わせないで。彼が出席出来ないというのなら、そこで婚約を解消しましょう。そうすればこの契約も、終わりになるから」
「……。かしこまりました」
アンバーは、エドに伝えるために部屋を出て行った。
これでいい。
私の目的は、王位を継ぐこと。
それが終わってから、彼を解放すればいい。
それまでは付き合ってもらわなきゃ、契約した意味がない。
その後のことは、エド自身が決めればいい。
そもそも本来なら、出会うことすらなかった相手だ。
それぞれが元の場所に戻るのだから、何も悲しむ必要はない。
エドにはエドの、幸せがあるのだから。
それからの数日は、突然発表された儀式の準備に、宮廷中が追われていた。
エドからは何の連絡もないまま、その日はすぐにやってきた。



