王女殿下は下級官吏を婚約者に選ぶ

 事実上生前最後のお別れ会となるであろうその日、父はゆったりとした大きな椅子にもたれたまま、久しぶりに屋外へ出ていた。
体調を考え、面会時間は短めに設定してあるものの、長く顔を見ていなかった人々から受ける挨拶に、父もいくらか生気を取り戻したようだ。
幸い天気もよく、会場となっている城内の小さな庭園には、穏やかな光が優しく降り注ぎ、若い緑にあふれていた。
年老いた王のための小さなお茶会は、和やかな笑い声で包み込まれている。

「お父さま」

 旧友との談笑が途切れたのを見計らい、私はエドを連れ父の前へ出る。
彼を紹介するのは、これが初めてだった。

「この人が私の婚約者、エドオーウェン・マコルガンよ」

 真っ白な髪と髭に囲まれた痩せた頬が、にこりと微笑む。
エドは緊張で全身を強ばらせたまま、王の前に頭を下げた。

「セオネードさまのご指名により、今回私は……」
「よい」

 父は、彼の言葉を遮るように手を伸ばすと、エドの頬に触れた。

「あぁ、ようやくセオネードの婿の顔が見えた」
「……。恐れ入ります」
「セオは、君を大切にしているか?」

 父の落ち着いたグレイブルーの目が、緊張に身を強ばらせた黒い目を見る。

「はい。とてもよくしてもらっています」
「娘が君を選んだというのなら、その意志を儂は尊重しよう。セオの考えはセオのものであって、儂のものではないからな」

 エドはじっと身動きひとつせず、父王の言葉をただ黙って受け止めていた。

「そなたの覚悟が、セオの未来を決める。君自身はどうしたいのか、これからそれを、儂にもここにいる皆にも見せてくれ」
「……。もったいないお言葉です。しっかりとこの胸に刻んでおきます」

 微笑む父にエドは深々と頭を下げると、静かに王の前を退出した。
私も彼と共に父の元を離れると、ようやく緊張のとれたエドが深い息を吐き出す。
緑に包まれた庭園に、招待客たちの軽やかなおしゃべりがあちこちで弾んでいた。

「初めて陛下と、こんなに間近でお話ししました」
「すっかり弱ってしまって、あまり人前にも出たがらなくなっていたのです」
「私の記憶にあるのは、城壁のテラスで悠々と国民に手を振る、雄々しい王の姿です。それはこうしてお会いした今でも、変わりませんよ」
「ありがとう」

 エドにそう言ってもらえると、少しは安心する。
まだ父には元気でいてほしい。
今すぐ私が王位を継ぐには、早すぎる。
必死で仕事はしているものの、経験と実績と信頼が足りない。
いまここに集う貴族たちの中で、本当に私について来てくれる人たちはどれほどいるのだろう。
父が生きていれば、まだ目が行き届く。
助言ももらえる。
だけどそれももうすぐ……。

「こうしてみると、殿下と陛下は鼻の形がそっくりだ。まるで同じですね。本当に親子なんだなって思いました」

 彼の指先が微かに私の鼻を撫でる。
クスリとはにかんだその笑顔に、私の不安は全て吹き飛んだ。

「私も父のような、立派な王になれるかな」
「なれるよ。誰よりも優しくて賢い、素敵な王様に」
「あはは。本当にそう思ってる?」
「もちろん。そのために、ありとあらゆる努力をしていることを、俺は知ってる」
「エド……」

 思わず彼の胸に抱きつく。
エドは戸惑いながらもそっと抱きしめてくれた。

「嘘じゃないよ。本当にそう思ってる」
「ありがとう」
「やっぱり君は、本当の王女さまなんだね」

 彼の指先が、私の頬をそっと撫でる。
気づけば華やかなお茶会の行われている庭園の真ん中で、私たちは皆の注目を一身に集めていた。
二人の顔が、同時に真っ赤になる。

「なんか……、ゴメンね?」
「いいですよ。セオネードさまが望むなら、俺はなんだってやりますから!」

 恥ずかしい。
彼は私の手を取ると、互いに赤くした顔のまま、その場から逃げるように離れた。
周囲からクスクスと笑う声が漏れ聞こえる。

「あのお二人、本当にお付き合いされていたのね」
「こんな席にまでお呼びしているなんて」
「陛下にも、この結婚を認められたということかしら」

 繋いだ手が、私をどこまでも連れてゆく。
見上げる彼の黒髪が、ようやく私を振り返った。
婚約者となってからずっとレッスンを続けていたという、すっかり身についた貴族らしい優雅な仕草で私をエスコートすると、耳元にささやく。

「ここまで来ちゃったけど、どこまで逃げていいのか分かんない」
「ふふっ。どこに逃げなくても、大丈夫よ」
「だけど、なんか怖いよ。あっちの雰囲気」
「怖くないから」

 まだ顔を赤くしたまま、困っている彼がおかしくて可愛らしくて、ついクスクスと笑ってしまう。
そんな私に若干怒っているのか呆れているのか、ふてくされたような彼の横顔がまた愛おしくてたまらない。

「ねぇ、エド。大好きよ」
「……。俺も」

 彼の手が私の頬に触れた。
もっと近づきたくて、私は背を伸ばす。
人目のつかないところまで移動してきたと思っていたのに、ジェードの声が私たちを遮った。

「セオネード。話がある。悪いがエドは、席を外してくれないか」

 ジェードの言葉に、エドは私の判断を待っているようだった。

「分かったわ。エド、悪いけどしばらく二人だけにしてくれる?」
「かしこまりました」

 彼は一礼して、この場を離れた。
彼が遠くに離れた瞬間、ジェードが目の色を変える。

「君はいったい、いつまでこの茶番を続けるつもりだ!」
「茶番ってなに?」

 久しぶりに顔を見せたと思ったら、コレか。
もう私のことは諦めたと思っていたのに。

「君が結婚を急ぐつもりがないことは、よく分かった。だが陛下まで巻き込むことはないだろう。これではまるで、エドが本当の婚約者じゃないか」
「あら、彼が私の婚約者であることは、本当の事実よ」
「間もなく王は亡くなる。そうなったら、次の国王は君だ。その隣に立つ者がどういう資質を問われるか、分からない君じゃないだろう」
「当然よ。私が愛した人が隣に立つべきだわ」
「愛? なんだそれ。それがあの男だっていうのか?」

 ずっと疑問に思っていた。
幼い頃から周囲に言い聞かされていた通り、私には本当に許されないのかって。
王となる者は、全てを得る代わりに、全てを捨てなくてはいけないのかって。