王女殿下は下級官吏を婚約者に選ぶ

「エドは、何を買いに来たの?」
「え?」
「エドは、ここに買い物に来たんでしょう? あなたのお目当てはなに?」
「私の目当ては、殿下を無事護衛と合流させることです」
「そ、そういうことを聞いてるんじゃなくて! 何を買いに来たか聞いてるの!」

 そう言った私に、急に彼は顔を赤くした。
え? 
探しに来てたのは、ワビ貝じゃないの?

「何を買いに来たかなんて、そんなの、セオネードさまに関係あります?」
「どうして? 魚市場でしょ? 魚介類じゃないの?」

 エドはほっぺたを大きく膨らまし、横顔を向けた。

「内緒」

 なんで? 
なんで私には内緒なのよ。

「エドの意地悪」
「意地悪じゃないでしょ、殿下の方がよっぽど……」
「よっぽど、なによ」
「いえ、別になにも……」

 やっぱり、本当は私のことなんて邪魔なんだ。
そりゃそうだよね。
契約で結ばれた偽物の恋人に、時間外まで付き合う必要はない。
エドは何を恥ずかしがっているのか、頬を赤くしたまま視線を合わせようともしない。

「じゃあセオネードさまは、何を買いに来たんですか?」

 私が買いに来たもの?

「そんなもの、別にないです」
「ほら! 俺にも内緒じゃないですか」
「内緒とかじゃなくて、本当にないの!」
「俺だってないです!」
「どうしてよ!」

 エドは怒ったまま、小さな子供のようにプイと横を向いてしまった。
こうなったら何がなんでも、ワビ貝って白状させたい! 
私は彼の手をすり抜けると、屋台の店先をのぞいた。

「ねぇ、エド。今日は新鮮な魚が手に入る市が立ってるのよ。何も買わないで帰るのはもったいないわ」
「殿下! 今はそんなことはどうでも……」

 エドが張り上げた声に、驚いた人々が私たちを振り返った。
つい大きくなってしまった声に、エドはとっさに私を抱き寄せる。

「失礼いたしました」

 こんなところで、私の身分がバレるわけにはいかない。
彼は私の顔を隠すように、私の頭を自分の胸に押しつけた。

「一度ここを離れましょう。もっと静かなところで……」
「あ!」

 抱き寄せられた拍子に、緩んでしまったメイドキャップが頭からずり落ちる。
それはすれ違う女性の肩に引っかかると、すぐにも落ちてしまいそうな状態で、雑踏の中に紛れ込んで行く。

「帽子が……」
「頭のお帽子ですか?」

 とたんにエドの顔が、真剣になる。

「すぐに取り戻して参りましょう」

 エドは人の波を押しのけ、女性に無理矢理近づこうとしている。

「ま、待って!」
「ですが、お帽子が」
「……。お願い。私を一人にしないで……」

 もう心臓が止まりそう。
エドの心臓だって、止まったような顔してる。

「その……。少し、疲れちゃった……」

 エドの背にしがみつく。
こういう時、世の恋人たちはどうしているんだろう。
どうやってこの人を呼び止めたらいいのか分からない。
無意識に震えていた手に、彼の手が重なった。

「疲れちゃったの?」
「うん」
「そっか。ずっと一人で寂しかったの? 不安だった?」
「だって、どうしていいのか分かんないんだもん」
「じゃあ皆と合流するまで、俺が側にいてあげる」
「うん。ありがと。ずっと一緒にいて」
「もう。しょうがないな」
「しょうがなくない!」

 エドは私を抱き寄せると、ぎゅっと手を握り締めた。

「俺もさ、いちよう剣の心得は、多少ならあるから。心配しないで」
「多少なの?」
「そりゃ……。でも、ちゃんと守るよ」

 エドと私はしっかりと手を繋いだまま、混雑する市場を抜け円形の噴水があるエリンの中央広場に出た。

「ちょっとだけここで待ってて。何か飲み物を買ってくるから。ちゃんと待ってられる?」
「うん。ちゃんと待ってる」
「すぐ戻ってくるね」

 エドは噴水広場に市に合わせて立っている屋台へ向かった。
本当に急いで飲み物を買ってきてくれている。
すっごく嬉しい。
早く戻って来て。
この一秒でも離れてるのが惜しいくらい。

「あ!」

 注文をする彼の背を見つめる視界に、ふと見覚えのある女性の姿が見えた。
彼女の腕に提げたバスケットの縁に、私のキャップが引っかかっている。

「どうした?」

 思わずあげた声に、エドはすぐさま反応して戻ってくる。

「あそこ」
「セオネードさまの帽子?」

 私がうなずくと、彼はそれと同時に走り出した。

「エド待って。もうそれはいいの!」

 彼を追いかけ、座っていた噴水から飛び出す。
目の前に、突然巨大な壁が立ち塞がった。

「うぉ! 危ねぇ!」
「きゃあ!」

 私はそれにはね飛ばされ、尻もちをつく。
大量の魚が入った桶を肩に担ぎ、運んでいた大男とぶつかった。
その拍子に、男も私を避けきれず足を滑らす。
彼の運んでいた桶は地面に転がり、魚が周囲に飛び散った。

「おい! てめぇふざけんなよ!」
「ご、ごめんなさい」

 私は頭から魚をかぶって、全身をびしょ濡れにしてしまった。
まだ生きてピチピチと跳ね回る魚が、周囲に散乱している。
私はそれを拾い集めようと、すぐに手を伸ばした。

「本当にごめんなさい!」
「大事な売り物だったんだぞ、何してくれるんだ!」

 男から拳が振り下ろされる。
恐ろしさに身動き出来ない私は、その場でぎゅっと目を閉じた。

「やめろ!」

 エドの手が、男の腕を押さえた。

「ぶつかって悪かった。申し訳ない。この魚は全部俺が買い取ろう。屋敷まで届けてくれないか」
「あぁ? そういう問題じゃねぇんだよ!」
「喧嘩は後にしないか。まずは魚を拾い集めよう」

 エドは男が落としてしまった桶を拾い上げると、目の前で跳ねる魚をそこへ戻した。
私も石畳の上で勢いよく動き回る魚をつかみ、そこへ集める。
それでもまだ、男の怒りは収まらない。

「俺がここまで運んだ努力を、全部台無しにしたんだぞ? お前がもう一回やり直してくれんのか? あぁそうだ。最初から全部やり直せ、俺が沖からあげたところからよぅ!」

 男がエドに殴りかかる。
それを片腕で受け止めたエドは、男を後ろに突き飛ばした。
魚の上に尻もちをついた男は、その場にひっくり返る。

「くっそ、ナメやがって!」

 男が再びエドに飛びかかった。
周囲にはいつの間にか人垣が出来上がり、二人の喧嘩をはやし立てている。

「やれ! やっちまえ!」
「おい、そこだ。右ストレート!」

 殴りつけられたエドの体が、群衆の中に投げ出される。
ここは外国からの船も出入りする気性の荒い船乗りの集まる町だ。
あっという間に周囲を巻き込む乱闘騒ぎになった。

「お前たち、何をやってる!」

 警笛を鳴らし警備隊が現れたものの、彼らにそんなこともお構いなしだ。
ますます乱闘騒ぎは大きくなってゆく。

「エド!」
「セオネードさま。ここは一旦逃げましょう」

 私たちは騒ぎの隙を見て、広場から路地裏に逃げ込んだ。

「おい、待て! あの野郎、女連れて逃げたぞ。追え!」

 大騒ぎとなった広場から、数人の男たちが追いかけて来る。
私たちは狭く薄暗い通りの、洗濯物や掃除道具、壊れた椅子などが積み上げられた生活感あふれる小道を全力で駆け抜けた。
幾度も角を曲がり追っ手を振り切ろうとしても、彼らはしぶとく追いかけてくる。

「くそっ、これじゃキリがない」

 エドは路地裏に見えた木製の小さな扉を開いた。

「こっち!」

 追っ手が見えなくなった瞬間、私たちはその中へ飛び込む。
入った扉の中は、積み上げられた沢山の服が天井まで積み上げられていた。
その中にいた従業員らしき二人の女性が、あんぐりと口をあけこちらを見ている。
彼女たちは集めた古着を洗って解体し、仕立て直していた。

「何ですか、あなたたち……」
「す、すみません。とても慌てていたもので」

 エドは鱗まみれの服で、にこりと微笑んだ。

「ここは古着屋さんなのでしょうか?」
「えぇ、そうですけど……」

 彼は胸に手を当てると、宮廷人らしくとても丁寧に頭を下げる。

「申し訳ありませんでした。見ての通り、我々は二人とも新しい服を必要としております。案内していただけますでしょうか」
「はぁ……。えっと、こちらは裏口ですので、店の方にお願いします……」
「ありがとうございます」

 エドはずぶ濡れで魚臭い私を、にこやかにエスコートする。

「さぁ、こちらだそうですよ。お嬢さま」

 店の奥から接客フロアにでると、騒ぎを聞きつけた女将が出てきた。
悪臭を放つ私たちに一瞬顔を歪めたものの、商売人らしく気丈に平静を装う。

「お客というなら、ご案内しましょう。どういったものをご所望ですか?」

 女将は場違いな私たちに、確実に腹を立てていた。
ふと見ると、表通りに面したガラス戸の前を、追いかけて来た男たちが何やら大声で喚きながら横切ってゆく。
いまここで外に追い出されるわけにはいかない。
エドは私の肩をつかむと、女将の前につき出した。

「彼女に新しい服を。何でも望むものを選んでやってくれ」

 エドは腰に結びつけていたお金の入った小袋を、机の上にドンと置く。

「女将。それと俺にも、よろしく頼む」
「旦那にもですか?」

 女店主は、そう言ったエドを見て鼻白んだ。

「突然の無礼を申し訳ない。だが見ての通り、このありさまでは外も歩けなくてね。着替えがほしいんだ」

 エドは、乱闘騒ぎに巻き込まれ髪はボロボロ、口や頬には擦り傷やアザがあり、服も泥だらけ鱗まみれだったし、私は魚を活けてあった桶の水を頭からかぶって、生臭い異臭を放ったままのずぶ濡れ状態だ。

「……。かしこまりました。では、こちらへどうぞ」

 珍客の乱入に、店の針子全員が不快を顕わにしていた。
私とエドはそれぞれの女性店員に連れられ、着替えのための小部屋に入る。
エドの方には女将自らが付き添っていた。
通された部屋には、仕立て直された古着がずらりと並んでいる。
お針子の一人が、私に濡れたタオルを貸してくれた。

「どうぞ。別に、そんな状態じゃ、私たちも臭くって相手にしてられないってだけだからね」
「あ、ありがとう」

 態度は随分とぶっきらぼうだが、それなりに親切に接してくれている。
どうやら客として認められたようだ。
私は礼をいうと、そのタオルで魚臭い頭を拭いた。

「で、着替えはなんになさいます?」
「そ、そうね。オススメはどんな……」

 突然、扉の向こうでエドの悲鳴が聞こえた。

「うわぁ! ちょ、待て! 待ってくれ!」
「エド? エドに何をしたの!」
「なーんでもございませんよ。ご心配は不要です」

 店員はすました顔でずらりと並べられた服の中から一着を選び出すと、私の前にそれを広げた。
黒いワンピースに白いフリルのついた、最も一般的でオードソックスなメイド服だ。

「これならさきほど悲鳴の上がった男性と二人で、お揃いの衣装になりますよ」
「え?」
「だってうちは、女性専用の古着屋ですから!」

 周りを取り囲む女性店員たちが、にっこりと一斉に微笑んだ。
じゃあ、エドのさっきの悲鳴って……。

「さ、あなたも早くお着替えなさいよ。そんな生臭い服、いつまでも着てられないでしょ」

 脱いだ服は洗濯して、後で取りに来れば返してくれるという。
着替えを終え部屋を出ると、私と同じメイド服を着たエドが、顔を真っ赤にして立っていた。

「あ、エド……」
「クッソ。何だよコレ……。足元がスースーする……」

 人って本当に恥ずかしいことがあると、ここまで赤くなれるんだってくらい、彼は全身を真っ赤にしていた。

「お買い上げありがとうございまーす!」

 二人揃って、店の外に放り出された。
エドは頭に黒髪ロングヘアのかつらまでつけ、すっかり女の子に変身している。