何かをきっかけに走り出せるような、そんな主人公のような性格ではないことは分かっている。
会いたい、でも、会って、なんて言うんだ。
廊下を歩きながら自分の鞄に瞳を落とした。当たり前のようにつけていたストラップはもうない。そうか、やっぱり俺にとってあれは大切だったんだと。
絶望の刹那で、あの時出会った彼との時間は純粋に救われた。それは確かだ。
才野くんも、そうだといいなって。
もしかしたら、心理テストがなくても才野くんはあの時に自分のことを好きになっていてくれたのかもしれない。
ーーー「しようもないあの心理テストのしようもない結果さえなければ、俺たちはただ、絶望を分かち合っただけの友達になれたんだ」
本当に、そうだろうか。衝動で俺は、分かっていてわざと裏返しの言葉を放ったんじゃないんだろうか。傷つけると分かっていて。
嫉妬した。俺は才野くんのことが好きなのに、なんで俺たちの過去にあの子が介入しているんだ、とイラついた。
ピタリと足を止める。
「…なさけな」
自分に向けたその言葉。顔をあげた先に見えたのは、俺たちが気持ちの確かめ合いをした視聴覚室だった。
才野くんはいるはずがないのに、戸に手をかけて開ける。
中に一歩足を踏み入れれば、誰かが1番前の椅子に座っており、その前には天井あたりから伸びた薄いスクリーンに白黒の映像が流れている。
見覚えがある背中姿だった。
「田中くん?」
名を呼べば、彼がこちらを振り返って人差し指で少し落ちたメガネをおしあげた。
「おお、影井くん」
「何してるの?」
「テスト期間は部室が使えないからさ、ここで映画見てるんだ」
「そう、なんだ…」
「よければここどうぞ、中々の迫力だよ」
そう言って座っている横の椅子をぽんぽんっと軽く叩いた田中くん。
苦笑いを浮かべながら、俺は田中くんの横に腰を下ろした。
薄暗い中で、映し出される映像を見上げる。
「なにを観てるの」
「外国のラブロマンス映画だよ。昔のだけどね」
「へえ」
街中をデートしている様子が映っていた。
手を繋いだ男女が楽しそうに、身を寄せ合ってこの世で1番の幸せ者は自分たちだと言わんばかりの笑みを浮かべている。
「羨ましいよね」
隣で聞こえたそんな言葉に「え?」と田中くんの方に顔を向ける。
すると、田中くんは映像を見たまま言葉を続けた。
「この2人、実は身分の差があるんだけどそんなことはお互いが知らなくて、こうやって恋をしている、恋の中では人は自由なんだなって思うよ」
「田中くん…」
「学校にいるとさ陰キャだとか陽キャだとか、1軍とか2軍とか、そういう小さな世界のカテゴライズに嫌気がさすときってあるでしょ、そういう時に俺は映画を観る」
田中くんの瞳がこちらを向いた。球技大会の時に割れていた眼鏡はもう直っている。
「こういう、何にも縛られない恋愛を観るのが1番カタルシスを感じるよね」
「カタルシス…?」
「浄化、的な」
「浄化…」
男と楽しそうにデートをしていた女性は、本当は国の王女様だった。互いが互いに想いを馳せながら、秘密の気持ちだけを抱えてこれから先を生きていく。
ああ、そういえば俺も球技大会で才野くんがダンクを決めた時、この人の側にいるべき人は俺じゃないって感じたような気がする。
そういう想いの積み重ねが自分の気持ちに蓋をしていたのだろうか。
『好き』なんて簡単な言葉なのに、世界一伝えるのが難しい。
「こういうのを観た時に、脳裏によぎるような人がいたら幸せだよね」
「え?」
「この人と一緒に観たいな、とか、主人公、自分の好きな人と共通点あるな、とか。そういうのを考えるのも楽しかったりするよね」
田中くんは鼻を鳴らして映像を見つめている。
ああ、なんだかもっと才野くんに会いたくなってきてしまった。
「部室が使えない時、よく視聴覚室を利用してたんだけど」
「えっ」
「最近、使えなくて」
田中くんが瞳を細めて俺の方を見た。
顔に熱が溜まっていく。
「大丈夫、使ってるって分かった瞬間すぐに去ってたから安心してよ影井くん」
「なっ、えっと、それは…」
「才野くん、影井くんからも映画研究会に誘ってもらえると嬉しいです。いつか彼主演で映画をぜひ撮りたい」
「田中くん…」
「行くとこ、あるんでしょう。行ってらっしゃい」
ひらひらと片手を振った田中くん。
俺はゆっくりと鞄を手にして立ち上がった。
ストラップがついていない鞄を田中くんが視界に入れる。少し笑ってまた眼鏡を指先で押し上げた。
「もう、なくしちゃダメですよ」そう田中くんは言った。



