だってお前には彼女がいるから

 気がつけば、陽翔と映画に行く日になっていた。今日の服を棚から引っ張り出しながら、映画を見に行くことを改めて認識した。

「映画かあ……」

 映画自体は興味があったし、行ってみたいと思っていた。それでも映画に見に行っていなかったのは、1人で行くのが面倒だと思っていたからだ。行きたいという気持ちはあっても、いざ行こうとしていた日になると、気が変わって止めてしまう。

 そんなことを繰り返しているうちに、気がつけば大学2年生なのに、映画は人生で2回しか行っていないという状況。うーん、我ながら面倒くさがり過ぎる。

 陽翔が誘ってくれたのは良かった。誘ってくれたときの陽翔の表情は若干気になったが、まあ、俺の思い違いだろう。

 だって、陽翔には彼女がいるのだから。

「よし。行くか」

 大学に行くときと同じ、無地な長袖Tシャツと、茶色のズボン。スマートフォンや財布を入れいている肩掛けの鞄を掴んで、時間に余裕を持って家から出る。

 ◆

 集合時間の10分前。俺が待ち合わせ場所である映画館の最寄り駅に着くと、すでに陽翔がその場にいた。柱に寄りかかった陽翔は、遠くから見ても驚くほどスタイルが良い。長い手足、そしてスマートフォンを見るために目を伏せているが、それすらも様になっていて、陽翔の顔がとんでもなく整っていることがはっきりと認識できる。

 実際、陽翔を見ながらこそこそと話している人が多い。

 どこか遠く感じたが、一緒に映画を見に行く約束をしている以上、声をかけるしかない。俺が陽翔の近くまで行くと、陽翔が顔を上げた。

「おはよう、陽翔」
「藍星!」

 イヤホンを取った陽翔が、ふわりと笑う。音楽を聴いていたのに、よく気づいたな。そう思いながら、俺は慌てて時計を確認した。陽翔の注目のされ具合から、来たばかりには思えない。どれくらいいたのだろう。

「ごめん。時間、間違えてた?」
「いや。俺が早く来すぎただけ」
「えー、本当に悪い」

 陽翔は普段、そんなに速くに着くイメージがなかったから、10分前で良いと思っていたが、これからはもう少し早めを意識した方が良いかもしれない。

「行こう、藍星」
「うん」

 手にしていたスマートフォンも片付けた陽翔に言われて、俺も頷く。周囲の視線は気になるが、陽翔にしては慣れたものなのだろう。隣に並んで歩き始めた。

 ◆

「めっちゃ、面白かった!」
「そうだろう?」

 映画を見終わった俺の一声はそれだった。普通に映画館で見るのが楽しい。家でサブスクや地上波の放送見るのとは全然違う。

 まるで自分に語りかけられているかのような声。実際に起こっているかのような音。目の前に広がる高画質な画面。家では作業をしながら見ることもあり、あまり集中して映画を見ていないが、映画館では集中できた。映画館、すごい。

 今まで、面倒くさがって見に行かなかったことを少し後悔しているくらい、良かった。

「やばい、はまりそう……」
「また行こう」
「うん、行きたい」

 陽翔がいなければ、重い腰は上がらなかっただろう。本当に有り難い。

 時計を確認した陽翔が、ふと思いついたように言う。
 
「良い時間だし、ご飯食べながら、感想会しないか?」
「うん」

 ちょうど俺も話をしたかったところだ。この映画の躍動感、臨場感はしばらく忘れられないと思うから。陽翔と並んで、俺は映画館から出た。

 ◆

 入ったのはお洒落なお店だった。店内が賑わっていることから、有名な店なのかもしれない。まあ、俺はほとんど外食をしないから、分からないけれど。陽翔は店に迷わずたどり着いていたようだったから、この辺りに良く来るのだろうか。

 席に案内されて、注文をしてから。先ほどの映画の興奮が消えない俺は、思ったことを陽翔に向かってまくしたてるように話す。

「それでさ、あそこのシーン。音がふっと消えて、2人の視線だけが交わっていたよな? 互いの信頼関係を見せる演技と音響が上手くて」
「ああ、確かに。良く見ているな」

 はっとした俺は黙る。自分ばかりが話しすぎただろうか。先ほどから、陽翔は相槌を打っているばかりだ。

 すると、俺の方を見た陽翔が首を傾げる。

「他には? 藍星が感じたことを俺も知りたい」
「いい、の?」
「……? もちろん」

 不思議そうにしている陽翔を見ながら、俺は頬を緩めた。胸に温かい感覚が広がる。陽翔のような友達がいて、本当に良かった。自分が感動したことを、人と共有することができるのがこんなにも楽しいとは知らなかった。

 そこからも映画の感想会は続いた。食後の紅茶を飲んでいる頃、陽翔が口を開く。

「藍星。また、誘っても良いか?」
「映画に?」
「えーっと」

 少し悩むように、陽翔が目線を落とした。どうしたのだろうか。しばらく様子を見ていると、陽翔はゆっくりと顔を上げた。その目を見て、思わず息を呑む。

 溶けそう。まるでチョコレートみたいに。どれくらいの温度かも分からないくらい、熱を持っているように見えた。

 そんな溶けたチョコレートのような目で、陽翔は柔らかく微笑んだ。

「映画以外のことも、一緒にしたい。大学以外でも誘っても良い?」

 俺としては嬉しい。でも、陽翔が一緒に遊ぶ相手は俺で良いのだろうか。

「陽翔、友達多いよね?」
「それでも。俺は、お前と2人でも遊びたい」

 陽翔の目からしばらく目が離せなくなっていた。心臓が、ぎゅうっと締め付けられたような心地がした。なんでこんな気持ちになるのかは分からない。

 無理矢理口角を上げて、俺は頷いた。

「うん。友達だもんな」
「……ともだち。そうだな」

 陽翔の表情が、僅かに翳ったように見えた。しかし、それは俺が瞬きをした頃には消えていた。きっと、見間違いだった。

「……藍星」
「なに?」

 急に姿勢を正した陽翔に名前を呼ばれ、ぱちりと瞬きをした。陽翔の声は、どこか震えているかもしれない。

「藍星は今日、楽しかった?」
「うん、もちろん」
「良かった」

 ふわり、と笑った陽翔を見て、俺の中にはやはり疑問が広がる。なんで、そんなことを聞いたのか。まるで、俺のことを。

 動き出した思考は、とある事実を思い出したことでぴたりと止まった。これ以上、考えてはいけないと本能的に思った。

 陽翔には、藤石さんがいる。その事実を、忘れてはいけない。