だってお前には彼女がいるから

 彼女が俺を連れていったのは、あまり人がいない喫茶店だった。「昔ながらの」という言葉が似合うような店。俺がホットコーヒーを頼んでいるところで、彼女はクリームソーダを頼んでいた。人へのお礼と言いつつ、自分が飲みたかっただけじゃないか。

 そう思っていると、彼女が唐突に口を開いた。

「男避けに、彼氏のふりしてくれない?」
「彼氏のふり?」
「偽装恋人になってほしいってこと」

 なんだ、それ。まるで漫画の中の話みたいだ。でも、それを彼女が俺に言ってくるのはなぜなのか。

 そんな俺の疑問を見透かしているかのように、彼女はぼそりと言う。

「今日みたいなの、すでに入学してから10回以上」
「……」

 それは凄まじい。まだ1ヶ月も経っていないのに、その回数。確かに、それは大変だと思うが。

「嫌。普通に面倒」
「えー、そっかー」

 ほぼ初対面の相手。俺がそんなことをする義理はない。俺がばっさり断ると、彼女は残念そうに眉尻を下げた。

「大体、なんで俺?」
「私が大学に入ってから会話した中で、1番私に興味ないから」

 ゆっくりと目を細めた彼女にそう言われ、俺は思わず目を逸らした。あまりにも図星だ。俺は彼女がどれだけ美人だろうが、表情がころころ変わろうが、彼女の意識を取られることはない。

 雨森藍星という人間に、心を打ち抜かれてしまっているのだから。

 しかし、彼女の言うことも気になる。俺が彼女に興味がないのは確かだとして、それは理由になっていない。

「なんで、興味ない人を?」
「だって、彼氏のふりをしたことを理由に、本当の彼氏になりたいって言われたら困るもん」

 薄らと笑う彼女に、何を言えば良いのか分からない。彼女はきっと、今までに人から裏切られてきたのだろう。少し同情心が湧き上がってきた。

「徹底してんな」
「それはもちろん」

 彼女がからからと笑う。まるでモデルのような見た目に反して、さっぱりしているタイプのようだ。

 注文していた俺のコーヒーと彼女のクリームソーダを店員さんに運んできてもらい、俺は礼を言ってから、カップに口をつけた。

 彼女が頬に手を当てて首を傾げたあと、口を開いた。

「でも、松川くんも、正直面倒くさいなって思ってるんじゃないの?」
「は?」

 なぜ、それを知っているのか。実際、女子から声をかけられることも多い。単に友達になりたい人も多いだろうが、露骨に2人で遊ぶことを誘われるのを断るのに疲れてきた。

「いろんな女の子に声かけられてるでしょう?」
「お前、俺のこと知ってたのか?」

 さっき、名前を聞いてきたわりには、確信的に言ってきたから、俺は眉をひそめた。すると彼女は口元を緩める。

「顔は見たことあったよ。それで、女子を躱すときに面倒くさそうに、一瞬表情をなくすのも見てた」
「……」

 見られていたのか。いや、それ以上に彼女の見透かすような言葉は、すごく居心地が悪い。彼女がクリームソーダのソフトクリームの部分をスプーンで丁寧に食べながら、ゆっくりと言う。

「恋人っぽいことをしようなんて言わない。まあ、怪しまれない程度には隣を歩くくらいはしてほしいけど。デートとか面倒だし、手をつなぐとかも面倒だし」
「……本当に、面倒だから男避けがすることだけを考えているんだな」
「うん。どう? 松川くん。あなたも、正直面倒になってきてない?」
「まあ、面倒だな」

 俺だって、角が立たないように断るのに飽き飽きしている。今のところ、上手く断れているが、そのうち執着してくる人も出てくるかもしれない。

 俺は顔を上げて藤石翠を見る。彼女のような美人が「彼女」ということになっていれば、言い寄ってくる人は減るだろう。

「ねえ、だからお願いします」

 いつのまにかスプーンから手を離していた彼女が、こちらに向かって頭を下げてきた。その真剣な様子に、俺は黙り込んだ。

 そこで不意に思考が彼へと向いた。あの人なら、どうするだろうか。

 雨森藍星くんなら、困っている彼女を放っておかない気がする。人を自分に興味あるかどうかで見定め、警戒を怠らない彼女の助けになるだろう。困っていた俺に声をかけてくれたときのように、困っている彼女の提案に頷くのだろう。

 そこではっと気づいた。仮に、俺が彼女と付き合っていると噂がたてば、きっとしばらく恋人はできなくなってしまう。

 それなら、誰とも付き合えない。たとえ、彼に声をかけることができたとしても、恋人にはなれない。そこまで考えて、首を振った。

 でも、どうせ彼とは付き合えない。それなら、面倒避けのために彼女の提案に乗るのも良いのではないか。

 悩んだすえ、俺は頷いた。

「分かった。恋人のふりをしよう。偽装恋人? になろう」
「本当に? ありがとう」

 ぱああ、と明るく笑う彼女はかわいいのだろうが、俺の心はやはり揺れない。彼のことを忘れられたら楽だったのに、とぼんやり考えるが、目の前に偽装恋人になることが決定した人がいるのだった。

「終了は?」
「えーっと、まず1ヶ月試してみて、良さそうだったら、どちらかが終了したくなるまででどう?」
「分かった」
「それから……」

 その場で適当に話を詰めていき、俺たちの関係が始まった。

 ◆

 そうして、俺は翠と偽装恋人となることで、平穏な生活を手にした。俺に言い寄ってくる人はほとんどいなくなり、翠も平和そうにしていた。

 たまに『こういう設定にしているから合わせて』というメッセージは来たが、面倒なことは少なかった。もともと、翠とは気があったようで、良き友人として親しくなっていった。

 気がつけば、翠と一緒に授業を受けることも当然となっていった。そうなると、周囲の人は「恋人同士に遠慮」と言って、近くに寄ってこなくなる。

 授業を翠と一緒に受けながら、前の方の席に座る彼を見つめる。多くのとき、彼は1人で行動していた。真っ直ぐに背筋を伸ばし、淡々と授業を受けている。俺はそれを暇があれば見つめていた。

「ねえ」
「なんだよ」

 授業終わり、翠に横からつつかれた。彼のことを見ていたかったのに、と思いながらも渋々と俺は目線だけを翠に向けた。そして息を呑む。

 グレーの瞳がこちらを見ていた。俺の心までを見ているようで、薄らと背筋が凍る。

「ずっとあの子のこと、見てるね」
「……」

 肯定はしなかった。別に、翠に言ったところで、解決などしない。黙っている俺を見て、翠はくすくす笑う。

「そんなに興味があるなら、話しかければ良いのに」
「1人が好きなのかもしれないだろ」
「そんなの、聞いてみないと分からないでしょう?」

 翠の言っていることが正しい。本人に話してみないと分からない。その正論は真っ直ぐに突き刺さってくるのだが。

 俺は彼に視線を戻してから呟いた。

「拒絶されるの、怖い」
「へたれ」
「うるせえ」

 翠の視線が突き刺さっているが、それは無視だ。彼が丁寧にパソコンやノートを鞄にしまって立ち去っていくまで見続けていた。