だってお前には彼女がいるから

 数日後。俺は授業が終わって教室から廊下に出る。ちらり、とスマートフォンを確認にした。最近、陽翔から俺が受講している授業の後に連絡が来ることがあるのだ。一度、俺が組んだ時間割を教えたことがあったから、それを参考にメッセージを送っているのだろうが、記憶力が良いようだ。

『授業、終わった?』

 本当に授業が終わるちょうどの時間に届いていて、思わず笑ってしまう。

『授業、終わったよ』

 それだけを返す。いつまでも廊下で立ち止まっているわけにはいかない。俺は足を進め始めた。

 今日は、陽翔からどんなメッセージが返ってくるか。それを考えると、少し心が弾む。

 1番多いメッセージは「一緒に帰ろう」だ。他には、どこか遊びに行こうということもあれば、買い物のお誘いもある。

「雨森くん」

 陽翔のことを考えながら歩いていると、急に後ろから声をかけられた。大学内で俺にわざわざ声をかけてくる人なんて少ない。

 驚いて振り向くと、1人の女性が立っていた。

「えっと、俺に用事ですか?」
「あなた以外、いないでしょう」
「……」

 いきなり喧嘩腰に話しかけられ、俺は黙ってしまう。俺達の学年に「雨森」が他にいないことは知っているし、近くには他に人がいないことも気づいているが、念のため誤解がないように確認しただけだというのに。

 しかし、俺は彼女と喧嘩をするつもりはないから、言い返すことはしなかった。彼女はにっこりと笑っているはずが、目が全く笑っていない。そんな彼女に、俺も表情を緩めることなく向き合う。

「話があるんだけど」
「今?」
「うん。ついてきて」

 いきなり声をかけてきた彼女は、話があるという。良い予感は全くしない。それでも断る理由は思いつかないため、俺は黙ってついていった。

 ◆

 彼女が俺を連れてきたのは、大学の校舎裏だった。ほとんど人目がなく、立ち入る人が少ない場所。

 俺の方を振り返った彼女は、腕を組んでこちらを見る。

「私、陽翔と翠と仲良いんだけど、あなた、最近2人に付き纏っているよね?」
「……付き纏って?」

 付き纏っていただろうか。普通の友達として接しているつもりだったのに、誤解されるようなことをしていたのか。俺が首を傾げている間に、彼女は続ける。

「2人とも、迷惑だって言ってたけど」
「……」
「2人でいたいのに、雨森くんが割り込んできて邪魔って」

 何を言っているのか。心にどこか呆れた気持ちがわき上がってくるが、とりあえず話は聞くことにする。

 俺が黙っているからか、彼女はどんどんヒートアップしていった。早口でまくし立てる。

「2人は優しいから、言わないだろうけど、みんな分かっているんだから」

 不快そうに俺の方を睨んでいる彼女が言葉を止めたため、俺は静かに口を開く。

「……2人が、本当に言ってたの?」
「うん」

 彼女ははっきりと言った。そんな彼女の顔をじっと見つめる。すると、少したじろいだようだった。

「なに?」
「嘘でしょう?」
「え?」

 俺の言葉が理解できていないかのように瞬きを繰り返す彼女に、俺は淡々と告げる。

「2人は、俺のいないところで俺のことを悪く言わないよ。少なくとも、俺はそう信じてる」

 俺自身に悪い所があるのも分かっているが、それでも2人はわざわざ外で悪口なんて言わない。それを確信しているからこそ、俺は傷つくことはない。嘘だと断言できる。

 前までだったら、俺は怯えていたかもしれない。2人から本当に嫌われているかも、とか。周りにそう思われている時点で迷惑かも、とか。

 しかし、俺はもう知っている。2人とも、俺のことを大切な友達だと認識してくれていることをちゃんと知っている。だから、2人を疑うことすらできない。それは、失礼なことだ。

 すると、俺の言葉を聞いた彼女の顔色がさっと変わった。

「それ、は……」

 彼女は理解したのだろう。自分の言っていることが、陽翔と翠さんを貶めているということを。

 俺が黙って彼女を見ていると、俺の目を見た彼女が、すっと息を呑んだ。まるで、恐ろしいものを見たかのように瞳が揺れている。

「ちがう、私は、ちがう。そんなつもりじゃ……」

 震える声で言った彼女が視線をうろうろと彷徨わせる。

 彼女は俺が2人から離れることを望んでいたのだろうか。それとも、陽翔のことが好きだったのか。あるいは、俺が気に食わなかっただけか。

 彼女の思惑は分からなくとも、俺が2人に近づかないようにしたかったことは分かる。

「……君の方こそ、2人に、近づかないで。2人の名誉を貶めるようなことを言ったのだから」

 優しい2人が、陰口を叩いている。そんな嘘をついた彼女には、2人の側にいてほしくない。

 真っ青な顔をした彼女は、先程までの自信満々な様子は鳴りを潜め、手が僅かに震えている。

「……せい」
「え?」
「全部、あなたのせい!」
「……え?」

 彼女が手を振り上げる。そこから振り下げられている手が視界に入る。やけにスローモーションに見えた。しかし、地面に足が縫い付けられたかのように動かない。

 殴られる。避けることもできず、反射的に目を閉じた。

 しかし数秒間経っても、痛みは襲ってこなかった。恐る恐る目を開く。

「何してんの?」

 俺と彼女の間に、人が立っているのが見えた。俺に向かって手を振りおろそうとしていた彼女の腕を掴んでいる。

「……陽翔」

 見覚えのある背中に思わず名前を呼ぶと、陽翔が顔だけこちらに向けた。僅かに強張っていた表情は、俺を見て微笑む。

「藍星」

 どくり、と音がした。俺の心臓の音だ、と少ししてから気がつく。陽翔から目が逸らせない感覚がした。