だってお前には彼女がいるから

 大学の校内を歩きながら、次の授業のことを考える。確か、レポートだけだから、テストのことは考えなくて良い。でも、レポートは授業を聞いていた方が書きやすいものだから、集中して授業を受けたい。眠気覚ましに缶コーヒーでも買っていくか。

 そんなことを考えながら俺が授業の教室に向かっていると、後ろから声をかけられた。

「藍星」
「あ、陽翔」

 大学で俺に声をかけてくる人は少ない上、最近ではよく陽翔が声をかけてくるため、迷うこともなく俺は振り向いた。

 予想通り、陽翔が立っていた。俺を見つけて走ってきたのか、少しだけ息を切らしている。わざわざ、走ってこなくても良いのに。そう思う一方で、どこか嬉しく感じている気持ちがいるのだ。心を優しく撫でられた気がして、少しくすぐったい気持ちになった。

「次の授業向かっているのか?」
「うん。別館の4階の教室」

 俺の隣に自然に立った陽翔から問われ、俺は頷いた。次の授業が始まるまで時間の余裕はあるが、授業前に軽く復習しておこうと思っていた。

「陽翔は授業?」
「俺は空きコマで、その次は授業」

 なるほど。陽翔は授業がないらしい。先ほどの授業が終わったところで、俺を見つけてくれたのだろう。

 俺のことを見た陽翔が、楽しそうに言った。

「えー、藍星の授業に潜ろうかな」

 授業に潜る。つまり、履修登録をしていない授業を受けることだ。うちの大学は授業を受ける際に抽選はしていない。そのため、授業に潜ることは別に違反ではない。ただ、単位が出ない授業に参加するだけだ。

 それでも、人数がそんなに多くない大学だ。いつも教室にいない人がいると目立つ。

「確かに授業自体は面白いから良いと思うけど、陽翔目立つから潜れないんじゃない?」
「そうだよなー」

 陽翔も自分が目立っている自覚はあるのだろう。俺の言葉に、少し悩むように目線を落としてから、何を思いついたのか、ぱあっと表情を明るくした。

「じゃあ、教室まで一緒に行っても良いか?」
「良いけど……。教室、4階だよ? 大変じゃない?」

 基本的に生徒は階段しか使えない。だから、登るのには少し時間がかかる。わざわざ一緒に来る必要はないのではないか。

 そう思って尋ねてみたが、陽翔は首を振った。そのまま、俺の顔を見つける。

「藍星と一緒にいたいから。駄目?」

 陽翔の言葉を理解した途端、じわじわと頬が熱くなってきた。

 そんな5分くらいだとしても、俺と一緒にいたいというのか。

「……良いよ。行こうか」

 断る理由もなく頷くと、陽翔はにかっと笑った。なんだかふわりとした気持ちになって、俺は笑い返すこともできない。そのまま、隣に並んで歩き始めた。

 陽翔と一緒に歩いていると、視線を集める。それは前からのことであったが、最近は一緒に過ごす時間が多くなってきたため、余計に感じるのかもしれない。

 それを気にしていたら、気が休まらない。それは理解していても、何となく意識をしてしまうのは、俺が慣れていないからか。

 ちらりと隣を歩く陽翔を見る。全く、気にしている様子はない。やはり慣れか。それが俺には足りない部分。

 俺が見ていると、陽翔がこちらを見た。視線が交わると、陽翔はさらに表情を緩める。

「藍星、どうした?」
「あー、えっと、陽翔ってやっぱり格好いいなと思って」
「……は?」

 咄嗟に考えていたこととは別のことを告げる。するとぽかんとしていた陽翔の顔がじわじわと朱色に染まっていった。

 なんでそんな反応を。疑問に思ったところで、先ほど自分が何を言ったのか思い出しても分からない。

 格好いい。それは単なる褒め言葉のはずだ。ありきたりで普通の言葉。しかし、陽翔は口元に手を当てて、微笑んだ。

「お前に格好いいって思ってもらえるなら、良かった」
「なっ……」

 本当にうれしそうな顔をされて、俺の方が困ってしまう。言葉をなくした俺を見て、陽翔はくすりと笑った。

 余裕がある様子が少し腹立たしい。陽翔は、俺のことが好きなはずなのに。そう思って、ふと気になる。

「陽翔、聞きたいことがあるんだけど」
「ん?」
「陽翔は、俺となんで付き合いたいの? 友達じゃ、駄目なの?」

 それは、この前も少し疑問としてあったことだった。俺は、確かに陽翔のことを意識している自分がいることに気がついている。しかし、それは友達であっても構わないはずだ。なぜ、陽翔は「恋人」を望んでいるのか。

 俺からの質問に、きょとんとした陽翔がふわりと笑う。その笑みがあまりにも綺麗で。俺は目を逸らせない心地になった。

 陽翔は、長く考えることもせずに口を開いた。

「友達が駄目、というわけじゃない。ただ、藍星の特別になりたいだけ」
「俺の、特別?」
「ああ」

 そう言った陽翔は視線を前へと戻す。俺はゆるゆると笑みを浮かべた陽翔の横顔から目を離せない。

「藍星が、困ったときに1番頼りたいと思ってもらいたい。藍星がどこかに行きたいと思ったときに、1番最初に俺を誘おうと思ってほしい。俺は美味しい物を食べたとき、藍星のことを思い出す。これを、一緒に食べたいって」
「……」
「これが、俺にとっての特別だ」

 なんだ、これ。陽翔の言葉から、表情から。俺のことを愛しているということが伝わってきて、どうしたら良いか分からない。

「返事は今すぐに、なんて言わない。気が向いたときにでも、考えておいてくれ」

 陽翔はそんなことを言っていたが、絶対無理。だって。

 俺の頭の中は、陽翔のことで埋め尽くされているのだから。