だってお前には彼女がいるから

 大学の教室につくと、俺が席を探すよりも前に声をかけられた。

「藍星、おはよう!」
「おはよう」

 明るい表情に、明るい声で陽翔から挨拶をされ、俺も挨拶を返す。

 手招きをされて、陽翔の隣に座る。すると陽翔が俺の顔の近くに寄せてきた。ふわりと陽翔の香水の匂いがして、心臓が跳ねた。

 前から思っていたけれど、やはり距離が近い。いろんな人と、この距離感なのだろうか。そう考えると、少しもやもやする。

 そう考えている間に、耳元で陽翔が囁いてきた。

「藍星、今日の放課後空いてる?」
「今日はバイト」
「そうか……」

 今日の予定を思い出しながら言うと、残念そうな陽翔の声が僅かに遠ざかる。少し陽翔が離れたのを確認して、俺は尋ねてみた。

「何か用事だった?」
「いや……。藍星と一緒にいたかっただけ」
「……」

 真面目な顔でなんてことを言っているのか。俺が真顔になると、顔を覗き込んできた陽翔がくすりと笑った。

「藍星は、いや?」

 綺麗なチョコレート色の瞳を優しげに細めてこちらを見る陽翔に、俺はうっと言葉を詰まらせた。その目から逃れるように、視線を逸らしながら答える。
 
「……また、別の日なら」
「よし。じゃあ、いつが良い?」

 陽翔はいきなりスマホを取り出し、カレンダーアプリを開いて、俺の返事を待っている。速すぎる。

 俺もスマホを取り出しながら日程を考えていると、後ろから声がした。

「いいなー、私も! 飲みに行きたい!」

 後ろから転がるような声がして、俺も陽翔も振り向いた。そこにはにこにこと笑う翠さんが立っていた。まだ何をするかは決まっていなかったが、彼女は飲み会をご所望らしい。

 僅かに眉間に皺を寄せた陽翔が言い放つ。

「……翠。邪魔すんなよ」
「えー、いいじゃん。ねえ、藍星くん。良いよね?」

 陽翔と翠さんの視線が俺に集中する。焦茶とグレーの4つの瞳から見つめられ、俺はどうしたら良いか分からなくなる。

「ねえ、良いよね? 藍星くん」
「断るよな、藍星」

 2人から圧をかけられて、俺はしばらく黙り込んだ。ぐさぐさと刺さる視線に、迷いながらも口を開いた。

「……3人で飲みに行こうか」

 すると、2人の表情が一瞬で変わった。陽翔は少しがっかりした表情に。翠さんは一段と明るい表情に。あまりにも分かりやすい変化に、思わず口元が緩んでしまう。

「なんでだよー」
「……」

 陽翔が不満だ、という気持ちを隠さずに言われるが、俺は口を閉ざした。

 言えない。陽翔と2人で飲みに行くのが、緊張するなんて。だって、陽翔と2人だと絶対にこの前のキスを思い出して変な空気にしてしまう。

 俺は慌てて話題を逸らすために、翠さんの方を向いた。

「翠さんは、いつが良い?」
「えーっとね、私は……」

 スケジュールを確認するために翠さんもスマホを取り出しているが、俺の言葉になぜか陽翔はぴしりと固まってしまった。

「藍星。今、翠のことなんて言った?」
「え? 翠さん、だけど」

 どこに引っかかっているのだろうか。俺が陽翔の方を見ると、気づけば目の前に陽翔の顔があった。せっかく先ほど少し遠ざかったのに、また顔が近い。美形が目の前にあるとびっくりするからやめてほしい。

「いつから? 理由は?」
「……ええ?」

 どこか必死さにも見える表情で聞かれ、俺はたじろいだ。ちらりと陽翔に目を向けた翠さんが、口元に柔らかい笑みを浮かべながら言う。

「陽翔。心の狭い男は嫌われるよ」
「うるさい」

 俺と翠さんを名前で呼んだだけで、陽翔は気にしていた。その事実を認識した瞬間、俺の頬が熱くなってきた。頬が赤くなるとバレてしまうから、慌てて手で空気を送る。不思議となかなか涼しくはならない。

「陽翔がまた悪酔いするかもしれないし、私がいた方がいいよね?」
「翠」
「なに? 陽翔が悪いでしょう?」

 2人の会話に思わず笑ってしまう。

 楽しい。1人でいるときもつまらなかったわけではないけれど、それとは別の楽しさがある。世界がぱっと明るくなって、自分がこの世の一員であることを強く意識させてくれるような感覚。

「明日は?」
「あー、私は問題ないよ。藍星くん、明日で良い?」

 当然のように俺のことを仲間にいれてくれる。それが、どれだけ嬉しいことか。2人には分からないだろう。

 友達。そうだ、友達だから。友達という関係でいれることが大切だからこそ、果たしてその関係を恋愛へとしてしまって良いのだろうか。友達だったら終わりなどないけれど、仮に告白を受け入れれば、恋人になる。

「藍星くん?」
「あ、うん。大丈夫」
「良かった。楽しみだね!」

 明日のスケジュールを慌てて確認してから、俺が答えると、表情を明るくした翠さんがぱっと表情を明るくした。

 とにかく、いろいろ考えるのは止めて楽しもう。俺がそう考えていると、じっと横から視線を感じた。そちらを見ると、チョコレート色の瞳がじっとこちらを向いていた。

「……藍星。本当に大丈夫か?」
「なにが?」

 心配そうな表情の陽翔に、俺は首を傾げる。すると陽翔がゆっくりとこちらに手を伸ばしてきた。俺が驚いていると、俺の髪に触れた陽翔が難しそうな顔で言ってきた。

「表情が暗かった気がするから」
「暗かった? ……きっと、気のせいだよ」

 自分で言って、納得感があった。そう。俺の表情が暗いはずはない。陽翔のことを好きかと思ったが、それは友達でも問題はないはずなのだから。

 少しだけ、心の中にもやもやが渦巻いた気がした。なんで、俺は物足りなく思ってしまったのか。

 それは3人で飲み会をしても、消えることはなく俺の心に居座り続けた。