だってお前には彼女がいるから

 数日後。俺が大学内を歩いていると、よく使う校舎の入り口に見知った顔を見つけた。彼女もこちらに気づいたようでぱっと表情を明るくした。

「藍星くん」
「藤石さん」

 にこにこと手を振る藤石さんを見て、俺は足を止める。こんな出入口で何をしていたのだろうか。

「誰か待ってたの?」
「うん、藍星くんと話がしたくて」
「俺?」

 話と言われてすぐに思い浮かんだのは、陽翔関係の話。しかし、藤石さんが俺を待ち伏せしてまでするような話。心当たりはいくつもあって、俺は口元を引きつらせた。

「ゆっくり話せるところ、行かない?」
「でも、陽翔が……、あ、いや」

 陽翔と付き合っているのに、異性とどこか行くのは良くないと言いかけたが、2人は付き合っていないことを思い出す。曖昧に言葉を濁した俺を見て、藤石さんがふふっと笑った。

「大丈夫だから、静かなところに行こう」

 いつもの明るい声ではなく、静かな落ち着きを持つ声で言われ、俺は断る理由もなく頷いた。

 ◆

 人の少ない喫茶店に藤石さんが連れてきてくれた。落ち着いた雰囲気の音楽が流れており、ほとんど客はいない。よくこんな穴場みたいなお店を知っていたものだ。

 藤石さんが頼んだミックスジュースと俺が頼んだアイスティーが届くまで、しばらく無言だった。

 注文した飲み物が届き、ようやく彼女は口を開く。

「陽翔から聞いたんだよね?」
「うん。2人が本当は付き合ってないって」
「そっか」

 僅かに微笑みながら頷いた藤石さんが、手元のストローでジュースをかき混ぜる。カランという氷の音が響く中、考え込んでいるようだった。

「まずは、ごめんね。友達なのに藍星くんにまで黙っていて」
「いや、友達だから全て言わないといけないわけじゃないし」

 俺がそう言うと、藤石さんがゆるゆると表情を和らげた。そして目線を上げて、俺の目を見る。

「ねえ、藍星くん」
「ん?」

 じっとこちらを見た彼女がゆっくりと口を開いた。

「私の見た目、どう思う?」

 どこか試すような藤石さんに戸惑いながらも、俺は藤石さんを見つめる。

 ミルクティー色に染めている髪。グレーに見える瞳。その少し変わった瞳の色が浮かないほど整っている顔。

「……美人、だね」
「ありがとう」

 俺が言った褒め言葉に表情を1つも変えず、礼を言う。藤石さんは、特に嬉しそうでもない。当然のように受け取っている。

 藤石さんがまた目線をジュースに落とす。彼女の表情に闇がかかったように見えた。

「だから入学してから面倒事に巻き込まれそうになることがあって。それを助けてくれた陽翔に、恋人のフリしてってお願いしたの」

 心底不快そうな藤石さんの言葉には、俺の知らない苦労があるのだろう。

「だから、私たちの間には何もない。それを私からも保証する」
「……藤石さん、知ってるの?」
「何を?」
「陽翔が俺のこと……」

 好きだということ、と言おうとはしたが、勝手に言ってよいか分からず口ごもる。そんな俺を見て、くすりと笑った藤石さんがにこやかに言う。

「陽翔ってわかりやすいから」
「……」

 そんなに分かりやすいだろうか。俺が考えていると、藤石さんは楽しそうに口角を上げた。

「それに藍星くんも、でしょう?」
「え?」
「藍星くん、陽翔のこと好きでしょう?」
「……そう、なのかな?」

 好き、なのだと思う。しかし、それを簡単に認めると、藤石さんに悪い気がした。2人が付き合っていると思っていた時期から、俺は陽翔のことを好きになっていた。

「ごめん、藤石さん」
「何が?」
「君の彼氏だった人に惚れるなんて、藤石さんのことを軽んじているようなものなのに」

 元から大きい目をさらに大きくして、きょとんとした藤石さんだったが、ふわりと表情を緩めた。

「藍星くんは真面目だねー」
「そう、かな?」
「気にしてくれて、ありがとう。でも、本当に大丈夫」

 藤石さんの表情に無理している様子は見えなかった。俺が視線を落とすと、藤石さんの優しい声がした。

「藍星くんは、それを気にしてたの?」
「それも、あるけど……」

 陽翔に淡い恋心を抱いていても、自分に自信は持てないし、本当に自分で良いのかと何度も考える。

 明るくならない気持ちを持て余して、グラスを見つめていると、少しの沈黙のあと、彼女の柔らかい声が空気を揺らした。

「きっと、大丈夫」
「え?」
「上手くいくよ」

 彼女の自信に満ち溢れた声に、思わず顔を上げた。外から陽の光がゆらりと舞い込み、彼女のグレーの瞳をきらりと輝かせていた。

「なんで、そんなことを……」

 気づけば言葉を漏らしていた。藤石さんは嫌そうな顔をしていることもなく、むしろ朗らかに笑った。

「私の勘は当たるからね」

 どこか既視感がある言葉だった。そうだ。彼女が、抜き打ちの小テストがあることを当てたときと同じ。一切の邪気もない断言に、俺の頬も緩んでいた。

「そっか。前も、そうだったね」
「うん。だから、きっと大丈夫」

 藤石さんの真っ直ぐな目を見ていると、本当に大丈夫だと思えてくる。

 俺がストローに口をつけると、藤石さんもジュースを飲んでいるようだった。俺も藤石さんも喉を潤したあと、ことりとグラスを置く音のあと、藤石さんが口を開いた。

「あ、でも1つだけ言いたいことがあって」
「はい」

 藤石さんの言葉が、少しだけ真剣なものになった。表情もどこか強張っている。俺は慌てて姿勢と言葉を正した。

「私のことも、名前で呼んでくれない?」
「……え?」

 深刻そうに言ったと思えば、それはそんなに重大な内容ではなかった。拍子抜けして、間抜けな声を出してしまう。しかし、藤石さんはそれに笑うこともなく、俺の目を真っ直ぐに見てくる。

「私も友達でしょう? だから、ね、藍星くん」

 彼女はやっぱり優しい人なのだ。俺のことを許してくれたどころか、友達としてさらに仲良くなりたいという気持ちを前面に出してくれる。

 だからこそ、俺もしっかりしないと。彼女とより親しくなるために。

「……ありがとう。翠さん」
「えへへ、やった!」

 嬉しそうな藤石さん――翠さんを見て、気づけば俺の顔も緩んでいた。

 彼女と友達になれて良かった。そう強く思った。