頬が赤いのはきみのせい

 大学の並木通りの木々たちは赤や黄色に色づき始める。
 午後の講義終わり、秋晴れの空を眺めながら歩いていると、視線の先に見慣れた猫背が見つけて走り出す。
「千晴さーん!」
「近寄るな」
 抱きつこうと手を広げていたのに、千晴さんはさっと身を翻す。
「なんでですか? 俺たち付き合って……」
「うるさい!」
 千晴さんは俺の肩に腕を回し、そのまま脇で締め上げる。
 俺たちは晴れて正式に付き合うことになったが、千晴さんの希望により周囲には隠している。俺はみんなに言いたいけど、千晴さんの希望だから仕方がない。でも。
「俺初めての恋人なんですよ? もっと恋人っぽいことしたいです……!」
「恋人っぽいことってなんだよ」
「手つないで歩いたり、おそろいのコーデしたり、プリクラとったり」
「中学生か」
 やっと解放された俺は千晴さんに歩み寄り、上目遣いで瞳をうるうると潤わせ、首をこくんと傾ける。
「ダメですか?」
「だからあざとくもかわいくもないって」
 もう、とむくれる俺に千晴さんはぼそっと囁く。
「そんなことしなくても、恋人なんだからいいだろ」
「千晴さんっ……! ってごまかそうとしてるでしょ!」
「ちっ、ばれたか」
 なんてやつだ、と目を細めていると、千晴さんに伝えようと思っていたことを思い出す。
「そういえばなんですけど、今度飲み会に行ってきます」
「飲み会? AOHARUのか?」
「いえ、高校の頃の友だちと。みんなで居酒屋行ってみようぜってなって」
「……そう」
「どうかしました?」
「べつに」
 そういって顔をそらす千晴さんの手をとっさに掴む。
「千晴さん」
「だからお前……」
 振り払おうとする千晴さんの手を掴んだまま、まっすぐに見つめる。
「言いたいことあるなら言ってください。俺は千晴さんの彼氏なんですから」
 千晴さんに我慢させない。それが彼氏としての俺の役目だ。
 千晴さんは少し考えたのち、ぽつりと呟く。
「……飲み会に行ってほしくない」
「え、なんで?」
「それは……」
 言いにくそうに唇を尖らせる千晴さんを見ていると、俺はハッと気づく。
「もしかして、やきもちですか? 安心してくださいよ! 今の俺は千晴さんしか……」
「いや、店で裸になって逮捕されてほしくない」
「あぁ」
 デレデレとだらしなく緩んでいた顔が、一気にすん、と冷める。千晴さんの言う通り、いくら酒の席といえど公共の場で裸になるのはやばすぎる。
「んー、でも久しぶりだからなぁ。一人だけお酒飲まないのも寂しいしなぁ」
「限度を知ればいいんじゃないか? どれくらい飲んだら脱ぎたくなるのかを知って、当日は酒を飲む量をセーブすれば」
「なるほど!」
 千晴さんの提案に手を打って納得する。
「じゃあ行くぞ」
「え、行くってどこに?」
「お前んち。今から二人で飲むんだよ」
 首をかしげる俺に、千晴さんは口角を上げてほほ笑む。
「俺が一緒ならいいだろ?」
 千晴さんの発言の意図を察した俺は、お酒を飲んでいないのに顔が真っ赤になった。
 ……なのに。

「……二人って、言ったよな?」
「そう、なんですけど……」
 俺の部屋にはなぜか俺たち含めて八人もいる。まずは。
「香織ちゃん、うぅ……」
 俺のクッションを抱きしめて泣きべそをかく翔太とは宅飲みの買い出しにいったコンビニで出会った。曰く、彼女である香織ちゃんから「方向性の違い」というバンドの解散理由みたいな理由で別れを切り出されてしまったらしい。あまりにも可哀そうで、家に来ることを許してしまった。次は。
「もう泣くなって! お互い次の恋探そうぜ! な!」
 翔太の肩を叩いて励ますのは智幸。智幸もまた翔太とともにコンビニで出会い、流れでついてきた。さらに。
「村上くん、こないだは『世界はにわ展』のチケット譲ってくれてありがとう! これお土産!」
 そういって埴輪型の鉢植えを差し出すのは藤井さん。藤井さんの耳には埴輪のマスコットがついたイヤリングが、首元には埴輪が連なったネックレスが光っている。藤井さんは大の埴輪好きだという。『世界はにわ展』も恋人の聖地など関係なく、埴輪が目当てだったらしい。というわけで、智幸もまた若干の失恋気味だ。
 藤井さんとはコンビニからの帰り道に出会い、お礼をしたいからという理由で家に来ることになった。そして。
「よっ! 筋肉切れてるね!」
「肩にブルドーザー乗ってんのかい!」
「そうだろ! がはは!」
 藤井さんと一緒にいた二人の先輩女子たちの前で榊さんは筋肉を見せつけるようにポーズをとる。榊さんに関してはなんかもう気がついたらいた。
 そうして俺と千晴さんを含め、総勢八人のAOHARUメンバーがそろってしまった。それはつまり。
「じゃあ、みんな! いろいろあるけどとりあえずカンパーイ!」
 榊さんの音頭とともに宴会が始まった。ちょっぴり二人だけで過ごしたかった気もするが。
「まぁ、いっか」
 俺たちは呆れたように笑い、あわせてビールの入ったグラスを掲げた。

 それから数十分後
「聞いてくれよ悠真! 香織ちゃんがさ……」
「分かったから泣くなって!」
「翔太はいいじゃん彼女がいたんだから! 俺はまだ一人もいないんだぜ? どうなってんだよ悠真!」
「知らねーよ!」
「埴輪はいろんな種類があってね、私の推しは馬の形をした動物形埴輪という……」
「へ、へぇ……」
「てかさ、悠真くんて私とタメなんだから敬語じゃなくていいよ」
「そうそう」
「いや、一応二人とも学年上ですし……」
 あちこちから話しかけられ、ほろ酔いの頭が余計に混乱する。身体がふわふわしてきて、顔がほんのり熱くなってくる。それでも楽しいという実感だけが心を満たしている。
「人の話聞いてんのか!」
「智幸の話は特に聞いてない」
「なんでだよ!」
 智幸のツッコみにみんながどっと笑いだす。そんな俺たちを少し離れたところから榊さんと千晴さんが眺めている。
「うるさい後輩たちだな」
「あぁ。AOHARUらしい、いいやつらだ」
 隣に座る千晴さんは笑みを浮かべ、手に持った缶チューハイを揺らしながら呟く。
「俺、AOHARUに入ってよかったよ」
「……そうか」
 榊さんは静かに頷き、二人は缶チューハイを重ねる。その場面を目撃した俺は、いてもたってもいられずにみんなをかき分け、千晴さんの腕を引っ張る。
「ちょっと! 二人でなに話してるんですか! 俺の千晴さんにちょっかいかけないでください!」
「はぁ? 俺の方が千晴との仲は長いんだが?」
「仲の良さは長さじゃないです! 深さですぅ!」
 俺は榊さんと顔をよせ、バチバチと火花を散らす。そんな俺たちを見て、智幸と翔太は呆れたように呟く。
「悠真のやつ。あれで千晴さんとのことバレてないと思ってるのかな」
「サークルのみんなわかってるけど、まぁ本人たちが言うまでは知らないふりってことで」
「分かってるよ……、でも好きな人と一緒にいるって」
「「いいよなぁ……」」
 二人の羨望の眼差しに気づかないまま、俺は榊さんの前に立ちふさがる。
「じゃあ勝負するか?」
「勝負?」
「飲み比べで勝った方が、千晴と仲がいいってことで」
 理屈はめちゃくちゃ。勝負の内容も圧倒的に不利。こんな勝負、勝てるわけが……。そのとき、視界の端で埴輪が俺を鼓舞する舞いのように激しく揺れる。
「あきらめるなぁ! やっちゃえぇ!」
 藤井さんが立ち上がり、俺にエールを送っている。一滴もお酒を飲んでいない藤井さんは部屋に充満する異様な空気に当てられ、場酔いしているのだろう。頬が赤く、呂律も回っていない。
「そうだそうだ! 萌ちゃんの言う通りだ!」
「サークル長も負けるな!」
 先輩女子たちも野次馬のように檄を飛ばし、俺と榊さんは酒を飲みかわす。
「……なんだこれ」
 喧騒の外で、千晴さんはやさしくほほ笑み、グラスに口をつける。
 そうして、賑やかな夜は更けていった──。

   ◇

 窓から差し込む朝日が、意識をゆっくりと覚醒させる。
「……っ」
 まぶたを開けると、千晴さんの寝顔があった。安らかで、愛おしい寝顔に心臓が高鳴る。しかし、前にも似たような光景を見たことがある。千晴さんが口からアラーム音を発する夢を思い出し、俺は恐る恐る肩に触れる。
「ん……」
 声をかけると、千晴さんは静かに目を開く。そして。
「おはよう」
 ほほ笑む千晴さんに俺は胸をなでおろす。
「……よかった、夢じゃない」
「何言ってんだ」
 起き上がると、身体が石のように固まっていて顔が歪む。どうやら俺たちは酔いつぶれ、そのまま床で寝てしまったらしい。他のみんなの姿はなく、机の上もきれいに片付けられていた。おそらく終電までには帰ったのだろう。
「今何時?」
「えっと」
 スマホを手にとると、画面に表示された時刻を見て息を忘れる。
「やばいやばいやばい……、もう講義始まりますよ!」
「はぁ!?」
 授業が始まるまであと十分しかない。俺たちは顔を見合い、慌てて飛び上がる。一緒に歯を磨いて、顔を洗って、荷物を背負って。
「行きますよ千晴さん!」
「悠真」
 玄関で靴を履いていると、背後から名前を呼ばれる。
「なんです……っ」
 振り返ると、千晴さんの唇が俺の唇へと優しく触れる。
「なっ……!?」
 あまりの衝撃に固まる俺へ千晴さんは口角を上げえほほ笑む。
「恋人っぽいだろ?」
「……もう一回」
「もういいだろ、早く行くぞ」
 せがむ俺の頭を撫でて、千晴さんは先に玄関を出てしまう。
「待ってください!」
 俺は閉まりかけた扉を押し開け、部屋を出る。
 昨日までと変わらない景色のはずなのに、世界はキラキラと輝いていた。


 終わり。