頬が赤いのはきみのせい

「行ってきますニャー」
 料理を乗せてボタンを押すと、ネコ型の配膳ロボットはゆっくりとホールへと去っていく。
 家から近くて時給がそこそこ良いという理由で決めたファミレスのバイトも働き始めてそろそろ二か月が経つ。接客態度から料理の運び方までたくさん学んできたが、最近導入された猫型配膳ロボットのほうが優秀だと思う。
「AIに仕事を奪われる側の人間だな、俺は」
 ひとりごちると、奥の従業員室から秋宮蓮さんがやってきた。秋宮さんは俺の五つ年上の二十四歳。ロックバンドを組んでおり、日々の練習やライブの傍らでバイトをしているバンドマンだ。
「村上さん……!」
 濡れたコップを拭いていると、ホールから戻ってきた高校生バイトの松本かりんちゃんがひそひそ声で寄ってくる。今日も頭の左右から生えたツインテールが歩くたびにぴょこぴょこと跳ねている。
「秋宮さんって、彼女いるんですかね?」
「聞いたことないけど、いそうだよね」
「やっぱそうですよね」
「え、ワンチャン狙ってる感じ?」
「いやいや! 私は見てるだけで十分幸せなので!」
 かりんちゃんは秋宮さんの背中に向かって拝む。かりんちゃんにとって秋宮さんは推し、ということらしい。
「まぁでも、モテるだろうね」
 前にYouTubeに上がっているライブ映像を見せてもらったが、演奏中の秋宮さんはたしかにかっこよかった。バイト中は隠している耳や口元できらりと輝くピアス、飛び散る汗、そして、夢中になってギターを奏でる姿に魅了される女性は多いはずだ。
「そういう村上さんはモテるんですか?」
「そりゃあ、……モテモテだよ」
「はい嘘―」
「嘘じゃないって! ほんとほんと!」
 かりんちゃんは完全に信じていない様子で、トレンチの片づけをはじめる。
「はいはい。モテモテですねー」
「本当だって! 俺こないだ『愛してる』って言われたんだから!」
「えっ!? すごいじゃないですか!?」
「あ、うん……」
「いいなぁ、私も愛してるって言われたーい!」
 かりんちゃんの羨望の眼差しが痛い。
 まぁ、嘘は言ってないよな。本当に俺は愛してるって言われたんだから。……相手は女の子じゃなくて、千晴さんだけど。
「相手は? どんな人!? どういう関係!?」
 興奮気味に鼻を鳴らして迫り寄るかりんちゃんに問いただされ、俺は千晴さんと過ごした日々を思い浮かべる。
「えぇと。同じサークルの先輩で、普段はツンツンしてるけど、お酒を飲むとかわいかったり、かっこよかったりして。あと、俺のことをすごく褒めてくれるんだよ。いいやつだな、とか。あとは……、なにその顔?」
 口元がだらしなくゆるんだニマニマ顔のかりんちゃんは嬉々として俺に告げる。
「村上さん、その人のことよっぽど好きなんですね」
「え?」
「だってほら!」
 かりんちゃんは俺の背中を押して、身だしなみチェックのための鏡の前へ連れてくる。
 鏡に映る自分の顔は笑みを浮かべ、頬がうっすらと染まっていた。
 俺、千晴さんのこと考えてるときって、こんな顔してるんだ……。
「じゃあ二人は両想いってこと?」
「そりゃあ『愛してる』っていうくらいだし?」
 かりんちゃんが勘違いしているような恋愛感情ではないにしろ、俺と千晴さんの先輩と後輩としての関係はかなりいい感じだろう。
 鼻高々にふんぞり返っていると、背後からいいや、と秋宮さんが割って入る。
「それはどうかな」
 いつの間に、っていうか。
「どうかなって?」
「愛してるって言われたからって、その人が悠真くんのことを好きとは限らないんじゃいない? ってこと」
「え、愛してるって言ったのに?」
 恋愛経験、交際経験、ともに皆無の俺にとって、それは1+1=2であるように疑う余地のない答えだと思っていた。
 しかし、秋宮さんは平然と言う。
「俺、飲み会で会う女の子みんなに愛してるって言ってるし」
「やば、沼る……」
 瞳の中にハートマークを浮かべるかりんちゃんをおいて、秋宮さんはほほ笑む。
「だからさ、酔ってるときの言葉なんて信用しない方がいいよ」
「で、でも……!」
「そこ! サボらない!」
「すみませんっ!」
 社員さんからお叱りを受けた俺たちは蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの持ち場へと戻る。ホールへ出ると、戻ってきたネコ型配膳ロボットと鉢合わせた。
 俺が右に避けようとするとネコ型配膳ロボットも右にずれ、俺が左に避けるとネコ型配膳ロボットも左にずれる。
「どいてくださいニャー」
「お前がどけよ!」
 うまくすれ違えず、立ち往生する俺たちを見てお客さんたちがくすくすと笑いだす。
「やっぱ村上さん、モテなさそう……」
「そうだね」
 かりんちゃんと秋宮さんの痛烈な感想が俺の背中に突き刺さる。

   ◇

 次の日。
 お腹を空かせた生徒たちの喧騒と窓に雨が当たる音が響きあう食堂で一人、俺はアジフライ定食を前に大きなため息をついていた。
つやつやの白米。出汁の香りが湯気とともに昇るわかめのみそ汁。そして、黄金色の衣をまとった揚げたてのアジフライ。しかしどれも食べる気にならず、つけあわせのお新香を口に放り、ぼりぼりと嚙みな砕く。
──酔ってるときの言葉なんて信用しない方がいいよ。
 脳内に秋宮さんの言葉がよぎる。
 思い返せば俺の手を引いてくれた時も、俺の膝の上で寝ているときも、俺に愛しているって言った時も、もれなく千晴さんはお酒を飲んで酔っていた。だからって。
「信用するなって、なんだよ……」
 どうしてこんなにモヤモヤするのか、自分でも分からない。
 千晴さんの愛してるが、たとえ本当じゃなかったとしてもべつにどうってこはないはずだ。だって千晴さんは男だし……。
「じゃあなんで俺はこんなにモヤモヤしてるんだ!?」
 頭をかきむしり机に突っ伏していると、突然頭上から声が降ってきた。
「なにしてんだよ」
「おわっ!? 千晴さん!?」
 食堂中に俺の叫びが響きわたり、目の前に立つ千晴さんは不機嫌そうに耳を抑える。
「うるさいなぁ」
「ど、どうしたんすか? なんでここに? 千晴さんも遅めのランチっすか?」
「いっぱいしゃべるな」
 千晴さんは向かい側に座り、俺をじっと見つめる。
「お前を探してたんだよ」
「俺を、探してた……?」
 心臓がドクンと脈打つ。ごくりとつばを飲み込む俺に対し、千晴さんはゆっくりと口を開く。
「榊がサークル棟に来いって」
「あ、はい」
「それだけ」
「……それだけ?」
 呆気なく、味気ない会話に肩透かしを食らう俺を置いて千晴さんはすでに椅子から立ち上がっていた。
「千晴さんっ!」
 俺は無意識に立ち上がり、身体を前のめりにして千晴さんの腕をつかむ。
「お前はいちいち声がでかいんだよ」
 そういって俺の手を払う千晴さん。言い方はきついし、相変わらずのトゲトゲ具合だ。それでも、いや、だからこそ気になってしまう。
「千晴さんって、俺のこと……」
 俺はとっさに自分の口を塞ぎ、ギリギリで言葉を遮る。
「なに?」
「やっぱなんでもないっす……!」
「はぁ?」
 頭にハテナマークを浮かべる千晴さんを見て俺は安堵の息を漏らす。
 ──千晴さんって、俺のこと好きですか?
 こんな質問、恥ずかしすぎるし、聞くだけ無駄だ。
 だって千晴さんは、酔っているときのことはなにも覚えていないのだから。
「なんだよ。じゃあ行くぞ」
「あ! やっぱ質問! ずっと気になってたんすけど、千晴さんってなんでAOHARUに入ったんですか?」
 AOHARUは榊さんを筆頭に明るい人間の詰め合わせ集団だ。そんな中に、常に単独行動、人を寄せつけない千晴さんがいることを前から不思議に思っていた。
 特別な事情や、実は千晴さんは隠れ陽キャの可能性も考えていたが、千晴さんは極めてシンプルに回答する。
「榊に無理やり入れられたから」
「うわー想像つくなぁ」
 足をばたつかせながら嫌がる千晴さんを担いだ榊さんがそのままサークル棟に入っていく姿が目に浮かぶ。保育園への登園を渋る子どもとパパのような光景が可笑しくて、俺はぷはっと笑みをこぼす。
「なに笑ってんだよ。そういう悠真は?」
「俺すか? 俺はもちろん、キラキラな青春を送るために!」
「キラキラ?」
「キラキラな青春っていうのは、友だちがいて、仲間がいて、彼女がいて……」
 そうだ。俺がAOHARUに入った理由、そして地獄の浪人生活を経て大学に入ったのは、かつての同級生たちのようなキラキラな青春を送るため。
 しかし、入学からそろそろ二か月が経とうというのに、学部やバイト先の友人、サークルの仲間はできても、彼女ができる気配は一向にない。
 理由はもちろん、俺の目の前に立つ男、倉本千晴のせいだ。
 千晴さんのせいでオクトーバーフェストも結局二人きりだったし、大学にいる時もいつも千晴さんを追いかけてるせいで、ほかの女子と話す機会が減ってるし。(千晴さんがいなくても女子と話す機会ないだろ、なんて意見は無視して)
 とにかく、俺の大学生活、ほとんど千晴さんとの思い出ばっかりだ。だから千晴さんが……。
 そのとき、不思議そうに俺を見つめる千晴さんに気づいた。
「なんすか? なにかついてます?」
「いや。なんでそんな幸せそうな顔してんのかなって」
「へ……?」
 自分の頬をさわると、にわかに熱を帯びていた。
 ──村上さん、その人のことよっぽど好きなんですね。
 俺は鏡に映る自分の顔を思い出し、とっさに千晴さんから顔をそらす。
「と、とにかく! 青春は青春ですよ!」
 千晴さんはあっそ、と口元に笑みを浮かべて呟く。
「千晴さんだって笑ってるじゃないすか」
「笑ってねーよ。早くいくぞ」
「ちょ、待って……、あっつ!?」
 急いでかじりついたアジフライは、いまだ熱々のままだった。

 先ほどまで降っていた雨はいつの間にか止んでいた。
 厚い雲が覆う空の下、サークル棟へ向かうと室内からじめっとした空気を吹き飛ばすようなにぎやかな声が聞こえてきた。
「おつかれーっす」
「お、やっと来たな!」
 そこにいたのは榊さんと数名のサークルメンバ―。女子はおらず、男子だけのむさくるしい空間が広がってた。じめっと、ではなくもわっとした空気に気圧されていると一人の先輩が両手に箱を持ってやってくる。
「こないだ家族で旅行いってさ、これお土産」
「まじすか!? あざす!」
「チョコとクッキーどっちがいい? どっちもラスト一個」
「どっちにしようかなー」
 つややかな雫型の粒チョコレートと、しっとりした大判のクッキー。どちらも美味しそうで迷っていると、横から千晴さんが手を伸ばし、粒チョコレートをつまみあげる。
「あ、ずるっ」
「なんとでも言え」
 千晴さんはそういうと、これ見よがしに粒チョコレートを口に放る。
「この悪魔! 食いしん坊! いやしんぼ!」
 俺の罵声を背に受けながら奥のソファへと向かう千晴さんに恨みの眼差しを向けていると、呆気に取られた表情で千晴さんを見つめる榊さんが目に入った。
「どうしたんすか?」
「あぁいや、なんでもない。それより悠真に頼みたいことがあってな」
 そういうと、榊さんはスマホを取り出し、一枚の画像を見せる。
 海を背景に大勢の男女が楽し気に集まっている記念写真の真ん中に、今よりも少しだけ幼い顔つきの榊さんを見つけた。
「AOHARUは毎年夏合宿をしているんだが、幹事を各学年から数人募ってるんだ。それで……」
 その瞬間、俺は榊さんの言葉よりも先に手を上げる。
「俺やります! 夏合宿……、めっちゃ青春っぽいじゃないっすか!」
 輝く海。白い砂浜。BBQでお腹を満たし、夜はみんなで手持ち花火。
 考えるだけでワクワクが止まらない。
 これこそが、俺の求めるキラキラな青春だ!
「悠真ならそういうと思ったよ。早速だが今後の流れについて話しておくと……」
 俺を含め幹事のメンバーたちはスマホや手帳にメモをしながら榊さんの話に耳を傾ける。室内には暇をつぶすためにやってきたメンバーが数名。ゲームをしたり、バカ話をして騒いでいる中、千晴さんはやはり誰とも口を聞かずに一人でソファに座っている。
 千晴さんっていつも一人なのに、なんで俺とは普通に話してくれるんだろう。
「悠真、聞いてるか?」
「は、はいっ……!」
 意識が逸れていた俺は背筋をピンと伸ばし、再び榊さんの話に耳を傾ける。
それからしばらく、夏の合宿についての打ち合わせをしているうちに、どこからか「悠真」と自分の名前が聞こえた。
 騒がしい状況の中でも自分の名前や、自分の関心がある情報が聞こえる心理的現象のことをカクテルパーティ効果というらしい。
 声のする方へ視線を向けると、サークルメンバーに話しかけられている千晴さんの姿を見つけた。
 千晴さんが、俺の話をしてる?
 俺はさりげなく、二人の会話に意識を集中する。
「倉本って、最近悠真と仲良いよね?」
 メンバーからの問いかけに、千晴さんはぶっきらぼうに告げる。
「いや、別に仲良くないけど」
 は?
「そう? よく二人でいるところ見るけど」
「あいつが一方的に絡んでくるだけだし」
 はぁあ……!?
 俺が一歩的だって!? それはそうだけど!?
「えー、そんなこといってかわいい後輩だなとか思ってんじゃないの?」
「ありえない。あいつバカだし、声デカいし! 一緒にいてもムカつくだけなんだよ!」
 千晴さんは目尻を吊り上げ、怒りのまま言葉を吐き捨てる。
 っていうか、言いすぎじゃない……?
 連続でジャブを打たれ、とどめに重たいボディブローをくらった俺はがくりとうなだれる。
「まぁまぁ、そんなこと言わずにさ……」
「いいや! あいつと一緒いるとマジでムカつくんだよ!」
 なだめるメンバーを振り払い、千晴さんの語気はさらに強くなる。
「悠真はな! マジでムカつくくらいかわいいんだよっ!」
「……ん?」
 かわいい、って言った? 今?
 聞き間違いかと振り返るが、千晴さんと話をしていたサークルメンバーも俺と同じ表情で固まっていた。
 千晴さんをよく見ると、顔が真っ赤に染まっており、目が少し潤んでいる。
「酔ってる……? もしかして!」
 俺はとっさにゴミ箱からお土産の菓子箱を取り出し、成分表を確認する。やはり!
「これ、ウイスキーボンボンだ!」
 ウイスキーボンボンとは洋酒(ウイスキー)をチョコレートで包んだもので、一口噛むと中からウイスキーの豊潤な香りと味を楽しめる。だからって、一粒食べただけで酔っぱらうとは。
「ふざけやがってよぉ……」
 千晴さんはしゃくりをあげながら、ぶつくさと文句を垂れる。
「あれは、酔うと怒りっぽくなる怒り上戸?」
「いや……」
 異変を察知した榊さんはじっくりと千晴さんを観察する。
「悠真のやつ、大学で俺を見つけるたびにバカでかい声で千晴さーん、ってかけよってきやがってさ! そういうところが大型犬みたいでかわいいんだよ!」
「あれは怒り上戸じゃなくて、惚気上戸だな」
「惚気、上戸……?」
 またしても聞いたことがない上戸に戸惑っていると、千晴さんはソファの上で仁王立ちになり、さながら鬼教官のようにメンバーたちを問いただす。
「お前ら! 悠真のかわいさわかってんのか!? そこのお前! 悠真のかわいいところ言ってみろ!」
「え、えっと……」
「遅い! 隣のお前!」
「……顔?」
「そうだ! あいつはな、笑った顔が一番かわいいんだよ! 目がぎゅうっとつぶれて、八重歯がチカって見えて! くしゃって笑うあいつの笑顔が俺は一番……」
「ちょっと待った!?」
 俺は千晴さんに飛びつき、ソファから引きずり下ろす。
「なにするんだ!?」
「うるさい酔っ払い! 恥ずかしすぎて死んじゃうわ!」
「離せっー!!」
 俺は暴れる千晴さんを羽交い絞めにし、そのままサークル室から連れ出した。

 サークル棟から正門までの間に噴水広場と呼ばれる場所がある。
 一時間に一度、鐘の音色とともに噴水から水が噴きだし涼し気な風を運ぶ学生たちの憩いの場だが、雨上がりの今、わざわざ噴水を見に集まる生徒はいないらしい。
「離せ!」
 ここなら人の目もないだろうと手を緩めると、千晴さんはぐるんと振り向き、俺に掴みかかる。
「俺はな! お前にもムカついてるんだ!」
「あぶなっ!?」
 とっさに避けると千晴さんは足を滑らせ噴水に向かって身体が傾く。俺はとっさに手を伸ばし、ギリギリのところで千晴さんの腕をつかむ。
「なにやってんすか!」
 千晴さんは俺を潤んだ瞳で見つめ、子どものように口をとがらせる。
「……俺はあの日のこと、忘れてないからな」
「あの日って……、うわっ!?」
 気が逸れたせいで腕の力がゆるみ、俺たちはそのまま噴水へとダイブした。
 ひざ丈もない浅い水底だが、頭から突っ込んでしまい全身が水に浸かった。俺は水面から顔を出し、ぶるぶると頭を振る。
「ぶはっ!? 口の中入った!? 最悪!」
「お前なにやってんだよ!」
「はぁ!? 千晴さんがひっぱるからでしょ!?」
「俺のせいにするな!」
 そう叫ぶ千晴さんもまた全身ずぶぬれで、うねる前髪の先から雫がぽたぽたと垂れている。
 なんだこの状況。
 男二人で、大学の噴水で溺れかけて。
「…………ぷっ、はは、あははは!」
 俺はこらえきれず、声をあげて笑った。
 そうか。
 ──酔ってるときの言葉なんて信用しない方がいいよ。
 秋宮さんにそう言われた時、俺はなんだか千晴さんと過ごした時間ごと、否定されたみたいで嫌だったんだ。
 千晴さんの言葉がたとえ信用できなかったとしても、俺が千晴さんといるときに感じた気持ちは本物だ。楽しくて、たまに困らされて、それがまた楽しくて。だから。
「俺、千晴さんと一緒にいるの、好きですよ」
 自分の気持ちを言葉にすると、モヤモヤが一気に晴れていく。
 千晴さんは目を見開くと、さっと顔をそらす。
「……な、なに急に。意味わかんないだけど」
「あれ? 照れてます?」
「うるさい!」
 千晴さんは手で水面をはじき、水しぶきを浴びせてくる。
 空は曇天、身体はびしょ濡れなのに、心は快晴のように晴れわたっているようだった。
「っていうか、なんで俺こんなところにいるんだ?」
 どうやら冷たい水に浸かって酔いが醒めたらしい千晴さんは、あたりをキョロキョロと見回す。
「そうだ。千晴さん、さっき言ってた『あの日のこと』ってなんのことですか?」
「あの日のこと……、なにが?」
 俺がずるっとずっこける。
 やっぱり、酔っているときのことは覚えてないのか。
「もういいです」
 立ち上がると、服の袖や裾から水がじょぼじょぼと垂れ落ちる。
「最悪。パンツまでびしょびしょだ」
 そのとき、頭の中で記憶の引き出しが開きかける。
 パンツ……?
 なにか大事なことを忘れているような気がして考え込んでいると、座ったままの千晴さんが俺に手を差し出す。
「ん」
 どうやら引っ張り上げろ、ということらしい。
 顔をそむけたまま、俺に身を委ねる千晴さんの姿はやっぱり。
 かわいいな。
「え」
 千晴さんはこちらへ振り向き、声を漏らす。俺を見上げる千春さんの顔がみるみるうちに赤く染まっていく
 もしかして今の、声に出てた!?
 気づいた瞬間、頬がボッと熱くなる。
「今の嘘! やっぱりなしで!」
「お前、先輩に向かってかわいいとか、なに言ってんだ!」
「先輩後輩関係ないでしょ!? ってか千晴さんだって散々言ってたじゃないですか!? まったくもう、これだから千晴さんは……」
 俺は動揺を隠すように言い訳を連ねながら千晴さんの手を掴み引っ張りあげる。
 しかし足に力を込めた瞬間、水底がぬるんと滑り、千晴さんに覆いかぶさるように倒れこんだ。
「ご、ごめんなさい……!」
 慌てて身体を起こすと、千晴さんの顔がすぐ目の前にあった。
 吸い込まれえそうな真っ黒な瞳。水滴をはじく頬。
 俺たちはなにも言わず、ただじっと互いの視線を交えていた。二人の呼吸に合わせて水面に波紋が広がり、重なっていく。
 俺が千晴さんといるときに感じた気持ちは本物だ。
 だったら、千晴さんと一緒にいる時に感じる胸の高鳴りだって本物だ。なのに、俺はずっとこの気持ちの正体が分からない。
 俺はそこに答えがあると信じるように、千晴さんのことを見つめる。
 千晴さんの瞳から鼻筋、そして薄い唇へと視線が移動する。そのとき。
 プシュー!
 鐘の音とともに、噴水から水が噴きだした。
「わあああ!?」
「冷たい冷たいっ!?」
「俺が先に出るんだよ!」
「俺の方が先っすよ!」
 俺たちは降り注ぐ水から逃げ惑い、互いの足を引っ張りあいながら噴水の中でもがく。
「なにやってんだあいつら」
 そんな俺たちを、遠くから榊さんが笑って見ていた。