頬が赤いのはきみのせい

 夜桜を見に行った日から数週間。
 桜はとうに散り、風に青々とした若葉の薫りを感じる季節となった。しかし……。
「千晴さん! 今日こそ飲みに行きましょうよ!」
「だから行かないって言ってるだろ!」
 この通り、作戦は難航している。作戦とは泥酔した千晴さんを動画に収め、弱みを握ること。だけど。
「なんでですか!? 千晴さんお酒好きでしょ!?」
「酒は一人で飲むんだよ!」
「だから俺と一緒に……!」
「うるさい! ついてくんな!」
 千晴さんは俺を置き去りに足早にキャンパスの中へと去っていく。
 お酒を飲ませる以前に、千晴さんは俺の誘いに乗ってくれない。
 そもそも千晴さんはいつも一人で行動し、誰かと一緒にいるところを見たことがない。たまに榊さんが話しかけているだけで、千晴さんから榊さんに話しかけにいくこともない。
 酒を飲んでいないときの千晴さんは常に不愛想だ。いつも刺々した雰囲気をまとっており、周囲に誰も近寄らせないオーラを放っている。それでも榊さんと俺は気にせず話しかけているけど。
「なんとか千晴さんにお酒を飲ませる方法はないか……」
 すれ違いざまに突然お酒を顔にぶっかける? それか水筒にお酒を混ぜる?
 ダメだ。どちらも犯罪チックだし、どっちにしろ千晴さんに殺される。
──手、離すなよ。
──お前だって照れてんじゃん。
 千晴さん。お酒を飲んだ時は優しくて、かっこいいのに。
「……やっぱりお酒ぶっかけようかな」
 ぶつぶつと考えながら俺はサークル棟へ向かう。サークル棟はその名の通り、各サークルの部室や備品管理室がある二階建ての建物で、授業の空き時間などは部室で暇をつぶしている。
「サークルの中で彼氏にするなら誰だと思う?」
階段を上りAOHARUの部室の前にたどり着くと、声が聞こえてきた。
「彼氏……?」
 俺はとっさに身を屈め、窓からこっそり顔をのぞかせる。中には先輩女子が二人、そして。
「藤井さん!?」
 藤井萌さんは新入生のなかでダントツにかわいい女子。あんな子が彼女だったら絶対毎日楽しいし、キラキラな青春が送れるはずだ。
「榊さんいいよね」
「榊さんはほかの大学に彼女いるよ」
「まじかー」
 先輩女子たちが話す中、藤井さんは楽しそうに微笑んでいる。そんな笑顔も素敵だと見惚れていると、先輩女子の一人が好奇心むき出しで藤井さんに顔を近づける。
「ところでさ、萌ちゃんは好きな人いないの?」
「えっ」
 藤井さんは困ったように首をかしげる。その反応、もしかして……。
 俺の最悪の予想をそのまま、もう一人の先輩女子が声に出す。
「あ、もしかしてもう彼氏いるとか?」
「いないですよ!」
 よっしゃ!
 俺は魂のガッツポーズを決め、架空の群衆からの歓声を全身に浴びる。
「でも、いいなって人くらいいるでしょ?」
「それは……」
「これは、いる反応ですねぇ」
 先輩女子の一人は、かけていないメガネをくいっとあげるフリをして、さながら名探偵のように告げる。すると藤井さんは「全然好きとかじゃなくて、ただなんとなくいいなってくらいで……」とあっさり自供した。
 藤井さんがいいなって思う男子。それって。
「その人のどんなところがいいなって思うの?」
 先輩女子の質問に、藤井さんは顔を真っ赤にして話し出す。
「いつも物静かで」
 俺だ。物静かと言えば俺だ。歩く物静かとさえ言われたことあるし。
「近寄りがたい感じもあるんですけど、そこがクールというか、かっこいいというか」
 完全に俺だな。俺すごい近寄りがたいもん。触るものすべてを傷つけるバラのような男だし。
「すごくミステリアスな雰囲気がして、そこに惹かれるというか」
 間違いなく俺だ。俺はミステリアスに手足が生えたようなものだし。
 藤井さんが思いを寄せる人物が俺だと確定した今、俺の妄想列車は走り出す。
 今日は江の島デート。おしゃれなカフェで優雅な朝を過ごす俺と藤井さん。水族館や神社を巡り、夕暮れ時、浜辺に手を繋いで歩く二人の影が伸びる。そして夜。別れ際に駅のホームで俺たちは……。
「もう、誰なの?」
 しびれを切らした先輩女子に迫られ、藤井さんは観念したように名前を告げる。
「……倉本、千晴さんです」
「は?」
 その瞬間、妄想の中で藤井さんと抱き合っていたはずの俺が千晴さんに切り替わる。
 なんでよりにもよって千晴さんなんだよ! あんな人のどこがいいんだ!
「あー、たしかに萌ちゃんの言うことわかるわ」
 わかってたまるか!
 先輩女子のつぶやきに、俺は全力でかみつく。
 いつも物静かで、クール? ただ根暗ボッチなだけだろ! それに。
「千晴さんのどこがミステリアスなんだ……!」
 お酒を飲んだ千晴さんなんて勝手に人のことを膝枕にするようなお茶目野郎だぞ? それに人前で手を繋いじゃうような大胆な人で……。
「俺がどうかしたか?」
「うわっ!?」
 慌ててふりかえると、二人の男が立っていた。
「千晴さん!? ……と、榊さん?」
 千晴さんの背後には、いつもの堂々とした出で立ちとは違い、頬をぷくーっと膨らませる榊さんの姿があった。
 榊さんはずんずんと俺を通り過ぎてサークル室へと入ると、そのまま天井からぶら下がった年季の入ったサンドバッグに抱き着いた。
 AOHARUのサークル室はコンセプト不明の雑貨屋のよう。外国のお土産と思わしき木製のお面やアメコミのフィギュア、本棚には哲学書から浅野いにおの漫画まで置かれている。ここにあるもののすべては歴代のサークルメンバーたちが卒業とともに置いていったものらしい。
「榊さん、どうしたんですか?」
「予算審査が通らなかったんだ!」
 憤る榊さんを横目に、千晴さんはため息をつく。
「だから、ただの遊びに予算なんか貰えるわけないって言っただろ」
「遊びじゃねえ! いつだって本気で今を楽しむ。それが俺たちの青春、アオハルなんだよ!?」
「意味が分からん」
 俺は藤井さんたちと目を合わせ、首をかしげる。
「あの、話が読めないんですけど」
 榊さんは蝉のようにサンドバッグに張り付いたまま、ぼそりと呟く。
「来月、駅近くの公園でオクトーバーフェストがあるんだ」
「オクトパスフィスト?」
 聞きなれない言葉に俺たちはさらに首をかしげていると、見かねた千晴さんはチラシを卓上に置いた。
 そこには晴天の中、大きなグラスジョッキでビールを飲む人々の姿と、肉汁あふれるソーセージ、そして黒赤黄の三色の国旗が描かれていた。
「オクトーバーフェストはドイツのミュンヘンで行われるビールの祭典で、ときどき日本でも模擬イベントが催される。そこでも本場さながらのドイツ産のビールや本格的なドイツ料理を味わえる」
「ドイツ産の、ビール……」
 千晴さんの説明を聞いて、先輩女子たちはごくりと喉を鳴らす。
「それで、榊さんは」
「このイベントにサークルのみんなで行きたいからお金くださいって言ったら予算委員会に断られたから拗ねてる」
「えぇ」
 そりゃそうでしょ……。
 俺のそんな視線に気づいたのか、榊さんはたじろぎながらも立ち向かってくる。
「な、なんだよ悠真! お前も予算委員会の悪魔たちと同じなのか!?」
「出店を構えるわけでもなく、イベントの運営を手伝うわけでもなく、ただ遊ぶために行くからって予算が貰えるわけないだろ」
「だから遊びじゃねえって!」
 駄々をこねる榊さんを置いて、先輩女子たちはオクトーバーフェストに夢中だ。
「えー、行きたいな」
「外で飲むビール美味しいだろうな」
 先輩女子たちの言葉に気をよくした榊さんは「よし!」と手を打つ。
「じゃあみんなで行くか! お金は各自持ちだけど」
「やったー! 萌ちゃんはどうする? まだビール飲めないよね?」
「私、ドイツ料理好きです!」
「じゃあ決まりだ! 悠真も来るよな?」
「はい!」
「千晴も」
「俺は行かな……」
 俺は千晴さんの言葉を遮り、とっさに手を掴む。
「千晴さんも行きましょうよ!」
 そして上目遣いで瞳をうるうると潤わせ、首をこくんと傾ける。そして最後は、うわずった声で。
「だめですか……?」
 見たか、これが俺のあざとかわいいってやつだ。元ネタは昔ネットの記事で見たおねだりポーズ。こんな風にかわいい女子におねだりされたらころっといっちゃうよな、なんて話していた高校時代が懐かしい。まさかやられる側じゃなくて、やる側になるとは思っていなかったけど。だがしかし、これなら千晴さんもイチコロ……。
「行かない」
「えっ」
 千晴さんは俺の手を振り払う。
 俺のあざとかわいいが、効いていない……? こうなったら!
 俺は千晴さんの肩を掴み、まっすぐに言葉を伝える。
「俺は千晴さんと一緒がいいんです! 一緒じゃなきゃいやなんです!」
 当たって砕けろ。直球勝負だ。
 すると、千晴さんは目を見開き、顔をそらして言い捨てる。
「……わかったよ。行けばいいんだろ」
「よっしゃ!」
 これは思ってもみないチャンスだ。
 オクトーバーフェストで千晴さんが酒に酔えば、いつもと性格が全く異なる○○上戸になる。そんなミステリアスでもクールでもない千晴さんを見れば、きっと藤井さんは千晴さんに幻滅するだろう。しかも、喜ばしいのはそれだけじゃない。
 まさか、藤井さんといっしょに遊びに行けるなんて……!
 俺にもやっと巡ってきたんじゃないか? 
 遅れてきた春が! キラキラの青春ってやつが!?
「うおおおおおお!!」
 俺はテンションの昂りをそのまま、拳に込めてサンドバッグを打ちまくる。
「萌ちゃん的に悠真くんってどうなの?」
「ちょっと子どもっぽい、かも」
「わかるわー」
「ん? なにか言った?」
「「「ううん、べつに」」」
 スパーリングに夢中になっていた俺は、藤井さんたちの会話が聞こえていなかった。

   ◇

 イベント当日はチラシ通りの快晴で、真っ青な空が広がっていた。
 照りつける太陽によって乾いた身体をビールで潤す参加者たち。ほかにも会場中央の特設ステージでは音楽フェスが行われており、出演するアーティストやアイドルのファンたちもかけつけ盛大ににぎわっている。
「俺もステージに行きたいのに……」
 両手に持ったドリンクを溢さないように人の波をかいくぐり、木陰のベンチへたどり着くと、千晴さんはぐったりとうなだれていた。
「大丈夫ですか」
「やっぱり来なきゃよかった」
 人の多さに気分が悪くなった千晴さんの付き添いを任されたのがおよそ十分前。
榊さんは食料調達へ向かい、藤井さんは先輩女子たちに連れられ音楽フェスへと行ってしまった。
「そんなこと言わないで。とりあえず飲んでください」
 千晴さんは黄金色のビールを受け取ると、もう片方の手に持った同じ黄金色の液体を見て目を開く。
「お前それ」
「安心してください。これノンアルなので」
 俺はノンアルビールが入ったカップを差し出すと、千晴さんはカップを軽く当てる。
「乾杯」
 千晴さんは喉を鳴らしながらごくごくと飲む。
 俺も千晴さんに続いて一口飲むと少しの苦みと強烈な炭酸が、乾いた喉を刺激する。
「ぷはぁ!」
 千晴さんはふっと鼻で笑う。
「オヤジくさいな」
「そうっすか? ビール飲んだらぷはぁ、って言うのがお決まりかと思ってました。ほら、銭湯でコーヒー牛乳飲むときに腰に手を当てて一気に飲む、みたいな」
「それはまぁ、わからないでもないけど」
「千晴さんもやってみてくださいよ。ぷはぁ、って」
「やらない」
「だめですか……?」
「それやめろ。なんだよそれ」
「あざとかわいいおねだりポーズですよ」
「あざとくないしかわいくもない」
「えぇ!?」
「なんで本気で驚いてんだよ」
 千晴さんが笑ってビールを飲み、俺もつられて笑いながらノンアルビールを飲む。
 誰かと一緒にお酒を飲むって、こんな感覚なのだろうか。すごく楽しくて、高揚感で意味もなく笑いがこみ上げてくる。
「二十歳越えてお酒が飲めるようになったら、また千晴さんと飲んでみたいです」
「そうだな。その時は一緒に飲もうな」
「はい!」
 ビールが残り少なくなった頃、青白かった千晴さんの顔色がほんのり赤く染まってきた。
 さぁでるぞ。千春さんの〇〇上戸が。
 俺はこっそりカメラアプリを起動。胸ポケットにスマホを仕舞い、観察していると千晴さんはカップを見つめたままぽつりと呟く。
「悠真はいいやつだよ」
「え?」
「こんな俺をいっぱい誘ってくれて、本当にお前はいいやつだ」
 千晴さんは俺の頭にぽんと手を置き、やさしく撫でる。
「千晴さん?」
「悠真はやさしいし、かっこいいし、スタイルもいいし、努力家だし、おもしろいし……」
 千晴さんの口から俺への賛辞があふれて止まらない。
 もしかしてこれは相手を褒め続ける、いわゆる褒め上戸か?
「んー、まいったな」
 悪い気はしないけど、これでは藤井さんに見せても幻滅とまではいかないだろう。
 もう少し、いつもと違う感じで取り乱してくれれば……。
「悠真」
 名前を呼ばれ振り向くと、とろんと潤んだ千晴さんの瞳に目を奪われる。お酒を飲んだ後の千晴さんって、どうしてこんなに綺麗なんだろう。そのとき、頭を撫でていた手をそのままおろし、するりと俺のほほを撫でる。
「俺は悠真のこと、世界で一番愛してるよ」
「……は、はぁああ!?」
 突然の告白に俺は弾くように立ち上がると、周囲の参加者たちが一斉に振り向く。
「どうした?」
 そこへ両手にソーセージをもった榊さんが戻ってきた。
「あの今、千晴さんが俺に愛してるって……」
 ぽけーっと佇む千晴さんを榊さんはふむふむ、と観察する。
「今の千晴はデレデレ上戸だな」
「デレデレ上戸?」
「まぁ適当に聞き流しとけばいいから。じゃよろしく!」
 それだけ言うと、千晴さんはぺろぺろキャンディのように渦巻くソーセージを俺に手渡し、再び人ごみの中へ去っていった。
「適当に聞き流すって……」
 千晴さんは機嫌がいいのか、残りのビールを飲み干した。
「悠真、お酒なくなった」
「じゃあ俺買ってきます」
「俺も行く」
 ふらりと立ち上がり、そのまま歩き出す千晴さん。
「ちょっと待ってください! はぐれちゃいますって!」
 人ごみの中、俺はとっさに千晴さんの手を握る。すると、千晴さんは一度手を離し、再び俺の指の間に指を入れて握りなおす。
 これ、恋人つなぎじゃん……!?
 俺の戸惑いが手のひらから伝わったのか、千晴さんは立ち止まる。
「手つなぐの、いや?」
 上目遣い。潤んだ瞳。首の傾き具合。そしてとどめのうわずった声。
 これ、あざとかわいいおねだりじゃん!
 俺はどきんと痛む胸を抑えて、手を握ったまま、千晴さんのとなりに並ぶ。
「いやじゃないって言ったでしょ」
「えへへ」
 千晴さんはにんまりと笑い、悠々と歩きだす。
 俺と手を繋ぎ、俺の前を歩く千晴さん。新歓の夜と同じシチュエーションだ。
──手、離すなよ。
 今の千晴さんにあの日のように大人びたかっこよさは全く感じない。だけど。
「見て悠真! あっちにおっきいソーセージ売ってる!」
「さっき榊さんからもらったソーセージがあるでしょ。これ食べてからです」
「えー」
 そういうと、千晴さんは俺に向かって口を開ける。千晴さんの無防備な姿に俺はどぎまぎしながらゆっくりとソーセージを近づけると、千晴さんははむっとかみつく。
「うまっ!」
 子どものように甘え、無邪気にはしゃぐ千晴さんを見ていると、あの日の夜と同じように胸の奥の方がぐっと苦しくなる。
 この胸の痛みは、なんなんだ……!?
 俺は自分の心の騒がしさに戸惑いながらソーセージをかじった。

 その日の夜。
 シャワーを浴びた俺はそのまま布団に飛び込む。
「疲れた……」
 オクトーバーフェストが終了すると、千晴さんは榊さんが連れて帰り、藤井さんたちも女子だけで帰っていき、一人、とぼとぼと帰ってきた。
 結局、藤井さんとは少ししか話せなかったし、ドイツ料理もソーセージしか食べられなかった。結果は散々。だけど。
 俺はスマホのカメラアプリを起動し、撮影した動画を流す。
 小さな画面の中で、千晴さんは俺を褒めつづける。そして、俺の頭に手を置き、とろんとした顔つきで優しく告げる。
『俺は悠真のこと、世界で一番愛してるよ』
 俺は布団をばたばたと蹴り、身もだえる。
 いつもの千晴さんからは想像もつかない一面。作戦は大成功だ。
 この動画を藤井さんたちに送りつければ……。
 俺は送信先に藤井さんを選択し、共有ボタンを押す寸前で指が止まる。
 いや、待てよ。
 これを藤井さんが知ったら、私のことも褒めてほしいって思うんじゃないか!? 私にもデレデレしてほしいって!?
 妄想の中で、酔った千晴さんが藤井さんの頭を撫でる。
「萌ちゃんはきれいで、かわいくて、世界で一番……」
 その瞬間、俺は頭を振って妄想をかき消す。
「俺以外に言って欲しくない、かも」
 俺は共有をキャンセルし、枕に顔を埋める。
 作戦は延期だ。また今度、千晴さんの酔った姿を動画に……。
 まぶたが急激に重くなり、俺は睡魔にいざなわれるまま眠りの世界へ旅立った。