頬が赤いのはきみのせい

 日暮れごろ。
 正門を出たところで待っていると授業を終えた千晴さんがやってきた。
「千春さん!」
 俺に気づいた千晴さんは眉間にしわを寄せ、一時期のソーシャルディスタンスを思わせるほどの距離を取って立ち止まる。
「で、付き合うってなに?」
「行きたい場所があるんです。そこに付き合ってもらいたくて」
「やっぱりな」
「え?」
 千晴さんは呆れた様子でため息をつくと、まだ寝ぐせが残った後ろ頭はわしわしと掻く。
「そんなの一人で行けば……」
「俺は、千晴さんといっしょに行きたいんです!」
 まっすぐに千晴さんを見つめて言う。千晴さんはあっそ、と呟き顔をそらしたとき、爽やかな春風が吹き千晴さんの前髪がふわりと浮かぶ。
 あらわになった千晴さんの目元はやはり綺麗で、頬が赤く染まっていた。
「もしかして、照れてます?」
「うるさい」
 俺のすねを蹴り、先に歩き出す千晴さんの後を追いかける。アスファルトの道に、二人の影が並んで映る。
「どこいくんだよ」
「それは着いてからのお楽しみで。そこでなにか買いましょうよ」
 目に止まったコンビニへ入り、緑の買い物かごを手に持つ。
「昨日のお詫びってことで、俺おごります」
 甘い系、しょっぱい系、辛い系。目についたお菓子をぽんぽんと入れながら店舗の奥にあるドリンク置き場へと向かい、20歳以下は購入禁止のシールが貼られた扉に手をかける。
「お酒も飲むでしょ? なにがいいですか?」
 扉のすき間から冷気が漏れ出してくる。無骨なカップ酒や銀色の缶ビールが並ぶ中、千晴さんは淡い水色の缶チューハイを手に取った。
「じゃあ、これだけ」
「え、それだけでいいんですか? もっと飲みましょうよ」
「なんでそんなに飲ませたいんだよ」
「そ、そういうわけじゃ……、あはは」
 俺は取り繕いながらも追加で数本の缶チューハイをかごに入れ、慌ててレジへ向かう。
 息をつきながら、おばさん店員が慣れた手つきでレジを通す様子を見ていると、タッチパネルに『20歳以上ですか?』という問いかけと『はい』と書かれたボタンが現れた。店員さんの手には千晴さんが選んだ缶チューハイが握られていた。
「画面タッチしてください」
「あ、はい」
 これは俺が押していいのか、と逡巡しているとおばさん店員の目がきらりと光る。
「あなた成人してる? 身分証見せて」
「あの、えっと……」
 戸惑っていると、背後から千晴さんが学生証を差し出す。
「これ、俺が飲む分です」
「そう」
 店員さんは学生証を一瞥するとレジ作業に戻り、千晴さんはボタンをタッチする。
「ありがとうございます」
 千晴さんはなにも言わずに、背後へと下がる。
「支払い方法は?」
「現金で」
 高校生の頃、サーバーの不具合で電子マネー決済ができなくなり食い逃げの容疑をかけられて以来、もっぱらの現金派だ。俺は財布を取り出そうとカバンの中を漁る。しかしいくら漁っても、中身を見ても、財布が見当たらない。
 そういえば、朝慌てて家を出る時、机の上に財布があったような……。つまり。
 俺はおそるおそる後ろを振り返る。
「すみません、財布忘れました……」
「……すみません、やっぱ電子マネーで」
 千晴さんは俺を退け、スマホを端末にかざす。
「すみません……」
 さすがに怒ってるかなと、と恐る恐る顔をのぞくと、千晴さんの口元にはかすかに笑みが浮かんでいた。
 ──やっぱり綺麗だな。
 そういって俺の頭を撫でる千晴さんの笑顔が脳裏に浮かび、ドキン、と胸が痛んだ。
 昨日からなんなんだ、この気持ちは……!
「いくぞ」
「あ、はい……!」
 俺は買い物袋を手に、慌てて千晴さんの後を追った。

「まだつかないのかよ」
「もうちょっとです」
 外灯が照らす路地の奥、小道を進んだ先に目的地が見えた。
「ここです!」
 俺は駆け出し、小さな公園の門を通る。さびついたブランコ。塗装のはがれかけたパンダと象のアニマルライド。どこにでもある小さな公園だが、千晴さんに見せたかったのは中央にそびえる大きな桜だ。
 夜の桜は、昼間とは違った顔をしている。昼間はピンクの花弁がかわいらしい印象だが、夜空の下、月光に白く照らされた夜桜は息をのむほど美しい。
「よくこんなところ見つけたな。知らなかった」
「大学が始まるまで暇だったんで、ここらへん散歩してたら見つけました」
 本当は大学で彼女ができたら一緒に行くデートスポットを探していたんだけど、昨日の新歓コンパの状況を鑑みるに、桜が咲いている間に彼女ができる可能性はないだろう。だからって、千晴さんと来ることになるとは思わなかったけど。
 ふと隣をみると、千晴さんの頭には花弁が数枚積もっていた。
 俺は微笑ましく思いながら花弁を払おうと手を伸ばすと、千晴さんはとっさに身体をそらし、水に濡れた犬のようにぶんぶんと頭を振る。
「あ、すみません。桜がついてて」
「あっそう」
そういえば昨日も同じようなことがあったな。きっと千晴さんは他人に触られるのが苦手なタイプなのだろう。
「それじゃ、乾杯しましょ!」
 俺たちは近くのベンチに腰掛け、飲み物を手に取る。封を開け、しゅわしゅわと炭酸がはじける音が心地よく響く。
「乾杯」
 俺はジュースを飲むふりをして千晴さんをじっと観察する。千晴さんは缶に唇を当てて上を見上げる。缶がかたむき、千晴さんの喉仏がごくりと音を立てて上下したのを確認し、俺は心の中でガッツポーズを取った。
 よしっ! 作戦の第一段階は成功だ!
 俺の作戦はまず、千晴さんに再びお酒を飲ませ酔わせること。そして、酔ったところを動画に収めることだ。
 昔、飲み会でべろべろに酔った父親を動画に収めた母親はことあるごとにあの時は大変だったなー、などの小言とともにその動画を父親に見せつけ、尻に敷いていた。
 要するに、弱みだ。俺も酔った千晴さんの醜態、悪態、痴態を動画に収め、千晴さんの弱みを握る。そのあとのことは特に考えていないが、ひとまずこれが俺の考えた千晴さんへの復讐だ。
 悪魔のような笑みを浮かべ、俺はスマホを取り出す。
「千晴さん、こっち向いてください」
「やめろよ」
「いいじゃないですか、記念ですよ」
「なんの記念だよ」
 千晴さんは缶チューハイを顔の前に掲げる。
「じゃあ一緒に撮りましょ」
千晴さんのとなりへ並ぶと、千晴さんはしぶしぶレンズへ視線を向ける。フラッシュが焚かれ、この一瞬が画像に収まる。
「千晴さん、目つぶってる」
 画像には立派な夜桜とともにニカッと笑う俺と、まばたきの刹那、菩薩のように目を閉じた千晴さんが映っていた。
 俺はゲラゲラと笑っていると、千晴さんはぐびっと酒をあおる。
「もういいだろ。写真苦手なんだよ」
「はーい」
 そういってスマホを片付けるふりをして、こっそりビデオに切り替えレンズが出るように胸ポケットにしまう。
 よし、これであとは千晴さんが酔っぱらうのを待つだけだ。
 風が吹き、宙を舞う桜を目で追っていると、千晴さんはぽつりと呟く。
「悠真」
「えっ」
「ありがとな。いい眺めだ」
 そういって千晴さんは夜桜を見上げながら酒を飲む。月明かりを浴びた千晴さんの横顔はやっぱり綺麗で、桜よりも千晴さんばかり見てしまう。
 だからこそ、気になってしまう。
 昨日の夜、なにがあったのか。
「千晴さん、昨日の夜って」
「…………」
「千晴さん?」
 振り向くと千晴さんは目を閉じ、静かに寝息を立てていた。
「え、寝てる……!?」
 名前を呼んでも、肩をゆすっても、千晴さんは安らかな寝息をたてるばかり。
 もしかして、酔いつぶれてた?
 しかし、千晴さんの缶チューハイの中身はまだ半分近く残っている。昨日の方がたくさん飲んでいるはずなのに。すると、千晴さんのスマホが鳴りだす。
「千晴さん、スマホ鳴ってますよ。起きてください」
「…………」
「えー、全然起きないんだけど」
 呆れながらも千晴さんの上着からスマホを取り出すと、画面には榊さんの名前が表示されていた。榊さんならなにか知ってるかも、と俺は通話ボタンを押す。
「もしもし」
「え、だれ?」
「俺です。悠真です」
「悠真? 千晴は?」
「それが、お酒飲んだらすぐに寝ちゃって」
 それだけ言うと、榊さんはすべてを察したようにあぁ、と声を漏らした。
「なにか知ってますか?」
「悠真、なんとか上戸って知ってるか? 酔ったら出るその人の癖。笑い上戸とか、泣き上戸とか」
「聞いたことはありますけど」
「千晴の場合は、そのなんとか上戸が飲むたびに変わるんだ。いわば、○○上戸がランダムに現れる体質なんだよ」
「ランダム?」
 だから昨日は平気だったお酒が、今日はめっきり弱くなっているってこと……なのか?
「まぁそういうことだから。介抱よろしくな」
「え、ちょ……!」
 無情にも通話は切れ、呆然としていると隣で千晴さんが目を覚ました。
「あ、榊さんから電話来てました」
「榊……、ふーん」
 千晴さんは意識がはっきりとしていない様子で、ふわふわとした雰囲気で佇んでいる。そのとき、一枚の桜の花弁が榊さんの前髪に止まった。
 俺は反射的に払おうと手を伸ばすが、すぐに千晴さんが身体に触れられるのが苦手だったと思い出し手を止める。なのに。
「んっ」
 千晴さんは顔をこちらに近づけ頭をかたむける。
「取ってよ」
「は、はい」
 されるがまま、こちらに身を委ねてくる千晴さんの様子に、俺はどぎまぎしながら慎重に花弁をつまむ。
 すると、千晴さんは顔をあげ、ばっちりと目がった。
 とろんと溶けるような千晴さんの眼差しに、俺はごくりとつばを飲み込む。
「お前だって照れてんじゃん」
「……は?」
 一拍置いて、昨日のやり返しだと気づいた俺は目を泳がせながら言い返す。
「べ、べつに照れてませんけど?」
「えへへ」
 千晴さんは満足そうにほほ笑むと、そのまま体勢を崩し、俺の太ももに頭を乗せた。
「ちょっと、千晴さん?」
 千晴さんはすでに夢の世界へと旅立った様子で、寝息がかすかに聞こえてきた。
 太ももから感じる千晴さんの重さと暖かさ。千晴さんの穏やかで無垢な寝顔を見ているうちに、俺は無意識に千晴さんの頭をそっと撫でていた。
 少しの缶チューハイでこの眠り様。これはきっと眠り上戸だろう。だったら。ネオンの煌きの中で俺の手を引いてくれた千春さんを思い浮かべる。
「昨日はなに上戸だったんですか?」
 千晴さんは答えることなく、すやすやと眠ったまま。
「まぁいいか」
 それからしばらくお菓子をつまみながら花見をしていたが、そろそろ腰が限界だ。
「千晴さん、起きてください。千春さん!」
 先ほどよりも強く揺するが反応はない。大声を出しても、頬を軽く叩いても無意味だった。
「どんだけ眠り深いんだよ……」
 榊さんに介抱よろしく、と言われたが仕方がない。千晴さんを置いて帰ろう。
 俺は千晴さんの頭を抱えようと腕を回すが、千晴さんは微動だにしない。
「ぐぬぬぬ……、ふんぬっ!」
 首が閉まるほど強く掴んでも、太ももの上からずらして落とそうと力いっぱい押してもびくともしない。強力な磁石。タコの吸盤。びくともしなさからいろんな連想が頭に浮かぶ中で、一つの可能性がよぎる。
 もしかして俺、朝までこのまま……?
「千晴さん!? 千晴さーん!!」
 俺の叫びは夜空に虚しくこだました。

   ◇

「ぬわっ!?」
 目を覚ますと、朝陽が目を眩ませる。どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。
「……あれ、千晴さん?」
 あたりを見わたすと、お菓子の袋や飲み物のゴミとともに千晴さんの姿はどこにもなかった。
「帰ったのか……、って、えぇ!?」
 公園に立った時計台は一コマ目が始まる少し前の時刻を示していた。
「なんでアラームが鳴らないんだよ!?」
 スマホをタップするが画面が光らないどころか電源がつかない。昨晩、カメラを起動しっぱなしにしていたせいでスマホの充電は切れてしまったらしい。
 俺は慌てて立ち上がるが、瞬間、全身を激しい痛みが走った。
 べンチに座ったまま寝ていたせいで、身体が石のように凝っていた。
 遅刻ギリギリなのも、身体がバキバキなのも、全部千晴さんのせいだ!
「次こそは! 千晴さんの弱みを握ってやるっ!」
 俺は生まれたての小鹿のように足をプルプルとふるわせながら、咲き乱れる桜に強く誓った。