可愛かった幼なじみが、逃がしてくれない。

第七話 欺く




「要、俺の彼氏になって」
「は?」

 朝、いつものように玲央と向かい合って食堂で朝飯を食べていたら、何気ないタイミング――そう、それは『醤油取って』ぐらいの何気なさ――で、顔を上げた玲央が真面目な顔で言ってきた。箸を動かす手が止まる。
「ぶはっ」
 俺の隣でご飯を食べていた勇斗が吹き出す。その向かいの高山が、勇斗が吹き出したものが自分のおかずにかからないようにさっと皿を持ち上げた。
「深瀬おまえ、その言い方じゃ誤解しかされねーから」
 箸を玲央の方に向けながら行儀悪く言う勇斗に、片眉を上げる。
「どういうこと」
「最近すげーじゃん、SNSのやつ。うちもさあ、繁盛すんのはいいんだけど、度を超える客も増えてきてて困ってんだよね」
「本当に付き合っちゃえばいいってこと!?」
 話を聞いていた高山が、何故か目を輝かせて前のめりで割って入って来る。勇斗は首を横に振り、玲央は何も言わない。
「付き合うふり、な。深瀬と要がマジで付き合ってるように見えれば、ガチ恋勢が減って少しは平和になるんじゃね? っていう」
「待って俺の人権は?」
「落ち着くまでだって」
「いいじゃん、なんか時の人っぽくて!」
 冷静な勇斗も楽しそうな高山も、他人事だ。そりゃそう。玲央だけは、何も言わず、真っ直ぐな目で俺を見て来る。
 小さく息を吐いて、髪をかき上げた。
「おまえはそれでいいわけ」
 玲央に尋ねると、玲央は少しだけ瞳を丸めてから、小さく頷く。
「俺は、大丈夫」
「実はもうアカウントも作成済み」
「は?」
 勇斗が見せて来たスマホの画面には、玲央のアカウントのトップページが映し出されている。
 アイコンは初期のものだけど、初投稿の写真がカフェエプロンを着た玲央で、勇斗が撮ったものだということがわかる。
 それだけの投稿なのに、ハートの数がすごいことになっていて、くらりと目眩がした。
「玲央に危険はねーんだな?」
「大丈夫だって、こそこそしてる方が割と危険。最近、出待ちとか、深瀬が触ったもん持ち帰ろうとする子とか多すぎてさ」
「り、理解できねえ」
「うん、俺も」
 爽やかに笑って頷く勇斗からは、毎日のバイト先での出来事で辟易としていることが伝わってきた。
「深瀬がシフト入ってねー日は問い合わせもすごくて」
「はー……おつかれさまです」
「人助けと思って、頼むわ」
 手を合わせられ、片目を瞑る仕草に、大きく息を吐き出す。
「要」
 今まで黙っていた玲央が、口を開いた。
「試し、でいいから」
 玲央も、バイト先やセンパイである勇斗を困らせたくないんだろう。
 昔から、玲央のお願いには弱かった。
 こんなに身体が大きくなったのに、幼い頃の、それはもう可愛かった玲央の顔と重なってしまい、息を飲み込む。
 グラスに残った水を呷り飲み、俺は頷いた。
「わかった」
「おお!」「よかったねえ!」
 俺が頷くと、勇斗と高山がまず反応する。
 だから、その二人に向かって宣言した。
「効果がなかったらすぐに破局宣言するからな!」





 その日の昼。早速とばかりに、勇斗がプロデュースして、「付き合ってる二人」の写真を撮ると意気込んでいて、結果的に、学食の椅子に座る玲央の膝の上に、俺が座っている。なんでだ。
「何これ」
「カップルといえばこれじゃね?」
「んなことしてる男女カップルどこにもいねえけど?」
 昼時で賑わう学食を見渡すけれど、同じ体勢の人たちはどこにもいない。むしろ、周囲の好奇の目が一斉に向いているのに気付いて心が死にそうになった。
「要、大丈夫」
 ぎゅ、と玲央が腹に回した腕に力を込めて抱きしめてきて、耳元でそう囁いてくる。
 大丈夫じゃねーから!!
 そのまま腹に肘鉄を食らわしてやりたかったが、玲央自身はどこか嬉しそうで、俺の勢いも萎びてしまう。
「撮んなら早く撮れよ!」
「あ、もう撮ってます」
 勇斗はちゃっかり、スマホのシャッターボタンを押していた。
 いろんな角度から連射していて、抵抗するのは諦めた。
「要、このまま食べる?」
 俺の身体の力が抜けたのに気付いた玲央が、決して冗談ではない声色でそう言うから、声を大にして答えた。
「絶対やだ!!」



 今日は全部がそんな感じで、バイト先のコンビニに着く頃には、ぐったり疲れてしまった。
 学食終わり、次の授業に行くだけの少しの時間でも、手を繋いで来ようとするし。
 勇斗は勇斗で、撮った写真をアップしたら、すぐに反応がついたようで、逐一それを見せてくるし。
 その反応、の内容も、『やっぱり付き合ってるんだ!?』『玲央様の横顔美しい』『要くん細くない?』『お似合いすぎる神』という肯定的なものから、『こういうの本当無理』『玲央様を返して』『匂わせいらない最悪』と言った否定的なものまで、ずらりとコメントが並んでいて、見るだけで気疲れしてしまった。
「よろしゃーす」
 制服を着るためにスタッフ控え室に入ると、休憩上がりでこれから売り場に戻ろうとするシンさんとすれ違った。
「マジで付き合ったん?」
「違うっす、振りです振り」
「振り、ねえ」
「なんかその方が効果あるとか言われて」
「つか、浅倉の写真全部見切れてね?」
「そっすか?」
 そう言われれば、どの投稿も玲央の写真がメインになっているけれど、それは世の中の需要の結果だろう。
「修羅場にゃ気ィつけろよー」
「あんたが言う!?」
 ひらりと手を振って部屋を出ていくシンさんの後ろ姿に突っ込む。
 シンさんは、女の人から刺されたことがあったり、シンさんを巡って二人の女の人が店に来て大喧嘩を繰り広げて警察を呼んだりと、気付いたら修羅場の渦中にいるような人だ。
 そのシンさんに忠告されるなんて、相当じゃね? いやでも、そんなことあるわけがない。
『玲央様を返して』
 自分に言い聞かせながらも、SNSに流れていたコメントの一つを思い出して、ぞくりとした。
 緩く頭を振って小さく呼吸をし、制服の上着を羽織って、現場に出る。
 大丈夫。ここは、フィクションじゃない。現実だ。





 「玲央様と別れて! 今すぐ! 別れた宣言して! もう接触しないで!」
 フィクションじゃない、はずなんですけどお……。
 俺がシフトに入って少しした後、白とピンクのふわふわしたワンピースを着た黒髪ロングの女の子が、その服装に似合わずにズカズカとレジへと一直線に歩いて来て、カウンターの中にいる俺に向かって大声でそう言って来た。
「お、お客様、他のお客様のご迷惑になりますので」
「アカウントができて、玲央様のお顔がいつでも見られると思ったのに! 邪魔なの!」
「はあ」
「カフェに行ってもあんたの話しかしないし! あんな玲央様見たくない!!」
「え」
 お、俺の何を話してるんだ……?
 新事実が発覚して気を取られていると、ガンッ、とレジカウンターに、何かを突き付けられた。
「いや、それ」
 刃物だ。
 果物ナイフぐらいの小ぶりの刃が、カウンターに刺さっている。
 女の子は興奮して、肩で息をしている。
「別れてくれないと、今ここで死ぬ」
「は????」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「玲央様が理想なの。黒髪、顔、スタイル、全部全部全部、夢にまで見た王子様みたい。他のアイドルより、俳優より、ずっとずっと理想で、やっと見つけて、やっと出会えたのに……どうして? どうしてあなたと一緒にいる玲央様は、とろけたような顔をしてるの? 私じゃなくて? なんでなんでなんで」
 ――怖ぇ!!
 最後の方はブツブツと聞き取れないほどの大きさで呟いていて、長い前髪の隙間から覗く瞳は、俺を見据えている。
 背筋が震える。
 言葉を発したいのに、喉がひりついて、声が出ない。
 つ、通報ボタンを押していいのか……?
 頭の中で逡巡していると、彼女が、カウンターに刺したナイフを抜き取った。

「要!!」

 その瞬間、カフェエプロンを身に付けた玲央が、自動ドアを潜って飛び込んで来る。
「れお、」「玲央様!!」
 彼女の力が抜けて、カラン、とナイフが床に落ちる。
 その瞬間を狙ったかのように、品出しをしていたシンさんが、足でナイフを踏んで引き寄せ、自分の手に持った。
 玲央が、「玲央様、」と縋るように言う女の子の横を素通りし、レジカウンターの中に入って来た。部外者立入禁止、と注意する間もなく、両腕を伸ばして抱きしめられる。
「は? ちょっ、」
「無事でよかった……」
 そりゃそうなんだけど、これ、火に油じゃね?
 疑似恋人的には正解かもしれないけれども、目の前の女の子は、玲央超過激派だ。
 そろりと視線を向けると、案の定、女の子の目には涙が浮かび、肩が震えている。
「この人、俺のだから」
 玲央の声が、店内に響く。この騒動で、店内にいた客は粗方出て行ってしまったから、今は四人しかいない。
 女の子をそれを聞いて、首を横に振った。
「ウソ! やらせでしょ」
 正解、やらせです。
「違う」
 玲央が、ぎゅ、と抱きしめる手に力を込めて来た。
「俺は本気で、この人のことが好きだ」
 どんな顔で言っているのかはわからない。
 でも、女の子が、息を飲む音は聞こえる。
「どうして、どうして? 私じゃだめなの、」
「この人じゃなきゃ、駄目なんだ」
「っく、もう……ブロックするからあぁ!!」
 玲央がハッキリ断言すると、女の子はぼろぼろと涙を流しながら、走り去って行った。
 自動ドアが閉まるのを見送って、一気に身体の力が抜けて、玲央にもたれ掛かる。
「こっわかったあ……何? 今の女の子ってあんななの? 怖すぎ」
「ごめん、要」
 玲央に背中をぽんと叩かれて、抱きついたままだということを思い出して慌てて離れた。
「おまえ演技うますぎるだろ!! あとなんでここに!? バイト中では!?」
 言いたかったことを全部言うと、シンさんが片手を挙げて、「俺が要請したー」と申告する。
「そいつから言われて連絡先交換してたんよ、浅倉になんかあったら即連絡」
「報酬は!?」
「タバコワンカートン」
「クソじゃん!!!」
 ちゃっかり物でつられているシンさんに突っ込むけれど、でも、今回ばかりは本気で助かった。
 レジカウンターには、刃物が突き刺された跡が真新しく残っている。
「店長になんて言お……」
「そっちも処理済み」
「神すか、玲央タバコ追加しといて」
「うす」
「もうちょい様子見て警察もいこうと思ったけど、深瀬のが早かったなー」
「じゃあ、バイト戻るんで」
 冷静に言うシンさんに、首を振る玲央も落ち着いている。
 俺だけは、まだ、バクバクと心臓がうるさく脈打っていた。
 女の子の形相のせいか、玲央の言葉のせいか、わからないけど。







 バイト終わりには、当たり前のように玲央が待っていた。いつもなら鬱陶しく思うところだが、正直、今日は助かる。またあんなことがあったら、女の子相手に、どうすれば良いのかわからなかった。
 すっかり暗くなった住宅街を並んで歩き、いつもは俺が適当なことを喋って玲央が相槌を打つのが多いのだけれど、今日は違った。
 玲央がぽつりと口を開く。
「暫く、向こうのシフト早めるから」
「うん?」
「要がバイトの日、迎えに来るようにする」
「いやいいって」
「よくない」
「俺だって男だし」
「震えてた」
「へ」
 そう言うと同時に、玲央が、俺の手を握る。
「怖かったよな、ごめん」
「そりゃあな!! 女の子がナイフ突き出して私も死ぬなんて言われたらどうしていいかわかんねーし」
「俺も、怖かった」
「え」
 指先を絡めるように握り直されて、言われた言葉に一度瞬く。
「シンさんから連絡が来て、気付いたら夢中で走ってた。近くでよかった」
 そうだ。
 あの時の玲央は、バイトの制服のままだった。
 シンさんが何を言ったのかはわからないが、着の身着のまま、走って来たんだろう。
「要に何かあった時、傍にいなかったら悔やんでも悔やみきれない」
 ああ、なるほど。
 あの子はきっと、玲央のこういう顔を、『理想』だと言ったのかもしれない。
 街灯に照らされ、まっすぐと俺の顔を見つめてくる玲央の黒い瞳は、確かに、きれいだった。
「だから、一緒にいさせて」
「わかった」
 気付いたら、素直に頷いていた。
 そっと、繋がった手を離し、一歩先を歩き始める。
「それと」
 玲央が慌てて追いかけてくるのがわかった。
「来てくれてありがとな」
 顔を見ないまま言ったけど、ぱあ、と、玲央の雰囲気が明るくなるのがわかった。ぶんぶん振られる見えない尻尾が見える気がして、小さく笑う。
 空には、星がポツポツと瞬いていた。









 ――勇斗の読みは、正しかったようだ。
『ガチ恋過激派』よりも、『箱推し(?)勢』の方が増えたようで、手を繋いだりハグをしたりと距離が近い写真を上げる度に、『仲良し最高』『次はデートして』『お部屋デート希望』『結婚待ってます』というコメントが流れてくるらしい。その勢いに押されて、否定派は少なくなっていて、カフェの客層も変わってきていると教えてくれた。
 コンビニにも、あれ以来、変わった子は来ていない。商品を買うときに、「応援してます」「お幸せに」と熱の籠もった目で伝えてくれるお姉さん方は増えたけれど。
 そして、玲央は、更にぴったりとくっついてくるようになった。
 まあ、期間限定だと思えば、悪くはない。……よくもねーけどな!