可愛かった幼なじみが、逃がしてくれない。

第十一話 夢



 ――夢を見る。
 俺はふわふわと白い空の上を飛んでいた。
 その下には、慣れ親しんだ地元の風景が広がっている。住宅街の他には、畑や田んぼ、山ばっかりの見事な田舎だ。
 身体が徐々に下降していって、住宅街の一画がフォーカスされる。
 見慣れた実家の一軒家と、その隣の家が近付いていき、その家の前に停まった乗用車の前に、中学生だった頃の玲央の姿が見えて息を飲んだ。
 これは、俺が家を出る時の記憶だ。
 荷物を車に積み終えると、まだ髪が黒くて背が小さかった頃の俺が、ちょうど同じぐらいの背丈になった玲央と向かい合う。
 隣のおじさんおばさんも、並んで俺を見送ってくれた。朱里ちゃんは、この頃は専門学校に通っていて、家を出ていた。
「なんだよ、泣くなよー」
「泣いてない」
 中学を卒業したばかりの俺が、今にも泣きそうになっている玲央に笑って手を伸ばし、癖のない黒髪を撫でている。
 玲央は首を振って強がりながら、俺の服の裾をぎゅっと握った。
「要、帰って来る?」
「夏休みには帰るよ」
「ゴールデンウィークは?」
「どうかなー」
「ほら玲央、要くんを困らせないの」
 せがむような玲央に対して誤魔化していると、おばさんが助けてくれた。
 ああ、この頃から俺は、逃げていたんだ。
 ぎゅっと服を掴んでくる玲央の手をそっと離して、両手でその手を握りしめる。
「またな、玲央。おばさんたち困らせんなよ」
「俺、追いかけるから」
「ん?」
「要と同じとこ行く」
「おー、がんばれ?」
「待ってて!」
 精一杯涙を堪えて宣言された言葉は、その時の勢いだと思っていたんだ。
 まさか、高校三年間必死に勉強して、本当に追いかけてくるとは、当時の俺は予想だにしなかった。







 ふわっ、と身体が浮いたと思ったら、一瞬にして場面が変わっている。
 晴れた空の下、厳かな教会の長椅子に腰掛け、フォーマルなスーツに身を包んで髪を上げている、少し老けた俺の姿がある。
 その前の席には玲央の両親が着物姿で、朱里ちゃんが華やかな振り袖姿で座っていた。
「まさか深瀬が一番乗りとはな」
「早かったよねえ、スピード婚ってやつ?」
 同様の椅子に座って囁いているのは、同じようにスーツを着ている勇斗と、蝶ネクタイが似合っている高山だ。
「あー、まあ、お似合いじゃねえ?」
 俺も、顔を上げてそう言っている。
「本音か?」
「寂しがって自棄酒止まらなかったくせにー」
「うるせ」
 勇斗と高山のからかう声に、ふいっと顔を逸らす俺。
 その姿を目にし、胸の奥が軋む。
 牧師のアナウンスがあり、新郎が入場してくる。
 椅子に座った俺は立ち上がって拍手をするけれど、決して顔を上げない。
 堂々とした佇まいで、タキシードを着た玲央が、バージンロードを歩いて牧師の元へと向かう。
 一瞬、玲央の目は俺の方を向いたけれど、下を向いている俺と、視線が交わることはなかった。
 その後で、お父さんに手を引かれた新婦が、大きな拍手を受けて入場して来る。
 新婦の顔はヴェールの影になっていてよく見えなかったが、幸せそうな顔をしているのだけは、伝わって来た。
 牧師の元で待っている玲央の元へ行き、新婦のお父さんは、自分の席へと戻って行く。
 新郎新婦が並ぶと、讃美歌が歌われ、聖書の一節が朗読される。
 みんな幸せそうなのに、俺だけは、俯いていた。
 牧師がお決まりの口上を読み上げて、新郎新婦が向かい合う。
 そして、誓いの――
「待って!!」
 いや待って待って、夢であってもそれは勘弁してくれ。
 ふたりの顔が徐々に近づくのをスローモーションのように感じて、それを阻止するべく、俺は思わず叫んで、飛び上がっていた。




 「――要?」
 はあはあと、荒く呼吸をして飛び起きた先では、大学一年生で黒いTシャツとチノパンを着た玲央が、俺の顔を覗き込んで首を傾げている。
 辺りは見慣れた俺の寮の部屋、カーテンはもう閉められていて、夕焼けの光が入り込んでいるのがわかる。
 いやな汗がじわりと浮かび、不思議そうな玲央の顔を見て、一気に力が抜けた。
「れ、お」
「うん、大丈夫?」
 俺の頬に触れてくる玲央の黒い瞳を見て、夢で見た光景がフラッシュバックする。
 追いかけてくる、と健気に言っていた玲央。
 見知らぬ女性と、教会に並んで幸せそうにしている玲央。
 俺は、どんな未来を望んでいる?
「――要が、倒れたって聞いて、心配で……俺が嫌だったら、他の人呼んで来るから」
 その沈黙をどう受け止めたのか、玲央は瞳を揺らして、立ち上がろうとした。
 俺は、玲央の手を、咄嗟に掴んで引き止める。
「え」
 その動きに、俺自身が一番驚いていた。
「え?」
 玲央も戸惑う。
 だが、なかったことには出来なくて、掴んだ手をぐいと引いて、玲央をベッドの脇の椅子へと促した。
「もう少し、いれば」
「いいの?」
「ん」
 小さく頷いて、玲央の手を握ったまま、ぽすりとベッドに沈み込む。
 どんな顔をすればいいのかわからなかった。
 でも、その手を離す気にも、なれなかった。






 「なんで俺なの」
 どれぐらい、そうしていたのか。玲央は何も言わないし、俺も声が出なかった。数十秒にも数分にも感じた沈黙を経て、玲央の手を握ったまま、もう片腕で目許を覆いながら、小さく俺は問いかけた。
「おまえなら選び放題だろ、男でも女でも」
「要じゃなきゃ嫌だ」
 玲央が椅子から腰を上げて食い気味に答えてきた。自分ではっとして椅子に落ち着き直し、その代わりに、俺の手を玲央からぎゅっと握ってくる。
「なんでそんな、こだわんの。俺に」
「水族館で迷子になったときも、海で溺れそうになったときも、祭りでからかわれたときも、いつだって要が俺を助けてくれた。要は、俺のヒーローなんだ」
 玲央が、俺の手を両手で握り直して来た。声色が優しくて、あまりに大事そうに話すから、顔を隠していた片腕を下ろして、そっと表情を窺い見る。
 玲央の眼差しは、穏やかだった。
「でも、それだけじゃない」
 一瞬、自嘲するように、伏し目がちになる。睫毛が影を作る様からも、目を逸らせなかった。
「中学の頃、要が彼女を作ったって聞いて居ても立ってもいられなくなった」
「ウソだったけどな!」
 俺のことを気に入らないヤツが、卒業間近に勝手に流した噂話だ。相手の子も、困っていた。
「ウソでもいやだった。それで初めて自覚したのに、その途端に要は東京に行くし、わけわかんなかった」
 俺の手を掴む両手に、ぎゅ、と力が籠もる。
「他の男も、女も、どうでもいい。俺には、要しかいない」
 黒い瞳が、真っ直ぐと俺を射抜いてくる。
 今までの俺だったら、間違いなく目を逸らしていた。
 ――でも。
 教会の下でしあわせそうに笑う玲央とだれか。
 玲央も、俺とだれかで、同じような想像をしたことがあるんだろうか。
 俺は一度目を伏せて、それから身体を起こし、玲央の手を、もう片手で、そっと包んだ。
「か、なめ」
「なあ」
 玲央が、珍しく動揺している。そんな顔を見るのは、少し気分がよかった。
「水族館、行かね? 今度は、デートで」
「それって、」
「いやそのまんまだけど、うおっ」
 あえて囁くように軽口で誘うと玲央は息を飲んで、俺の答えを待つ前に、両腕を伸ばして思い切り強く抱きしめてくる。
 その勢いに、思わず笑ってしまった。
「しかたねーなあ」
 まあ、逃げ続けた引け目もあるしな。
 年上ぶって、俺は、玲央の背中に腕を回して抱きしめ返してやった。
「要」
「ん?」
「毎朝、起こしに来てもいい?」
「ふは、」
 控えめに問いかけられて、小さく吹き出す。
「最初からそうやって聞けよ、ばか」
 いつか幼い頃のようにわしゃわしゃと黒髪を撫でてやると、玲央が、くしゃりと笑った。
 久しぶりにその笑顔を見た気がする。







 後日。
 『無事に仲直りしました』という言葉と、正面から抱きしめてくる玲央を限界まで避けている俺のツーショットの写真のアップを最後に、玲央のSNSの更新は途絶えた。コメント欄は、『おめでとう泣』『永遠にお幸せに!』『ずっと応援してるからね!』という、暖かい言葉で溢れていた。