眠り姫・オレがモデルに恋したはなし

「山田ー、生きてるか?」

 岡野先生の声と、クラスメイトの笑い声が、遠くから聞こえてくる。

「生きてま……す」

 オレは、夢と現実の真ん中あたりで、どうにか返事だけした。

 今は、学活の時間。
 明日の遠足について説明してる……はずなんだけど、先生の声が子守歌にしか聞こえない。
 教室のざわめきは、川のせせらぎだ。
 カクン、と意識が飛んで、慌てて顔を上げる。
 やばい。
 遠足の説明、まったく頭に入ってこない。
 注意事項とか持ち物とか、係の仕事とか。一個も覚えてない。
 それなのに。

(永臣、明日の遠足来るのかな)

 ふと、そんなことを考えてしまう。
 来るだろ。学校行事だし。
 いや……来ないのか?
 あいつが、山を登ってる姿とか、まったく想像できない。
 なんか適当な理由つけて、普通にサボりそうだ。

 それは置いといて。
 いつも眠いオレに寝不足を足したらどうなるか、身にしみて分かった。
 昨日モールで遊んだあと「そのカーディガンもう一回貸して」って言うだけでよかったのに。
 言えなかった。
 探してたにおいが、売り物じゃなくて、永臣本人だって分かった直後に「もう一回」なんて、さすがに言えない。
 そのくせ、一晩中カーディガンと永臣のこと考えてて……
 ベッドで寝返り打ちまくって、気づいたら朝。
 一睡もできなかった。もう終わってる。

 ぼやけた黒板を眺めていたら、ゆっくりとまぶたが閉じて――永臣の声が、生々しく再生された。

『俺のにおいだから』

「ち、違うし!」

 カツン。
 チョークの音。

「あ」

 学活の時間だった。
 教室が静まり返ってて、自分に視線が集まっているのがわかる。
 怖くて見れないけど。

「夢?」

「夢だ、山田……」

 岡野先生が言う。
 いつもと違う、優しい微笑みがつらい。
 思わず両手で顔を覆ったら、小春さんが言った。

「山田! 明日ちゃんと来てよね?」

「わかってる……」

「うちらの班、地味に荷物多いんだから。男子に持ってもらわないと」

 陽菜さんが斜め後ろから、容赦なく追い打ちをかけてくる。

「わかってるって」

「じゃあ、集合時間は?」

「……え」

「ほら、わかってないじゃん。山田、使えないわ」

「な……」

 二人が呆れたように肩をすくめる。

 何なんだよ。
 オレだって遅刻なんてしたくないし、遠足だって行きたい。
 だけど、アレがないせいで――

「朔也、どうした?」

 悔しくて机に突っ伏したら、悠斗くんが振り向いた。
 オレは思わず、その逞しい腕に縋りついた。

「悠斗くん、どうしよう。アレがないと、眠れなくて……」

「アレって?」

「……っ」

 悠斗くんは、少し考えるように視線を泳がせて――ハッとした顔になった。

「もしかして、アレ? 昨日貸してもらえばよかったのに」

「言えなかったんだよ!」

「まあ……さすがに言えないか。あれは」

 オレはコクコクと頷いた。
 そうなんだよ。どうしようもなかったのは自分が一番わかってる。
 だけど、どうにかしてもう一度手に入れないと――

「とりあえず、今日は早く寝な」

 悠斗くんはポンポンとオレの肩を叩いて、前を向いた。

(だから、アレがなきゃ、眠れないんだって……)

 ◇

 昼休み。

 チャイムの音と同時に席を立って、ふらふらと教室を出る。

(第二図書室に行って、今度こそ寝る!)

 雨がぽつぽつ降り始めたせいか、廊下がいつもより暗い。
 北棟はもっと暗くて、中庭にも人の気配がない。
 これならすぐにでも寝られそうだ。
 よし。
 永臣がいたら、何が何でもカーディガン返してもらう。
 正直眠すぎて恥とかどうでもよくなってきた。
 でもやっぱり、会いたくないような――

(あいつ、昨日のことどう思ってるのかな)

 そっとドアを開けて、中を覗く。

 いない。

「いないのかよ……」

 なんとも言えない気分で、ベンチに腰を下ろす。
 いないってわかったら、急に眠さが戻ってきた。

(カーディガン、あったらなぁ……)

 いや、ダメだ。
 そんなこと考え出したら、また眠れなくなる。
 オレは頭を無にして、自分のブレザーを脱いでたたんだ。
 それをベンチに置いて、横になる。

「……寒っ」

 でも、今なら眠れそう。
 意識がふわふわ遠のきはじめた、そのとき。

 ――カチャ。

 ドアが開く音。

(……誰? 永臣?)

 でも、もう目が開かない。
 足音がして。そして……
 ふわっと体の上に、あったかい何かがかけられた。

(……これだ)

 大好きなにおいに包まれて、そのまま眠りに落ちた。

 ◇

「朔也。起きろ」

 静かな声に、意識を引っ張り上げられる。

「……ん」

 目を開けると、そこに永臣がいた。

「よく眠れた?」

「……うん」

 めちゃくちゃ眠れた。

(まさか)

 自分にかけられているブレザーに気づいて、ハッと永臣を見る。
 シャツにカーディガン。ブレザーを着ていない。
 ということは、これは――
 オレは、震える手でブレザーの内側を確認した。
 そこには、金で刺繍された『一原永臣』の文字。

(やっぱり、永臣のにおいで熟睡してる……)

 これはもう、確定だ。
 このにおいがないと、眠れない体になってる。

「そんな格好で寒くないの?」

 永臣が呆れたように言った。

「寒かったけど、枕がなくて……仕方なく」

「枕?」

 ブレザーを羽織りながら、永臣が不思議そうに首を傾げた。
 オレをじっと見てくる。
 そして、思い出したように言った。

「あ。これ、いる?」

 永臣の指が、カーディガンのいちばん上のボタンに掛かる。

(待って。欲しい。だけど……今、脱ぐ?)

 心臓がドクっと音を立てた。
 なんか、無理だ。耐えられない。

「い、いい! 大丈夫! 制服、ありがとう。マジで助かったから!」

 食い気味に言うと、永臣の指がカーディガンから離れた。

(あ……)

 思わず手が伸びかける。
 永臣は、少し残念そうにつぶやいた。

「そっか」

 寂しそうに見えたのは、気のせいだよな?

「じゃ、先行くけど。遅刻するなよ」

「わかった……ありがとう」

 バタンと閉まったドアを見つめて、オレは心の中で叫んだ。

(ぜったい貸してもらうつもりだったのに、なんで断ったんだ!?)

 そのまま無意味に自分の手のひらを見つめる。

「はああ」

 さっきまで、永臣のブレザーに触れていた手。
 なにかが残ってそうな気がする。
 思わず顔を覆うと、少しだけあのにおいがした。

「……やば、今日も寝れないじゃん」