翌日の昼休み。
オレは白い紙袋を抱えて第二図書室に向かっていた。
袋の中には「永臣」のカーディガン。
どうしよう。返したくない。
返すため、っていうのは完全に建前で――本当は、図書室で寝るために持ってきた。
昨日の夜、これを枕にしたら、嘘みたいによく眠れた。
そのせいか、今日は学校で一回も寝ていない。
これはもう、ただのカーディガンじゃない。オレをぼっちから救う、特別な枕だ。
図書室の前に立ち、そっとドアを開ける。
「いな……い」
隅々まで見たけど、永臣はいなかった。
肩の力が抜ける。
今日は返さなくてもよさそうだ。
同時に、ちょっとだけ残念な気もする。
毎日ここに来るわけじゃないのか。
昨日はたまたまいただけなのかも。
いや、それより!
オレは紙袋からカーディガンを出すと、いつもの位置に置いて横になった。
ふわふわとチクチクが絶妙に混ざり合って、頬が気持ちいい。
顔に押し当て、思いっきり吸い込む。
(……あー、ダメだ。このにおい大好き)
なんのにおいだろう。
売ってるなら、同じやつを買いたい。
そしたら、自分のカーディガンをこのにおいにして――これは返せばいい。
完璧だ。
安心しきって、自分の世界に浸っていたそのとき。
「なにしてるの?」
突然、低い声が降ってきた。
「えっ?」
顔を上げると、永臣が立っていた。
昨日と同じ、天使みたいな見た目なのに、目だけが冷たい。
そりゃそうだ。
よく知らない男子が、自分のカーディガンに顔をうずめてたら、引く。
「それ、俺のだよな?」
「あの、これは……違うから!」
「なにが?」
淡々とした声に、余計に焦る。
信じてくれ。ほんとに、そういうのじゃないんだ。
「だっ、だから、オレはお前のファンとかじゃないから! そこだけは安心しろ!」
「俺のファンじゃないんだ」
永臣の目が、一瞬だけ細くなる。
え、怖い。
言い方、間違えた?
ファンですって言ったほうがよかった?
いや、正直が一番だ。
「フ、ファンだよ。オレは、お前のカーディガンのファンだ!」
必死の絶叫に、永臣の動きが止まる。
それから、力が抜けるみたいに表情がゆるんで、子どもみたいに笑った。
「ふっ……なにそれ」
こいつ、笑うんだ。
意外と可愛い顔してて、ドキッとする。
いや、ドキッとしてる場合じゃない。
オレは震える手で、カーディガンを差し出した。
「……返す。今までありがとう」
一瞬、指先が触れた。
でも、カーディガンはいつまでたっても手の中からなくならない。
「返さなくていいよ。貸す」
永臣が言った。
「え、なんで? 着ないの?」
「もう五月だし」
「そっか」
『貸す』つまり、合法。これは合法の枕だ。
頬がゆるむ。
「そのかわり」
永臣はふっと表情を消して、オレをじっと見た。
「俺がここにいること、黙ってて」
「なんで? 別にいいけど。」
「……騒がれるの、苦手だから」
言葉の最後が、少しだけ弱々しい。
(もしかして、こいつも陰キャ!?)
そう思った瞬間、急に親近感が湧く。
「あー……だからここに隠れてたのか」
「隠れてない。休憩してるだけ」
少しむっとした顔になる。
「寝るのは邪魔しないからさ」
「わかった」
「俺も、ここ使っていい?」
「もちろん! 二人くらい余裕だろ」
眠る場所と、カーディガンさえあれば、こっちは何の問題もない。
それに、相手は最高の枕をくれた本人。
断る理由なんてない。
「ありがとう」
永臣が、ふっと目を細めて笑った。
(やったー)
思わずカーディガンを抱き締める。
オレは、正式に自分の物になった枕をベンチに置くと――そっと目を閉じた。
◇
なんか、気持ちいい。
体の力が、すっと抜けていく。
(あれ……?)
誰かが、オレの髪を撫でてる。
夢か?
……いや、やけにリアルだ。
動けなくて、寝たふりを続けていると、独り言みたいな甘い声が聞こえた。
「時間だぞ、おい……名前なんだっけ? 聞いてなかった」
これ、永臣だよな。
なんで、撫でてるんだ?
どういう顔して起きればいいんだ?
(気づいてないフリして普通に起きるか? いや、難易度が高い。そんな演技……オレには無理だ)
その時、永臣の手が頭から離れて、胸の辺りに触れた。
(な、なに!?)
「山田、朔也か」
永臣が小さく呟く。
ブレザーの内側にある、名前を見てたのか。
なんだかすごく、紛らわしい。
――無駄にドキドキさせるようなこと、しないでほしい。
それから、もう一度、オレの髪に手を戻して――
「朔也、起きろ」
名前を呼びながら、ゆっくりと生え際をなぞった。
(本当に、なんなのこれ!?)
気持ちいい。
思わず寝そうになる。
(ダメだ。寝るなー!)
でも、体が動かない。
永臣の手のひらの温度。
爪が頭皮をかすめる感触。
全部が、やさしすぎて。
一生こうしていたい。
そのとき、永臣の指がスッと、オレのこめかみから耳へと滑った。
「……んあっ」
不意打ちすぎて、変な声が漏れた。
慌てて飛び起きる。
「今のは……違う! 違うからな?」
永臣は、一瞬驚いたような顔をした後、必死に言い訳してるオレをきれいにスルーして立ち上がった。
いや、スルーしてない。
よく見たら、口元が微妙に歪んでる。
「……笑ってる?」
「笑ってない」
肩が震えてる。
「絶対笑ってるだろ!」
「気持ちよさそうだったから」
「なっ……!」
さらっと言いやがった。
「起きてるの気づいてたなら、言えよ!」
「え、起きてたんだ。いつから?」
悪びれない。
(こいつ、面白がってる?)
時計を見ると、昼休みの終わりが近かった。
「先、行くな」
バタンとドアが閉まった。
「……なんなの、あいつ」
静かな図書室に、動揺しまくりのオレだけがぽつんと残された。
「オレのこと、好きなのか? ……なんてな」
ひとりで笑ってみる。
虚しい。
……あの手、すごく優しかったな。
森の香りと同じで、なんだか落ち着いた。
自分の頭を触ってみる。
永臣が触れたのと同じ場所。
でも、全然違う。
自分の手は、ただの手だ。
(また触ってもらいたい……なんて、おかしいよな)
チャイムが鳴って、慌てて立ち上がる。
この日からだ。
オレの高校生活が、眠気だけじゃなくて、永臣にまで乗っ取られ始めたのは。
オレは白い紙袋を抱えて第二図書室に向かっていた。
袋の中には「永臣」のカーディガン。
どうしよう。返したくない。
返すため、っていうのは完全に建前で――本当は、図書室で寝るために持ってきた。
昨日の夜、これを枕にしたら、嘘みたいによく眠れた。
そのせいか、今日は学校で一回も寝ていない。
これはもう、ただのカーディガンじゃない。オレをぼっちから救う、特別な枕だ。
図書室の前に立ち、そっとドアを開ける。
「いな……い」
隅々まで見たけど、永臣はいなかった。
肩の力が抜ける。
今日は返さなくてもよさそうだ。
同時に、ちょっとだけ残念な気もする。
毎日ここに来るわけじゃないのか。
昨日はたまたまいただけなのかも。
いや、それより!
オレは紙袋からカーディガンを出すと、いつもの位置に置いて横になった。
ふわふわとチクチクが絶妙に混ざり合って、頬が気持ちいい。
顔に押し当て、思いっきり吸い込む。
(……あー、ダメだ。このにおい大好き)
なんのにおいだろう。
売ってるなら、同じやつを買いたい。
そしたら、自分のカーディガンをこのにおいにして――これは返せばいい。
完璧だ。
安心しきって、自分の世界に浸っていたそのとき。
「なにしてるの?」
突然、低い声が降ってきた。
「えっ?」
顔を上げると、永臣が立っていた。
昨日と同じ、天使みたいな見た目なのに、目だけが冷たい。
そりゃそうだ。
よく知らない男子が、自分のカーディガンに顔をうずめてたら、引く。
「それ、俺のだよな?」
「あの、これは……違うから!」
「なにが?」
淡々とした声に、余計に焦る。
信じてくれ。ほんとに、そういうのじゃないんだ。
「だっ、だから、オレはお前のファンとかじゃないから! そこだけは安心しろ!」
「俺のファンじゃないんだ」
永臣の目が、一瞬だけ細くなる。
え、怖い。
言い方、間違えた?
ファンですって言ったほうがよかった?
いや、正直が一番だ。
「フ、ファンだよ。オレは、お前のカーディガンのファンだ!」
必死の絶叫に、永臣の動きが止まる。
それから、力が抜けるみたいに表情がゆるんで、子どもみたいに笑った。
「ふっ……なにそれ」
こいつ、笑うんだ。
意外と可愛い顔してて、ドキッとする。
いや、ドキッとしてる場合じゃない。
オレは震える手で、カーディガンを差し出した。
「……返す。今までありがとう」
一瞬、指先が触れた。
でも、カーディガンはいつまでたっても手の中からなくならない。
「返さなくていいよ。貸す」
永臣が言った。
「え、なんで? 着ないの?」
「もう五月だし」
「そっか」
『貸す』つまり、合法。これは合法の枕だ。
頬がゆるむ。
「そのかわり」
永臣はふっと表情を消して、オレをじっと見た。
「俺がここにいること、黙ってて」
「なんで? 別にいいけど。」
「……騒がれるの、苦手だから」
言葉の最後が、少しだけ弱々しい。
(もしかして、こいつも陰キャ!?)
そう思った瞬間、急に親近感が湧く。
「あー……だからここに隠れてたのか」
「隠れてない。休憩してるだけ」
少しむっとした顔になる。
「寝るのは邪魔しないからさ」
「わかった」
「俺も、ここ使っていい?」
「もちろん! 二人くらい余裕だろ」
眠る場所と、カーディガンさえあれば、こっちは何の問題もない。
それに、相手は最高の枕をくれた本人。
断る理由なんてない。
「ありがとう」
永臣が、ふっと目を細めて笑った。
(やったー)
思わずカーディガンを抱き締める。
オレは、正式に自分の物になった枕をベンチに置くと――そっと目を閉じた。
◇
なんか、気持ちいい。
体の力が、すっと抜けていく。
(あれ……?)
誰かが、オレの髪を撫でてる。
夢か?
……いや、やけにリアルだ。
動けなくて、寝たふりを続けていると、独り言みたいな甘い声が聞こえた。
「時間だぞ、おい……名前なんだっけ? 聞いてなかった」
これ、永臣だよな。
なんで、撫でてるんだ?
どういう顔して起きればいいんだ?
(気づいてないフリして普通に起きるか? いや、難易度が高い。そんな演技……オレには無理だ)
その時、永臣の手が頭から離れて、胸の辺りに触れた。
(な、なに!?)
「山田、朔也か」
永臣が小さく呟く。
ブレザーの内側にある、名前を見てたのか。
なんだかすごく、紛らわしい。
――無駄にドキドキさせるようなこと、しないでほしい。
それから、もう一度、オレの髪に手を戻して――
「朔也、起きろ」
名前を呼びながら、ゆっくりと生え際をなぞった。
(本当に、なんなのこれ!?)
気持ちいい。
思わず寝そうになる。
(ダメだ。寝るなー!)
でも、体が動かない。
永臣の手のひらの温度。
爪が頭皮をかすめる感触。
全部が、やさしすぎて。
一生こうしていたい。
そのとき、永臣の指がスッと、オレのこめかみから耳へと滑った。
「……んあっ」
不意打ちすぎて、変な声が漏れた。
慌てて飛び起きる。
「今のは……違う! 違うからな?」
永臣は、一瞬驚いたような顔をした後、必死に言い訳してるオレをきれいにスルーして立ち上がった。
いや、スルーしてない。
よく見たら、口元が微妙に歪んでる。
「……笑ってる?」
「笑ってない」
肩が震えてる。
「絶対笑ってるだろ!」
「気持ちよさそうだったから」
「なっ……!」
さらっと言いやがった。
「起きてるの気づいてたなら、言えよ!」
「え、起きてたんだ。いつから?」
悪びれない。
(こいつ、面白がってる?)
時計を見ると、昼休みの終わりが近かった。
「先、行くな」
バタンとドアが閉まった。
「……なんなの、あいつ」
静かな図書室に、動揺しまくりのオレだけがぽつんと残された。
「オレのこと、好きなのか? ……なんてな」
ひとりで笑ってみる。
虚しい。
……あの手、すごく優しかったな。
森の香りと同じで、なんだか落ち着いた。
自分の頭を触ってみる。
永臣が触れたのと同じ場所。
でも、全然違う。
自分の手は、ただの手だ。
(また触ってもらいたい……なんて、おかしいよな)
チャイムが鳴って、慌てて立ち上がる。
この日からだ。
オレの高校生活が、眠気だけじゃなくて、永臣にまで乗っ取られ始めたのは。



