眠り姫・オレがモデルに恋したはなし

(あーこれ駄目なやつ……)

 部屋に入った瞬間、膝がカクンてなった。
 部屋中が永臣のにおいで……これ以上吸っちゃ駄目だって思うのに、抵抗できない。
 もうカーディガンを借りるとか借りないとか、そういう話じゃない。

(オレが欲しかったの、もうこれじゃん)

「なに? どうかした?」

 近付いてくる永臣が、やけにカッコよく見えて……なんか発光してる。

(オレ、やばい!!)

「別に――なんでもないから。それ、借りたら帰るから」

 自分でも呆れるくらい素っ気なく言う。
 なにかしでかす前に早く帰らないと!

「はい」

 永臣がカーディガンを差し出してくる。
 声が、怒ってる気がするけど、気のせいかな? どっちでもいいけど。

「さんきゅー!?」

 永臣が、カーディガンを、離さない。

「?」

 指に、ぐっと力が入ってる。

「これの、なにがいいの?」

 永臣が視線を落としたまま、ぽつりと言った。
 今、それ聞く!?
 一秒でも早く帰りたいのに!!

「だから、これがあると寝れるんだって!」

 オレはカーディガンを引っ張った。

「俺のにおいで?」

「違うから! カーディガンのにおい」

「俺のじゃん」

「だから違うって言ってるだろ」

 いい加減しつこい!

「じゃ、カーテンでもいいわけ?」

「え」

 急に意地悪だ。

「別にいいけど。カーテン持ち帰ったら困るだろ」

 永臣が少し考える顔になる。

「カーペットは?」

「大きすぎる」

「じゃ、カレンダー」

「人んちのカレンダー、いらんわ」

 思わず笑いそうになる。なんなんだ、この流れ。

「朔也、泊っていきなよ」

 そう言って、やっとカーディガンから手を離した。

「え?」

「親、今日は帰ってこないし」

 なにそれ。「カ」つながりはどうした?
 急にやめるなよ。
 オレは驚いて、黙った。
 永臣が、じっとオレを見ている。
 いいよって言ってほしそうな顔で。

「いいよ」

 気づいたら、口が勝手に動いていた。
 オレが帰ったあと、あいつが一人でこの部屋にいるのを想像したら──なんか、放っておけなかった。
 それに、泊まるくらい別にどうってことない。……多分。
 永臣が、驚いた顔をしている。自分で言ったくせに。

「えっと、腹減ってる?」

「あんまり……」

「そっか。じゃ、冷凍庫のなんか持ってくる」

 なんか、急に張り切り出した。目が輝いてる。

「……あ、家に電話しないと」

「わかった」

 そう言って、永臣は部屋から出て行った。
 主がいなくなった部屋を、なんとなく見回す。
 制服が壁に掛けてあって、キャップがいくつも飾ってあるみたいに並んでる。
 あとは、ベッドと机。
 机にはパソコンとノートが数冊。
 棚には、参考書だけ。漫画も小説も、何もない。
 壁には、変なタペストリーみたいなのが掛けてあった。
 シンプル過ぎるし、色合いがモノトーン過ぎる。
 ホテルみたいなベッドに座ってみる。マットレスの絶妙な硬さもホテルっぽい。
 窓の外を見ると、もう真っ暗になっていた。
 少しだけ、誰かに泊まってもらいたくなる気持ちが、わかる気がした。

 今から帰るの面倒だし、ちょうどよかったかも。
 とりあえず、家に電話する。
 母さんが出て「こんな時間までなにしてるの? もうご飯よそっちゃったよ」と言った。

「今日、友達の家に泊まっていい?」

『いいけど、あんた泊まるような友達いた?』

 ぐさっ。胸に小さな矢が刺さる。

「い……いるし。さすがに」

『……誰?』

「永臣」

『えっ』

 間。

『……えっ!?』

「えって、なに? 駄目?」

『駄目じゃないけど! 永臣? どうしよう! 手土産、持ってたの?』

「持ってってない」

『と、とにかく失礼のないようにね。話は明日聞くから!』

「わかった……」

 勢いに押されて、そのまま電話を切った。
 ちょうどその時、永臣がトレーにおしゃれなボウルを二つ乗せて運んできた。

「泊まっていいって?」

「話は明日聞くって言われた……」

 永臣が、一瞬迷って、トレーをそのまま床に置いた。

「なにそれ。怒ってたってこと?」

「たぶん違う。永臣のファンだから。うちの母さん」

「あー、そういうこと。で、どっち食べる? 雑炊とリゾット」

「どっちでもいい」

「俺もどっちでもいい」

 二人で顔を見合わせる。

「じゃ、雑炊」

「はい」

「さんきゅ」

 おしゃれなラグの上で雑炊を食べる。
 毛足が長くて、もこもこしている。
 尻が落ち着かなくて、ちょっと食べにくい。
 でも、遠足の続きみたいで、少し楽しい。

「そういえば、なんで熊であんなにビビってたの?」

「は? 熊って、車と同じスピードで走るんだぞ。知らないの?」

 急に勢いよく喋り出す。

「まぁ……そこまで速いとは知らなかった」

「動物苦手なんだよ。何考えてるか分かんないし」

「たしかに、熊って何考えてるか分からない顔してるよな」

「だよな! リンゴくれたら見逃す、とか言ってくれれば怖くないんだけど」

 そう言って笑う永臣を見て、オレはホッとした。
 永臣の遠足初体験は、ちゃんと「楽しかった」で終わってほしかったから。

「じゃ、朔也、先に風呂入って」

「いやいや、お先にどうぞ」

「俺が先に入ったら、朔也絶対寝るじゃん」

 たしかに。

「絶対寝る」

 言い切れる。

「……じゃ、さっさと入ってくる」

 オレは洗面所に向かった。
 友達の家の風呂って、なんか落ち着かない。
 そわそわしながら服を脱ぐ。
 鏡に映る自分の裸が、やけに恥ずかしくて、誰もいないのにタオルで隠す。

 お湯を出して、シャンプーを手に出した瞬間。
 ふわっと、知ってるにおいがした。

 (あ、これ。ちょっと森じゃん!)

 ガシガシと頭を洗いながら、ふとボディーソープも出してみる。
 ボディーソープは、花っぽい香りだ。
 頭を洗いながら、体も洗う。いそがしい。

「混ざってるって、そういうことか」

 思わずつぶやく。

 でも――

 オレ、このままじゃ永臣のにおいになっちゃうよ? どうしよう!!
 軽くパニックになりながら、泡を流す。
 借りた服に着替え、髪をタオルで拭きつつ廊下を歩く。
 なんか、どんな顔して部屋に戻ればいいのか分からない。
 同じシャンプーを使って、同じにおいになってる。
 しかも、永臣の服まで着てる。
 あいつ、どう思うんだろう? ――って、なにも思わないか。

(……緊張してきた)

 深呼吸して、永臣の部屋のドアを開ける。

「って……自分が寝てるじゃん!」

 オレは思わず叫んだ。
 ベッドの上で、永臣は寝ていた。
 スマホを握ったまま、こてんと横向きに転がっている。
 いつものクールな感じはどこにもなくて、拍子抜けするくらい無防備だ。
 長い髪が、顔にかかっている。

 (なんだよ、その顔)

 気づいたら、ベッドのそばにしゃがみ込んでいた。
 手が勝手に伸びて、顔にかかってた前髪を、そっとどける。

「……ほんと、天使みたいな顔してるよな」

 つぶやいて、あわてて手を引っ込めた。
 勝手に触るとか、駄目だ。

「寝るか」

 永臣の隣に横になる。
 なんか、反対側向いててくれて、助かった。
 オレは、あれこれ考えるのをやめて、ブランケットをギュッと握りしめて、眠りに落ちた。

 ◇

「え」

 朝方、目が覚めたとき、なぜかブランケットじゃなくて、永臣を抱きしめていた。
 いや、抱きしめられてる……てか、抱き合ってる??
 一瞬、目が合う。

「わるい……」

 声がかすれた。

「ブランケットと、間違えた」

 言いながら、離れようとしたけど、永臣の腕がほどけない。

「……俺も」

 永臣が眠そうに言って、さらにオレの頭を抱き締めた。
 雑なのに優しくて、なんか胸元にもぐり込みたくなる。

 「……おやすみ」

 「お、おやすみ」

 オレはもぞもぞと仰向けになった。
 数秒「今の、なに?」って考えて、まぶたを閉じた。